2013年のジュビロ磐田

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2013年のジュビロ磐田(2013ねんのじゅびろいわた)とは、Jリーグ屈指の強豪チームであったジュビロ磐田が、崩れ砕け壊れていく悲劇である。と同時に、過去の成功がいかにして現在を蝕んでいくか、素早い対応を阻害するかを後世のサッカー関係者に対して明確に示した素晴らしい教材である。そして、強豪チームが情報発信能力のほか、情報を受信する能力を失っていくとどうなるかという、あまりサッカーとは関係がない話が実は、もんのすごくサッカーと関係していることも多くのチーム関係者に教えてくれる実例でもある。

なお、心から、本当に心から、J3以上のサッカーチームはフロントの情報能力を本気になって整備してもらいたいと思えるような記事になるのは、決して偶然ではない。

概要[編集]

2013年のジュビロ磐田の最終成績は17位勝ち点23(4勝19敗11分)、得失点差-16(得点40失点56)という、まさにズタボロな成績でシーズンを終了する。2013年4月の段階でチーム全体で目が死んでいると噂され、今年のジュビロはヤバイマズイ前田の呪いどころの騒ぎではないとゴールデンウィークの時点でJリーグファンから評価され、結局1勝しかできないまま5月に森下仁志監督を更迭、その後、関塚隆監督が就任してかすかに浮上のきっかけを見せたものの、結局、チーム全体でなんらマトモな動きを見せないまま、磐田はチーム結成20年目にして初めてJ2へ降格することになる。

これが、J1史上屈指の強豪チームと呼ばれ一時代を築き上げたジュビロがめぐりめぐって2013年に行き着いた姿であり、選手、監督、スタッフにファン、そして地元の関係者から、まったく声が聞こえてこないという点で実に不思議な降格である。

無論、この悲惨な戦績には数々の理由が存在し、中心選手の怪我や日本代表の合宿に選手を取られたことによるチームコンディションの低下、何よりも日本を代表する選手たちの劣化が重く厳しくチーム運営にのしかかっていったことは確かである。そして、何より、ジュビロというチームに人材の育成という概念がすっぽりと抜け落ちていたことが、2013年になってついに決壊。チームの底に大穴を空けて、勝ち星が零れ落ちていく。

中でも、闘神と呼ばれモチベーターとしてチームを支えてきたGK川口能活選手が2012年の開幕直後に大怪我で離脱すると、その後に続くGKがいなかった。いや、いたのだけれども、いなかった。2013年に彼が復帰してからも、いなかった。日本語としておかしいのだけれど、実情としては正しい。

新社長の挨拶[編集]

2012年のガンバ大阪でも言われたことであるけれど、強豪チームの弱体化において、何がまずいか、チームに足りないかをフロントが分からないままファンが指摘するような状況はおかしく、確実にサッカーチームのプロフェッショナルとはいえない話になる。この話を端的に示す逸話として、2013年のジュビロ磐田については、シーズンがすでに始まっている3月末に親会社であるヤマハ発動機から新しい社長が招かれるという、組織としてはあまりいい話ではない交代劇が行われる程度ならまだしも、新社長が就任の挨拶でやらかしてしまう。とりあえず、サッカーのクラブチームの監督としては素人であることが露呈してしまう。そもそも、2012年の秋からまったく試合に勝てなくなったチームに対し、J1優勝やらACL出場を目標にするという段階で、社長が一番現状を理解していないことを選手はもとよりファンも地元の関係者も即座に理解してしまう。

結果、社長が即座に求心力を失うと同時にチームもまたまっさかさま。

ぶっちゃけ、選手とファンとフロントとの間に信頼関係を築けないチームが次々と瓦解していく中、ジュビロと親会社であるヤマハもまた、思いっきり人事を間違っただけの話である。少なくとも、2012年の終盤戦からロクに勝てなかったチームが序盤でもがいている中で、社長が言っていいセリフではなかっただけの話である。

なお、この話はここで終わらない。

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2013年、ジュビロ磐田がJ2へ降格した根本的な原因。それは、第一にジュビロというチームを中心とした成功の円を描けなかったフロントの力量不足という話になる。つまり、チームの勝利がファンを活気付けて地域の経済にもう貢献し、さらには選手のモチベーションもアップ、監督やスタッフとの関係も良好なまま推移して次の勝利や次のシーズンへの戦力の補強など、ジュビロを中心とした好循環を続けられるような体制を整えられなかったというのが大きい。

