鯛焼問題

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鯛焼問題(たいやきもんだい)とは、

  1. 鯛焼き[1]の尻尾までアンコが入っているか、という問題。
  2. 鯛焼きで最初にかじるべき部位は頭か尻尾かそれとも腹か、という問題。
  3. 鯛焼きの個数の単位を「匹」とすべきか「個」とすべきか「尾」とすべきか、という問題。
  4. 鯛焼きを食い逃げしたKanon月宮あゆが、(1)鯛焼屋に対し民法上どのような関係に立つか(民法における鯛焼問題)、および(2)鯛焼屋に対し刑法上どのような罪責を負うか(刑法における鯛焼問題)という、法律上の問題。本稿で詳述する。

目次

問題の所在[編集]

Kanonにおける月宮あゆ食い逃げの事例は、民法刑法の両法域にまたがる諸問題が凝縮された好例として、つとに法学畑周辺に生息するエロゲオタから「鯛焼問題」と呼ばれ注目を集めてきた。これは、あゆあゆが食い逃げなんかしてお縄を頂戴したり鯛焼屋が内容証明とか出してきたらどうしようと勝手に心配して貴重な時間を浪費するという、栗まんじゅう問題にも匹敵する真琴に誠に非生産的な活動のことである。

事例の概要[編集]

Kanon本編において、1999年(平成11年)1月7日[2]に発生した本事例の概要は、

事例

あゆは、財布をどこかに忘れてきて現金を所持していないのに、それと知らずに、屋台において営業する鯛焼屋に対し、鯛焼き5個を自己のために製作して渡すよう注文した。鯛焼屋は、この注文に応じて鯛焼き5個を製作し、あゆに手渡した。

あゆは、ただちに代金を支払おうと考えたが、そこで初めて自己が現金を所持していないことに気付いた。

ところが、あゆは、「すごくお腹がすいて」いるから何としても鯛焼きを食べたいと思い立ち、「後でちゃんとお金払うもんっ!」と考えて、鯛焼きを持ったまま突然その場から走り去り、鯛焼屋の追跡を振り切って逃げた。

なお、この時、あゆは7年前の転落事故が原因で意識不明のまま病院に収容されており、外で活動しているあゆは生霊であった。

というものである。

民法上の問題[編集]

あゆと鯛焼屋がどのような法律関係に立つか、特に、鯛焼屋があゆに対してどのような法的主張をなしうるかが問題となる(民法における鯛焼問題)。

もしもあゆが、自分が代金を持っていないことを最初から知っており、にもかかわらず、「代金を支払う代わりに鯛焼きを受け取る」という売買契約を結んだのだとしたら、自分が契約の本旨に則って債務を履行する意思がないにもかかわらずその意思があるかのように鯛焼屋に信じさせた(欺罔[3]によって錯誤に陥れた)こととなり、詐欺(民法96条)が成立しよう。しかし、Kanon本編の事例では――あゆの台詞が真実であるとすれば――あゆは、自分は代金を持っていると誤信しているのであり、はじめから鯛焼屋に代金を支払わない意思で鯛焼きを注文したのではないから、あゆに詐欺は成立しないことになる。

もっとも、鯛焼屋の主張は「代金を払ってほしい(=売買契約によって自分が取得したはずの金銭債権を実現したい)」という一点に集約される。とすれば、鯛焼屋としては、単に売買契約に基づく支払債務の履行をあゆに求めれば足りることになる。

仮に本編中のあゆが嘘をついていて、鯛焼屋に対し詐欺を行っていたのだとしても、民法96条の詐欺の成立が認められるには、売買契約前にあゆが代金を持っていないことを知っていた(そうでありながら注文した、すなわち、支払う意思がなかった)ことを鯛焼屋が主張立証するほかない。現実にも、代金支払い段階で財布のないことに気づくことはしばしば見られる過失行為であるから、あゆの内心において支払う意思がなかったという主観的事情を証明することは、鯛焼屋にとって困難である。この点からも、鯛焼屋としては、あゆの詐欺を立証して取消し(96条1項)をするという困難な道をあえて行く必要はなく、詐欺かどうかはそもそも問題にせずに、端的にあゆに契約上の支払債務の履行を求めるほうが簡便であり、現実に即していると言える。

したがって、民法上の問題は(生霊の法的性質という微妙な点を除けば)さほど大きくないといえよう[4]

刑法上の問題[編集]

あゆは、鯛焼屋に対し、どのような罪責を負うか(刑法における鯛焼問題)。鯛焼問題を巡っては、特に、この刑法の領域において議論が交わされることが多い。

鯛焼問題において、代金を支払わずに逃げたあゆの行為が、社会通念上「悪いこと」であるのは間違いない。しかし、国家による刑罰という「劇薬」を持ち出すのは最後の手段とすべきである以上(刑法の補充性)、社会通念上「悪い」ことのすべてが必ずしも犯罪となるわけではないし、そうすべきではない(刑法の断片性)。

刑法には、国民に刑罰を予告し、違反者にはそれを科すことで犯罪を抑止する機能(法益保護機能)と、犯罪となる行為をあらかじめ明文化し、犯罪とならない行為には刑罰を科さないことによって国民の自由を保障する機能(自由保障機能)という、2つの主要な機能がある。そして、刑法の自由保障機能を重視すれば、あゆは金銭債務の不履行に陥っているにすぎず、単なる債務不履行は刑法に犯罪だと書かれていないのだから、あゆに刑法上の犯罪は成立しない、という議論に傾く。

しかし、あゆが鯛焼きを買っておきながらカネを払わず逃げ去る行為が刑法上「許されている」とするならば、他方で鯛焼屋の財産が保護されず、刑法の法益保護機能を害し一般国民の法感情に反する結論を招きかねない。そこで、このような見地からは、鯛焼屋の法益を侵害したあゆはやはり刑法上罪責を負うのではないか、という立論もありえよう。

以下では、鯛焼問題の事例において、どのような論点とその帰結がありうるかを整理してゆくことにする。

民法における鯛焼問題[編集]

あゆは民法の名宛人となるか?[編集]

民法とは、私的自治の原則に基づく私法の一般法をいう。すなわち、人が自己の意思に基づいて行動し、他人との間に経済的取引や家族関係[5]を持つに至った場合に、人は何をしてよいか、何をしなければならないか(権利義務)を定めた法が、民法である。そこでは当然ながら、すなわち自然人が行動することが想定されている。民法3条1項が「私権の享有は、出生に始まる。」と規定するのは、「人ならば誰しも当然、出生と同時に権利義務の主体となる」という趣旨である。

しかし、鯛焼問題においては、自然人であるあゆは病院で寝ている一方、外部的に行動しているあゆは生霊なのである。ここで生霊とは、存命中の自然人の有する霊魂が心霊的作用によって外部的に作出される現象をいい、死亡後の自然人から作出される死霊の対概念である。自然人が権利義務の主体だと想定する民法において、かかる生霊が民法の名宛人となるかどうか、問題となる。

A説(生霊否認説)
この見解は、「生霊であるあゆは、法律上存在しないのと同じであり、民法上の何らの権利も取得せず、何らの義務も負わない」と考えるものである[6]。生霊を含む霊魂の類は、およそ現代科学では存在が証明できず、存在しないものが法的主体となることはありえない、ということが根拠とされる。
A説からの当然の帰結として、鯛焼屋は、あゆに対していかなる法的主張もなしえない。生霊によって鯛焼きが持ち去られたのは、地震で鯛焼きが滅失するか野犬が鯛焼きをくわえて逃げたのと同じであり、そこには民法上帰責すべき「人」が存在しない。そこで、本事例では、唯一登場する「人」である鯛焼屋だけが損害を引き受けることになり、それはやむをえない、という立論である。
しかし、A説のような形式論のみによって、鯛焼屋に一切の法的主張を許さない結論に帰するのでは、あまりに正義公平の観念に反するのではないかとの疑問がある。また、訴訟法的な証明の可否と、実体法的な権利義務の存否とは別問題である以上、A説が「生霊の存在を証明できない」ことを根拠に鯛焼屋の(実体法上の)権利を否定する点にも、論理的必然性がないとの批判があろう。
さらに、あゆという自然人の意思こそが生霊を活動させている、という論理構成をとるB説・C1説からは、「あゆは民法上帰責すべき『人』に当たらない」というA説の前提そのものに疑問が呈されよう。
B説(生霊擬制説)
この見解は、そもそも生霊とは、心霊的作用として生起した外部的事実の原因をある存命中の自然人に帰せしめるための機能概念にすぎない、と考えるものである。この見解に立てば、本事例ではあたかも生霊が活動して鯛焼きを持ち去っているかのように見えているが、機能概念である生霊が何らかの行為をしていると観念する必要はなく、端的に「あゆの行為の効果があゆに帰属する」とみれば足りることになる。したがって、「病院で寝ているあゆが、本事例の権利義務の主体になる」と結論される。
B説はすぐれて技巧的ではあるが、「病院で寝ているあゆは意識不明(意思無能力)なのだから、あゆの意思と外部的事実との間には因果関係がないのではないか」という批判がなされる。これに対しB説の立場からは、「あゆの意思は生霊に化体されているから、意思無能力とはいえない」という反論がありうるが、これにも「生霊そのものを観念しないとしながら、あゆの意思を認定するためにだけ生霊の観念を持ち出すのは論理矛盾ではないか」という疑問がある。
また、生霊が自然人による行為の擬制的な主体だとすれば、死者の霊(死霊)の行為によって人が権利侵害を受けた場合には、生きている自然人が介在しないため被害者は何ら法的主張をなしえず、この点で結論が均衡しないのではないかと批判される。ただし、Kanonには死霊が登場しない以上、この批判は実益に乏しいといえよう。
C説(生霊実在説)
この見解は、「Kanonの本編中における生霊は、空間の一部を占める物質的な存在と設定されている以上、この実態に即して生霊は実在すると考えるべき」とするものである。生霊の法的性質をいかに捉えるかによって、さらに説が分かれる。
C1説(生霊道具説)
この見解によれば、権利義務の主体になるのは病院で寝ているあゆということになる。その根拠としては、生霊を自然人とみることはできないから、自然人であるあゆが生霊という道具を使って行為を行っていると考えるのが、最も実態に即している、ということが挙げられる。
C1説に対しては、病院で寝ているあゆは意識不明だから意思能力がないはずではないか、という批判がありうるものの、C1説の立場からは、「本事例では、あゆは生霊という一種の道具に自分の思考の座を移しているのだから、病院で寝ているあゆ本体が意識不明でも、道具を介して意思を働かせ行為をしていると考えれば、あゆに意思能力はあるとみてよい」との反論がなされる。
また、C1説には、死霊の行為によって人が権利侵害を受けた場合と結論が均衡しないとのB説と同様の批判がありうるが、これも同様に、Kanonには死霊が登場しないから議論の実益がないとの反論が可能であろう。
C2説(生霊準自然人説)
この見解は、生霊として活動しているあゆが権利義務の主体になるとするものである。その根拠には、生霊はヒトと同様に言語の使用や直立二足歩行という特徴を有し実質的に自然人と何ら変わらない能力を有しているから、法的には自然人に準ずる評価をすべきである、との判断がある。
C2説には、死霊の行為による権利侵害を生霊の場合と統一的に処理できる便宜がある。他方、民法3条1項は自然人の権利能力の始期を「出生」と定めているところ、生霊の「出生」をいかなる時点に定めるかが不明確ではないか、という批判にさらされる。
さらに、生霊のあゆが病院のあゆと別個独立の自然人だとすると、生霊がどんな乱暴狼藉を行っても病院のあゆは一切関係がないため、生霊が後日奇跡で消滅すれば誰も責任をとらずにすむので(あゆの「逃げ得」となる)、鯛焼屋に酷であり、不当ではないかという批判がある。ただし、これに対しては、民法110条類推(表見法理)によって生霊のあゆの行為を病院のあゆに帰責できる余地がある、と考えられる。

