2011年の浦和レッドダイヤモンズ

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2011年の浦和レッドダイヤモンズ(2011ねんのうらわレッドダイヤモンズ、2011年3月6日 - 2011年10月20日、2011年10月22日 - 2011年12月10日)では、埼玉県さいたま市に本拠を置く、自称「日本一のサッカーチーム」が、いかにして苦笑「日本一のッカーチーム」へと進化していったかを詳細に記すことで、後世の人々に「もののあはれ」のなんたるかを伝える。

序章[編集]

祇園精舎のの音
所業無情の響き有り
社長幹部の顔の色
盛者必衰の理をあらはす
驕れる人も久しからず
唯06年最終節の夢の如し
強き者から外へ出て行く
偏に崩壊の前のワシントン、長谷部、相馬、三都主、阿部、トォーリオ、ポンテ、細貝、その他大勢に同じ

幻想[編集]

浦和レッズは強い

現実[編集]

浦和レッズは強かった

概要[編集]

その昔、Jリーグには数々の悲劇喜劇に見舞われつつ、幾多の劇的な勝利を繰り返すことでJリーグ1の年間入場者数を獲得し、最終的にはアジアチャンピオンにまで上り詰めた伝説的なチームがあった。そのチームの名は浦和レッドダイヤモンズ、通称「浦和レッズ」。その浦和レッズが何をトチ狂ったか、豊富な資金をバックに暴走に次ぐ暴走を繰り返し、瞬く間に凋落していく課程について、多方面から検証する。

これは、2000年代初頭からJリーグの王様として名を馳せた浦和レッズが、2011年の開幕当初より停滞。東日本大震災後の過密日程の中で、チームが徐々に勝利から遠ざかっていき、秋を迎える頃にはチームとしても瓦解。最終的にその歴史、その資産規模ではありえないレベルで、J2への降格の危機にさらされてしまうという異常事態が、実は全然異常な話ではなく、ごく当然な結果であることを証明することを意図したものである。

というわけで、この記事では、Jリーグを代表する王様チームの中で、王様の監督に王様の選手に王様のGM、そして王様のファンに王様のフロントが為しえた、後世に残すべき没落を記載する。なお、最終的に浦和レッズの2011年シーズンは、堀孝史新監督の下でギリギリに残留を果たすことになるのだけれど、明らかに、実力ではなく、悪運の強さによるものである。

王様監督[編集]

この項目は「よりろくでもない内容」を記載するため、ゼリコ・ペトロビッチ監督単独の記事へと移項しました。

王様GM[編集]

ひどい話その1。

通常、サッカーを含む多くのスポーツチームを運営する際に、監督の上に立ち、親会社のフロントから一括してチームの全権を委任されるのが、GM(ゼネラルマネージャー)と呼ばれる人々の主な役割である。これは、試合や選手管理に時間を割かざるをえない監督に代わり、チーム全体を統括して、補強計画や予算の配分、親会社との折衝といった面倒な仕事をこなすという、ようはで例えるなら、船長であるチーム監督の上に存在する、船主のポジションに当たる。彼らがいるおかげで船長は積荷のゴタゴタからある程度は距離を置くことができ、本来の仕事である航海に専念することができる。他にも、選手は船員、ファンは乗客と例えることもできる。フロントは、まぁ、そのまま親会社である。

本来ならばね…。けれど、そんな真っ当な組織ぢゃあないんですよ、うん、2011年の浦和レッズというのは。ほんとに。

というわけで、2011年度の浦和レッズにおけるGMの役割は、船でいうところの防水隔壁です。本当に。

王様GM・2010年[編集]

実際、2009年末に浦和レッズでゼネラルマネージャーの職に就任した柱谷幸一氏は、本来であるならばサッカーに余り詳しくない社長以下、フロントに対して様々な助言や2010年度における様々な計画に対するアドバイスをしなければいけない立場であったのだけれど、とりあえず、フロントは聞く耳を持たなかったようである。実際、客の要求するバカ話とサッカーの現実を擦り合わせようとすることに心底辟易するフォルカー・フィンケ監督に対して、フロント側に立って数々のバカ話を要求。

実際、彼が就任する直前まで、監督が求める補強なんてものは行われず、中心選手が移籍するなんて話が噴出。それに加えてラグビー出身の社長自らが選手を強化するなどといった笑い話があったばかりだというのに、選手側にも監督側にも立たず、フロント側に立つことで、いろんな意味で自分はハリボテであることを証明する。

なお、ここから先の話については、余りにもひどすぎるので、たとえ話でお送りします。そうです、これはたとえ話です。本当のことではありません。アンサイクロペディアウソホラにまみれています。

2010年末、数々の困難を乗り越えて生還した大航海を終えた直後、船長がこんな仕事やってられるかと言って船を下りる。当たり前だ。天候も読めない、海図も知らない親会社からの無謀な要求を船主が船長に丸投げして、乗客は船の針路に口出ししまくり、船員はそんなゴタゴタの中で仕事に今一つ身が入らない。さらに親会社からの追加の要求で、船員には給料の安い新人を多く使え、でも給料が高い古参の連中には手を出すことを禁止され、それも将来のためと割り切ろうとしたのに、いきなり新しい船員を選ぶ基準を、航海が分かってない親会社が行うことになる。実は、船長に契約する前、確かにあなたに任せるといったけれど、あれはだ。ついでに、船員の仕事って面白そうだから、船のことは何も分からない親会社の幹部が遊びに行くからちゃんと接待しろ。船の運航にも口出しするからそれにあわせて船を動かせ。後、他の会社の船よりも遅れた責任は全部、船長の元にある。だから、客に対しては全部あなたが悪いことにする。私は何にも悪くない。

…信じられるかい? これ、まだ、2010年の話なんだぜ。

王様GM・2011年(前編)[編集]

そんなわけで、船長から逃げられてしまった浦和レッズに、今度は親会社の意志を全部尊重する船長がやってきます。過去に何回も船を沈没させたり座礁したりさせてますが、親会社に口出しだけはしません。というわけで、2011年の浦和レッズの航海は親会社の意向を汲むだけの監督とGMに率いられて出航します。タイタニックのように。