逆に、チームが敗北してファンが意気消沈して地元の経済も関係者の雰囲気も悪化、選手のモチベーションなんてものはまったく存在しない中、監督やスタッフと関係者との間に不協和音が鳴り響いて人間不信まっしぐらという状況をどうやって打破すればいいかという経験にも乏しかったことも災いする。そういうとき、円の中心にいるチームのフロントが、各関係者同士がバラバラにならないよう、上手くコントロールすることで最低の時期を乗り越えることができるのだけれど。

普通ならば。

けれど、そうでない場合、特に過去において大成功してしまった場合、優勝だのACLだの言う幻影をスパっと諦めることが難しくなる。残留を第一にめざし、監督やスタッフの入れ替えから無理やりな戦術と意識の変更を行って、度重なる敗北に関係者一同極限まで我慢して、ただただチーム状況が好転することを神に祈り続ける。そんな、実に簡単な悪夢、もしくは地獄に耐えることができないまま、更なる深みにはまっていく。

まぁ、弱小チームによくある光景であるけれど、強豪チームでもやはり、そこから抜け出すことは難しい。それをやって成功したのは2011年の浦和レッズにおける堀孝史監督ぐらいしか知らない。そして、それは浦和レッズが1度J2に降格していたという経験が大きい。けれど、そういった悪夢を経験しないまま、そういった最低の時期への対応ができないまま、直滑降で沈んでいった強豪チームは数多い。そして、シーズンをまたいでチームが瓦解していったチームも多い。2012年のガンバ大阪はまさにその典型である。2013年のジュビロもまた同じで、2年連続して過去の成功というが強豪チームを蝕む、もとい、元強豪だったチームを蝕む中、チームの中心にいたフロントが何もできなかった。その事実がひどく重い。

なお、前任者も相当だった模様[編集]

こういったジュビロフロントの劣化は2013年にいきなり始まったわけではなく、実は数年前から徐々に始まっていったものである。

中でも、サッカー関係者を唖然呆然とさせた話として、何度もJ1を優勝してACLも制覇したジュビロ磐田というチームが、金がかかるからという理由で2009年にジュニアユース(小学生以下の子供達)の募集を廃止した結果、地元のファン、特に子供達に多大な精神的ダメージを与えることになる。無論、長期的な不況によって親会社も業績が厳しくなる中、経費削減するのはなんら間違いではないのだけれど、そういったジュビロに対して一番を持ってくれるはずの子供達と、その関係者を除外すればどうなるかぐらい普通は分かる話である。そして、それが分かっていない人間がチームにいたらどうなるかということは2013年に証明されることになる。ある意味、全てのJチームにとって得がたい経験である。子供達の信頼を切り捨てるということはすなわち、10年後20年後にスタジアムへ足を運ぶファンを切り捨てることに他ならず、さらにその親の世代にいたっては、即座にチームに影響を与える。そして、地域にとってもどれだけチームに対する不信をいだくやら、という話にもなる。

けれど、ジュビロフロントにもそれをせざるを得ぬわけがある。毎年毎年先細りしまくる財政状況の中、最後まで選手の質を守り通そうとする考えの結果、ジュニアユースを切るという決断をするのは、書くだけであれば問題ないのだけれど、結局それで選手からの信頼を得られるかというとそうではないわけで。チームとしてより一体感が持てるかというと、とてもそんなことは言えないわけで。

結局、ジュビロのジュニアユース募集は翌年から再開されることになるものの、選手とファン、そして地元関係者がフロントに抱いた不信感がぬぐわれることはないまま4年後の2013年に、関係者からなんら嘆きの声の聞かれない降格につながってしまう。選手やファン、地元関係者全てが心のどこかで納得してしまう降格になる。

トップがアホやから試合ができないというのは、どこぞの阪神と同じである。あそこも、本当にひどすぎる伝説的なフロントを抱えていたチームである。

成功という名の毒[編集]

シーズン4勝しかできなかったチームのフロントを最後まで縛り続けたもの。それは、迷走する強豪チームや迷走しまくる新監督が常時抱える問題で、Jリーグどころか世界のさっかーの歴史上どこでも見られる話だったりする。