あゆへの責任追及を一切認めないA説に立つと、被害者である鯛焼屋をまったく救済することができず、結論として明らかに不当である。そこで、何らかの理論構成によってあゆに自然人としての法的主体性を認めるべきであろう。B説では病院で寝ている意思無能力のあゆと、生霊が引き起こした現象との因果関係を認めにくく、鯛焼屋の保護を図りにくい点で不都合がある。他方、C2説は「自然人」の概念を拡張しすぎるので、実定法の解釈としては無理があると言わざるをえない。結局、事実の自然的な観察に最も合致し、かつ不都合も少ないC1説をよしとすべきではなかろうか。

鯛焼供給契約の法的性質[編集]

あゆと鯛焼屋との間には、「鯛焼屋が、鯛焼き5個をあゆのために製作し、これをあゆに渡すと引換えに、あゆが金銭を支払う」旨の契約[7]が締結されたと考えられる。この契約は、鯛焼きの製作と供給とを内容とする、いわゆる「製作物供給契約」である。

ここで、製作物供給契約とは、「製作者が注文者の注文に応じて、目的物を製作し、かつ、その物を注文者に供給する債務[8]を負うこと」と、「注文者がこれに対して金銭を支払う債務を負うこと」を内容とする契約をいう。この契約類型は直接には民法に規定されていない(無名契約)ものの、売買契約(555条以下)と請負契約(632条以下)の両方の性質を併せ持つと考えられる。しかし、売買契約と請負契約とでは適用される規定が異なるので、どちらの規定を類推して製作物供給契約に適用すべきかが問題となる。以下の2説がある。

A説(峻別説)
製作の目的物が代替物の場合は純然たる売買契約とし、不代替物の場合は純然たる請負契約とする[9]
B説(混合契約説)
請負と売買の混合契約であると解し、製作の側面においては請負の規定が、供給の側面においては売買の規定が適用されるとする。

A説に立てば、鯛焼きが代替物であることは明白であるから、本事例の鯛焼供給契約は純然たる売買契約である、と説明されることになる。また、B説に立つと、鯛焼屋が瑕疵のない鯛焼きを製作したという本事例の事実関係の下では、あゆの代金不払いをめぐる問題は供給の側面に属するから、売買の規定が適用されると説明されることになる。

したがって、製作物供給契約の法的性質についていずれの学説をとるにしても、本事例における鯛焼供給契約がもっぱら売買として扱われるとの結論に違いは生じない。そこで、以下では本事例の鯛焼供給契約を、簡単のために「鯛焼売買契約」と呼ぶことがある。

鯛焼売買契約の有効性[編集]

契約の成立には、契約の成立要件有効要件とが満たされる必要がある[10]

成立要件[編集]

契約の成立要件とは、2当事者による互いに対立する意思表示が一致すること(申込み承諾の合致)であり、互いの意思の表示のみで足りる[11]。ここでは、あゆの「鯛焼きくださいっ」という意思表示が申込み、これに対する鯛焼屋の「はい、まいどあり、500円だよ」という意思表示が承諾であり、これらの合致したところに、鯛焼きを目的物とする売買契約が成立する(555条)。

この場合の契約は「鯛焼屋が店頭でただちに鯛焼きを提供し、かつ、あゆがただちに代金500円を支払う」といった内容(現実売買[12])である。双方の会話にはこうした詳細な契約内容が明示されているわけではないが、鯛焼屋の屋台における商取引が上記のような形態を取ることは社会通念上極めて一般的な、慣習に従ったものである。民法92条は、慣習は立派な法源(法的な内容を確定する際のよりどころ)であると宣言しており、特にそれ以外の契約内容を望む意思が表示されたのでない限り、当事者は、あゆがこのような慣習に基づく通常の契約を申し込んだものと解釈するのが普通であるし、またそうすべきである。「くれと言っただけで、買うとは言っていない」といった天才バカボンに登場するような主張は成立しないと考えてよい[13]

売買契約が成立すると、目的物の鯛焼きの所有権が売主の鯛焼屋から買主のあゆへ移転し、売主の鯛焼屋は鯛焼きを引き渡す債務を負い、買主のあゆは代金を支払う債務を負うことになる。

契約の成立に重要なのは、当事者が自己の意思に基づいて「これこれこういう内容の契約を成立させたい」と考え(効果意思)、それを相手方に表示しようと考え(表示意思)、そして現に表示すること(表示行為)である。それゆえに、もし契約の要素の錯誤(=その部分に食い違いがあったら誰も契約を結ばないわなあ、と社会通念上考えられる程度に重要な内容の食い違い)があったなら、そのような契約はもはや意思に基づいていないのだと評価され、無効(95条本文)[14]となるのである。

有効要件[編集]

申込みと承諾の合致がないところに、契約は決して成立しない。とはいえ、申込みと承諾が合致すれば必ず契約が成立するわけではない。以下の4つの有効要件がある。

  1. 確定性: 当事者が何をすればいいのか、契約の内容が確定していること。例えば、「探し物っていうのが何なのかわからないんだけど、とにかく何か探し物をしてほしいんだよっ」という内容の契約は、何を探せばよいのか確定できないので、無効となる。
  2. 実現可能性: 契約の内容が、実現可能であること。例えば、祐一が水瀬家一室に無償で住まわせてもらう使用貸借契約を秋子さんと締結したが、実は締結前に水瀬家が地震で全壊していたという場合、この契約は原始的不能(契約締結前から実現不可能)で無効となる。住もうにもその家がないからである。
  3. 適法性: 契約の内容が、法律の規定に反しないこと(91条参照)。例えば、もし祐一と名雪(4親等の傍系血族)との婚約[15]が行われればそれは有効であるが、祐一と秋子さん(3親等の傍系血族)との婚約であれば734条1項本文に反し無効となる。
  4. 社会的妥当性: 契約の内容が、社会倫理に照らし妥当であること(90条参照)。例えば、「畳針を1000本飲め」という身体の傷害を内容とする契約[16]は、個人の尊厳人身の自由という人間の本質的価値を侵害し、社会倫理に照らし明らかに不当なので、無効となる。

これら有効要件は、その契約について紛争が生じたとき、「裁判所という国家権力が実力を行使してでも、その契約は実現させるに値するのか?」ということをチェックするためのものである。裁判所としては、法や社会倫理に反した請求を認めるべきではないし(クリーン・ハンズの法理)、実現不可能なことやそもそも何をするのか確定していないことを裁判所が命じても意味がない。そこで、上の4つを全て満たしたものだけを、法が助力すべき有効な契約として成立させるわけである。無効な契約は、はじめから成立しなかったことになる。

鯛焼売買契約の成否[編集]

では、本事例の鯛焼売買契約は有効に成立しているのか。成立要件については、鯛焼屋が契約を締結したことが95条の要素の錯誤に当たるかが問題となる。

また、有効要件については、確定性・適法性・社会的妥当性については問題なく満たしているが、鯛焼問題のあゆは「財布をどこかに忘れてきて現金を所持していない」のであるから、契約内容に実現可能性があるか否かが問題となる。

A説(有効説)
鯛焼屋は、あゆに鯛焼きを売り渡し、あゆから代金を受け取ることを約した点において、錯誤に陥っているとはいえない。また、「金銭債務は履行不能になりえない」という原則を重視すれば、あゆは代金を支払う債務を負ったがまだ履行していないだけであるから、単に債務不履行履行遅滞、415条前段)に陥っていると考えれば足りる。
B説(無効説)
この見解は、鯛焼売買契約が現実売買であることを重視する。
B説の立論は、「そもそも『金銭債務は履行不能にならない』という原則は、通貨市場に大量に出回っているから、時間が与えられればいつかは調達できるはずという根拠によっている。しかし、現実売買たる鯛焼売買契約では、鯛焼きの引渡しと同時に代金の支払を行うことが契約の重要な一内容である。とすると、通貨を調達する時間があるという前提を欠く以上、『あゆの債務は金銭債務だから履行不能になりえない』とは言えないのではないか」というものである。
契約の無効性を法的にどのように構成するかによって、無効説はさらに2説に分かれる。
B1説(錯誤無効説)
鯛焼屋はあゆが現金を持っているとの錯誤に陥って売買契約を締結したが、あゆが現金を持っていないと知っていれば、鯛焼屋は売買契約を締結しなかったであろうし、そのことは一般の取引通念に照らして至当と認められる。よって、要素の錯誤があったといえるから、鯛焼屋は売買契約の無効をあゆに主張できる(95条本文)[17]
B2説(原始的不能無効説)
あゆは、売買契約締結前から財布を持ちあわせていない。よって、現実売買の内容である「鯛焼きの引渡しと同時に代金の支払をなす」ことは実現不可能であるから、原始的不能で無効となる。

通説的な位置にあるのはA説であり、B説は少数説にとどまる。その理由としては、「金銭債務の履行不能」を観念しにくいという理論的理由と、A説のほうが鯛焼屋の財産的利益を守るという具体的妥当性を図りやすいという実質的理由が挙げられる。

すなわち、売買契約が有効に成立したならば、鯛焼屋は鯛焼きの引渡しという自己の債務の履行をすでに終えているので、売買契約に基づく代金債権の端的な行使として、ただちにあゆに代金を請求でき[18]、その額には履行遅滞の損害賠償として年5%の利息を乗せることができる(404条、419条1項)。

あるいは、鯛焼屋が鯛焼きの返還を求めたければ、あゆの債務不履行に基づいて契約を解除(541条)[19]することも可能である。解除によって売買契約が遡及的に無効となれば、あゆに渡った鯛焼きは法律上の原因なく受けたもの(不当利得、703条)となるから、あゆには返還義務を負う。ここで、解除の場合の不当利得返還の特則として、545条1項本文は「原状に復させる義務」(原状回復義務)を定めている。すなわち、鯛焼屋は鯛焼きを渡した当時の姿で返してもらう権利を得ることになり、あゆがすでに半分食っていて売り物にならないようなときには、原状回復に代わる価格賠償=鯛焼きの製作費の弁償を請求できるのである。

これに対し、売買契約がはじめから無効であるとすると、鯛焼屋は代金を受け取ることはもちろんできない――売買が無効である以上、売買代金は発生しない――のであり、引渡し済みの鯛焼きの返還も、一般の不当利得返還請求(703条)によることになる。703条は現存利益の返還で足りるとしているから、つまり半分食った鯛焼きでも、それをそのまま鯛焼屋に返せばあゆの義務は終わるのである。売り物にならない鯛焼きの損害を賠償させるには、鯛焼屋は不法行為(709条)をあゆに追及するよりほかないが、不法行為責任の認められる要件は一般に債務不履行責任よりも狭き門であり、鯛焼屋に訴訟上の不利を強いることとなる。

このように、売買契約をまず成立させて、あゆにその契約上の債務の履行を求めるか、または不履行の責任を追及するほうが、被害者である鯛焼屋をより厚く保護できるわけである。かかる結論に鑑みても、やはり鯛焼問題においては、売買契約は有効とみるべきであろう。

小括[編集]

以上に基づいて、あゆ・鯛焼屋間の法律関係をまとめると、鯛焼屋には以下の2つの選択肢があることになる。

  • 鯛焼屋は、鯛焼売買契約に基づいて、あゆに対し鯛焼きの代金の支払を求めることができ、その場合、あゆの支払うべき額には履行遅滞の損害賠償として年5%の利息を付すことができる(404条、419条1項。なお、ここで「鯛焼屋は商人だから商法514条で損害金は年6%だろ」などという細かいことにこだわってはならない。)。
  • 鯛焼屋は、あゆの債務不履行に基づいて、相当の期間を定めて催告をした上で、鯛焼売買契約を解除することができ(540条1項、541条)、その場合、あゆに対し原状回復請求(545条1項本文)として鯛焼きの原状での返還を、それができなければ相当な価格賠償を求めることができる。

刑法における鯛焼問題[編集]

あゆは刑法の名宛人となるか?[編集]

生霊であるあゆを刑法上罰しうるか否かという点には、民法の場合と同様の議論が妥当する。

すなわち、民法におけると同じく、まさに「生きている自然人であるあゆ」が、自己の完全な自由意思に基づき、生霊を一種の乗り物(道具)として行為しているのだと評価すべきであろう。したがって、を使ってガラスを割った舞先輩について器物損壊罪(刑法261条)が成立しうると同様、生霊を使って鯛焼きを奪ったあゆについては、窃盗罪をはじめとする種々の罪の成否を検討しなければならない。

