食いしん坊

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食いしん坊(くいしんぼう)とは、食事を極端に好む嗜好、またはその人間のことである。萌え属性の一つとして数えられることもある。なお、この記事はどこまでウソでどこまで真実かがまったくわからないため、ちょこっとつまみ食いする程度で読むことをオススメする。

挨拶[編集]

食事を食べる前には「いただきます」、食べたあとには「ごちそうさま」を言うのが慣例。所属している団体によっては、主の祈りサー、イエス、サー!水だぁー!、などのバリエーションがある。

Dish.png この食いしん坊は、まだ火が通っておらず、生焼け状態です。このまま食べるとお腹を壊します。あなたがしっかりと火を通して下さい。でも、どこかのどじっ子のように、塩と砂糖を間違えてはいけませんよ。 (Portal:スタブ)

その歴史[編集]

食事は本来、栄養摂取のためだけに行う苦行であった。淡白な味のするものを、おかずもなく淡々と食すだけであり、さらに現在以上にマナーに対しても非常にうるさい(多くの宗教で食事に厳しい制限をつけるのは、この食事にさらに彩と味をなくすことで完全な苦痛に変化させ、マゾ精神を植えつけるためである)。つまり古代の食事は単なる作業であり、お世辞にも「楽しい」といえるものではなかった。そのためこの作業をらくらくとこなせる者は、尊敬の対象になった。神話の中の勇者が食いしん坊であったという記述が多いのはこのためである。

しかし多くの人間が行わなければならない食事が苦行であるというのは非常につらく、栄養失調も起こりやすかった。そこで、一部の知識人により調味料が開発された。調味料の登場により、食事には味がつくようになり、人々は次第に食事に快楽を見出すようになっていった。西洋では調味料の一種である香辛料の生産地をめぐり、醜い戦争を繰り広げた(一方日本は大豆から複数の調味料を作り上げた)。また、作物の品種改良も多く行われ、味に更なる広がりを見せた。人々はより美味な食物を追求して、ある者は科学技術面で(化学調味料)、ある者は ある者は性風俗と組み合わせた画期的なサービスで(ペッパーランチ)食事を大きく変化させていった。食事は時を経て、苦痛から完全なる快楽に生まれ変わったのである(オナペットのことを俗におかずというのはこのためである)。

そのため、時代とともに食いしん坊はその数を増やしていった。食事の富栄養化も進み、食事の快楽をむさぼることで、人間には過多ともいえるほどの栄養分を摂取してしまうことにもつながっていった。これがピザメタボリック巨乳などという肉の塊どもを生み出していった。食いしん坊は時代とともに、勇者の象徴から醜い愚者の成れの果てとして、立場を落とされたのである。日本人の誇りである貧乳が減ったのは、ある意味食事が快楽化して、多くの女性が食事に楽しみを見出すようになったからだろう。

他の快楽への干渉[編集]

食事が快楽化するとともに、古代よりエクストリーム・スポーツに取り入れられている、快楽の頂点たる「性交」と同一視されるようになった。これにより、食事の用語が性行為の言葉として取り入れられるようになった。他人の彼女と軽い性関係を結ぶことを「つまみ食い」、性的関係を結ぶことを「食べる」(主に攻め側が使う)、などが有名な例である。また、食事と性交を同時に行うというアイデアも出された。これが芸者女体盛りなどへとつながっていくことになる。この他にも、栄養摂取のひとつとして肉体の改造とも密接な関係があることを指摘する知識人も出てきた。これが豊胸剤やドーピングコンソメスープなどへとつながっていくことになる。

食いしん坊の勇者の例[編集]

著名な勇者として知られるヘラクレスや、異星の戦士であるカービィなどが知られている。敵を肉として喰らい、その力を得て戦うという手法は、まさに食の戦士として相応しい姿である。一方で、料理そのもので勝負をするという勇者も現れるようになった。海原雄山をはじめとした、グルメ漫画の料理人、および同作品内の料理評論家たちである。しかし彼らは自然の食材とこだわりぬいた逸品がすばらしいものだという安易な思考回路に基づいていると散々批判され、カービィに「食えれば何でも一緒なんだ」と一喝された。この他にも、女に対して性欲が旺盛な人間も「食いしん坊」と揶揄される。褒め言葉じゃないよ。

萌え属性としての食いしん坊[編集]

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

実際の食いしん坊[編集]

無節操な食いしん坊の一例。敬意も締まりも無い顔である。

大きく分けて、節度のある食いしん坊と、無節操な食いしん坊に分けられる。

前者は食事を食事として楽しみ、味にこだわりを持つ。自分で食事を作り、味の研究をするという食いしん坊もいる。このような食いしん坊は食に対して深い造詣と知識、そして食事に対する感謝の念を持ち合わせているため、ともに食事をしていて不快感を覚えるということはない。まれに、食べる量自体は少ないが食事自体を趣味に持つ者もいる。

後者は、単なるオナニー中毒者と同じレベルの醜いものである。ただ飯を食らい続け、早く食べることに意味を持とうとする。このような人間を、識者は「豚」と呼んで軽蔑する。食事を作ってくれた人々に対する感謝の念も示さず、家畜のように飯を食らい続け、ぶくぶくと太った人間のことである。食事に対して感謝の念を示さぬということは、料理人をはじめとする多くの者への侮辱である。ともに食事をしていて不快感、憎悪、嫌悪感などを覚えることが多い。皆も気をつけよう。 これとは違うが、常に食事に対するこだわりを持ち続けるということが逆にデメリットになるということもある。たとえばイタリア人は味の研究に余念がないため、砂漠のど真ん中で貴重な水をふんだんに使ってパスタをゆでる、ということもしてしまう。このことがアドルフ・ヒトラーの逆鱗に触れ、お人よしで知られる日本をも怒らせた。

評論家とマスゴミ[編集]

当初は、食いしん坊の一種といわれるグルメ評論家は、肥えた舌と食事に対する深い造詣を持っていなければならなかった。[要出典]そのため、評論家ですら驚かせる味を持つ店は、本当に少なかった。[要出典]しかし現在では、雑誌やグルメ番組などで金を出せば、安易に「おいしい」と宣伝してもらえる(広告の一種)[要出典]。そして、大して舌も肥えていない芸能人が、広告のためにただ豚のように飯を食い続けるだけの番組(黄金伝説)なども登場した。[要出典]まったく美味しそうに食べないその様は、昔のグルメ評論家とは大違いである。[要出典]

ウィキペディアンと食いしん坊[編集]

ウィキペディアンは、グルメ評論家を気取って料理を分析する。[要出典]このようなウィキペディアンの態度に対し、「飯くらい静かに食え」とアンサイクロペディアンは指摘する。[要出典]

結論[編集]

ここに書いてあることを丸呑みにするか、咀嚼するかはあなた次第です。

関連項目[編集]