結局、名誉を積み重ねれば積み重ねるほど、失敗を恐れる心が変革を阻害していく。今までやったことのないことをやる恐怖に打ち勝てなかった結果、過去に成功したことしかできなくなるのが、未来の大失敗へ続く一本道であるのに。特に、チームの中心選手への移籍については、過去、ジュビロ磐田は中山雅史という大黒柱に依存し依拠し最後までそのカリスマにすがった運営をした結果、次代を育てることに失敗したという前例がある。正確に言うなら、カリスマというものに依拠しないチーム作りに失敗しまくったという話である。

カリスマを持つ選手の下に才能ある選手がそろってチームが躍進し、ついにはJ1優勝を勝ち取って、さらにはACLでも優勝、天皇杯やナビスコ杯も制覇してジュビロ磐田の名を世界に広めたところで、次の一手をフロントが成功の維持に当てることは間違いではないのだけれど、その際、ジュビロの主役をチームのカリスマである中山選手にしてしまう。監督やスタッフ、何よりも運営が相当にかっる~い立場になってしまったことで、ジュビロというチームの土台が傾き根がぶらっぶらになってしまう。

とりあえず、マンチェスター・ユナイテッドが世界規模のクラブチームになれたのは、選手ではなく監督であるサー・アレックス・ファーガソンのカリスマにあり、彼と、彼を20年以上にわたってサポートし続けたチームのフロントとの関係がイングランドの1チームを世界有数のスポーツクラブへと発展させたように、基本、チームを引っ張る能力がとんでもないほど強いカリスマという存在は不動のトップに置くべき存在である。であるからして、ジュビロが最盛期のゴン中山選手をチームの顔にしたのはまったくもって間違いではない、にも関わらず、ジュビロはカリスマゆえに40歳を過ぎた中山選手を現役に縛り続けるんだから世知辛い。

けれど、その失敗を糧にして新たな体制を築ければよかったのだけれど、結局、最後の最後まで、ジュビロは監督をチームの中心に据えることがなかった。

その結果、毎年毎年チームのカリスマが生まれるものの、結局はチームを引っ張りきれなくなっていき、そのたびごとにチームが瓦解していくのだから悲しい話である。むしろ、次のチームのカリスマとして名を上げていた高原直秦選手がドイツに引き抜かれた後、カリスマに頼らないチーム作りに失敗し、その事実からフロントが目をそらしたようにしか見えない。そらし続けた気がしてならない。本当に、監督やコーチよりも偉大な選手がいるチームでは、その選手がいなくなった際の体制を整えておかないといけない。むしろ、そういった選手がいても、監督をチームの中心にすえないといけない。難しいことは分かるけれど。

後、そういった選手の去り際に関する道筋について、他のJチームのフロントはこれを他山の石としたほうがいい。しっかりとチームの元中心選手の終幕を準備しておかないと、そのカリスマを慕った選手からものすごい不信感を抱かれることになる。

結局、チームの中心選手が加齢によって劣化していく際に、どうやって次の道筋をつけるかについても、常に考慮していくのがいいチームの条件だった、という話。と同時に、ちゃんと移籍できるような契約を結び、移籍先のピックアップや選手との交渉など、あまり表ざたにできない話を地道に続けていかなければならない、という話でもある。まぁ、これもよくある話だけれど、その点においてジュビロというチームが大失敗をして、ACLを制覇するような偉大なチームの選手が誰一人としてコーチやスタッフとしてチームに残らなかった。いや、元監督で常勝軍団を築き上げた鈴木政一氏が強化部長として残っていたけれど、2010年にAC長野パルセイロに行ってしまった。その結果、パルセイロが怒涛のごとく快進撃を見せて、ジュビロがその分落ちていった。

いや、J2に降格しても尚、チームのレジェンドであり名解説者として知られる名波浩氏の招聘に失敗するフロントというのは相当だと思う。

あわせて、もう1つきっつい話として、大人気選手が率いる大人気チームというものは、どうしたって大金が動き、大金が動けば選手の年俸も上がり、選手の年俸が上がれば、安易な移籍ができなくなるという大きな落とし穴が存在する。そうやって移籍が滞れば、他チームの食指を動かすほどではない高い年俸の選手を多く抱えるはめになり、その結果、30代を超えた日本代表選手というある意味爆弾を抱え込むことになる。無論、当然のことながらファンにとっては自チームにおける代表選手というのは最高の存在である。けれど、チーム運営にとっては、重苦しい存在でもある。大きな才能であるゆえに、次代との差が大きすぎる上、度重なる代表選出でチームの戦術を浸透させるのにより時間がかかり、そしてコンディション調整というものは年齢が高くなればなるほど難しくなっていく。