あゆの行為は何の罪に該当しうるか?[編集]

刑法とは、犯罪刑罰に関する法である。より詳しく言えば、人間社会にさまざまある「悪いこと」のうち、国家権力が刑罰という制裁を食らわせてもよい程度に「悪い」行為をあらかじめ列挙[20]して、殺人罪窃盗罪……などと分類した一覧が、刑法である。事前に犯罪だと法律に書かれていない行為は、たとえ感情的には許せないものであっても、犯罪だとしてはならないのが罪刑法定主義の要請である。さもなくば、法律の根拠なしに国家が気に入らない奴をいつでも犯罪者だと決めて処刑できることとなり、そのような国は先が長くないからである。

犯罪のうち、他人の財産を侵害する犯罪は総称して財産罪と呼ばれており、刑法235条以下には、窃盗罪をはじめとする財産罪のさまざまな類型が規定されている。鯛焼きは財産であるから、これを持ち去ったあゆには何らかの財産罪が成立する可能性がある。そこで、財産罪のうち、本事例に明らかに該当しないものを消去法的に外してゆく[21]と、結局、

  • 一項詐欺罪(246条1項)
  • 二項詐欺罪(246条2項)
  • 窃盗罪(235条)
  • 単純横領罪(252条1項)
  • 占有離脱物横領罪(254条)

の5つの犯罪に候補は絞られる(説明の都合上、詐欺罪を最初に検討することとしている)。これらのいずれがあゆに成立するか、あるいはいずれも成立しないのか、以下で順に検討することとしよう。

一項詐欺罪の成否[編集]

刑法は詐欺罪(246条)を2つの類型に分けている。1つめを一項詐欺罪といい、これは人を欺いて財物を交付させる罪である(同条1項)。この「欺いて財物を交付させる」という構成要件は、より詳しくは

  1. 欺罔者が欺罔行為を行ったこと
  2. (上の欺罔行為によって)被欺罔者が錯誤に陥ったこと
  3. (上の錯誤によって)被欺罔者が財物の処分行為を行ったこと
  4. (上の処分行為によって)財物が移転したこと

の4要素に分かれると理解されている。これら4つの出来事が、因果の流れに沿って順番に発生し、かつそれらの発生が欺罔者の1個の故意に貫かれていなければ、一項詐欺罪は成立しないのである。

上のことを鯛焼問題について見ると、あゆは当初、自己が財布を持っていると本心から考えて注文をしている。本心から出た言動を指してそれを「欺く」と言うことはできないのだから、あゆはそもそも「1.」の欺罔行為を行っていないことになる。現実にはあゆは財布の持ち合わせがないので、相手方の鯛焼屋はあゆの支払能力について錯誤に陥ってはいるのだが、だからといってあゆが詐欺罪を犯したことになるわけではない。

二項詐欺罪の成否[編集]

一項詐欺罪が「財物」という形ある物体を得る罪なのに対し、二項詐欺罪とは、人を欺いて財産上の「不法の利益」を得る罪である(246条2項)。構成要件要素は、ほぼ同様に

  1. 欺罔者が欺罔行為を行ったこと
  2. (上の欺罔行為によって)被欺罔者が錯誤に陥ったこと
  3. (上の錯誤によって)被欺罔者が財産的利益の処分行為を行ったこと
  4. (上の処分行為によって)財産的利益が移転したこと

である。

鯛焼問題においては、あゆが屋台から逃げたことによって、事実上代金の支払を免脱したことは「財産上不法の利益」に該当しよう。しかし、あゆは突然走り去ったのみであり、走り去る行為を指してそれを「欺く」と言うことはやはりできない。加えていえば、鯛焼屋としては支払の猶予も何も与えていないので、財産的利益の処分行為が行われたわけでもない[22]。このように、あゆの逃走は二項詐欺罪の構成要件にも該当しないのである。

窃盗罪の成否[編集]

窃盗罪は、他人の財物を窃取する罪である(235条)。

あゆは鯛焼きを「窃取した」か?[編集]

235条の「窃取」とは、他人(鯛焼屋)が占有している物を、その人の意に反して自己(あゆ)の占有に移すことをいう。では、あゆが鯛焼屋から鯛焼きを渡された後、これを持ち去るために走り出した時点では、鯛焼きの占有は誰に帰属するであろうか。

A説(窃取否定説)
鯛焼屋は鯛焼売買契約を原因として、自らの意思に基づいて鯛焼きをあゆへ引き渡した。この時点から、鯛焼屋は鯛焼きの占有を失い、鯛焼きの占有はあゆに帰属する。よって、その後にあゆが鯛焼きを持ち去る行為は、自己の占有する物を持ち運んでいるにすぎず、鯛焼屋から「窃取した」とはいえない。
B説(窃取肯定説)
占有の有無は、支配の事実と、自己のためにする支配の意思との両面から判断すべきである。
確かに鯛焼屋は、鯛焼売買契約を原因とし自らの意思に基づいて鯛焼きをあゆへ手渡しており、支配の事実はあゆにある。しかし、金銭と目的物とを同時に渡しあうことを内容とする現実売買においては、買主が懐中無一文であれば売主は返品を要求するのが取引上通常であり、この意味で、いまだ買主から支払を受けていない売主が、目的物の支配の意思を失ったとはいえない。よって、鯛焼きの占有は鯛焼屋に留保されているか、少なくとも鯛焼屋とあゆとの共同占有に帰したとみるべきである。したがって、あゆが鯛焼きを持ち去る行為は、鯛焼屋から「窃取した」といえる。

A説が通説的立場であるといってよいであろう。B説はやや技巧的にすぎ、座りが悪い印象をぬぐえない。

もっとも、比較すべき別事例として、「コンビニのレジで商品を買い、店員から支払を求められたが、財布を忘れていたのに気づいたので、商品をつかんで外へ逃げた」という行為をみると、これは「窃取」に該当し窃盗罪が成立すると異論なく考えられている。B説に立てば窃盗罪の成立は当然であるが、A説に立っても、「店主が支配するコンビニの建物が存在し、この建物の中から商品が犯人の手で店外へ出された」ことが窃取(=コンビニの店主の意に反した占有移転)に当たると考えられているからである。この点、B説からの「被害者がコンビニであろうと屋台であろうと、現実売買の売主の目の前で未払いの商品を持ち去った点を法的には同じに評価すべきであり、店舗の建物があるかどうかで犯罪の成否が異なるA説は不当である」との批判は、傾聴に値するであろう。

鯛焼きは「他人の財物」か?[編集]

235条は「他人の財物」を盗むことを禁圧している。235条の「他人の財物」とは「他人の所有する財物」の意であるが、242条には、自己の所有する財物であっても「他人が占有し」ている場合には「他人の財物とみなす」、と規定されている。

235条と242条との関連性については、窃盗罪が侵害から守ろうとしているのは何であるかの理解をめぐり、学説上争いがある(いわゆる財産罪の保護法益論)。しかし、この点についていずれの学説に立つか[23]にかかわらず、本事例では

上でA説を採った場合
鯛焼屋の占有が否定されれば、あゆに窃盗罪の成立の余地はない。
上でB説を採った場合
鯛焼屋の占有が肯定されれば、あゆにとって鯛焼きは「他人の占有する財物」となるから、242条で自動的に「他人の財物」とのみなし規定が働き、あゆに窃盗罪が成立する。

という結論が導かれよう。窃盗罪が成立するのであれば、同一の犯罪結果について他の財産罪の罪種は法条競合の関係に立つので、他罪の検討は不要である。窃盗罪が成立しないとする場合は、次の検討に移る。

単純横領罪の成否[編集]

単純横領罪とは、自己の占有する他人の物(他人の所有する物)を横領する罪である(252条1項)。狭義の横領罪、あるいは単に横領罪と呼ぶこともある。

窃盗罪の検討段階で窃盗罪が否定されているので、鯛焼屋は鯛焼売買契約を原因として、鯛焼きの占有をあゆに移したということを前提としている。そこで、

  • あゆの占有する鯛焼きは、「自己の占有する他人の物」といえるか。
  • あゆが鯛焼きを持ち去った行為は、「横領した」といえるか。

が問題となる。

鯛焼きは「自己(あゆ)の占有する他人(鯛焼屋)の物」か?[編集]

あゆと鯛焼屋は鯛焼売買契約を締結している。すると民法の物権変動における意思主義によると、契約か成立したのであれば、その瞬間に鯛焼きの所有権は鯛焼屋からあゆに移転したことになる。それでは、かかる所有権の移転を、刑法上肯定すべきであろうか。

A説(所有権移転肯定説)
民法上の所有権と刑法上の所有権とは、一致させるべきである。鯛焼きは鯛焼売買契約によってすでにあゆの所有に帰しているので、鯛焼きはいわば「自己の占有する自己の物」であり、「他人の物」ではない。
B説(所有権移転否定説)
B1説(所有権二元説)
刑法の法益保護機能を重視すれば、民法上の所有権と、刑法上保護に値する所有権とを別異に考えるべきである。本事例では、あゆが少なくとも代金の大部分の支払を済ませない限りは、刑法上保護に値する所有権の実質はなお鯛焼屋が有すると解する。よって、鯛焼きはいまだあゆにとって「他人の物」といえる。
B2説(売買契約無効説)
鯛焼屋の錯誤またはあゆの支払の原始的不能があるゆえに、そもそも鯛焼売買契約が民法上も無効であるとの見解を採る(前述「鯛焼売買契約の成否」を参照)。この見解からは、鯛焼きは鯛焼屋の所有物に他ならないのであって、あゆにとっては当然「他人の物」である。

民法の原則に忠実である点でA説は採用しやすいが、疑問なしとしない。というのは、横領罪の典型事例に「預けた現金の流用」があるが、民法上の金銭の所有権は占有につねに一致する以上、民法上と刑法上を一致させるのなら、刑法上も金銭の所有権は寄託者(預けた側)から受託者(預かった側)へと移転したとみるべきであろう。しかし、金銭については刑法上保護すべき所有権は寄託者に留保されており、これを受託者が流用すれば「他人の物」の横領が成立する、とほぼ異論なく考えられているのである。

鯛焼屋の利益の要保護性[編集]

上のことから窺えるように、刑法上保護すべき要請がある場合は、「他人の物」性=刑法上の所有権を民法上の所有権とは別個に判断してよいし、そうすべきであろう。問題は、どのような場合にそうするかである。

民法上「金銭の所有権が占有に一致する」と考えるのは、取引安全のための擬制(フィクション)にすぎない。預けた現金の流用事例では、事実を実質的に観察すれば、結局は寄託者が本来もっていた財産的利益(カネ)が正当な理由なく失われ、受託者がその利益(同じカネ)を違法に取得したという構図になる。このような、本来の所有者に属すべき財産的利益こそ、「物の他人性」「刑法の要保護性の見地から認められる所有権」「刑法上保護に値する所有権の実質」のように呼ばれるものの正体であると考えられる。

売買の場合であれば、具体的には、代金の全額ならずとも少なくとも大部分の支払が終わった時点で初めて、売買目的物の「刑法上保護に値する所有権の実質」が売主から買主に移転するのであり、そうしない限りは目的物は買主にとって「他人の物」であり続ける、と解すべきではなかろうか。

鯛焼屋の利益と同時履行の抗弁権[編集]

もっとも、本事例では、鯛焼きはあゆにとって「他人の物」でなくなった(刑法上も所有権があゆに移転した)とする見解が支配的であり、その根拠として「鯛焼屋は同時履行の抗弁権(民法533条本文)[24]を放棄した」ということが挙げられる[25]

鯛焼問題に照らしていえば、鯛焼屋は鯛焼きという利益を失うが、その対価として代金という利益を新たに得るはずであった。逆に、あゆは代金という利益を失うが、対価として鯛焼きという利益を得るはずであった。しかし、鯛焼屋は双務契約における同時履行の抗弁権を放棄して、代金という利益を得られないリスクを承知しつつ、鯛焼きという利益を失った。いわば、「刑法の要保護性の見地から認められる所有権」というべきものを鯛焼屋自ら放棄したと考えるのである。そうだとすると、もはや刑法上鯛焼屋を保護する理由がないのだから、あゆに犯罪は成立しないことになる。

