麻垣康三

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麻垣康三(あさがき こうぞう)とは、自由民主党総裁である。

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目次

[編集] 任命

2006年9月に前総裁である小泉純一郎が麻垣を後継に指名し、自民党所属国会議員と党員による信任投票により、晴れて総裁、そして首相に任命された。ある長老議員はその様子を見て、昔三角大福を売り歩いていたことを思い出すとつぶやいたという。

[編集] 業績

今日まで、初めて経済企画庁長官になってから、兼任も含めて様々な仕事をしてきた。そのためかなりの政策通である。総理大臣になってからも外務大臣を兼任したりと、仕事への情熱は衰えなかった。総理大臣になってからも精力的に仕事をしていたし、時々刻々と変化する社会に対応するため、政策を徐々に軌道修正したりといい総理だった。しかし、それをねたむ野党からは、内閣改造をするごとに政策が変わる、ぶれている、あなたとは違うんですなどと意味不明なことを言う、漢字が読めない、それどころか新しい漢字まで作る。などと様々な言いがかりをつけられた。

そのような無茶苦茶な言いがかりを、野党やマスコミにつけられた影響もあり、選挙にはめっぽう弱く、2007年の参院選、2009年の衆院選ともに惨敗を喫している。これは小泉純一郎の後処理に追われたというハンデを考えても選挙に弱いと言わざるを得ない。でも、麻垣はこれにうろたえることなく、これからは野党の党首として、民主党と熱い論争をしてくれることを期待したい。だが、総理大臣どころか全く役職についていない麻垣は、存在感を保つことで精一杯になってしまうことが予想されているため、たいていの国民はそれをあきらめている。

[編集] 経歴

  • 1979年 - 衆議院議員初当選。
  • 1996年 - 橋本内閣で経済企画庁長官、翌年には科学技術庁長官に任ぜられる。
  • 1999年 - 小渕内閣で金融再生委員会委員長に就任。
  • 2000年 - 森内閣で金融再生委員会委員長・官房長官を歴任
  • 2001年 - 総裁選に出馬するもあえなく落選。しかし、小泉内閣では政調会長、国家公安委員会委員長、官房長官を兼任するという大車輪の活躍を見せる。
  • 2003年 - 小泉総理による内閣改造によって総務大臣、財務大臣、官房長官、幹事長の兼任という通常の国会議員なら倒れるような激務を任じられる。
  • 2004年 - 年金未納問題の影響もあるが、さすがに健康に支障をきたしたため官房長官と幹事長を辞任する。
  • 2005年 - 小泉総理がまた内閣改造をしたことにより、外務大臣、財務大臣、官房長官の職を任じられる。
  • 2006年 - 自民党総裁選でついに自民党総裁となる。その勢いで内閣総理大臣となり、外務大臣を兼任する。
  • 2007年 - 参院選惨敗の責任を取るために自慰を表明するも、同士たちに留意され、内閣改造を行うことでお茶を濁す。その際外務大臣の代わりに政調会長の職に就く。
  • 2008年 - 任期切れによる総裁選挙に勝利したついでに内閣改造をする。その際幹事長と国土交通大臣を兼任する。しかし、あまりの激務で体調を崩し、内閣改造時に自身の兼任を解く。
  • 2009年 - 衆議院を解散し衆院選に挑むも惨敗。総理大臣の座から退く。しかし、総裁の座にはまだ居座っている。

[編集] 総論

衆議院選挙敗退の影響により、総理ではなくなった麻垣だが、経歴をみてもわかるように衆議院議員となってから三十年近く、そして総理大臣となった三年間、日本のことを考えて通常では考えられないほどの激務をこなしてきたのだ。これは日本史の教科書に載るべき偉業であり、国民は選挙で麻垣に不信任を突き付けた格好になったとはいえ、お疲れ様の一言ぐらいは言ってもばちは当たらないのではないだろうか。

[編集] 関連項目