そういった成功に付随する負の部分を、チーム関係者全員がとことんまで見ない。これが、日本における強豪チームの弱点であり、決して強豪とはいえないチームが躍進し続ける原因でもある。2010年代より、名古屋グランパス柏レイソル、そしてサンフレッチェ広島といったそれまでの中堅チームが一気に躍進した背景には、代表に選出されないスター選手を数多く抱えていたことが大きい。何より、それらのチームのフロントが有力選手を抱える危険性を把握していたことがより大きい。

で、逆に日本代表選手を獲得したチームが2年連続してJ2に降格した。てゆうか、2年連続で日本代表DFを獲得したガンバ大阪ジュビロ磐田が、ともに守備陣の崩壊でJ2に降格したことは、全てのサッカークラブのチーム運営にとって、無視できない話である。

なお[編集]

ジュビロと似たような転落劇は、世界中どこでも起こる。とりあえず、2013年に新たにマンチェスター・ユナイテッドの新監督として着任したデイヴィッド・モイーズはジュビロに勝るとも劣らぬ転落劇、別名、喜劇をホームスタジアムであるオールド・トラッフォードで演じまくっている。「シアター・オブ・ドリームス」という別名がひどく心にのしかかる。

もっと具体的な話[編集]

ここまでの話は導火線である。けれど、2013年に爆発した爆弾については、より具体的な話になる。

なんちゅうか、その、手持ちのカードが少なすぎる。特にチームとして守備陣が崩壊しているという事実が明らかであるにも関わらず、開幕から何の対応もできないのは、まず戦術を司る監督に責任があり、もちろんその手足であるコーチ陣にもそれはある。その結果、2013年5月に森下監督が更迭されるのは仕方ないけれど、いかんせん、夏の移籍の段階になっても、そういった明確な弱点をどう埋めるかについて、具体的な動きや話が出なかったのは、確実にフロントの責任である。

そもそも、川崎フロンターレの監督として一世を風靡し、その後、ロンドンオリンピックの代表監督をやっていた関塚隆氏のツテをなぜ使わなかったのかが分からない。無論、閥の件は知ってるけれども分からない。

そういったチームの動きが、ファンや選手にどういった感情を抱かせるかを考慮しないことでさらにチームの関係者の間に溝を作る。結局、フロントというものが動き続け、それを対外的に発信し続けることができないチームは、どうしても関係者に不信を抱かせてしまうわけで。

あわせて、2013年のジュビロフロントの最大の失敗は、夏の移籍でもビッグネームにこだわったことである。元日本代表選手である安田理大選手というでかい希望の星を1つだけ獲得するよりも、可能性のある小さな星を出し続けることが、実は守備が崩壊したチームの雰囲気を向上させる。これは、ほぼ毎年秋に行われている大宮アルディージャのアレが証明している。あそこは、1年で2回監督を変えられる、ある意味すさまじいフロントがいる。もちろん、2013年は別だけど。むしろ、2013年秋の大宮アルディージャは、2012年秋に泥沼の連敗地獄に陥っていたジュビロの姿とほぼ同じ軌跡をたどっているけれど。

逆に言うと、2013年のジュビロは、2014年の大宮アルディージャにとってとてつもなく大きな教材である。そのため、よっぽどアホなことのない限りはアルディージャは同じ徹を踏まないと思われる。主に、フロントへの不信という点において。

結局、夏場前に崩壊したチームというものは、基本、どうやっても上手くいかないものである。そういった状況を打破するために、新戦力を逐次投入することで、毎年毎年J1の弱小チームが試合をしたい若手や控え選手、成り上がりたい外人選手を獲得しまくって投入、さらには高額な勝利給などの現状を打破する要素をぶち込めるだけぶち込んで、チームの雰囲気を変えることで生き残っている。で、そういった場合、貧乏なチームや選手の年俸が少ないチームほど、よーく効く。で、名門クラブや強豪チームだと、そういったせせこましい話ができなくなっていく。やりゃあいいのに。