もちろん、出航計画なんてものはグダグダです。船員も、親会社に対して忠誠を誓う船員が重用されます。海図? 北極星があればなんとかなるでしょう。乗客? 例年通り、甘い言葉で満員にしていますよ、それが何か? おっと、出航直後の3月11日に、いきなり嵐がやってきました。かなり長期間港に閉じ込められることになりましたが、その間の船員たちのコンディション調整は…そうですね、親会社のほうで管理しますよね。で、やっと嵐が過ぎました。早速港を出て行ったところ、やっぱりというかなんというか、他の船よりも遅れています。なんででしょうね。あ、今、ちょっと親会社のほうでお金が足りなくなったので、操舵士を中東のほうに売ることにしました。代わりの操舵士を入れとくので、さっさと船に慣れさせてね。なんか乗客が騒いで船からどんどん下りてるけれど、みんなお前らのせいだからな。後、目の前にJ2と書かれている氷山が接近しているけれど、このルートでまっすぐ行け。大丈夫、氷山のほうが避ける。ちょっと今、成績不振とか言う嵐が来ているな。防水隔壁、出番だ。なんとかして水を止めろ。なんだ? 乗客たちの声がうるさいな。この船が大丈夫だってことを示すために、ちょっとだけ座礁しておけ。大丈夫、防水隔壁の一枚や二枚、どうとでもなる。てゆうか、防水隔壁が船長の座に色気を出しているのが生意気だから破壊しろ。

ドカーン

というわけで、2011年9月12日、柱谷ゼネラルマネージャーは浦和レッズの成績不振の責任を取る形で解任される。

王様GM・2011年(後編)[編集]

その後、親会社のほうから新たに船主が派遣され、船長以下、船員、乗客は再び航路に戻る。しかし、さすがに防水隔壁が無くなったことに対して船員が自分の命に対して不安を持つのも当然なわけで、ついに、船長を抜きにして船の運航計画を考え始める。なお、J2と書かれた氷山に衝突するルートからは全く全然外れていない。ただし、そのことを提案したのは、昨年初めてこの船に乗ることになった船員だった。しかし、親会社はこのルートに絶大なる信頼を寄せており、船長に対しても今年いっぱい契約を続行することを宣言。しかし、もはや船長も乗客もこのままでは破滅であることを自覚しており、乗客は船長の似顔絵に落書きをして抗議、船長も船長で、船はこの一隻だけではないなどと発言。その間にもどんどん氷山は迫っており、ついに船長は氷山の500m手前でこの航海の失敗を宣言。氷山にぶち当たるまでは船長でいるけれど、それ以降は船を下りると発表。ついでに、この航海の失敗は全て親会社が船員を勝手に選ぶせいだと発言。この話にぶちきれた親会社は、即座に船長を船から下ろし、副船長を船長に任命。副船長以下、船員、乗客一丸となって氷山を回避しようと頑張っている中で、親会社はのうのうと陸の上でコーヒーを飲んでいる。

…以上、全てアンサイクロペディアのホラであり、妄想である。

とりあえず、あまりにひどすぎるので、ひどい話その2以降は数えない。数えたくない。

王様選手[編集]

浦和レッズというチームには、Jリーグの他のチームにはない一つの特徴がある。

給料が高い。しかも、めっちゃ高い

しかし、2011年それに見合う活躍を選手がしたかと言うと、そんなことはない。まったく、ない。してれば、降格争いなんてしていない。この項目では、適当に、2011年の浦和の選手がなぜ活躍できなかったかを語る。

王様選手・生え抜き[編集]

2008年より、Jリーグのシーズンが始まるたびに言われ続けている、ある意味、浦和レッズというチームを象徴する言葉がある。

なんでエジミウソンをワントップにする」。

これは、浦和レッズに2011年6月まで所属していたエジミウソン・ドス・サントス・シルバ選手(以下、エジミウソン)が、明らかに選手の持つ能力とは違った形で使われ続けたことに対する疑問である。実際、エジミウソン選手は、過去、浦和レッズでワントップとして伝説的な活躍を見せたワシントン・ステカネロ・セルケイラ選手のように、ガタイの良さとキープ力を駆使するプレイスタイルとは違い、ツートップの一角として各選手との連携でゴールを目指すプレイスタイルが持ち味だった。

しかし、そんな他チームのファンの疑問も、本人からの要望も無視して、浦和レッズは彼をワントップに固定し続ける。

その理由について考察すると、最終的に「浦和生え抜きの選手を出場させるため」という結論にいきつく。いや、と思われる。きっと。多分。違ってたらごめんなさい。けれど、そうとしか思えない。実際、浦和レッズにはユースからの生え抜きの選手や浦和一筋で活躍する選手が大勢おり、彼らの活躍は、そのまま長年選手を慕ってくれるファンにとってはたまらないほどうれしいものであり、逆に、いざ調子を落として試合に出場させずベンチ入りさせたり、その結果、敗北なんざしでかしてしまうと、ファンが即座にチーム監督関係者その他に抗議したくなるような、実際にしてしまうような、まさに信仰の対象であった。

そのため、シーズンチケットを購入し、グッズを大量に購入するファンを離さぬよう、選手のほうも囲い込むために必然的に給料が高くなり、契約期間も長くなり、どんなコンディションでも必ず試合に出場するようになる。ここまでは想定の範囲内と言える。

ところが、このことが逆に浦和の成長を阻害することになる。

なぜなら、ファンの信仰の対象となる選手がいる限り、ユース上がりの新しい才能をおいそれと試せない上、他チームから引っこ抜いた選手ですら、わざわざ得意なポジションではないところで使わざるをえず、しかも、それが明らかにチームの勝利に結びつかない結果となっても、手を入れることも出来ない。で、そうやって負けが込んでくるときに限って、へんな場所をいじくったりするんだ、これが。

その結果、浦和レッズで数年来最も得点を稼いだフォワードであるエジミウソン選手が中東に移籍。その結果、チームの得点能力が激減。その結果、チームの成績が急降下。その結果、柱谷GM解任。その結果、降格圏争いに突入。その結果、ペトロビッチ監督、解任。

わずか4ヶ月の出来事としては、なかなか濃い話である。

なお、こういった浦和レッズの生え抜き選手の問題については、2011年も絶賛稼働中で2012年にもその翌年にも絶賛発動することがほぼ確定している。なぜなら、高いお給料で日本チームから保護していた高い能力を持つ選手が軒並みもっと高いお給料を支払う外国に取られてしまい、その結果、残った選手は…という話になる。もちろん、Jリーグ各チームにそういった能力に見合わない高給を支払っている選手は何人もいる。しかし、その数と契約期間の長さについては、浦和がダントツである。

…もちろん、それらの選手のうちの1人が翌年に大活躍、そのおかげでJ1を優勝する可能性も存在する。けれど、その数が1人から2人、3人、4人と増えていくにつれて、J1の優勝の可能性がどれぐらい低くなっていくかは、その昔、読売ジャイアンツという素晴らしい実例が存在したことを思い返すだけでいいと思う。