この議論は多分に説得的であり、支持されてもいるが、なおも

  • 実際の現実売買では、両当事者が民法533条に基づいて互いに引渡債務と支払債務の履行の提供を求め(=鯛焼きカネが本当にあるか見せろと言いあう)、かつ完全に同一の時点でそれらを履行する(=鯛焼きとカネを実際に渡しあう)というあたかも人質交換のような取引は、ほとんど行われていない。現実売買の多くの場合、一回的な取引の中で両債務の弁済が終わることを互いに期待して、金銭の払渡しや物の引渡しが多少先後しながら履行されるのが社会観念上通常である。そのような事情において、鯛焼屋が積極的に「利益を得られないリスクを承知」したり「財産的利益を自ら放棄」したりする意思を有するとは認めにくいのではないか。
  • 仮に、鯛焼屋が民法上の同時履行の抗弁権を失ったとしても、それを理由にただちに「刑法上保護に値する所有権の実質」を否定することは論理必然ではない。鯛焼屋の意思を主要な根拠として、保護すべき法益が放棄されたからあゆは可罰的でないと言い切るには、いわゆる法益の放棄(処分)についての被害者の承諾[26]の法理を適用ないし準用し、要件を立てて、本事例の事実がそれに当てはまるかを詳しく検討すべきではないのか。

といった疑義はなお残るであろう。そのような立場からは、鯛焼屋は刑法上の保護を失うほどの承諾をなしたとはまだ言い切れないのではないか、との立論もありうる。

具体的には、鯛焼屋があゆの支払を遅らせる承諾は、あゆが財布を持っていて今すぐ支払ってくれることを前提としているから、この点で錯誤があり(あゆは実際には懐中無一物である)、有効な承諾とはいえない疑いがある。さらには、あゆは売買申込みの撤回や支払を遅らせてもらう交渉といった取引上妥当な対応をすることなく、懐中無一物であることに気づくやいきなり鯛焼きを持ち去って逃亡を図っており、この点で被害者の承諾に基づいて行為者がなした行為に社会的相当性がないと言ってよいのではないか、とも考えられるのである。

ともあれ、鯛焼きが「他人の物」に該当しないという見解であれば、あゆには単純横領罪が成立しないし、後述の占有離脱物横領罪も成立しない。したがって、あゆにはいかなる犯罪も成立しないことになる。「他人の物」に当たるという見解であれば、以下、単純横領罪と占有離脱物横領罪の成否の検討に移る。

あゆと鯛焼屋との委託信任関係[編集]

横領罪のいう「自己の占有する」という文言からただちには導かれないが、占有離脱物横領罪(後述)との対比から、書かれざる構成要件要素として、横領罪の「占有」はあゆ・鯛焼屋間の委託信任関係に基づいたものでなければならないと、ほぼ異論なく考えられている。そして、かかる委託の趣旨に背いた不法領得の意思の発現行為が、252条にいう「横領」であるとする説が多数である。

鯛焼問題においては、この点、委託信任関係がないとする見解が通説といってよい。物を委託するとは、何らかの使途・目的の定まった任務を任せる(この内容を「委託の趣旨」といってよいであろう)ために、物を預けることに他ならない。とすれば、鯛焼屋は売買の目的物を買主たるあゆに渡したものであるから、そこに何らかの任務があるとは考えがたい。よって、委託信任関係はないと考えられる[27]

横領罪の成否の小括[編集]

以上の議論をいくぶん座りのよい構成にまとめるとすれば、一例として、以下のようなものが考えられようか。

  1. まず、上のB1説(所有権二元説)に立ち、鯛焼屋の法益を刑法上保護する要請から、鯛焼きは「他人の物」に該当するとする。
  2. ただし、鯛焼屋が自らの財産的法益を放棄したと認められれば、鯛焼きはあゆにとっての「他人の物」ではないことになり、例外的に構成要件該当性が阻却されると指摘する。
  3. そこで、鯛焼屋が法益を放棄したと認められ、あゆに犯罪が成立しないための要件として、被害者の承諾の6要件を準用すると宣言する。
  4. 本事例について、被害者の承諾の6要件を満たすという見解であれば、構成要件該当性が欠け横領罪は成立しない、として終了である。6要件のうち承諾の有効性または行為の社会的相当性を満たさないという見解であれば、鯛焼きは「他人の物」に当たることになる。
  5. 次に、占有離脱物横領罪との対比から、書かれざる構成要件要素として、あゆの鯛焼きの占有は委託信任関係に基づいたものでなければならないと指摘する。
  6. 本事例では委託信任関係がないので横領罪は成立しない、とし、占有離脱物横領罪の検討に移る。

占有離脱物横領罪の成否[編集]

占有離脱物横領罪とは、遺失物・漂流物その他占有を離れた他人の物を横領する罪である(254条)。

この罪を検討する場合は、前述までの議論で鯛焼きの「他人の物」性が肯定されているであろうから、もっぱら法文の「占有を離れた他人の物」の意義が問題となろう。通説的には、この文言は

  • 占有者の意思に基づかずにその占有を離れいまだ誰の占有にも属してない物

または

  • 委託信任関係に基づかずに行為者の占有に帰した物

を意味すると解されている[28]

ここで、本事例では、鯛焼屋は「あゆに現金の持ち合わせがある」との錯誤に陥り、かかる錯誤に基づいて鯛焼きの占有をあゆに移転している。よって、鯛焼きは「委託信任関係に基づかずに行為者の占有に帰した物」に当たる。これを食べるために逃げる行為は、横領すなわち不法領得の意思の発現行為といえる。したがって、本事例で「鯛焼きは鯛焼屋からの手渡しによってあゆの単独占有に帰したが、刑法上はなお『他人の物』に当たる」という見解に立つのであれば、これを持ち去ったあゆには占有離脱物横領罪が成立するといってよいであろう。

「後でちゃんとお金払うもんっ!」の評価[編集]

前述までの議論はもっぱら構成要件該当性についてのものであった。行為に構成要件該当性があれば原則として犯罪が成立するのだが、例外的に犯罪が成立しない(そのような行為を処罰してはならない)という場合がある。特別な事情があるために、違法性責任のどちらかあるいは両方が欠ける場合である。きわめて大雑把に言えば、違法性がないとは「悪くない」こと、責任がないとは「仕方がない」ことを意味する。

例えば、「舞先輩が雪かき用のシャベルを持ってきて他人の飼犬をぶっ叩く」のは、器物損壊罪(261条)の構成要件該当行為である。通常、このような行為は「悪い」ことであるし、そんなことをするのが「仕方がない」わけもないだろうから、原則として器物損壊罪が成立する。

しかし、「飼主の管理に落ち度があり、その飼犬が逃げ出して佐祐理さんに噛みつこうとしていた」ので、やむなくその犬を撃退しようとして舞先輩がシャベルでぶっ叩くのはどうか。これは器物損壊罪の構成要件該当行為に変わりはないが、飼主の落ち度がもたらした危険な事態から、大切な親友を守ろうとする行為を「悪い」とするわけにはいかない。そこで、正当防衛(36条1項)の特殊な場合である対物防衛として違法性が阻却され[29]、犯罪は成立しない。

さらに、「飼主の管理に落ち度があり、その飼犬が逃げ出して、その犬は実は何もせずうろうろしているだけだったのだが、舞先輩にはまるで佐祐理さんに噛みつこうとしているかに見えた」ので、やむなくその犬を撃退しようとしてシャベルでぶっ叩くのはどうか。これも器物損壊罪の構成要件該当行為であり、かつ何もしていない犬を傷つけるのは「悪い」(違法性がある)ことなのであるが、舞先輩は大切な親友が危機に瀕していると思い込んでいたのだから、それを防ぐために犬をぶっ叩くのはまあ「仕方がない」よね、ということになる[30]。そこで、誤想防衛として責任が阻却され[31]、犯罪は成立しない。

すなわち、犯罪とは、(1)構成要件該当性、(2)違法性、(3)責任の3つをすべて備えた行為のことをいうのである。

但し、いくら刑法上犯罪にはならないとはいえ、過失が存在する以上は、飼い主は不法行為による損害賠償請求が可能である。

問題の所在[編集]

鯛焼問題のあゆについては、前出の構成要件該当性の議論で「いずれの罪の構成要件該当性もない」と判断するのであれば、その時点で犯罪不成立が確定するから、違法性も責任も論じる必要がない。もし窃盗罪単純横領罪占有離脱物横領罪のいずれかの構成要件該当性があると判断するなら、本事例では違法性阻却について別段検討すべき事実がないので、責任を検討することになる。

責任――ここで検討するのはもっぱら故意犯なので故意責任――の本質は、「規範の問題に直面し反対動機の形成が可能であったにもかかわらずあえて犯罪行為に出たことに対する道義的非難可能性」であると考えられている。ドイツ刑法の影響で堅苦しい言い回しとなっているが、ありていに言えば「やってはいけないことだと思っていて、だったら大人しくやめとけばよかったのに、それでもやっちゃったんだから、『仕方がない』と言って許されるわけがないよね」というのが故意責任である。

本事例で、あゆは「後でちゃんとお金払うもんっ!」と考えて鯛焼きを持ち去っている。すなわち、後で代金を支払えば罪にならないのだという趣旨と考えてよかろう。もちろんこれは単なる思い込み、すなわち錯誤にすぎず、窃取ないし横領がなされた瞬間に犯罪は完成するから、その後に品を返そうがカネを払おうが一旦完成した犯罪は絶対に消えない。

では、この「後で代金を支払えば罪にならない」というあゆの錯誤は、刑法上どのように扱われるのであろうか。刑法には「錯誤」と名のつく論点がいくつか登場するが、ここで重要なのは「事実の錯誤」と「法律の錯誤」の区別である。

事実の錯誤か法律の錯誤か[編集]

非常に乱暴な例を挙げると、「舞先輩は相手が魔物だと思い込んで斬ったら実は久瀬だった」という例が事実の錯誤(事実認識の誤り)、「舞先輩は相手が久瀬だと知っていたが、久瀬は魔物にも劣るゲス野郎だから殺しても許されると思い込んだので斬った」という例が法律の錯誤[32]である。両者には、事実の錯誤では故意犯が成立しなくなる(38条1項本文)のに対し、法律の錯誤では故意があるとされ故意犯が成立してしまう(38条3項本文)、という大きな違いがある。

事実の錯誤と法律の錯誤がこのように違うのは、そもそも犯罪の構成要件が、国家刑罰で制裁する程度に「悪い」行為をあらかじめ国民に予告しておいたものだからである。上記の舞先輩のように、魔物を殺すという(何らの罪の構成要件にも該当しない)行為しか認識していない場合と比べて、人を殺すという(殺人罪の構成要件に該当する)事実を正しく認識していた場合には、たとえ久瀬がゲス野郎だとしても殺人は「悪い」ことなのではないかと考えて――規範に直面して――思いとどまる要請がはるかに強い[33]。このゆえに、「事実の錯誤は故意を阻却するが、法律の錯誤は故意を阻却しない」のである。

鯛焼問題において、あゆは「自分が鯛焼きの代金を売主に払わないまま無断で持って逃げる」という事実の認識に欠けるところはなく、ただそれが「罪にならない」という誤った法的評価を下している。すなわち、あゆが陥ったのは、事実の錯誤ではなく法律の錯誤なのである。したがって、あゆには、原則として故意犯が成立することになる。

学説の様相[編集]

しかし、たとえ法律の錯誤においても、ある行為が「罪にならない」と行為者が本当に思い込んでいるのであれば、行為者は規範の問題に直面していない、すなわち「やってはいけないことだと思っていない」といえて、責任がなくなることがないのであろうか。そこで、故意責任の成立に違法性の意識が必要か否かが問題となる。