なお、2012年の段階で崩壊していた模様[編集]

この話の奥深いところは、実はジュビロ磐田というチームが2012年の秋からまったく勝てない状況が続いていたにも関わらず、そのチーム状況を春まで持ち越した上、そして夏場の中断期間でも立て直せないまま、秋になって全てが終了した点にある。

これは、2012年の秋の段階では、強烈でなおかつどうしようもなかったジュビロ磐田のビッグネームの力が衰え、ようやく他チームの選手でもなんとか対応が可能になったことを示唆していた。けど、2013年の春の段階で、示唆どころではなく明確な証拠としてそこに存在していた。が、J1のほかのチームのために、それを無視してくれたフロントがそこにいてくれたおかげで、大変にありがたかった本当にありがたかったと多くのJチームのファンは思ったでしょうが、ジュビロファンにとってはたまったもんじゃないことは確かだった。

N-BOXの幻影[編集]

なお、そんなチーム状況の中、なんとジュビロは2013年に春のキャンプで新フォーメーションである3-5-2を導入。そして開幕直後に、破綻。なお、攻撃練習ばかりで守備をおろそかにしていた模様。てゆうか、ジュビロというチームにほとんど誰も新フォーメーションの経験のある選手がいない中、誰もその導入を止めなかった止められなかったという事実がひどく重くのしかかる

ことここにいたっては、さすがに選手を責めることはできない。

なお、この3-5-2というフォーメーションは、かつてジュビロで一世を風靡したフォーメーション、N-BOXの原型となるものであり、ジュビロ磐田というチームにとってはまさに過去の栄光の象徴たるフォーメーションであったのだけれども、それをチーム状況がダダ下がりの中でやるかあ、という話である。無論、ハイレベルなセンスを持つ司令塔と強烈なパスワークを保有する幾人もの選手、さらにはずば抜けた得点能力を有するフォワードに全てを統率する監督といった面々が集まることで、Jリーグの伝説となったフォーメーションではあるのだけれど、もう1回言う。チーム状況が下降している中、それを知っている強化部長がいなくなった後で、新フォーメーションを導入することは相当な博打である。その上で、いくらなんでも守備練習をおろそかにするというのはひどすぎる話である。

好かれることに慣れるということ[編集]

こういったジュビロの没落については、悲しい話であるけれど、順当の2文字が似合うものである。そもそも、なぜかどうしてか、1990年代後半にあれだけ綺羅星のごとくに有名選手を獲得し続けた磐田が、2000年代より急速にトーンダウン。2010年代よりまったく新人の有望選手を獲得できなくなったという状況がこの問題の本質を捉えている。

そして、チームを支えるはずの中堅選手は軒並み他チームへと移籍していき、生え抜きの若手選手の層が薄い中で、新規獲得する選手はいつの間にか大卒の無名選手やレンタル移籍選手、さらには年俸の安い韓国の選手がメインとなり、ジュビロというチームが、日本代表というビッグネームとそれを支える有望選手、そのほかは、数合わせのような状況になる。そして、ベンチメンバーやバックアップメンバーとスタメンとの実力の差があまりに激しくなった直後、中心選手の怪我やスランプが起こりまくったのが2013年。これを天罰と見るか、それとも対応力の欠如と見るかは人それぞれである。けれど、好かれるためのチーム作りに専念した結果であることは間違いない。

結局、ファンに嫌われてもいいから、日本代表選手とポジションを争う選手を獲得しておかなければいけなかったし、ポジション争いをさせなければいけなかった。でないと、怪我で全てが崩壊する。

思想[編集]

そもそも、ジュビロ磐田というチームの没落は、フロントの思想にある。磐田というチームがあくまでも魅力ある選手がメインである以上、毎年毎年監督とスタッフに戦績の悪化の原因を押し付けることをフロントが何も思わない。何も感じない。そういった思想の押し付けが常習化し、その結果、入れ替わり立ち代りでスタッフの交代が激しくなって、本来であるなら、こちらがチームの思想となるべき戦術も選手の特色もまったく無いまま、年代ごとに代わる監督の戦術は浸透しないまま推移。したらば、高年俸の選手を引き止めるために若手選手にしわ寄せが来て、さらに若手選手や生え抜きの選手が成長しなくなるのも道理。そこに、選手を外国チームへ移籍させないチームというレッテルまで追加されれば、新規加入選手の獲得に暗い影を落とすなったって無理である。