失礼、J2優勝の可能性も10月23日現在存在している。

王様選手・外様[編集]

上記のように、王様のような扱いを受ける生え抜き選手の裏で、他チームから獲得した王様選手が大勢泣いていたのが、浦和レッズの歴史である。エジミウソンもそうであるけれど、日本代表フォワードとして多くの実績を残した高原直泰選手も、浦和の意味が分からないワントップ縛りに泣いた選手の一人である。そもそも、浦和にはユースから長年培われた選手間の連携が存在しており、それに当てはまらない要素は、たとえ在籍した4年間で毎年10点以上獲得したエジミウソンですら、チームの和を乱す存在とされていた。もちろん、チーム関係者の考えは違う。でなければ、4年間も在籍してはいない。しかし、ファンにとってはいつまでも使えない外国人扱いだったことは事実である。まったくもって意味が分からんけど事実である。

このように、得点と勝利よりも、チームの和が重要視されるというのは、浦和レッズの迷走の根本に位置する病癖である。この和の中には、ファンやマスコミ、親会社といった存在も含まれている。まったくもってさっぱり何のことか分からんけれど含まれている。

もう一つ例を挙げると、エジミウソン選手以外にも、チームの和を乱すとして槍玉に上がったのが、2004年水戸ホーリーホックから獲得した田中マルクス闘莉王選手。浦和レッズで長年活躍し、日本代表として全国的に有名になった田中選手はしかし、いつの間にかクラブでは常に和を乱す存在とされる。とりあえず、浦和で最も有名な選手になった頃から。その結果、何か特別な力が働き、いつの間にかチーム内で孤立無援になる。最終的に監督以下ファンにマスコミの総意まで受けたチームの方針として、石もて追わるるがごとく2010年に名古屋へ移籍することになる。10ヶ月後、ごく当然な話として、浦和のディフェンスラインはがったがたになって戦績もがた落ち、対する名古屋はJリーグ初優勝を飾る。

日本を代表するディフェンダーを切っても、チームの和さえ保てれば、必然的に優勝が転がり込んでくることを信じる浦和レッズ関係者は存在する。確実に存在する。

そして、この伝統を着々と引き継ぎ続けた結果、生え抜きと外様の間にベルリンの壁が築かれてしまったのが2011年の浦和レッズ。嗚呼レッズ。正式名称浦和レッドダイヤモンズ。実際、2011年に獲得したマルシオ・リシャルデス選手や永田充選手、青山隼選手にマルセリーニョ・ジュニオール・ロペス・アルーダ(マゾーラ)選手にランコ・デスポトビッチ選手といった面々と、昨年に加入したマシュー・スピラノビッチ選手や柏木陽介選手たちに、浦和生え抜き選手以上のスポットライトが当たると、途端に何か特別な力が働きだす。多分。必要以上に叩かれ、無意味に落とされ、しかもそれを擁護する仲間がいるかいないかわからない。多分。そのくせ、浦和生え抜きの選手のアレでアレレなアレについては必要以上にゴニョゴニョゴニョ。これは事実

まぁ、よくある話である。だってほら、どこぞの巨人軍よりも身内に甘くて甘くて泣きたくなるほど甘くて、最終的にチームが崩壊してもなお身内に甘かった「阪神タイガース」という実例が存在するわけだから。

王様選手・架け橋[編集]

ちなみに、2010年のW杯南アフリカ大会以降の日本代表戦を見るにつけ、浦和の迷走の原因がよーく分かるようになっている。というのも、2007年まで浦和に所属し2011年現在ドイツブンデスリーガVfLヴォルフスブルクに所属する長谷部誠選手が、日本代表に選出されるような個性が強い選手を見事に統率する姿を見るにつけ、いかにして個性の強い選手間をとりもち、彼らをサポートし、なおかつ聞き役、そして伝え役、さらにはまとめ役になれる選手が大事であるかがよーく分かる、という話である。

北京五輪でやらかすほど我の強い本田圭佑選手を中田英寿選手のようにさせなかっただけでも十分にすさまじい。

てゆうか、どう考えても、W杯において日本代表のキャプテンを任せられるほどのまとめ役がいなくなった時点で、そらあクラブはダメージでかいわってな話である。

結局のところ、2011年の浦和レッズは、降格の危機にならなければ選手同士で話合いが出来ず、監督が解任される直前にならなければチーム一丸となって結束が出来ず、さらには、そうなることを危惧して事前に対応するだけのまとめ役がいなかった、という話である。

まぁ、こういう時に積極的に出る杭を、積極的に叩くようなチームの伝統があった気がしなくもないけれど。

王様選手・至言[編集]

ラモス瑠偉曰く、

「サッカーにおけるチャンスとピンチはコインの裏表だ。『必ずここに来る』と思って走りこんだ場所にボールが来なかった場合、チャンスは一瞬にしてピンチに転じる。それだけに、チャンスを生かすには勇気が求められるし、背中合わせのリスクも抱えることになる。でも、ときにはリスクを冒さなければ、ゴールという『リターン』も得られないのが、サッカーだ。そして、チームの信頼感が、リスク管理の役目も果たす。真の意味でのチームワークとは、この信頼感のことだと思う。そして信頼感こそが、チームとして100パーセントの力を発揮してサッカーをすること、そして個々の能力を最大限に引き出すことにもつながるとワタシは思う」。

もちろん、2011年の浦和レッズが『チームへの信頼感』をものすっごく感じにくい状況であることを知りつつ引用している。ついでに言うと、少なくとも、もうちょっと選手同士で信頼を高めあっていたら、セットプレー時の得点がちったあ増えるんではないかと思われる。

王様ファン[編集]

浦和レッズのファンは、日本一熱狂的であることで知られている。

よくも悪くも。

ただ、その熱狂的な要素というものが、経営面で言うならば最高に有難い顧客であるのに対し、チーム編成面で言うと、たまらない外野からの声になる。そして、その外野からの声の集大成と言えるのが、2011年浦和レッズの不信である。

彼らは、あまりにも素晴らしい勝利に酔いすぎたために、勝利の何たるかをすでに忘れている。

2011年の浦和レッズは、2006年にJリーグを制したドン引きカウンターサッカーを、美しくないとかなんとかいう、ファンからの声&マスコミからの声を重視したチーム関係者が、試行錯誤の末、ものの見事に破壊しつくした最終形と言える。チーム方針として数年来取り組んだ華麗なるパスサッカーのために選手をオーバーラップすらさせず、得点源を見失い、最終的に1ヶ月以上も得点できないまま敗北を積み重ね、ファンから見放されていく。

