麻枝准

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麻枝 准 (まえだ じゅん) とは、日本の作曲家、ゲームクリエイター、シナリオライターである。

人物[編集]

ユーモラスな作品を提供することに定評のある人物である。

しかし、よくよく売れているゲーム類の影で出しているCD群には、暗くて重い思想をたっぷり詰め込んだりしている。たまに自分の担当したゲームのシナリオにもその一部分を持ち出すことがあり、ファンからボコボコに叩かれていることもしばしばである。

彼の描く作中には奇跡と呼ばれるようなイベントが多用されていることが言われることもあるが、これは麻枝准本人の身に奇跡と呼べる事柄が起こることが少なかったことからくる、願望の裏返しであるとする説がある。

「大学在籍中に奇跡的に彼女ができたことがあります」。

イケメンであることで知られており、一部のファン達の間ではヒーロー扱いされることも多い。自身が生み出したキャラの中での最近のお気に入りは、能美クドリャフカである。

作品[編集]

ゲーム[編集]

ONE 〜輝く季節へ〜
Kanon
AIR
真っ盛りの町に一人の青年が降り立つところから始まるストーリー。
関連音楽の優秀さが光る。
CLANNAD
人生とか言っとけばいいんじゃないの。主人公が不良だったりその家庭環境が荒れていたり、イマイチファン達との接点が少ない作品であるにも関わらず、大きな評価を獲得している作品である。
麻枝准をして「シナリオ構成の技術がこの作品で完成されてしまっている」と言わしめている作品でもある。
しかし次回作のリトルバスターズ!の謳い文句は、「clannadを超えた作品」である。
お察し下さい
なお備考として、村上春樹作品との関連性が伺える。花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。けれどさよならばかりじゃ、僕の幸せ何となる?
リトルバスターズ!
君の過ごした青春って、どんなだった? What "adolescence" do you have?
子供の頃のこと、思いだせる? Do you remember "Childhood" ?
かけがえのない何かが、そこにはあったよ。 The irreplaceable one existed there.
思い出を拠り所にするということは、割と健全な思想であるようにも思われる。
とある精神学者は、人間の精神の奥底には、アーキタイプ(原型)と呼ばれる根源的な記憶のようなものがあると考えていた。
これも割と陳腐な思想なのかもしれないが、やはり決定的なものでもある。

音楽[編集]

歌曲[編集]

鳥の詩
当時のこのテのジャンルのゲームにおいてセンセーションを巻き起こした一曲。
非常に高い完成度、深遠なストーリーを予感させるメッセージ性などに富んだこの曲は、ある種の方向性に対して大きな推進力を与えたと言えよう。
作曲・編曲は彼がやっていないのは、信者がよく忘れている。
natukage
旅立ちと停滞という二つの要素をテーマにした曲。
また、夏影というタイトルは日本の古語に由来し、夏の光を意味する。
夏とは何か? 夏の光というそのタイトルと、その音楽内容との関連性は何か? そのような考察への熱望を、解釈への堪え難い欲求を覚える人たちに呼び起こさせるこの曲もまた、このテのジャンルのゲーム史上にある種のインパクトを与えた楽曲であると言えるだろう。
……。
nostalgia
夏影と対になるところの曲。こちらも旅立っているのか停滞しているのかどっちつかずの印象を与える。
恋心
味も素っ気もない素朴な曲に思われる曲であるが、十回ほど聞けば鍵っ子の仲間入りができる曲

陰鬱な曲[編集]

麻枝准の陰鬱な曲と聞いて、二、三挙げることは麻枝准のフォロワーらにとって難しいことではない。あの何とも言えないほわぁ~というかふわぁあ~というかそんな感じの導入部から始まって、気が付けばそのバックグラウンドから流れるアンビエント的な響きに我々が絡め捕られてしまうあの曲のことである。

『nostalgia』、『恋心』などがそれに当たる。『Hanabi』、『karma』……アルバム『LoveSong』にもこの傾向は大いに表われている。また彼の作曲したBGMに及んでは『hope』などが代表的であろう。

特に2011年現在、比較的真新しい楽曲である『karma』においては罪の意識とも思われる題材がテーマになっているようである。

上とは逆に……[編集]

勿論、氏の書く作品には、人物の項で示した通り多くのユーモア、あるいは希望に満ちていると言って差し障りないような内容が含まれているのも事実である。

しかし人間の心にはある種の深淵が開いている。これは誰しもにとってそうなのだ。人間誰しもが、その深淵に導かれることをある側面においては強く望み、またある側面においては強く拒否する。そのような動的な構造が人間精神には見られるものである。そのような理由から言って、やはり完全な希望というものを提示し続けることは難しい。これは一般論である。

しかしやはり、作家たるものは憂愁のみに囚われてはならないのである。このようなテーゼは、今更誰かが言うべきようなことでもない。しかし敢えて言うならば、やはり常に物事の打開を試行していかなければならない。ある場合には、自らの深淵に強く踏み込んでいくことにおいてのみ、その希望というものを提示することが可能になる場合もあり得る。

無論、こんなことは誰が言うべきでもなければ、作家である限りの誰しもにとって当然分かり切っているはずのことではあるのだが。


Sunohara.png あ、しまった!
この項目「麻枝准」に使うネタ忘れた!
智代! お前のネタ貸してくれ!! それと便座カバー (Portal:スタブ)