魚沼県

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「柏崎県」の項目を執筆しています。
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魚沼県(うおぬまけん)とは、田中角栄とその一族が支配権を握っている、日本海側の県である。県庁所在地は長岡

目次

[編集] 概要

かつては柏崎県(かしわざきけん)という名称で、県庁所在地は柏崎であった。この時期には現頚城県の一部を併合した事もある。越国の東の外れで、戦国時代には直江津富山などと同じく、上杉謙信の領土であった。地元では、越後国の中央という意味で中越(ちゅうえつ)と呼ばれる事もある。

しかし、新潟県に強引に併合され、魚沼地方民(旧柏崎県民)は新潟市偏重の行政にウンザリさせられて来た。

明治維新から高度経済成長期まで、日本海側は「裏日本」って侮蔑されて来たが、この魚沼地方出身の田中角栄が政権を握ると、「裏日本」の蔑称を返上するのと引き換えに、角栄の支配力が地方政治にまで及ぶ結果になった。それ以来は「角栄王国」とも呼ばれている。角栄の支配力が魚沼地方に及んでインフラが整備されて行くと、新潟県からの脱退を望む声が一挙に高まり、魚沼地方第一の城下町であった長岡を県庁所在地として、魚沼県が分立した。

[編集] 我田引鉄

魚沼県は、「我田引水」ならぬ「我田引鉄」(政治家による鉄道誘致)を積極的にやった県としても知られている。西暦1931年(皇紀2591年)には谷川岳清水トンネルで貫通させて東京への短絡鉄道である上越線を開業させた。西暦1982年(皇紀2642年)には、上杉富山金沢方面の特急や高速鉄道の折れ曲がり点を、上越新幹線として長岡ルートで引っ張り込んだ。これは勿論、田中角栄の念力であった。

しかし、魚沼県は日本海側の交通網が90°折れ曲がる地域なので、この地域から田中角栄を出した事は、日本海側の交通網にとって幸する結果になった事は言うまでもない。東西軸(越国)の長岡・上杉・富山・金沢にも、南北軸(出羽国)の新潟酒田秋田にも睨みが利くんだもんな。

北越急行ほくほく線を西暦1997年(皇紀2657年)に開業させているが、一方で隣の頚城県(旧長野県庁)が北陸新幹線長野ルートで我田引鉄したため、ほくほく線の存在意義が失せるんじゃないかと風聞されている。

これらの我田引鉄政策は、道路は大が降るとすぐ不通になるからで、それより安定的な輸送が出来る鉄道が好まれているためだ。上越新幹線の雪対策は、その最たるものである。

[編集] 道路誘致

大雪が降る魚沼県では、道路が狭いと雪の日に通行が出来なくなる恐れがある。雪の影響で車が滑ることを考慮すると、道路は広くて直線に近い方がよい。

つまり、高速道路を縦横無尽に敷けば良いのである。田中角栄の政治力っつーか超能力により、魚沼県には、北陸自動車道関越自動車道が片道二車線で開通した。

一般道路でも同じ理論が通用するので、まるで高速道路のような国道を各所に整備して雪が降っても安心できる体制を維持している。雪が降らなくても便利なので問題はない。こんなに造ると金がかかるのではないかと心配する人もいるが、どうせ国が払う&土地代が只みたいに安いので心配ない。というわけで、戦後の超常能力者田中角栄の出身地を中心に「経済効果を考えない橋」&「経済効果を考えないトンネル」が大量に存在することになったが、逆にそこを通って若者が東京へ出て行き、地元にはジジババだけが残されて終った。魚沼県は出羽国越国の接点だから、次は西の頚城県富山県、北の新潟県庄内県が、東京へのストロー現象に飲み込まれるんじゃないかって言われている。

県外の人間が魚沼県の道を見た第一印象の殆どが「茶色い」。消雪パイプの普及率が高く、地下水の鉄分で路面が茶色く染まるからと言われているが、真相は定かでない。

日本初のドライブスルーファストフード店は、長岡市のフレンド喜多町店であり、車文化の土地柄を表しているといえる。

[編集] 災害

昨今の魚沼県は、地震多発地帯としても知られている。西暦2004年(皇紀2664年)には長岡の南にある名もない町辺り、西暦2007年(皇紀2667年)には柏崎原子力発電所の真下辺りを中心に、それぞれ巨大な地震が襲った。一説によると、金王国の日本進攻計画の一環によるのではないかと風聞されているが、西暦1995年(皇紀2655年)の神戸地震の場合と同じく、「人工的に地震を起こすことは可能だが、手間の割りにメリットがない」と一蹴されている。

又、魚沼県は豪雪地域としても有名であり、地震に加えて、豪雪の対策には余念が無い。「北越雪譜」によれば12月の時点で積雪が17丈(51m以上)になったという記録もあり、雪の深さは半端ではない。従って、雁木とムダなスキー場があり余っている。なお、歴史的豪雪だった昭和38年の38豪雪(さんぱち-ごうせつ)では、いつ果てるともなく続く除雪作業に絶望した自衛隊の隊員が錯乱状態に陥り、火炎放射機を市街地(といっても雪原と変わりがないが)で乱射する不祥事を引き起こしており、当地の雪の深さを物語るエピソードとして語り継がれている。結局、この事件で、火による消雪は点的または線的にしかできず、シャベルによる除雪以上の効率性を期待できないことは確認できた。以来、この地方では、道路を浅い川と化して雪を溶かす消雪パイプ(地元住民は長靴を愛用しているので水浸しの道でも無問題)、深い道路側溝にバカッ速の水流を通して除雪した雪を落とし、溶かしつつ押し流す流雪溝(りゅうせつこう:年に何人かの酔っぱらいが落下して溺死する危険施設でもある)といった、水による消雪・除雪方法が普及している。雪は多くとも流水が凍ることまでは滅多にない、半端な寒さ(北海道などと比べればの話だが)の当地ゆえに可能な方法である。

[編集] 関連項目