確かに、他チームにとって華麗すぎるパスサッカーである。いろんな意味で。

この浦和サッカーの集大成にして醜態の極地に至った原因は、もちろん浦和チーム関係者にある。しかし、彼らを混乱させたのは、明らかにファンとマスコミである。実際、サッカーが客商売であるならば、フロントが客の言うことを真摯に受け止めてチームを改善していくことは、まったくもって間違いではない。そしてそれが、良い結果を生み出すのなら、より外部からの意見を取りまとめるのも正しい。けれど、それには一線がある。踏み込んではいけない一線がある。

というのも、サッカーは勝負でもある。そして積み重ねられる歴史でもある。毎年毎年監督の首を挿げ替えれば、名のある監督ほどそのチームを避けるようになり、選手間の役割も相性も適正も考えずに、単に優秀な成績を残したからという理由で他チームから選手を獲得すれば、またチーム作りを1から始めなければならず、両方一変にかぶされば、1歩後退どころか5歩も後退するレベルになり、そういった状況下において、チームとして完璧に成熟した結果と言える華麗なるパスサッカーを行うなんて話になれば、それは、いろんな意味で夢を見すぎである。狂いかけてる話である。はたから見れば、チームとして自殺願望を抱いているとしか思えないような話である。

つまるところ、監督のクビを切って喜ぶようなファンがいるチームに入りたい日本人監督及びスタッフがいるだろうか、という話である。

そもそも、2011年に浦和レッズの新監督を人選する基準として「以前チームに所属していた」もしくは「チーム愛」とかいう言葉が持ち出される段階で、ファンにとってはたまらない、サッカーを知っている連中にとっては別の意味でクソたまらない話になる。いかに浦和ファンとそれに振り回されるフロントが精神的にも、状況的にもやばいか、という話になる。

実際、そんなたわけた要素で獲得した浦和レッズの歴史上最低最悪の監督が、チームを瓦解させたのは悲劇である。けれど、それ以上に最悪なこととして、彼以降、他の誰もファンの期待にこたえるような実績やらチーム愛やらなんやらを持っている監督が存在しなかった結果、ずるずると最低最悪の監督を留任させ続けるしかなかったことに更なる悲劇が存在し、何より、外部に浦和レッズというチームに売り込みをかけるような指導者すらいなくなったことが本当の悲劇である。

そして、ユース監督がそのまま監督にならざるを得ない話と、ユース監督でなければ、ファンの要望にこたえられないと判断された件と、何よりもユース監督が最低限の仕事を果たした直後に、新監督の招聘について新聞に情報が漏れる。

つまるところ、浦和レッズというのはそういうオモチャである。マスコミ、もしくは一部のファンにとっての。僕らにとっての最強チームを作り上げるためのオモチャである。選手や監督の意思なんて、まったく反映されない。もっとも、僕らがお金を出すから最強にしろというのは、資本主義の考えなら別に間違ってはいない。人道主義の考えなら最悪な話だけどね。

なお、こんな大多数の声の裏側に、もちろん、ちゃんとしたファンも大勢いる。でなければ、J2降格から6年で栄光を勝ち取ることはできない。しかし、勝ち取った栄光からわずか5年で屈辱を負け取るかもしれないってのは、明らかに異常すぎる話であり、どんなファンがいたかも明確に示している。

王様フロント[編集]

浦和レッズが他チームと比べて最も劣っている点。それは、フロントの質が悪い。非常に悪い。とてつもなく悪いというどうしようもない一点である。

もちろん、Jリーグの歴史に残る伝説的な糞フロントを有した大分トリニータサガン鳥栖といった、チームの存続に関わるような無能をトップに据えたような話とは違い、浦和レッズの場合はあくまでも、チームの足を引っ張るという点において、非常にタチが悪い。似たり寄ったりかもしれないけれど。

というのも、基本的に浦和レッズというチームはどこぞの三菱とかなんとかいう大企業の子会社として存在するため、いわゆる人事異動の際にころっころ人員が入れ替わるように出来ており、それは社長や広報、育成といったチームの根幹に関わるポジションも該当する。その結果、サッカーチームとしてそれはどうかというぐらい、絶対現場分かってないひどい話がたくさんあり、それが積もりに積もった結果、2011年に花開く。他チームにとってはまことに有難い瓦解であると同時に、絶対に後世に残さないといけないバカ話である。

ちなみに、そんなフロントが為しえた2011年度最高の功績である、ゼリコ・ペトロビッチ監督を選ぶ基準だった「チーム愛」だの「浦和所属経験有り」といった、監督の実力を考慮するのにまったく関係ない要素がいきなり取り沙汰されたのは、結局のところ、それまで浦和が独自に築き上げたドイツから監督を呼び寄せるルートが、浦和レッズ関係者によって積み重ねられた監督への横暴で横暴たる横暴な扱いの数々が知れ渡ったせいで見事に壊滅したことを誤魔化すために急遽用意された言葉にしか思えない。実際、2009年にブンデスリーガで長年実績を積んだフォルカー・フィンケなどという、向こうの世界で弱小チームを腕一本で支え続けたけっこーな実績を持つ有名人を大金積んで招聘し、長期的な視点にたったチームの土台作りをお願いした後、2010年のシーズン終了直後に、まるで手に負えない飼い犬を捨てるかのごとくに追い出した経緯を知れば、そらあ、どのドイツ人だってソッポを向くに決まっている。

で、最終的に、「チーム愛」=フロントに口出ししない。「浦和所属経験有り」=ファンの中でのネームバリュー>監督としての実力という、無難な言葉で粉飾した監督を呼び寄せる。ある意味、よく出来た詐欺である。

なお、もう一つたまらない話として、2011年10月末現在、浦和レッズに所属するS級監督ライセンス保持者(Jリーグで監督できるライセンスの保持者)が、ペトロビッチ監督の後を継いだ堀孝史新監督しかいない。これは、いかに浦和フロントがスタッフの育成に手を抜いていたかという話であると同時に、堀氏の存在が、浦和というチームが存続できるか否かの鍵となることも示唆している。そのため、リーグ戦終了前に氏が監督辞任を口にした瞬間、浦和というチームが大変に面白いことになるのは間違いない。

とりあえず、最終戦を待たずにJ2へ降格し、堀監督が責任を取って辞任した場合、J1チームに監督がいなくなるというバカ話が現実のものとなる。これは、そうなることを防げなかった浦和フロントがJリーグ機構の手によって一掃されるレベルの大不祥事である。いろんな意味で、堀氏には頑張ってもらいたいものである。いろんな意味で。

で、そんなフロントらしい話を一つ。なんと、2011年度の浦和レッズ社長である橋本光夫氏は、サッカーではなくラグビー出身。この段階でどうかと思われるけれど、さらに、2009年には、チームの育成や補強といった全権を任せると言ってドイツから呼び寄せたフィンケ監督から1ヶ月でそれらの全権を奪い返し、さらには子飼いのチームディレクターへ押し付け、そのディレクターが体調不良でチームを離れると、なんと社長自ら、チームの強化を担当。

狂ってるかって? えぇ、狂ってますが、それが何か?