違法性の意識とは、行為が法律上許されないことの意識をいう(責任の有無を検討するということは、構成要件該当性と違法性はあると判断されている、つまり、あゆの行為は法律上許されないということが前提となっている)。では、「後で代金を支払えば罪にならない」と考えているあゆは、「法律上許されないことの意識」を持っているのであろうか。そもそも、そのような意識がなければ犯罪が成立しないとする帰結が妥当なのであろうか。学説では以下のように考えられている。

A説(違法性の意識不要説)
この見解は、「行為者が違法性の意識をもっていなくても、問題なく故意責任を問うてよい」というものである。「法の不知は宥恕せず」の法格言に基づき、38条3項本文を忠実に推し進めた見解であり、判例はこの説に立っている
しかし、この説に立つと、「大地震で交通が途絶えて官報(最新の法律などが載る誰も読まない雑誌である)が政府刊行物が買える本屋に届いてなかったからそんな法律ができたなんて知るわけないよ」という場合でも、とにかく法律にだめだと書いてあることをやれば犯罪だというのであるから(大判大13・8・5)、とうてい妥当な見解とは思われない[34]
B説(違法性の意識必要説、厳格故意説)
A説と正反対に、この見解は「行為者が違法性の意識をもっていてはじめて、故意責任を問うことができる」とするものである。
一見妥当なように思えるが、この説も問題がある。常習犯確信犯といった、やってはいけないことだという感覚が麻痺したり「いやむしろやるべきだ」と確信したりして、違法性の意識さえもっていないどうしようもない犯人に故意責任を問えなくなるからである。
C説(違法性の意識の可能性必要説)
そこで、通説といってよいのが、結論において「行為者が違法性の意識そのものはもっていなくても、違法性の意識の可能性があれば、故意責任を問うことができる」とする見解である[35]。近時の下級審裁判例には、この説に立つと考えられるものがよく見られ、最高裁もこの流れにいくぶんの配慮を示そうとしているようである[36]
この見解は、故意責任の本質の「規範の問題に直面し反対動機の形成が可能であったにもかかわらず」の部分を、「やってはいけないことだと(実際に)思っていて」という意味ではなく、「やってはいけないことだと思うことができたのに」という意味に読みとる。その行為者のもつ法的知識や判断能力をもってすれば、やってはいけないという考えにたどり着けたはずなのに、愚かなことにたどり着かなかったとき、そこに「違法性の意識の可能性」があるとされる。前科ン十犯の凶悪犯でもテロリストでも、ちゃんと頭を働かせれば善悪の判断ができたはずなのに[37]できなかったのは、「仕方がない」といって許されるものではないのである。
この見解に対しては、「判断を誤ってその行為に出た、すなわち、いわば過失で犯罪を犯したというべき場合に、故意犯が成立してしまうのはおかしいでないか」との批判もある。しかし、現在のところ最も妥当な結論を導けるので、ほぼ通説的位置を占めているといってよい。

鯛焼問題における帰結[編集]

上でC説の違法性の意識の可能性必要説を採用した場合、あゆに違法性の意識の可能性があったかどうかを検討することとなるのだが、これはさほど大きな問題ではない。

本事例のあゆのように、行為者が法律の錯誤のうち当てはめの錯誤(法的評価の誤り)に陥った場合には、原則として違法性の意識の可能性があったとされる。例外的に違法性の意識の可能性がなかったとされ故意責任が阻却されるのは普通、裁判所(の判例)、権限を有する公的機関、公的機関に準ずる団体[38]の見解を信頼した場合くらいである。

結論として、もしあゆの行為に何らかの財産罪の構成要件該当性があるとすれば、あゆには責任に欠けるところもなく、よってその財産罪が成立するというべきであろう。

小括[編集]

以上のあゆの罪責の検討をかいつまんでまとめると、おおむね次のような流れとなる(《 》は見解によって帰結が分かれる分岐点、【 】は罪責についての結論を表す)。

                     あゆは欺罔行為を行った?
                          ↓
                  行っていない、詐欺罪(246条)は不成立
                          ↓
                    《鯛焼きの占有は誰にある?》
                        ↓    ↓
                       あゆ   鯛焼屋 → 【窃盗罪(235条、242条)の構成要件に該当】
                        ↓                     ↓
                       窃盗罪は不成立                ↓
                          ↓                   ↓
                 《鯛焼きの刑法上の所有権は誰にある?》          ↓
                        ↓    ↓                ↓
              【犯罪不成立】 ← あゆ   鯛焼屋               ↓
                             ↓                ↓
                    《委託信任関係はある?》              ↓
                        ↓    ↓                ↓
【単純横領罪(252条1項)の構成要件に該当】 ← ある   ない                ↓
         ↓                   ↓                ↓
         ↓         【占有離脱物横領罪(254条)の構成要件に該当】     ↓
         ↓                   ↓                ↓
   事実の錯誤か法律の錯誤か?       事実の錯誤か法律の錯誤か?    事実の錯誤か法律の錯誤か?
         ↓                   ↓                ↓
     問題なく法律の錯誤           問題なく法律の錯誤        問題なく法律の錯誤
         ↓                   ↓                ↓
  あゆに違法性の意識の可能性はある?    あゆに違法性の意識の可能性はある?  あゆに違法性の意識
         ↓                   ↓            の可能性はある?
         ↓                   ↓                ↓
      ほぼ問題なくある            ほぼ問題なくある         ほぼ問題なくある
         ↓                   ↓                ↓
     【単純横領罪が成立】        【占有離脱物横領罪が成立】       【窃盗罪が成立】

訴訟における鯛焼問題[編集]

実体法と訴訟法[編集]

前述までの議論で、民法上あゆ・鯛焼屋間にどのような権利義務が発生し、また刑法上いかなる罪があゆに成立するかの検討を終えた。それらは、もっぱら民法刑法という実体法の領域における考察であった。

法は、実体法訴訟法とに分類される[39]。実体法とは、法律関係の内容自体(例えば、どのような場合に権利義務が発生するか、どのような場合に犯罪が成立するか)を定めた法である。訴訟法は、実体法を具体的事件に適用するために、訴訟という手続をどのように行わなければならないかを定めた法である。例えば、民法と刑法は代表的な実体法であり、それと対置される訴訟法が民事訴訟法刑事訴訟法である。

民法・刑法という実体法の領域では、「ある事実が法廷で証明できるかできないか」という話はそもそも問題にしない。その事例の全ての事実が明らかにされたと想定し、その上で、民法上のどのような権利義務を発生し、また刑法上のどの罪を成立したかが議論される。要は、裁判所が事実認定を終えたという前提はあるものとして、その事実からどんな法律判断をするかの基準になるのが、実体法である。

しかし現実には、人は全ての事実を知りうる「神の視点」に立っているわけではない。そこで、過去に何かの事実があったと主張するには、現に存在し法廷に提出している証拠から、「○○という証拠があるのなら××が起こったはずだ」との証明(歴史的証明)を得なければならない。きわめて大雑把に言えばは、実体法の目的を達するために、当事者はどのように証拠をそろえるべきか、裁判所はどのように事実を認定すべきかを定めた法が、訴訟法であるといえよう。実体法と訴訟法が法に基づく正義を実現するために相互に補充しあう「車の両輪」、などと呼ばれているのはこのゆえんである。

問題の所在[編集]

鯛焼問題の事例に立ち戻ると、鯛焼屋としては、自分があゆに対する代金債権を(実体法としての民法上)有すると考えるであろう。そのことをいかにして訴訟を通じて主張すべきかが問題となる。これを仮に「訴訟における鯛焼問題」と呼ぶことができよう[40]

ここで重要になるのが、訴訟法上の証明責任という概念である。その指導原理として、「その事実が認められることによって利益を得る者が、その事実の存在を主張し、証明せよ」ということが挙げられる。通説的な見解では、この事実の種類は以下の3つに分けられる(法律要件分類説)。

権利根拠事実
「原告は被告に○○を売った」というように、代金債権の存在を根拠付ける事実。この事実の証明責任は、その代金債権が発生したと主張する当事者が負う。
権利障害事実
「被告は○○を買った当時、意思無能力だったから売買契約が無効である」というように、代金債権がそもそも発生しないようにする事実。この事実の証明責任は、その代金債権は発生しないと主張する当事者が負う。
権利消滅事実
「被告は原告に○○の代金をすでに支払っている」というように、いったん発生した代金債権を消滅させる事実。この事実の証明責任は、その代金債権が消滅したと主張する当事者が負う。

これを鯛焼問題についてみると、鯛焼屋としては代金債権があると主張したいのだから、「平成11年1月7日、私は月宮あゆ氏に鯛焼き5個を500円で売りました」という権利根拠事実を主張・証明することになる。あゆとしては、もし鯛焼きの代金を払いたくなければ、「ボクは生霊だから、ボクは何の義務も負わないもん。おじさんにはボクに支払を請求する根拠はないんだよっ!」という権利障害事実を主張・証明すべきことになろう。

重要なことは、当事者がある事実を主張し証拠が提出された結果、裁判所が「その事実はなかった」と判断した場合は当然ながら、「真偽不明」と判断した場合も、その事実はなかったものとして扱われるのである。なかったと扱われるということは、その主張をする当事者にはもちろん不利益である。証明の分配のことを証明「責任」というのは、この不利益を指しているのである。

裁判所はいかに権利の存否を判断するか[編集]

権利人間の頭の中にしかない観念であり、手にとって目に見ることはできない。そこで、裁判所は、提出された証拠をもとに当事者の主張する事実があったかなかったかを認定し、「この事実を実体法に当てはめれば、これこれの権利が発生する」と判断をするわけである。

証拠から事実を認定する際のよりどころは、経験則と呼ばれている。経験則とは、常識から自然法則(いわゆる「現代科学」)に至るまで、人間が「○○があるならば、××が起こるだろう」と知っている物事の法則の総体である。裁判所の判断はこの経験則に拘束されている(経験則に違反した事実認定は上訴再審の理由となる)。

そうすると、売上伝票やレジスターの記録のような証拠を鯛焼屋が提出すれば、経験則に照らして「そうした物証があれば、物の売り買いがあったのだろう」と言えるので、裁判所は「売買契約が成立した」という権利根拠事実を認め、鯛焼屋に代金債権があると判断することになる。

では、その債権に対する権利障害事実の証明責任を負うあゆはどうか。あゆは「ボクは生霊だよ」と言いたいのであるが、それを示す証拠はどこにもない。仮にあゆが証拠と称する物をいろいろと持ってきたとしても、裁判所は経験則に拘束されており、経験則は自然法則(現代科学)を含むから、現代科学で存在が観測されていない生霊の性質に係る事実は、裁判所は何ひとつ認めない。

このように、鯛焼屋の権利根拠事実の主張が認められ、あゆの権利障害事実の主張は認められない。よって、あゆが生霊であったとしても、そのことは鯛焼屋のあゆに対する請求について、訴訟上何ら影響しないといえるであろう[41]

あゆの消滅――鯛焼屋の請求の実際上の困難[編集]

このように、あゆが生霊であったとしても、そのことによって鯛焼屋の請求は訴訟法上まったく妨げられないのである。

しかし、あゆはあゆルートに入らない限り、生霊は奇跡パワーを使って消滅し、病院で寝ているあゆはそのまま死亡する運命にある。鯛焼屋があゆの消滅あるいは死亡に気づかなければ、あゆは行方をくらましているのと同じであり、鯛焼屋が原告として訴えを提起し、被告あゆの欠席によって勝訴判決を得ても(民事訴訟法159条1項)、債権実現のための強制執行にかかる手立てはまったくない。

仮に鯛焼屋があゆの死亡に気づいたとしても、鯛焼屋の困難は解消されない。死亡者が債務超過にあり相続人もない場合には、相続財産の破産(破産法222条以下)申立てがなされれば、積極財産の限度で配当がなされ、鯛焼屋の債権がその限度で満足されて消滅する建前となっている。しかし、あゆには見るべき財産がないことは明白であるから、相続財産の破産申立ての費用や相続財産管理人の報酬を差し引くと、どう考えても鯛焼屋が大損をかぶることとなるのである。