その結果、本来、もっとも尊重するべきであった、チームの実力という魅力を維持できなくなる。どこぞの整形芸能人みたいな話である。そらあ、新しく来る選手にチームの魅力を語る際、毎年ごとに遠くなっていく過去の栄光ぐらいしか利点がなければ獲得は厳しくなってくわなあ。で、そういった状況の中で、移籍していく中堅選手が続出。しかも、なぜだか石もて追わるるがごとく。せめて、円満移籍をすれば移籍先でも磐田のファンや関係者とのコネクションを形成できるだろうに。できたろうに。

こういった何かが欠けている思想は、まるで、まったく思案の無いまま、勝利だけしか食べないと勘違いしているファンという名の化け物に、チームの魅力という名のエサを与え続けていくだけの単純作業に見えるんですがそれは。えーっと、血の涙を流して失敗を繰り返しながら生え抜きの選手の成長を楽しみ、勝ち点1、順位1つをあげることを選手監督スタッフに地元関係者、そしてファンが喜ぶような大昔の光景はどこにいったのでしょうか。

結局、そういったチームの将来に関する思想を持たないフロントの積み重ねた日々がこういった話を生み出す。過去の栄光がまぶしすぎて、10年経ってもまだ目がくらんだまま、現実が見えなくなったということである。出なければ、藤ヶ谷陽介選手を獲得する理由が見当たらない。日本全国にファンを有して全国のサッカー少年の憧れでマスコミからはちやほやされて、いずれ来るはずのゆり戻しに備えなかった。いずれ終わる栄光を信じなかった。その結果、チームの思想が常に現状維持最優先で、将来への展望がまるでないチームが出来上がることになり、なった。

スクラップ&ビルド[編集]

せっかくなので、ジュビロ磐田と永遠のライバルである清水エスパルスを比較する。

かたや日本を代表する強豪チームとして数々の栄冠を勝ち取り、日本のサッカーブームを支えたジュビロと、かたや数々のシルバーメダルと毎年ごとに大幅に変化する選手陣、大勝ちもしなければ大負けもしないけれど、サッカー王国静岡県のクラブとしてはちょとさびしいエスパルスという、実に好対照な2チームはしかし、チームの編成能力という点においても両極端なチームである。

2004年に起こったアントニーニョ監督と石崎信弘ヘッドコーチの指導方法の違いでチームが混乱し降格の危機に陥ったエスパルスは、続く2005年、チーム生え抜きでファンから絶大な支持を受けているんだけれども初監督がJ1て、えええええ!というびっくり人事を行い、長谷川健太氏を招聘。あわせて、心中を覚悟し、フロントとファンが一体となって彼を支えるという姿勢を打ち出す。無論、就任直後は降格の危機にさらされるものの、それ以降、成績は安定。その結果、清水は監督とチームの成長の両方を喜べる体制が整うと同時に、毎年「成長」という言葉をチームの肝に据えるが常識となる。それは、選手の成長はもちろんのこと、監督やスタッフ、さらにはチーム財政的事情から、ファンに対しても精神的な成長を促すという、ある意味、素晴らしいシステムとなっており、2011年にアフシン・ゴトビ監督が就任してからは特にそれが顕著になる。その結果、人材のツテと選手育成に関するチームカラー、さらにはステップアップに対する後押しなども含めて清水には有望な若手がどんどこさ集まるようになり、育った選手をガンガン移籍させていくことで、弱点も強みも毎年入れ替わる、実に対策が取りにくいチームになる。無論、成績についてはアレである。けれど、そういったチームの特色に則った運営ができているチームは、えてしてしぶとい。連敗でも目線を下げず、若さに経験をプラスすることで、次の試合はもっと強くなるということが分かり、外部の人間もその強みを把握でき、それにそった言葉を残せる上、残したくなるチームにもなっている。

そーいったライバルのチーム運営とは逆だったのがジュビロ磐田である。

無論、清水のように経営難から若手選手主体のチーム運営をするようなチームではなく、J屈指の強豪として豊富な資金力を背景に日本を代表する選手達を集めてまさに王者の風格と言える試合を繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し、そして最後までそれを繰り返そうとした。年を経るごとに戦力は後退し、資金は少なくなり、降格の可能性さえ噂される状況になってもなお、王者としてチームを解体させずに既存の戦力で戦い抜こうとした。