そんな楽しい話に付け加えるなら、2011年の夏にニュージーランドでラグビーのW杯が行われている。で、その調度開催期間中に浦和は、屈辱の5試合連続無得点試合を記録していたりする。

偶然でしょう。多分。けど、9月9日のワールドカップ開幕の2日後に柱谷GMをクビにして、10月23日の決勝戦の前日にペトロビッチ監督を解任してるってのは、どうも、社長のアルゴリズムと何かが合致してる気がしてならない。偶然だろうけど。

あわせて、サッカーチームの社長室で、ラグビー見てたらいろんなものが終わる。

王様フロント・血[編集]

なお、いかに浦和レッズというチームが外部の血を入れないかが丸分かりになったのも2011年の特徴である。10月20日に解任されたペトロビッチ監督の後任に、ユース監督であった堀孝史氏が就任するのはまだ想像の範囲内として、9月に解任された柱谷ゼネラルマネージャーの後任として、同じフロント内から山道守彦氏が就任、さらにペトロビッチ監督と一緒に解任されたアドリエ・ボヘルスヘッドコーチの後任もユースコーチの天野賢一氏が就任するなど、もはや外部に人材はいないと割り切ったかのごとくの内部人事に終始。で、何が悲惨かというと、堀監督以下、現在の浦和トップチームのコーチの前歴を見るにつけ、現在の浦和が掲げる「華麗なるパスサッカー」で優秀な成績を残したチームに在籍した経験を持つ人材が一人たりとも見当たらない。常勝鹿島アントラーズや全盛期のジュビロ磐田といったチームの名前がまったく見当たらない。海外チーム? 何ソレ? おいしい?

もちろん、2006年、ギド・ブッフバルト監督が成し遂げた栄光のドン引きカウンターを経験した人は監督も含めて幾人も残っているため、現実的な視点で行けば、試合が行われているスタジアムの現実が優先されると思われるが、もしかしたら会議室の幻想が上に行く可能性も捨てきれない。

付け加えると、解任されたペトロビッチ監督とボヘルスヘッドコーチの前歴にも、浦和が求める華麗なるパスサッカーだかなんだか知らないが、客が喜ぶような試合の作り方に関する知識が豊富だったオランダサッカー上位チームの名前がない。えぇ、トータルフットボールなんて存在は、かけらも見出せないんですが。えぇ。で、両者が監督・コーチとして所属したオランダのサッカーチームRKCヴァールヴァイクの日本語版ウィキペディアの記述によると、20年近く下位に留まっており、現在はものの見事なエレベータークラブとのこと。

そんなチームを2部から1部へ昇格させることができなかったのがペトロビッチ氏。彼はその後、ヨーロッパ各地をコーチとして転々とする。で、そのペトロビッチ監督の下でアシスタントコーチをしていて、2009年~2010年シーズンにRKCを再び降格させたのが、ボヘルス氏。で、そんな両名を4年前にアジアチャンピオンになったビッグクラブが監督及びヘッドコーチとして引き抜くんだから世の中は面白い。ああ面白い

そもそも、華麗なるパスサッカーの根本に、オランダの伝説的な名将リヌス・ミケルスの築き上げたトータルフットボールの思想を持ち込みたいんだったら、それの本場はもうヨハン・クライフと一緒にスペインFCバルセロナに移ってそこで極限にまで進化していることは、世のサッカーファンなら誰でも知っている。あわせて、浦和レッズになじみの深い人間の中でミケルス代表監督が培った戦術を理解していた監督を探すとするなら、オランダユース代表のコーチを経験していたハンス・オフト監督が筆頭に来る。しかし、彼は理想としてその戦術を理解していたけれど、実際の試合では選手の実力に合わせた現実的な戦術を選択、2002年から2003年にかけて浦和レッズ所属選手の底上げに着手。あえて理想を追い求めずに、現実的な基礎戦術を叩き込む。その結果、2003年に浦和はナビスコカップで優勝するなど、徐々に実力を蓄えていく。

このように、あくまで理想と現実は違い、現実を見据えることで、チームの取るべき戦術が明確になっていき、その結果、選手も自分の役割を認識、チームがどんどん成熟していく。このように、現実があるからこそ、理想を追い求めることができるわけで、幻想を現実に反映させるというのは、明らかに順番が逆である。

王様フロント・幻想[編集]

そんなわけで、おおよそ、華麗なるパスサッカーうんぬんというものを理解いしている人間ほど、現実的な路線を選ぶ。それぐらい、各選手に求められる要素と、監督コーチスタッフに求められる力がクソ高いから、世界のトップチームとトップ選手しか体現できてない。そんな中あーた。外部から経験者も招かずにあーた。

ちなみに、オフト監督の後を継いで浦和レッズを真の強豪チームへと導いたブッフバルト監督のドン引きカウンターは、浦和のチーム状況から現実を見据えて選択し、選択し続けたものである。その後を継いだホルガー・オジェック監督も、好調なチームの戦術にあえて手を加えずに、アジアチャンピオンズリーグを制覇、リーグ戦では、その過密日程の中で惜しくも2位になるけれど、明らかに浦和時代の幕開けともいうべき強さを誇っていた。

で、2011年現在のことを思えば、とてつもなく素晴らしい話である。本当に、とてつもないぐらいに。

しかし、そんなオジェック監督が浦和フロントと対立。2008年にたかが開幕から連敗した程度でいきなり解任。以降、浦和レッズは「華麗なるパスサッカー地獄」に落ちていった。以降、ファンも選手も監督も、フロントが標榜する幻想の中で、もがき苦しんでいる。自業自得か自縄自縛か知らないけれど。

王様戦術[編集]

この項目では、2011年の浦和レッズの基本戦術について説明する。

動くな

…以上。

これは、全ての相手チームに対して、うちのキー選手にマンマークをしてつぶしてくださいと土下座して菓子折りを差し出してなおかつ相手の靴をなめる勢いでお願いするレベルでとんでもない戦術である。この単純な、けれど想像を絶する話は、元は一部選手が動き回ることで、守備の穴が大きくなることを嫌ったためにこんな話になったのではないかと思われる。けれど、いかんせん、動かなければ=一定の範囲外に出られなければ、相手選手のマークを外すことは難しくなり、ディフェンスラインを混乱させてオフサイドトラップを崩すことも難しくなり、ひいては浦和が得意とするところの、スピードに乗ったドリブルによるカウンターも、突破できるスキルを持つ選手のポジションが固定されている以上、対応しやすくなる。

