麻雀新撰組

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ナニモノかがウィキペディアに「麻雀新撰組」の項目を執筆しましたが、要出典厨削除厨の暗躍により削除されてしまいました

麻雀新撰組(まーじゃんしんせんぐみ)とは、“雀聖”阿佐田哲也を筆頭に生粋のギャンブル狂いを集めて結成された麻雀エンターテイメントグループである。

概要[編集]

阿佐田が結成当時(1975年)トップクラスの実力を誇っていた雀士を集めて結成した日本初の麻雀プロ団体である。と言うと聞こえはいいが実際はギャンブルしか取り得のない者たちが麻雀で一般人カモにするために肩を寄せ合って結成しただけの団体である。実際に麻雀のプロとして高い意識を持っていたのはほんの一握りであり、ほとんどのメンバーは麻雀以外のギャンブルに熱を上げていた。

肝心の麻雀の実力は一般人に比べると確かに高かったがそれでも段違いに強いと言えるほどではなく、自分達の雀力が高いという印象を植え付けるためにイカサマを駆使してまで勝負に勝ち続けた。なお、これは手積み麻雀が一般的だった時代だからこそ可能であったことであり、全自動卓が主流となった現代では効果的なイカサマはほぼ不可能に近い。

主な活動[編集]

麻雀新撰組の主な活動は、目に付いた雀荘に飛び込み、一般人に勝負を吹っかけてイカサマを用いて勝つというものだった。1日に数件の雀荘を回り、それを繰り返す。イカサマに気づかない一般人たちによって「麻雀新撰組の奴らは強い」という噂が広がるのに時間はかからなかった。 その噂を聴いてある企画を立ち上げた企業がいた。株式会社双葉社である。双葉社は麻雀新撰組と一般人を対決させ、その牌譜(牌姿や摸打の記録)と解説を『週刊大衆』の連載企画として発表しようとしたのである。もちろんそんな企画を持ってこられた麻雀新撰組のメンバーは焦った。牌譜をとられてしまっては迂闊にイカサマもできない。しかしここで断れば逃げたという噂が立ってしまう。悩んだ末彼らは真剣勝負で勝つことにした。そして負けた。

主なメンバー[編集]

阿佐田 哲也(あさだ てつや)
雀士としての活躍だけに留まらず、作家として麻雀小説や技術書を執筆し、「雀聖」と呼ばれるほど麻雀界の発展に功績を残した。しかし、実は最も好んでいたギャンブルは競輪であり、「競馬、競艇などのギャンブルの中で人が最後にたどりつく『ギャンブルの王様』は競輪である」との名言を残すほど競輪を愛して止まなかった。なお、本名は色川 武大(いろかわ たけひろ)だが、誰もそう呼ばないし気にもしない
小島 武夫(こじま たけお)
常にギャラリーを意識した「魅せる麻雀」を信条としており、人懐っこい人柄もあって麻雀界では現在でも人気が高い。麻雀新撰組が解散した後は「日本プロ麻雀連盟」の創立に注力し、その初代会長を務めた。麻雀界では「ミスター麻雀」と呼ばれるほど高い認知度を誇るが、実はそれ以上に競艇業界での知名度が高く、本人も麻雀よりも競艇の方を好んでいる。その証拠に現在、麻雀ではほとんど表舞台に立つことはなくなったが、地元福岡のラジオ番組で競艇の解説をしていたり、CS放送のレースライブ番組でG1戦中継時のゲスト解説者として出演したりしている。なお、プロ雀士や麻雀愛好家等の間では小島のことは「小島先生」と呼ばないと何か恐ろしいことが起こると言われている。
古川 凱章(ふるかわ がいしょう)
麻雀以外のギャンブルに熱を上げていたという話があまりない、麻雀新撰組の中では珍しいタイプ。にも関わらず麻雀に関してはこれといった二つ名のないうえに、西原理恵子にまで故人扱いされてしまった可哀想な人。麻雀プロ団体「101競技連盟」の前身となる「順位戦101」を創立し、麻雀雑誌「近代麻雀」の編集長も勤めたことがあるほど麻雀のイメージアップに熱心であった。しかし二つ名は特にない。現役時代は「麻雀体勢論」という流れを重視する打ち筋の論理を展開し、その理論は古久根英孝の提唱する「牌流定石」にも受け継がれている。でも二つ名どころか愛称すらない。
田村 光昭(たむら みつあき)
通称「タミーラ」。3度の飯よりバカラが大好きであり、ついには日本を出て、マカオでバカラ浸けになってしまった。麻雀の実力は確かだったようだが、麻雀界の発展には興味がなくバカラばかりやっていたため、その知名度は低い。
青柳 賢治(あおやぎ けんじ)
阿佐田の愛人。当時は「有能な若いプロ」と称されていたものの、雀力はかなり低かった。そんな彼が麻雀新撰組というトッププロ集団の中にいられたのも阿佐田に性的な意味で気にいられていたからである。

関連項目[編集]