養老律令

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養老律令(ようろうりつりょう)とは、1000年以上の長きにわたって飼い殺しにされていた日本の老法典である。

由来[編集]

奈良時代美濃国での話。ある親孝行な男が、父親のために滝で水を汲もうとした所、不思議な香りが辺りに漂っていた。試しにその水を飲んでみると、なんとそれは水ではなく酒であった。この奇妙な逸話が当時の女帝元正天皇の耳にも入って、シワだらけの肌を治すのに効果があるというので、さっそくその滝に水浴びをしに行くこととなった。しかし天皇は滝を前にして、酒の香りに包まれすっかり酔っ払ってしまい、酩酊状態のなかで突然年号と法律(大宝律令)を変えると言い出した。そこで急遽、廷臣を集めて編纂させたのが養老律令である。

しかし酔っぱらいが勢いに任せて編纂させた法律をすぐ施行するのは不安があったらしく、結局養老律令の施行は編纂開始から40年近く先のこととなってしまった。こんな法典でも奈良時代から平安時代初期の間までは、朝廷の基本法典として重視され、日本国の統治の指針とされたのだから侮れないものである。

そして放置へ[編集]

しかし養老律令はその内容が人々の生活にああだこうだと介入して口うるさかったので、平安時代の中頃からしだいに人々から疎んじられるようになり、平安時代末の時点でこの法典のことを多少なりとも理解していた人間は一部の法律家しかいなかった。当然、人々はこんな法典の言うことを聞く気はさらさら無かったが、それでも古い法典としての権威だけは依然としてあったので、主に官位のお墨付きを貰う目的で自分たちに都合のいい部分だけは利用し、他は全て無視するというのが、この法典に対する人々の基本的な態度となった。それが歴史上の機能だったため、養老律令の原本や写本などは誰も気にしなかった。都合の良い解釈が記された注解書の方がより重要だった。

こうして内容は知らないし知る気も無いけれど、ただ官位を生み出してくれる便利な置物として、法典は日本国によって引き続き養われることとなったのである。もっとも関白をはじめとする令外官が政治に幅を利かせており官位発給装置としても実際にはあまり尊重されていなかったようだ。また養われると言っても実態は放置同然だったので、いつ死んでもおかしくない状態だったが誰も止めを刺そうとしなかったおかげで意外なほど長生きすることとなった。

死去[編集]

このように誰一人理解していないにも関わらず、利用されるだけ利用されるという状況が長きにわたって続いたが、時代は明治時代となり、欧米から新しく実用的な法律が導入されると、この老いぼれた法典を養い続けることにも疑問が投げかけられるようになった。その結果、法典はいともあっさり捨てられ、ここに養老律令は永遠の眠りに就くこととなった。形だけとはいえ、1000年にわたって日本の官位制度を支えた実績は評価されても良いのだろうが、その最期は廃止法令や詔勅などが出されることもなく、人々の扱いは冷淡だった。もはや何の利用価値も残っていない老法典は、誰からも看取らることも無いまま、こうしてひっそりとこの世から姿を消したのである。

関連項目[編集]