そして、戦術や個人スキルを理解しあっている同士の連携についてもつぶしやすくなり、それ以上に、個人スキルを理解しあっていない選手同士で絡む場合において、この動く範囲が限定される戦術は致命的なものになる。なぜなら、パスの受け方がヘタ、もしくはパスの出し方がヘタ、さらにはパス自体がヘタな選手というものが世の中に存在する以上、そういった選手の弱点をつぶす動きをまぜなければパスサッカーというものが成り立たない上、新しい選手の能力が未知数なところにロングパスは出せないし、出したくないし、出してはいけない。

しかし、当たり前の話であるけれど、こういった戦術は失点を防ぐことはできる。そのため、2011年シーズンは序盤に浦和レッズも失点の少なさによる引き分け分の勝ち点を稼いだことで、シーズン中盤までは中位に位置することはできた。しかし、得点方法については、まったく考えることができなくなるのも仕方ない話だった。

…普通、こういった諸問題が明らかになれば、なんらかの対応策をとる。しかし、レッズのフロントが取った対応策というのが、選手間でコミュニケーションが取れ、動きを予測でき、個人技で状況を打開でき、明らかに浦和随一の得点源だったエジミウソンを移籍させ、新たにペトロビッチ監督と2006年まで同じ国籍だったというだけで獲得したセルビア人ランコ・デスポトヴィッチが、実は日本のサッカーに相性がバツグンで、一気にチームに浸透できるほど語学に堪能で、獲得後即座にスーパープレイを連発、一気にチームも急上昇…するんではないかいう妄想に突き動かされたとしか思えないような、ワケガワカラン補強だった。そのため、むしろ、夏の移籍シーズンからチームの状態も順位も急降下する。

その結果、2011年シーズン25節(9月2日)から29節(10月15日)にかけてリーグ戦5試合連続で無得点を記録。そらそうだ、後方からの飛び出しが限定されている以上、後はキープレイヤーへの対応を間違えなければ、こんな簡単な詰め将棋はない。

その結果、戦術はもとよりチーム運営に関する本将棋においても、ペトロビッチ監督は詰み、必死、後は感想戦を残すのみとなり、10月20日に解任を言い渡される。フロントも、同じく詰みかけており、外野では感想戦が始まっている。

新・王様戦術[編集]

この項目は悲運なる浦和レッズ第18代監督、堀孝史氏のページへと移動しました。あまりに無碍なる仕打ちについては、リンク先をご確認ください

2011年の浦和レッズの試合内容[編集]

この項目では、ちまちまYouTubeから動画を漁り、1試合ごとの試合結果と評価を記載する。ただし、2011年のJリーグの年間スケジュールは、3月11日に発生した東日本大震災の影響でこんがらがっているため、節ごとの並びではなく、あくまで日付順で掲載する。

2011年前半戦[編集]

2011年シーズンが開幕する直前の2月24日に、浦和レッズは毎年恒例の、ファンと選手、そしてチーム関係者とのミーティングである「Talk on Together」を開催、700人以上のファンの前で今年度の豊富や目標を発表している。その映像も含めて、開幕前の宣言と開幕後の顛末をご確認ください。

2月24日 - 6月

2月24日、Talk on Together
…恐ろしいことに、このミーティングはシーズン中にも開催される。
3月6日アウェイ、ヴィッセル神戸戦
1-0で敗北
2011年シーズンの第1試合目、いきいきと動く選手たちをご覧ください。後、絶対に10月の映像と見比べちゃダメだぞ! 絶対だぞ!
4月24日ホーム、名古屋グランパス戦
3-0で勝利(浦和レッズの得点者、および得点方法:マルシオ、田中、原口)
(なお、特に併記のない場合は全て足によるシュートによる得点を意味する)
モチベーションが高いと個人技が爆発するのがよく分かる試合。低いとどうなるかは、半年後をどうぞ。
4月29日アウェイ、ベガルタ仙台戦
1-0で敗北
明らかに、会場の雰囲気が異常なのは仕方がない。
5月3日ホーム、横浜Fマリノス戦
0-2で敗北
ハイライト映像が見当たらないのは、ゴールデンウィーク®のせいかもしれない。
5月7日アウェイ、柏レイソル戦
3-1で敗北(原口)
クロスで崩されて失点、中盤を制圧されて失点、セットプレーで失点。
対して、浦和の得点に結びつく攻撃はものっそい少ない。
この時期、ペッカーの根がチーム全体に張り巡らされる。
5月15日ホーム、セレッソ大阪戦
1-1でドロー(原口)
インタビューとは、現代サッカーにおいてもはや選手の個人スキルに該当する重要な要素であり、チーム及びファンの意識に直結する。ホームでの引き分けでお通夜になるというのは、ある意味ハードルが高すぎる話である。
5月21日ホーム、鹿島アントラーズ戦
2-2でドロー(高崎、マゾーラ)
珍しく、サイドからの攻撃で得点している。ただし、クロス&ヘディングではなく切り込んでのシュートだけれど。
というわけで、
マゾーラ選手のゴールに駆け寄る浦和生え抜き選手の少なさをご堪能ください。なお、0-2から同点に追いつく起死回生のゴールです。
5月28日ホーム、アルビレックス新潟戦
1-1でドロー(エジミウソン
2011年浦和レッズの奇跡その1。セットプレーからのヘディングで得点。
6月11日アウェイ、大宮アルディージャ戦
2-2でドロー(エジミウソンPK、原口)
原口選手の倒れながらのスーパーシュートが炸裂したのはこの試合。エジミウソン選手のダイビングヘッドによる気迫のクリア(ただし相手ゴール前)もお楽しみください。
6月15日アウェイ、サンフレッチェ広島戦
0-0でドロー
やまだあああああああっ
6月18日ホーム、清水エスパルス戦
1-3で敗北(梅崎)
セットプレー&ボスナー砲×2。あわせて、恨み骨髄に達する高原の見事なダイビングヘッド。
この時期から、選手達の目から生気が失われていきます。
6月22日ホーム、アビスパ福岡戦
3-0で勝利(鈴木、マルシオ、エジミウソン)
この試合でようやく浦和の守備陣がシーズン初得点て、相当ひどい話である。
エジミウソンからのクロスをマルシオが右脚であわせて得点・・・した3日後にエジミウソンの中東への移籍を発表てあーた。
6月25日アウェイ、名古屋グランパス戦
1-1でドロー(マゾーラPK
後半ロスタイム、PKでぎりぎり同点。