とりあえず、そういったジュビロの姿勢について外部から助言してくれるところが見当たらなかったのが悲しい。そして、ゆーたところで聞きそうにないと言う前から判断できたところがもっとも悲しい。

しかも、2013年にジュビロと残留を争ったサガン鳥栖には、J1各チームから続々と応援のレンタル移籍が来たのに対して、王者ジュビロはそのプライドからか、まったく新戦力獲得に動けなかった。正確に言うと、サガン鳥栖や、もう1つ残留争い対象チームで、ブラジルから助っ人をバンバン呼びまくったヴァンフォーレ甲府と比べて、外部とのツテがあまりにも弱かった。そのスキをついて鳥栖はジュビロの永遠のライバル清水から、元日本代表キーパー林彰洋選手を獲得し、さらにはアルビレックス新潟所属で元ジュビロの菊地直哉選手を元ジュビロの柳下正明監督から借りることで大幅に戦力を強化。てゆうか、エスパルスは当然のこととして、どんだけジュビロのフロントが出て行った選手や監督に恨まれているのだろうかと心配になる。

結局のところ、2012年のガンバ大阪でもそうだったのだけれど、いかにチームのフロントが人間関係を重視するかが、J1において破綻を防ぐ生命線になるといえる。特に、夏場の移籍で、チームの破綻を回避するのは、まさに足りないピースを埋めることのできる人間関係が一番重要になる。後、何が足りないピースかを把握できる手段を持つことも重要である。

人間関係[編集]

せっかくなので、ジュビロ磐田のフロントがあまり人間関係てえものを考えてないんじゃなかろか、という話を1つ。

2013年11月10日、ジュビロ磐田は残留を争っていたサガン鳥栖とのアウェイでの直接対決に1-0で敗北し、J2への降格が決まる。そこまでは仕方ない。勝負の世界というものは非情であるのだから。しかし、ジュビロのスタッフが敗北と降格に打ちひしがれるベンチ裏の選手の姿を撮影して、公式フェイスブックに載せるとなるとさすがにそれはおかしいと思いたくなる。

無論、記録媒体としてその行動は正しい。悲劇を忘れないという意識は強く感じることができる。できるんだけど、試合終了直後にアップするもんではない。絶対に、ない。もちろん、この暴挙に対して非難の声が上がるのは当然として、選手のクラブに対する忠誠心が傷つくのが怖くないのだろうか、という話にもなるし、怖くないんだろうなという話にもなる。

せっかくなのでもう1度。チームが破綻しかけている際に外部から関係者が助言をしてくれるような人間関係を維持できるチームのほうが、強さうんぬんはともかく、しぶとい。2013年のジュビロは、そういう点で最後の最後まで誰も「王様は裸だ」と言ってやる人間がいなかった。無論、聞かなかっただけかもしれないけれど。

ノロウィルス[編集]

2014年1月18日、てゆうか、上の文章を書いているまさにそのときその瞬間。ジュビロフロントがやらかしてくれるのだから恐ろしい。本当に恐ろしい。

というわけで、1月16日、ジュビロの本拠地がある磐田市の隣、浜松市給食パンを原因とする集団食中毒事件が発生。小学生を中心に1000人を超す子供達がノロウィルスに感染する。そんな中、その浜松市で行われたジュビロ磐田のファン感謝祭「ジュビロハイスクール」で高比良慶朗社長が一言挨拶することになり、数回噛み倒した後、思わず「先程、パンをたくさん食べたので、菌が回ってきたようです」などと発言。

・・・

えっと、すんません。絶対、被害者にジュビロファンの子供が含まれてますよね。後、選手やスタッフの関係者にも感染した人がいる可能性高いですよね。んで、地元経済に大打撃を与えている事件をジョークに使う段階で、ジュビロをとりまくにんげんかんけいにおいて相当まずいことに気づいてませんよね。とりあえず、生きるか死ぬかの苦しみの中、自分の病気を笑いの種にされるってのは、小学生にとってそーとーきついでっせ。で、その親にとってもそーとー心にくる発言ですぜ?なんも関係ないアンサイクロペディアですら、正気を疑うレベルですぜ?