このようなわけで、鯛焼屋が焦げ付いた代金債権を何とか回収しようとすると、後述の「第三者の介在する鯛焼問題」が重要になってくるのである。

応用事例――第三者の介在する鯛焼問題[編集]

Kanon本編の筋書きにおいては、鯛焼問題はさらに複雑な様相を呈する。祐一という第三者が介在するためである。事例の概要を以下に記そう(最初の事例と同一の記述は、区別のため灰色とした)[42]

事例(2)

あゆは、財布をどこかに忘れてきて現金を所持していないのに、それと知らずに、屋台において営業する鯛焼屋に対し、鯛焼き5個を自己のために製作して渡すよう注文した。鯛焼屋は、この注文に応じて鯛焼き5個を製作し、あゆに手渡した。

あゆは、ただちに代金を支払おうと考えたが、そこで初めて自己が現金を所持していないことに気付いた。

ところが、あゆは、「すごくお腹がすいて」いるから何としても鯛焼きを食べたいと思い立ち、「後でちゃんとお金払うもんっ!」と考えて、鯛焼きを持ったまま突然その場から走り去り、鯛焼屋の追跡を振り切って逃げた。

あゆは、逃げる途中に知人の祐一と出会い、2人で鯛焼屋の追跡から逃れた後、上の事情を祐一に告げた上で、「ボクからのおすそわけだよっ」と言って、祐一に鯛焼きのうち一部を贈与して渡した。

なお、この時、あゆは7年前の転落事故が原因で意識不明のまま病院に収容されており、外で活動しているあゆは生霊であった。

刑法上の問題としての祐一の介在[編集]

刑法上の問題は祐一がいかなる罪責を負うかに尽きるが、この問題はそれほど大きくない。

Kanon本編中の祐一は「鯛焼きを食ったら共犯になる」と恐れているが、これはまったくの誤りである。共犯とは、2人以上の者が共同して犯罪を実現することをいう。あゆに犯罪が成立しないとの説に立てば、祐一が現れたところでやはり何の犯罪も実現しないので、共犯になることはありえない。また、あゆに鯛焼屋に対する何らかの犯罪が成立するとすれば、成立する罪種についてどの説に立つとしても、その犯罪はすでに実現されているのだから、実現した後に登場した祐一が共犯にはならない。

祐一が鯛焼きを食った場合に検討すべき罪は、盗品等無償譲受罪(刑法256条1項)である。上の論述であゆにいずれかの財産罪が成立するならば、鯛焼きは同条項のいう「盗品その他財産に対する罪に当たる行為によって領得された物」に他ならないから、祐一は同罪の罪責を負う。あゆに犯罪が成立しないならば、この構成要件を欠くのであるから、祐一は何らの罪責も負わない。以上である。

民法上の問題としての祐一の介在[編集]

民法上は、祐一と鯛焼屋がどのような法律関係に立つか、特に、鯛焼屋が祐一に対してどのような法的主張をなしうるかが問題となる。鯛焼屋の主張は、つまるところ「代金を可能な限り回収したい」ということになろう。

本来であれば、鯛焼売買契約の相手方であるあゆに代金を請求すればよいのだが、あゆには見るべき財産がないのは明らかだから、支払請求は功を奏しないと予想される[43]。ただ、本事例においては、事情をあゆから告げられて知っている祐一が、鯛焼きの一部贈与をあゆから受けているのである。そこで鯛焼屋としては、祐一に対し何らかの請求ができないかと考えることとなろう。

鯛焼売買契約の解除[編集]

最初に考えつくのが、あゆの債務不履行に基づく鯛焼売買契約の解除(民法541条)の主張である。しかし、解除によって545条1項本文の原状回復義務が生ずるのはあゆだけであり、さらに同条項但書には、善意・悪意を問わず、「第三者の権利を害することはできない」と規定されている[44]。すなわち、解除によっては、祐一があゆから贈与を受けた鯛焼きはびくともしないのである。

鯛焼売買契約に基づく動産売買先取特権[編集]

では、売主としての地位によって鯛焼屋に認められる権利は、他にないのであろうか。そこで考えられるのは、鯛焼売買契約の効力から法律上発生する、先取特権のうちの動産売買先取特権(311条5号)である。

先取特権は担保物権の一種である。ごく簡単には、担保とは「債務者がもし債務を弁済できなくなったときに備えて、できるだけ弁済したのと同じ結果になるような手段をあらかじめ確保しておくこと」と言ってよかろう。動産の売主は、売買契約締結前に買主の資力を調査しにくい場合が多いので――鯛焼問題などはまさにその例である――売主を保護するために動産売買先取特権という担保が自動的に発生することが、民められている(このゆえに「法定担保物権」という)。

先取特権の基本的な効力として、もしあゆが無資力で支払債務の履行を望めない場合は、鯛焼屋はあゆの持っている鯛焼きに差押えをした上で、裁判所で強制的に競売にかけ、その落札代金から支払ってもらえる。さらに、先取特権は「物上代位性」という性質をもっている。物上代位性とは、例えばあゆがもし祐一に鯛焼きを転売していたらその転売代金を、もし真琴に盗み食いをされて損害賠償請求権を得たらその賠償金をというふうに、鯛焼きという物が何らかの原因でカネに化けたときに、そのカネ(価値変形物という)を差し押さえて、そこから支払いを得られるという性質である(304条1項本文)。

一見非常に強力に思われる動産売買先取特権ではあるが、では鯛焼問題で鯛焼屋はカネを取れるのかというと、結論として、これも空振りである。動産売買先取特権には公示方法が存在しない、すなわち、その鯛焼きが「あゆの不払いのために後日鯛焼屋に差し押さえられる運命にあるかどうか」が外から見てわからない。そこで、第三者を保護するために、いったん目的物が第三者に引き渡されれば、その物自体の差押えはもはやできないことになっている(333条。追及効の消滅という)。

この追及効が消滅する代わりに、先取特権には「祐一からあゆに渡されるはずだった価値変形物を、鯛焼屋が代わりに渡してもらえる」という物上代位性があるのである。しかし、あゆは鯛焼きを祐一に転売したのではなく、贈与してしまっている。すなわち、転売代金などの価値変形物が本事例ではそもそも存在しない。したがって、動産売買先取特権を使ったとしても、鯛焼屋は鯛焼きを祐一から取り戻せるわけでもなく、カネを払ってもらえるわけでもなく、不発に終わるのである。

詐害行為取消権[編集]

次に、鯛焼屋の詐害行為取消権(424条)の主張が考えられる。具体的には、債務者[45]が自ら流出させた財産を元に戻すために、債務者が受益者に対してした行為(贈与など)を、債権者のイニシアチブで取り消しうるという権利である。その制度趣旨は、債権を回収する引当てとなる財産(責任財産)を債務者の元に確保しておくことにある。

ただし、「自己の意思によらなければ権利義務は発生しえない」(私的自治の原則)のが民法の指導原理であり、それに反して、詐害行為取消権を使えば債権者の意思によって債務者のなした行為を強制的に取り消せるというのだから、要件は非常に厳しい。以下に挙げる通りである。

  • 被保全債権は、詐害行為より前に成立していなければならない(制度趣旨から)。
  • 被保全債権は、原則として金銭債権でなければならない(制度趣旨から)。
  • 詐害行為は、財産を目的とした法律行為でなければならない(424条2項)。
  • 詐害行為によって、債務者が無資力となるのでなければならない(制度趣旨から)。
  • 詐害行為は、債務者が債権者を害することを知ってしたものでなければならない(424条1項本文)。
  • 受益者または転得者が、債権者を詐害すべき事実について悪意でなければならない(424条1項但書)。

幸いというべきか、本事例では上に挙げる要件はすべて満たされており、一応鯛焼屋は詐害行為取消権を行使することが可能である。また、もし祐一が鯛焼きを食べてしまっていても、価格賠償をさせることができる。

しかし、上にも述べたように詐害行為取消権は私的自治の原則に対する重大な例外なので、424条1項本文の法文のとおり、その行使は裁判所への請求、すなわち詐害行為取消訴訟によってしなければならない。

当然、そのためには、貴重な時間印紙代と切手代が費やされる必要があるのである。

鯛焼屋を保護しうる構成――試論[編集]

そもそも、なぜ上で詐害行為取消権を使う必要が生じたのかといえば、545条1項但書の第三者保護規定により、解除が鯛焼屋にとって功を奏しなかったからであった。

解除とは、いったん確定的に有効に成立した契約を、その後に生じた事情(債務不履行など)に基づいて、なかったことにする手続きである。あゆと鯛焼屋の契約は、有効なのである。有効な契約によってあゆが得た鯛焼きを、当のあゆが煮ようが焼こうが祐一にあげようが自由なのである。

また、祐一は事情に悪意とはいえ、その後に実際に解除がなされるかどうかは関知するところでない。そこで、後々発生する解除によって鯛焼きを失いかねないという不安定な地位からは救済すべきだと考えられている。このゆえに、545条1項は第三者善意悪意を不問にしているわけである。

しかし、そのままでは被害者である鯛焼屋に酷にすぎるのではなかろうか。

単純悪意の第三者を排除しうる構成は何か?[編集]

ここで、前述「鯛焼売買契約の成否」で論じた鯛焼売買契約の無効説が、違った形で息を吹き返すこととなる。すなわち、有効な契約とすると鯛焼屋の保護が薄れるのであれば、はじめから契約が無効であった構成にすればよいという発想である。

もっとも、「鯛焼売買契約の成否」での結論は、売買契約を有効に成立させたほうが、鯛焼屋をより厚く保護できるというものであった。それなのに、第三者が出現したときだけ都合よく「契約は無効だった」と主張できる構成があるものであろうか。

その「都合のいい」候補こそ、前出B1説の錯誤無効説だと考えられる。

95条の錯誤による無効は、表意者を保護する制度であり、その主張は表意者にゆだねられている。すなわち、実質的には、表意者たる鯛焼屋自身が錯誤無効だと主張しない限り、契約は有効であるに等しい。そして95条の法文は、「要素の錯誤」と「無重過失」という厳しい要件を表意者に要求する代わりに、これをクリアした表意者は絶対的に保護しようとして、第三者保護規定を置いていないのである[46]。したがって、錯誤無効の主張が通るならば、鯛焼屋は必ず祐一から鯛焼きを返してもらうか、食べてしまったなら相当の価格で賠償させることができる。

さらに、錯誤無効は誰に対しても主張でき、しかも裁判外で主張することができる。つまり、鯛焼屋としては内容証明を1通出せば、とりあえず祐一に「鯛焼きを原状でよこせないなら金を払え」と宣戦布告することが可能なのである。例えば、以下のような調子の文面(内容証明郵便の書式に従い、横書き・1ページあたり26字×20行とし、ページをまたぐ箇所には割印を押している。見かけ上20行を超えているが、内容証明郵便では空行を数えないので、これで20行という勘定になる。郵便代は定形郵便80円+一般書留420円+配達証明300円+内容証明420円+内容証明2枚目250円=1,470円である)を祐一に出せば、相当の心理的圧迫が与えられるのは確実であろう[47]

      不当利得返還(価格賠償)請求書

 私は、平成11年1月7日、月宮あゆ氏に対し、私の所
有する鯛焼き5個を代金500円でただちに売り渡す売買
契約を締結し、約定のとおり上記鯛焼きを引き渡すと同時
に、上記代金のお支払をただちに請求致しましたが、同氏
から未だ上記代金を受け取っておりません。

 上記契約は、月宮氏が相当の現金を所持し、鯛焼きの引
渡しと同時に代金を支払うことを条件とする趣旨を黙示に
表示していたものであります。しかし、上記契約当時に、
同氏は現金を所持していなかったものであり、この点、契
約の要素に錯誤がありました。

 したがいまして、上記契約は民法第95条により無効で
ありますので、上記鯛焼きは月宮氏の所有ではなく、もと
より私の所有するものであります。

 月宮氏は、上記代金の支払を逃れ、現在まで行方をくら
まし、その間に、貴殿に対し上記鯛焼きのうち2個を無償
で譲り渡して食事により滅失させたものであり、この事情
は、同氏及び貴殿にも既にご承知のところであります。