2011年中盤戦[編集]

7月 - 8月

7月2日ホーム、ガンバ大阪戦
1-1でドロー(原口
2011年浦和レッズの奇跡その2。田中選手からのクロスを原口選手がヘディングで得点。
けど、原口選手生涯初のヘディングでの得点というのは、いろんな意味でおかしいと思う。
マママママゾーーーーッラ!
7月6日アウェイ、モンテディオ山形戦
0-0でドロー
まともな試合映像が見当たらないのは山形のせいだろうか。
7月13日ホーム、川崎フロンターレ戦
2-0で勝利(原口、永田
セットプレイで永田選手が再び押し込んで追加点。
7月17日アウェイ、ジュビロ磐田戦
1-1でドロー(柏木)
7月23日ホーム、ヴァンフォーレ甲府戦
2-0で勝利(平川、柏木)
7月30日アウェイ、川崎フロンターレ戦
1-0で勝利(O.G)
川崎、悲劇のオウンゴール。でも、見事なシュート。
8月6日ホーム、ヴィッセル神戸戦
2-3で敗北(田中、マゾーラ)
相性というものが見事に現れた試合。てゆうか、3点目は悲劇である。
8月14日アウェイ、アルビレックス新潟戦
3-2で勝利(山田、永田、山田)
2011年浦和レッズの奇跡その3。セットプレーからディフェンダーが得点・・・て、またアルビレックスか。
なお、3点目はクロスではなく単なる横パスである。
8月20日ニュートラル(中立地)、ヴァンフォーレ甲府戦
3-2で敗北(柏木FKエスクデロ
国立競技場での試合(ただし、甲府ホーム扱い)。浦和レッズが直接フリーキックを相手ゴールに叩き込む珍しい映像が見れます。
なお、柏木選手の直接フリーキックは2011年浦和レッズの奇跡とは言いがたい。なぜなら、フリーキックを奇跡とすること自体、相当悲しい話になるためである。
なお、2点目は柏木選手のドリブル突破からのクロスを直接エスクデロ選手が叩き込んでいるため、ある意味浦和らしくない試合運びと言える。
けれど、どう考えてもそれが普通だと思う。
8月24日ホーム、サンフレッチェ広島戦
1-1でドロー(原口)
8月28日アウェイ、セレッソ大阪戦
3-1で敗北(高崎)
夏の連戦の疲れが如実に表れています。

2011年後半戦[編集]

というわけで、Jリーグ2011年シーズン開幕から調度半年。浦和レッズというチームの崩壊の兆しが露になった直後、今年度2回目の浦和レッズ関係者によるミーティング「Talk on Together」が、9月7日に行われている。なんというか、その、うん、見ないほうがいい。文章だと笑えるし、2~3分の映像だと、イメージ程度しか残らないけれど、およそ2時間に渡って繰り返される質疑応答は、正直なところ、18歳以下の視聴を絶対に禁じたくなるレベルである。

笑えないし、浦和レッズというチームに同情したくなるし、その後チーム関係者に訪れる虐殺に関して考えると、涙が禁じえない。しかし、ここがアンサイクロペディアであり、2011年の浦和レッズについてを書く記事である以上は、2時間の会合の全記録へのリンクを準備せざるをえない。

正直に言う、えぐい。会場内では笑いもあり、なおかつ理路整然と会議が進行し、様々なファンからの質問に回答すればするほど、えぐい。さらに、この会議に出てくるチーム関係者2人のその後を思うと、えぐいどころではなく、胃に穴が開くレベルのストレスというか、なんというか、怨念を感じる。しかも、各質問をはしょって聞いてこのレベルである。いかに浦和レッズというチームに対するファンの熱意がすさまじいかがよく分かる。もう1回言っとく。「18歳以下の視聴を禁ず」。未成年に、これほどの怨念を感じさせてはいけない。

9月 - 12月

9月7日第2回Talk on Together動画その1
9月7日第2回Talk on Together動画その2
9月7日第2回Talk on Together動画その3
9月7日第2回Talk on Together動画その4
9月7日第2回Talk on Together動画その5
9月7日第2回Talk on Together動画その6
9月7日第2回Talk on Together動画その7
ちなみに、この時点での浦和の成績は、6勝8敗10分の13位となっています。
なお、この動画を見ずとも、「2011年第2回Talk on Together」で検索すれば、会議をまとめた各種ブログが出てきます。
9月11日ホーム、モンテディオ山形戦
0-1で敗北
ここらへんになると、もう各チーム関係者で浦和の弱点がばっちり分かり始めている。
9月17日アウェイ、清水エスパルス戦
1-0で敗北
ただいま迷走中。
9月24日アウェイ、鹿島アントラーズ戦
0-0でドロー
分厚い攻撃って、なに?
10月2日アウェイ、ガンバ大阪戦
1-0で敗北
まさに、これぞペッカー
10月15日ホーム、大宮アルディージャ戦
0-1で敗北
ハイライト映像にクロスからのシュートがありましたので、これはペッカーではありません。
10月22日アウェイ、横浜Fマリノス戦
1-2で勝利(原口一応、PK、梅崎)
さようならペトロビッチ監督。君のことは忘れない。
生き生きとした選手の眼をご堪能ください。
後、PKをストップされた際のこぼれ球を押し込んでの得点になるため、太字を使用。
11月3日ホーム、ジュビロ磐田戦
0-3で敗北
何気にディフェンスの弱点も露になった試合。
もっとも、これはジュビロの前田選手を褒めるべき。
11月19日ホーム、ベガルタ仙台戦
雨中の決戦で辛くもドロー。
今年の迷走は、あの浦和ファンをここまで激減させたことが分かる。
11月26日アウェイ、アビスパ福岡戦
1-2で勝利(柏木、マルシオPK
勝利のうちの半分が、福岡の自爆にあった気がしなくもない試合「そこで手をかけるかぁ・・・」。
けれど、ディフェンス陣が1点に抑えたことをまず褒めるべき。
とにもかくにも、J1残留がほぼ[1]決まる。
12月3日ホーム、対柏レイソル戦
1-3で敗北(柏木
フルボッコ中のフルボッコ。前半シュート0、相手のシュートは18本。いいか、絶対に柏レイソルの攻撃パターンの多さと今年の浦和を比べちゃいけないぞ!
2011年浦和レッズ最後の奇跡。平川選手のロングフィードをPA内でダイレクトで柏木選手が頭で合わせて得点。
なお、浦和レッズがヘディングで得点をするというケースが少ないということは、その分相手の警戒が薄れているという話でもある。
ちなみに、この試合でやってしまったGKの加藤選手ですが、彼が失点を最小限に収めたおかげで残留争いに大きくリードしたことも確かです。

