黒川紀章

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黒川紀章(くろかわ きしょう、1934年4月8日 - 2007年10月12日)は現代日本を代表する建築家であり政治家(予定)。エクストリーム・慎太郎狩りのプレイ中に返り討ちにあった。

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経歴[編集]

1934年4月8日に、金日成磯野ワカメの長男として平壌に生まれる。 京都大学工学部建築学科卒業。東京大学大学院建築学専攻博士課程修了。世界的建築家丹下健三に師事する。 師匠筋の丹下は1991年に新宿都庁舎の建築を担当した人物である。ちなみに夫人は若尾文子。

中央区銀座にある一軒一軒バラバラにして組みなおすことのできるカプセル・マンションなど、建築界の常識を覆すような基地外じみた建築を続々発表。「イザという時、バラバラにできれば耐震強度なんて問題じゃないよ」とも発言。いざと言うときにはブクブク太らせることが出来ることからメタボリック建築と呼ばれる。

2007年1月にオープンした国立新美術館の設計を担当し、「とろける美術館」「やわらか建築」の新しい建築スタイルを提唱。 なお同美術館の「黒川紀章展」では黒い着物に長ドスといったいでたちで現われて、報道陣を前に殺陣師のパフォーマンスを披露。

10月12日に急逝。その日の前日に切腹した亀田大毅と天国で仲良く過ごしていると思われる。

都知事選出馬[編集]

選挙のためなら、カイワレをむさぼるように食い、頭を剃ってお遍路さんを回り、息子を世襲させるといった稀代のマキャヴェリスト菅直人ですら、その恐ろしさゆえに乗り込むのを尻込みしたという生き馬の目を抜くような2007年春の東京都知事選。 黒川紀章はたじろぐことなく建築界の地位を一切擲ち、果敢に挑もうとするとするから、たいしたものである。大丈夫だろうか。

そもそも黒川は石原慎太郎都知事とは懇意の仲であったが、2016年開催予定の東京オリンピックをめぐって対立。 その憤りのあまり2007年2月22日の知事選出馬記者会見では、「明日からボク、徳島に釣りに行くんだ」 「投票日の4月8日はパリにいる」 「東京以外の人も投票して」「社会主義がいい。具体的に支援しているのは、中国」とおよそ建築界の巨匠らしからぬ どうかと思われるような発言が相次いだ。

ビンボー都市トーキョー[編集]

またこの会見では「東京を、貧乏人でも住める東京にする」と宣言、また「貧乏人に優しくなければ首都ではない」とも。具体的には厄介者扱いされて日本全国から追い出された浮浪者ホームレスそしてお乞食さんを首都東京に積極的に誘致する計画を指す。かれらには黒川の設計によるカプセル・マンションを提供して未来永劫住まわせる予定らしい。またタイアップ企画として、ビンボー・ダンサーズを結成し、デビューシングル「ビンボーなんて怖くない」をプロデュース。メディアを通して若年層のNEETなどにも積極的にビンボーの楽しさをわかってもらおうという試みを企画している。ゆくゆくはボロボロのつぎはぎだらけにリニューアルした新宿都庁舎を「ビンボー・タワー」にして、インターナショナルなプア・ピープルのコミュニティの拠点にしたいとも語っている。マスコミ関係者が高額所得のくせに口先だけで「格差社会」問題をあげつらう中にあって、黒川の「ビンボーと共生する思想」は実践面で一歩踏み出した考え方と言えよう。

そしていずれ東京全体がプア・ピープルに埋め尽くされ、スラム化されてリアル・北斗の拳やリアル・ブレードランナーのようになった時点で、東京を見捨て、首都機能移転をする予定だとも語っていた。この計画を東京ドヤ街化計画とも呼ぶ。

関連項目[編集]


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