 上記契約が無効であり、よって貴殿の滅失させた鯛焼き
2個が私の所有であることから、今般本書面により、私は

-----------(割印)-----------

貴殿に対し、民法第704条に基づく不当利得の返還とし
て、当該鯛焼き2個に相当する価格賠償を請求致します。

 つきましては、下記請求金額を、本書面到達後10日以
内に下記口座へお支払い下さい。

 請求金額              金1,671円

(内訳 鯛焼き2個の返還に代わる価格賠償 金200円
    上賠償に付する民法第404条所定
    の利率年5分による本日までの利息   金1円
    本書面の郵送料        金1,470円)

 支払先口座 鍵銀行 華音支店 普通預金
       1234567 タイヤキヤ オヤチ゛

 なお、万一上記期限内にお支払なき場合には、訴訟その
他の法的手段に訴える所存でありますので、念のためお含
みおき下さい。
                        以上

平成11年2月15日

           華音市中央商店街1丁目2番3号
                鯛 焼 屋  親 父

華音市奇跡町123番地
相  沢  祐  一  殿

小括[編集]

民法上における鯛焼問題において、鯛焼屋としては、あゆ・鯛焼屋間の鯛焼売買契約がひとまず有効に成立したと考え、あゆに代金の支払を求めるのが本筋である。それがかなわない場合は、催告をした上で契約を解除(541条)し、あゆに原状回復請求(545条)としての鯛焼きの返還を求めることもできる。

そして、あゆが第三者の祐一に鯛焼きを移転してしまい、自分は奇跡の力を使って消滅するなどの詐害行為に出た場合は、鯛焼屋は詐害行為取消権(424条)を行使できるのはもちろんであるが、より簡易ないわば「切り札としての」錯誤無効(95条)を主張して、第三者に移転された利益を取り戻すことができ、債権の少なくとも一部の満足を得ることが可能であろう。

結語[編集]

前述まで、多年にわたる議論の蓄積があるKanonの「鯛焼問題」をめぐる議論を概観してきたのであるが、『アホヲタ法学部生の日常』(ronnor、2005-)においてもつとに指摘されているように、Kanon(ひいてはKey作品全般)は話自体面白いのみならず、法学上興味深い問題を数多く提起してくれる大変に有益な題材である。本稿が微力ながらKanon法学、Key法学の発展にとって一助となるのであれば、著者にとってこれに過ぎる幸いはない。

脚注[編集]