2011年度浦和レッズの大変に分かりやすい弱点[編集]

以上に挙げた2011年の浦和の映像を確認するだけで、とある異常な話が見えてくる。

ヘディングで得点したシーンが全然見当たらない。セットプレーからの得点も、月に1回あるかないかのペース。クロス?知るか、そんなもん。

もちろん、これら基本的なテクニックに関して、別に、浦和レッズがやってないわけではなく、単に、恐ろしいぐらいに得点に結びつかないだけであり、なおかつ、チームとして、そういったプレイからの試合の組み立てを考えていないだけである。としか思えない

この異常事態は、端的に言えば、固定化されたメンバーとよそからの血を嫌う浦和の体質が、なぜだか同じような選手を大量に呼び込んでしまい、その結果、試合の組み立てにとてつもない悪影響を与えたためである。そもそも、単純に映像を眺めるだけで、攻撃パターンの少なさが丸分かり。とりあえず、ミドル。何はなくてもまずミドル。で、ディフェンスを背負って無理な体勢からシュート。はい切り込むよー、ホラ切り込むよー、はい切り込んだーで、対応可能な各種個人技。

イノシシに誘い込んでるという言葉がピッタリ当てはまりますぎて、なぜだかが出てきます。

そもそも1試合の中で、1度もコーナーキックを取れない試合があったなんて話が現実に存在するぐらい、2011年の浦和の攻撃手段は異常な偏りがあり、戦術面で見れば明らかにアホすぎる話である。つまるところ、枠内シュートをキーパーが弾いてコーナーキックという話すらないぐらい、一方的にシュートのコースを切りまくった試合があった。すなわち、それぐらい、浦和のゴールを獲得するまでの組み立てが稚拙で分かりやすかった。

というわけで、相手チームにとってみればこれほど楽な攻撃陣はない。だって、強引なドリブル突破はシュートコースを切ればほぼ得点の機会を10%以下に落とせるし、前半戦に幾度か見られたドリブル突破からのパス回しも、2人つけば簡単にパスコース切れるし、そもそも、パスをしてディフェンスを崩すという思想すらなさそうだし、サイドを変えるなんて思想は絶対ないし、セットプレーからの得点機会が5%を切ってるし、ヘディングでの競り合いが怖いガタイのやつなんていないし、オーバーヘッドやループといったびっくりシュートなんてものはまず考えられないし、そもそも、主な得点源が全員ミッドフィルダーってあーた。

もちろん、それで勝利できるんならなんの問題もない。ただ、実際問題として2011年の浦和レッズは、強引なドリブル突破とミドルシュートという2つの戦術に対応されるだけで、途端に勝ちが遠くなってしまったことは、まぎれもない事実である。しかも、その戦術以外のヘディングにしろクロスにしろ、それが出来る選手を獲得しても、確実にチームに慣れさせることが出来ないという、根拠のない自信がなぜかある。たとえJ2に落ちたとしても、生え抜きの選手を使い続けてチームもろとも心中するんじゃないかという、アホな予言さえしたくなる。ただ、ちゃんとした根拠に基づいた完璧な予測であるという気持ちもなくはない。

もっとも、こんな笑い話かつたわけた実情なんてものは、他チームにとって、ぜひこのままこの路線を続けてください、この病気をそのままにしてくださいと、笑顔でフロントに願いたくなる話である。そのため、アンサイクロペディアでは単に事実を指摘し、そして後は傍観する。

この後どうなるかは、神のみぞ知る

浦和レッズの弱点 外部リンク[編集]

2011年浦和レッズ最終戦後の社長の挨拶[編集]

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2011年シーズン終了後[編集]

12月3日にJリーグの最終節が終了し、ようやく浦和レッズ激動の1年も沈静化すると思ったのが浅はかだったのか、まず、いつもどおり浦和フロントがやってくれる。今期不振だったマルシオ・リシャルデス選手の調子を上げるために、同郷であるヴィッセル神戸のフォワードアジウソン・ペレイラ・デ・ソウザ選手、通称ポポ選手の獲得を目指すという、まったく補強に関する思想のかけらも見当たらない、場当たり的な移籍についてまず発表。

うん、その、なんだ。今期不振だった30歳のミッドフィルダーのために、年齢が33歳になるフォワードをつれてくるという発想は、つまるところ、やる気さえあれば何でもできるという、どこぞのバブル期によく見られた思想に近い。いや、まぁ、うん。言いたいことはたくさんある。特に、不振になるに至った様々な経緯について、どう考えてもフロントの責任が大きいのだけれど、一応、フォワードも補強しなければならない部分だったからまぁよしとしよう。

だがしかし、そんな話も吹き飛ぶアホな事件が12月11日に発覚。本当に、アホすぎる事件が発覚。なんと12月10日、日本代表にも選ばれた経験のある原口元気選手(20歳)とディフェンダーである岡本拓也選手(19歳)が練習場でケンカを始める。当初はふざけあいからといわれるこのいさかいはしかし、最終的に原口選手のキックで岡本選手が左肩を脱臼、全治3週間の怪我をするという最悪な結末を迎える。しかも、現地にはファン100人がいる中で。しかもしかも、1週間後には天皇杯が行われるという状況の中で。その結果、原口選手には1週間のけん責処分、天皇杯メンバーからの外れることが確定てあーた。

なんっっっじゃ、そりゃ?

意味が分からない。いや、何が起こったか意味は分かるけれど、なんでそんなことが起こりうるのか、まったく意味が分からない。はい死んだよー、2011年の浦和レッズ、2回目の死亡確定だよー。もう1回言う。なんっっっじゃ、そりゃ?

なお、この事件以降のゴタゴタについては別記事にて取り纏めることになりましたので、詳細はそちらで確認ください。

結論[編集]

というわけで、2011年の浦和レッズの問題は、正直なところ、2010年のギラヴァンツ北九州よりも明らかに悪い。タチが悪い

注釈[編集]

  1. ^ 最終節、浦和がに負け、甲府(16位)が大宮に勝ち、なおかつそのスコアによって両者の得失点の差17がひっくり返れば順位が逆転し、浦和がJ2降格となっていた。しかし甲府は大宮に1-3で敗れ、甲府サポーターとアンサイクロペディアンの希望は完全に潰えたのであった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]