風祭駅

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風祭駅(あらしマツーリえき)とは、神奈川県小田原市内に存在する小田急小田原線の駅である。日本初の女性専用駅として男性社会に決定的な一撃を与えた。

歴史[編集]

1888年(明治21年)10月1日
小田原市内線の停留所として開業。当時はケイオーカンパニーと同様の馬車軌間を採用していた。動力はであり、湯本駅付近の80‰勾配は馬の性能に対する限界への挑戦であった。
1896年(明治29年)10月31日
社名を小田原電気鉄道とする。しかし動力はあいかわらず馬である。電気ムチの使用により車両性能が向上したといわれる。
1900年(明治33年)3月21日
動物愛護法の施行により完全な電気運転となる。
1919年(大正8年)6月1日
箱根登山鉄道全通。
1923年(大正12年)9月1日
関東大震災は笑えた!死者(以下長すぎるため省略されました)。路線の大部分が破壊され運休となる。
1923年(大正12年)12月28日
関東大震災が起きた今がチャンス!と判断した社長の鶴の一声により標準軌への改軌を実施し、勾配のゆるい箱根街道を最高速度200khyde/h(312km/h)で爆走するようになった。特に早川口から箱根湯本までは専用軌道であり、軌道法を無視した高速運転が可能であった。併用軌道区間と鉄道区間では運用が分離され箱根板橋駅からの乗換えとなる(台湾新幹線東武東上線埼京線の乗り入れる板橋駅とは位置が異なる)。風祭駅はホームこそ設置されたが仮乗降場扱いであり、朝礼台と称される全長156cmのホームにドア1枚分がかかる構造であった。
1935年(昭和10年)10月1日
小田急小田原線が箱根湯本まで延伸開業する。併用軌道は全廃され、使用車両は全車長崎の市民たちが精霊流しの要領で長崎まで引っ張って行った。その情景は芥川龍之介により「モロッコ」として異国情緒あふれる小説に描かれ、性同一性障害を初めて取り挙げた文学作品としても知られる。
1980年(昭和55年)
行き違い設備の増設が行われ、小田急車のフル編成(全長156mまで)同士のすれ違いが可能になった。
1993年(平成5年)
ホームの有効長が箱根登山鉄道車3両分となり、箱根登山鉄道車は全ドアから乗り入れが可能となった。大規模イベントで2両目のドアが開く際以外は、小田急車は箱根湯本側1両のみドアが開くようになる。
2005年(平成17年)5月9日
箱根湯本側最後尾車が女性専用車となり、箱根登山鉄道車を除いて男性の乗降ができなくなる。
2007年(平成19年)1月31日
バリアフリー化のための改装工事が行われ、ホームの有効長が156cmに戻される。箱根湯本側ドア以外からの降車も物理的には可能だがおすすめできない。
2007年(平成19年)3月1日
箱根登山鉄道の乗り入れが完全に終了する。以後この駅は終日女性専用車のみが停車し、男性の乗降は禁止された。
2008年春
全長 156m にまでホームの延長が行われ、開業当時に比して100倍の長さとなる予定である。しかし改札にて男性乗客の乗車は引き続き禁止される予定であり、男性乗客にとっては降車専用駅となる。

駅構造[編集]

前述の通り、2007年6月現在はバリアフリー構造で全長156cmしかない1面2線の島式ホームとなっている。

女性専用車のみが停車し、2005年5月以降は男性の乗降ができない。

小田急車にはドアカットが装備されていないため、非常コックを開いて客扱いを行う。ドアはホーム上のみ係員がうやうやしく開くことになっているが、女らしさを嫌う女傑の方々はホームのないところから電車によじ登り、飛び降りる。

発射時、むき出しのコックを戻すと全ドアが自動的に閉まる。

乗り場[編集]

  • 一号線 上り(箱根湯本、ゴルア方面)
  • 二号線 下り(小田原、新宿方面)