  1. ^ 漢字「」が常用漢字表(昭和56年10月1日付け内閣訓令第1号)に掲げられていないため、Kanon本編では「公用文における漢字使用等について」(昭和56年10月1日付け事務次官等会議申合せ)に基づき、「鯛焼き」の表記として「鯛」をかな書きとした「たい焼き」が採用されている。これに対して、本稿では講学上の表記法として、用字用語は原則的に「鯛焼き」に統一し、「鯛焼問題」のように他の語と複合して一語を形成する場合に、例外的に送り仮名を省く方針とした(これは、例えば民法上の「取消し」の語が、単独で用いられると「取消し」と書かれ、複合語になると「取消し権」でなく「取消権」と書かれることと軌を一にする)。なお、「送り仮名の付け方」(昭和48年6月18日付け内閣訓令第2号)通則6および通則7を参照。
  2. ^ 奇しくも、この1月7日という日付は月宮あゆ誕生日に当たる。
  3. ^ 欺罔は「ぎもう」と読む。「欺」も「罔」も欺くという意味の漢字である。
  4. ^ ただし、後述するように、第三者が介在する場合には問題は複雑になる。
  5. ^ この区分が財産法家族である。
  6. ^ この見解に立つものとして、「まこピーに人権はあるか」(『萌えない法律学』所収、20頁以下(MFRI、2005))。「例えば「鯛焼き食い逃げ」という行為は債務不履行を構成するが、月宮あゆのような生霊はそもそも法律行為を行うことができないのだから、売買契約そのものが無効である。」
  7. ^ 契約の定義はさまざまであるが、「契約とは、法律上の強制力を有する約束である」と言うことができよう。契約の本質は約束あるいは合意、すなわち両当事者の意思表示の合致にあり、よく言われることであるが、「口約束も契約」である(書類にハンコをつかなければ契約にならないだろう、というのはよくある誤りで、契約書を作るのは単に契約が成立したという証拠を残すためである)。例えば、栞ちゃんがコンビニアイスクリームを買う、祐一が名雪からノートを貸してもらう、秋子さんが真琴に豆腐を買ってきてとお使いを頼む、これらは全て民法上の契約である(順に、売買契約使用貸借契約委任契約)。
     では約束は全て契約かというと、そうではない。典型的には、デートの約束は通常は契約としては扱われず、仮にあゆが祐一に「祐一君、また会おうね。契約だよっ!」と言っていたとしても、それは契約ではないのである。
     契約とそうでない約束との違いは、「法律上の強制力」の有無にあると言ってよい。法律上の強制力があるとは、もし当事者が契約の内容を守らない場合に、法というルールに基づき、国家権力という実力装置(この場合は裁判所)の力を借りて、当事者に有無を言わせず契約内容を実現させることが可能という意味である。例えば――栞ちゃんは良い子なのでそんなことはしないが――仮に栞ちゃんがアイスクリームの代金を踏み倒してコンビニから逃げたとすると、コンビニ側は民事訴訟を起こし、勝てば栞ちゃんのストールなどの財産を裁判所で競売にかけ、落札代金からアイスクリーム代を回収することができる。他方、もし祐一があゆに会いにこなかったとしても、あゆは民事訴訟を通じて裁判所から「被告祐一はあゆに会え。」との判決をもらうことはできない。すなわち、法律上の強制力がない。
     このような「法律上の強制力の有無」の違いが生じるのはなぜか。それは、法律を国民に守らせるものが国家権力だからである。国家権力、すなわちこの場合の裁判所は、個別の事案において被害者の損害を回復するのは当然ながら、同時に国民全体にとって利益となり、国民全体が納得しうる「妥当な結論」を導かなければならない。裁判所がコンビニで代金を払わない客から強制的にカネを取り立てる権限があるのは、コンビニという被害者を救済するとともに、そうすることで誰もが安心して商売をできるようにし、経済社会を円満に成り立たせるという点で、国民の利益にかなうからである。逆に、デートに来ない男性を裁判所が強制的にしょっぴいてくるべきでないのは、確かにそうすることで「被害者」の女性は一時的に満足するかもしれないが、このような人間関係に国家権力が介入することがたびたび許されては、国民全体にとって決してメリットにはならないからである。
     結局、契約とそうでない約束との区別は、「約束のうち、その実現に国家権力という実力装置が力を貸すべき性質のもの」が契約である、という点に求められようか。
  8. ^ 債務とは、特定の他人に対して何かをする義務のことである。その何かをすることを弁済という(履行ともいう。同義語)。債務の内容はカネの支払である必要はなく、例えば祐一と真琴が「真琴、結婚しよう」「あぅーっ」と約束を交わして婚約(=婚姻の予約契約、後述)が成立し、めでたく結婚するのも、婚約という契約によって両当事者が互いに相手方と「結婚をする」という債務を負ったので、その債務の弁済をしているわけである。「債務者」というとなんとなく借金の借主のようなイメージがあるのは、貸主に「カネを返す義務」こそが借主の負う債務だからである(借金自体のことを「債務」とも俗に言うが、法学上の用語としては誤用である)。債務のちょうど裏返しが債権であり、これは特定の他人から何かをしてもらう権利をいう。
  9. ^ 不代替物とは、取引上一般的にその物の個性に着目され、同種の他の物によって取替えの利かない物をいう。その対概念が代替物である。例えば、栞ちゃんの描いた非常に個性的な絵などは典型的な不代替物であり、栞ちゃんの大好きなアイスクリームなどは典型的な代替物である。
     「不代替物と代替物」に似て非なる概念が「特定物と不特定物」であり、取引の当事者が(主観的に)その物の個性に着目した物を特定物、その逆を不特定物という。不代替物は特定物として、代替物は不特定物として扱われる場合が多いが、そうでないこともある。例えば、大量生産されてクレーンゲーム機に入れられている景品の人形は一般的には代替物であるが、当事者が「祐一君が7年前にくれたクレーンゲームの景品の人形」という個性に着目すれば、これは代替物かつ特定物だということになる。逆に、秋子さんが作った非常に個性豊かなジャムは一般的には不代替物であるが、当事者が「秋子さんが作ったジャムなら何でもいいからくれ」というように、個々のジャムの個性に着目せず取引をした場合には、不代替物かつ不特定物となる。
  10. ^ より正確には、代理人に関する効果帰属要件と、条件・期限に関する効力発生要件も必要であるが、ここでは問題にならない。
  11. ^ 契約の成立は書面による必要はなく、口頭でも身振りでも成立し(「明示の意思表示」)、状況次第では何もしなくてもかまわないことさえある(「黙示の意思表示」)。例えば同じ鯛焼屋で買主が無愛想に指を2本立て、鯛焼屋が「はいどうも」と言って鯛焼き2個を作って渡し、それに対して買主が特に何も言わなければ、まず間違いなく「鯛焼き2個を目的物とする売買契約が黙示の意思表示によって成立した」と解釈されることになる。
  12. ^ 契約の成立と同時に、目的物が売主から買主へ引き渡され、かつ代金が買主から売主へ支払われる類型の売買を、現実売買という。エロゲ屋でエロゲを買う、ぷにケどれみ本を買うなど、われわれが日常的に目にする売買の多くはこれにあたる。
  13. ^ 現実にはこの問題は十分に複雑であり、慣習慣習法法律の優先関係など多くの議論のネタになるが、この項目における本筋ではないために割愛する。
  14. ^ ただし、後述の有効要件を欠いた契約が絶対的無効なのに対し、錯誤による無効は当事者が無効だと主張して初めて無効となる(主張しない限り有効なものとして扱われる)ため、相対的無効と呼ばれる。
  15. ^ 婚約とは「婚姻の予約契約」という契約に他ならず(大判大4・1・26参照)、正当な理由なく婚姻を履行しない場合には損害賠償義務などを負うことになる。
  16. ^ 本編回想シーンにおいて、祐一はこのことを「脅迫という犯罪」だと指摘しているが、疑問である。脅迫罪(刑法222条1項)の構成要件は害悪の告知であるが、名雪は害悪の告知にとどまらず、かかる害悪の告知によって祐一に義務のないことを行わせているので、強要罪(223条1項)の構成要件に該当し、強要罪は脅迫罪に対し吸収関係に立つから、結局強要罪一罪のみを構成することになろう。もっとも、当時の名雪は刑事未成年(41条)であるから、結論として犯罪は成立しない。
  17. ^ 仮に鯛焼屋に重過失があるとすると、錯誤の主張ができない(95条但書)ことになるが、不特定多数の来客に対し定型的取引を大量・迅速になすべき鯛焼屋にとって、契約締結前から客の支払能力を逐一調査する義務があるとは認めがたいので、鯛焼屋には重過失もないというべきであろう。
  18. ^ 具体的には、仮執行宣言付支払督促による手続きが最も簡易であろう。
  19. ^ ただし、解除の要件として、相当期間を定めた催告と解除の意思表示とがあゆに到達する必要がある(540条1項、541条)から、手続きの煩は支払督促のほうがはるかに小さい。
  20. ^ このように刑法に列挙された「○○をすると××罪になる」という要件を、その犯罪の構成要件という。
     ただし、より正しく言うと、刑法の条文に書いてあることそのものが構成要件なのではない。例えば、仮に祐一が初めてのにいきなり名雪を背後から組み伏せて尻にぶちこんだとすると、これは刑法176条の強制わいせつ罪にいう「暴行」を用いて「わいせつな行為をした」ことに該当しそうであるが(なお、177条の強姦罪にいう「姦淫」とは陰茎を挿入することをいい、はこれに当たらない)、名雪から「うん…祐一なら…いいよ」などと承諾をとりつけているのであれば、二人は単に男女の関係でアーン♥♥しているにすぎず、国家が処罰すべき犯罪とみるに値しない。つまり、強制わいせつ罪の構成要件に該当しない。このように、刑法の条文を解釈によって補い(この場合は「わいせつ行為がその客体の意に反している」という要件を加えている)、処罰すべき悪い行為だけを抽出して各犯罪に分類したものが、構成要件なのである。
  21. ^ すなわち、不動産を客体とする不動産侵奪罪(235条の2)、暴行または脅迫を手段とする強盗罪(236条以下)・恐喝罪(249条)、コンピュータの不正指令などを手段とする電子計算機使用詐欺罪(246条の2)、他人のための事務処理者・業務上の占有者という身分が必要な背任罪(247条)・業務上横領罪(253条)、客体たる鯛焼きを領得することを欲しない毀棄罪(258条以下)は、明らかに本事例に該当しないので、議論の必要がない。
  22. ^ これに対し、よくある教室設例であるが、仮にあゆが「お財布取ってくるから待っててっ!」と言い(欺罔行為)、鯛焼屋がこの言を信用して(錯誤)「しょうがないな」と応じた(処分)後、あゆがそのまま逃げて代金を払わない(利益の移転)という場合であったなら、異論なく二項詐欺罪が成立する。
  23. ^ 主な学説として、所有権その他の適法な占有権原を保護すると考える本権説(旧判例)、占有そのものを保護すると考える占有説(現在の判例)、一応適法らしい外観を有する平穏な占有を保護すると考える平穏占有説(現在の通説)がある。これらの説の違いは、鯛焼きを抱えて逃げるあゆを鯛焼屋が追って鯛焼きをひったくり返した場合に、鯛焼屋が窃盗罪の罪責を負うか否かの帰結を左右することになる。
  24. ^ 同時履行の抗弁権とは、双務契約の場合に、相手方が反対債務の履行を提供するまで、自己の債務の履行を拒む権利をいう(民法533条本文)。ここで履行の提供とは、履行のために自分でできる準備を全て完了し、あとは相手に受け取ってもらうだけの状態にする行為である。金銭の支払債務で言えば、カネを準備して耳そろえて持ってきましたよと見せるのが履行の提供であり、それを相手方に渡すのが履行である。
  25. ^ この見解に立つものとして、「被告人月宮あゆは無罪!~鯛焼き問題の刑法的考察」(『アホヲタ法学部生の日常』所収(ronnor、2007))。
  26. ^ 被害者の承諾があると、犯罪が成立しなくなったり、罪が軽くなったりすることがある。被害者の承諾の成立には、(1)法益が被害者自身に処分可能、(2)承諾が有効、(3)外部的表明または推定的承諾の存在、(4)承諾の存在時期が行為前、(5)行為者が承諾を認識、(6)行為者の行為の社会的相当性、という6要件が必要とされており、鯛焼問題では(2)と(6)が問題となろう。
     なお、被害者の承諾があっても犯罪が成立し、しかもまったく軽くならない場合もある。例えば13歳未満の女子に対する姦淫は、女子の承諾があってもなくても問答無用で強姦罪(177条後段)となるので、ロリコンの諸兄におかれては注意が必要である。
  27. ^ ただし、上のB2説(売買契約無効説)に立つのであれば、横領罪の成立の余地はある。売買の無効により所有権が鯛焼屋に帰属するならば、あゆは不当利得に基づく返還義務を負うところ、この義務に反して鯛焼きをあたかも真の所有者かのように着服する(食べようとして逃げる)行為は、「横領」に当たりうるからである。類似の例として、所有権留保特約付売買で売主に所有権が留保されている自動車を、これを占有している買主が売主に無断で売却した事例につき、判例は横領罪の成立を肯定する(最決昭55・7・15)。
  28. ^ 前掲「被告人月宮あゆは無罪!~鯛焼き問題の刑法的考察」は、これら2つのうち前者のみが占有離脱物横領罪の客体となりうるとの見解に立つが、疑問である。教室設例によくあるいわゆる「釣銭詐欺」のうち、店員が誤って余分の釣銭を渡してしまい、客はその場では気づかなかったが家に帰ってから気づいたのでネコババしたという事例では、占有離脱物横領罪が成立するとの説が支配的であるが、この釣銭は一応は店員の意思に基づいて占有を離れているので、前者の定義には当てはまらないであろう。そこで、当該釣銭は後者の「委託信任関係に基づかずに行為者の占有に属する物」に当たり占有離脱物横領罪が成立する、と考えるべきである。
  29. ^ 飼犬が逃げ出したことにつき飼主の落ち度がある場合には、飼主の落ち度が36条1項にいう「不正」に該当するので、異論なく正当防衛(36条1項)が成立する。飼主の落ち度がなかった(天災で鎖が切れたなど)場合は、正当防衛になるのか緊急避難(37条1項本文)になるのかで学説上争いがあるが誰も気にしない
  30. ^ ただし注意すべきことに、舞先輩がこのような誤信に陥ったこと自体が「仕方がない」のではない。誤信に陥ったことについて舞先輩に過失があるかどうかをさらに検討し、過失があれば過失犯が成立する余地があるのである。もっとも、過失で人を傷つけるのは過失傷害罪(209条1項)となるのに対し、過失で器物(犬は器物に含まれる)を傷つけるのは現行法上犯罪とはされていない。
  31. ^ 後述の「違法性の意識」に関して厳格責任説という見解を採ると、この場合の舞先輩には器物損壊罪が成立してしまう。この説は「他人の犬を傷つけようとして傷つけた以上、器物損壊の故意はあるはずで、佐祐理さんを守るためだから許されると考えたのは法律の解釈適用を誤っただけ」と考えるからである。しかし、規範に直面していない行為者を罰することになる疑いが強く、妥当とは思われない。誤想防衛として責任を阻却すべきであろう。
  32. ^ 法律の錯誤はさらに、本文のように法規の存在を知っていたが解釈適用を誤ったために許されると誤信した当てはめの錯誤(法的評価の誤り)の類型と、単純に法規を知らなかった法の不知の2類型に分かれる。例えば、「舞先輩は相手が久瀬だと知っていて斬ったが、人を殺したら罪になるということを知らなかった」という場合が法の不知である。
  33. ^ しかし、実際の事件では、本文の事例と違って必ずしも事実の錯誤と法律の錯誤が明確に区別しがたい場合がある。「たぬき」と「むじな」が同一の動物であるということを知らずに、「むじな」だと思って禁猟獣である「たぬき」を捕獲したことは事実の錯誤だとして狩猟法違反の故意がないとした判例(大判大14・6・9〔たぬき・むじな事件〕)がある一方、全国的に「むささび」と呼ばれている動物をその地方の方言で「もま」と呼ぶことを知らずに、「もま」だと思って禁猟獣である「むささび」を捕獲したことは法律の錯誤にすぎないとして狩猟法違反の罪を成立させた判例(大判大13・4・25〔むささび・もま事件〕)がある。
     両判例の違いを説明するのは容易でないが、「一般人なら違法性を意識できたであろう事実の認識」があれば法律の錯誤であり、なければ事実の錯誤である、とする見解が有力に主張されている(実質的故意論)。この見解によれば、たぬき・むじな事件では、たぬきとむじなは別の動物だと一般人にも考えられているから事実の錯誤、むささび・もま事件では、むささびともまが別の動物だという認識は一般的にはなく、「もま」と呼ばれる動物を一般人が見れば「むささびを捕ってはいけない」という意識を喚起できたであろうから法律の錯誤、と説明される。ただし、この見解には「『法律の錯誤と事実の錯誤の区別』と『違法性の意識の可能性があったかなかったかの区別』をごっちゃにしているので、結局処罰したいかどうかのさじ加減でお手盛りの結論を導けるではないか」との批判がある。
  34. ^ とはいえ、この見解にも一理あると言えなくもない。法律は国会で作られるものであり、国会は国会議員で構成され、国会議員は国民の意思で選ばれているのだから、国民が自分の意思で作らせた法律なのに今さら知らなかったなんて言わせねーよ?というわけである。
     つまり、ちゃんと選挙に行って、自分の支持する立法をしてくれる候補者か、自分の支持しない立法に反対してくれる候補者にちゃんと投票しましょうということである。棄権や無記入はダメなのである。それは多数派を自動的に勝たせる選択にすぎず、多数派の議員様が作ってくださるなら全権委任法でも生類憐みの令でも何でも従います文句はありません、といういわば不戦敗の宣言に他ならないからである。
  35. ^ この説はさらに制限故意説責任説とに分かれるが、これらは理論の組み立て方が違うだけであり、ほとんど同一の結論を導くことができる(例えば、西田『刑法総論』(法律学講座双書、弘文堂、2006)、226頁参照)。
  36. ^ 例えば、「違法性の意識の有無などどうでもよい。よって犯罪成立」と問答無用で切り捨てればいいようなところを、わざわざ違法性の意識の可能性(=法律の解釈適用を誤っても仕方がないほどの相当の理由)があるかどうかを検討してから、結局犯罪を成立させた事例がある(最決昭62・7・16〔百円札サービス券事件〕)。
  37. ^ こうした「やってはいけない」との判断ができない、またはその判断が困難と認められるほどに頭が狂っている状態が、それぞれ心神喪失心神耗弱である。
  38. ^ 映倫の審査を通過したので、刑法で禁止されたわいせつ物に当たらないだろう」と誤信した場合に、誤信に相当の理由がある(=違法性の意識の可能性がない)として故意を否定した裁判例がある(東京高判昭44・9・17〔黒い雪事件〕)。
  39. ^ 厳密に言うと、「まず実体法の対概念が手続法であり、さらに手続法の一種として訴訟法がある」とするのが正しい分類である。訴訟以外の手続による紛争解決手段(調停など)も多々あるからである。
  40. ^ ここでは議論を民事訴訟に限るが、刑事訴訟でも同じ趣旨が妥当する。この段落の最初のセンテンスを「検察官としては、あゆに(実体法としての刑法上)犯罪が成立すると考えるであろう」と読み替えられたい。
  41. ^ 類似の見解に立つものとして、「内縁不当破棄による真琴の祐一に対する慰謝料請求の可否」(『アホヲタ法学部生の日常』所収(ronnor、2007))。ただし、弁論能力(民事訴訟法155条1項)の欠如として陳述を封じる、との構成をとっている。
  42. ^ 本稿では特に財産法との接点を考察するため、あゆから祐一への鯛焼きの贈与にのみ焦点を当てることにしたが、Kanon本編の実際の筋書きでは、祐一はこの他にも逃走中のあゆをかくまう、ファストフード店に立ち入るなどの行為をしており、事例問題としてきわめて興味深い(前掲「被告人月宮あゆは無罪!~鯛焼き問題の刑法的考察」に詳細な論考がある)。
  43. ^ もっとも、本編では、後日あゆと鯛焼屋との間に示談が成立し、以後紛争は起きないことになっている。しかし、ここでは、もしこのような事案があったらどう解決すべきかの思考実験として考えてみたい。
  44. ^ この但書が適用されるのはいわゆる「解除前の第三者」である。解除は意思表示によってする(540条1項)ので、本事例では、解除の意思表示があゆに到達するのは少なくとも鯛焼屋が走ってあゆに追いついた後であろうから、その前に出現している祐一は必然的に解除前の第三者ということになる。
  45. ^ 詐害行為取消権が行使される場面では、少なくとも3人の当事者が登場する。債権者(ここでの鯛焼屋)、債務者(あゆ)、受益者(祐一)である。仮に、祐一が鯛焼きを持ち帰って名雪と秋子さんにもあげたとすると、この名雪と秋子さんは転得者と呼ばれることになる。
  46. ^ 善意の第三者は96条3項類推によって保護されるとする説もあるが、この見解を採ったとしても、祐一は悪意の第三者であるからどのみち保護されない。
  47. ^ 著者はいまだ法律実務の世界にはきわめて不見識であるので、実務家の諸先生から見れば、下の文例は相当おかしなものである可能性が高い。識者のご叱正を待ちたいところである。

関連項目[編集]

Wikipedia
ウィキペディア専門家気取りたちも「鯛焼問題」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

先行研究[編集]

銀
流行記事大賞 銀賞受賞記事

この記事は2009年流行記事大賞にて銀賞を受賞しました。
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