ちなみに、どういった状況だったかというと、2014年のジュビロのファン感謝祭はジュビロハイスクールということで選手全員が先生に扮し、生徒役のファンとみんなでわきあいあいと学校生活を送り、その最中、お昼で給食を食べるという話になった直後に、全身に爆弾を巻きつけたテロリストが会場で自爆テロを慣行したということである。いや、本人は無傷だけれど、チームに与えた衝撃たるやもう。とりあえず、ジュビロスタッフの誰も社長の自爆を寸前で抑えることができなかったことが悲しい話であると同時に、自分とこのクラブで行う予定だった小学生との交流ミニゲーム大会(1月19日予定)がノロウィルスで延期になった直後にそれを言うかあああああああ。

言うのかー・・・。

ある意味、ジュビロがJ2へ降格した原因を天下に知らしめた気がしなくはない発言であると同時に、宮崎県口蹄疫が流行っていた際に民主党のバカどもが似たような発言をしていたことを思い出すものである。それぐらい、被害者のいる場所で、口に出してはいけない言葉がある。

J2残留[編集]

2014年、J2に降格したジュビロ磐田は当初、圧倒的な優勝候補としてJ2の各チームの脅威として君臨したものの、春先からの湘南ベルマーレの躍進と松本山雅FCの健闘に巻き込まれる形で、首位はともかく自動昇格圏内である2位すらキープできないもどかしい状況が続くこととなる。そこに、2013年のジュビロ磐田を地獄に突き落とした、選手の怪我と、バックアップの選手の質という2つの問題が2年連続で直撃することとなり、秋に入ると松本との昇格圏争いからも脱落することとなる。

そのため、9月末に一度招聘を断られた名波浩氏に対し今度こそ三顧の礼で監督に就任させて、ようやく勢いを復調させるものの、残念ながらJ2という場所は9月から10月にかけて、まるで発狂したかのように勝ち星を重ねるチームが出てくることで知られており、悲しいかな、名門ジュビロの化けの皮が剥がれてしまっては、まるで臆することなく総年俸で三分の一だの、五分の一だのといったチームが続々とジュビロを撃破、もしくはドローに持ち込むようになり、多くのサッカーファンに改めて名門ジュビロのたそがれを見せ付けることとなる。

そして、J2最終節ではついにジェフ千葉の逆転を食らい、それまで維持してきた3位からも脱落。最終的にJ2で4位、プレーオフは準決勝からという元アジア王者としてはさびしいことこの上ない順位となる。しかも、2014年のJ2昇格プレーオフは5位に滑り込んだギラヴァンツ北九州がスタジアムの問題でJ1のライセンスを持っていなかったため、昇格プレーオフは4位のジュビロと6位のモンテディオ山形が争うこととなり、3位の千葉は決勝戦1試合のみという、実に平等すぎて泣きたくなるレギュレーションに巻き込まれた結果、大方の予想通り6位の山形に見事にうっちゃられる磐田。2年連続でファンの心を砕く1年と1戦をファンの目の前で繰り広げるのは余りいい話ではない。

ただ、清水方面からはそれなりの笑い声と、絶対にJ2降格だけは回避という悲愴な思いがチラホラと。

しかも、その2014年のジュビロに止めを刺した11月30日のJ1プレーオフ準決勝の内容がまたとんでもなく、前半26分に先制した山形に対し前半終了間際に追いついた磐田が、後半45分まで上手に試合をコントロール。引き分けでも勝ち上がりという状況の中、誰もがジュビロの決勝進出を思い描いた直後の残り時間2分半。モンテディオにCKのチャンスが生まれると、なんとパワープレイのため前線に上がっていたGKの山岸範宏選手がけっ・しょう・てん。大・逆・転。1 - 2。とりあえず、ナイスヘディングすぎて意味が分からないけど、Jリーグで初めてとなるコーナーキックからのGKの得点で、モンテディオが大逆転。で、直後に試合終了。2015年もジュビロはJ2で戦うことが決定する。とりあえず、意味は分からないけれど、なぜだかはよく分かる。なぜだかは。

2015年[編集]

2015年のジュビロ磐田は、まず悲しいけれども朗報から始まることとなる。デビュー時からジュビロ一筋であり、なおかつジュビロの偏向した年俸の配分の象徴でもあった前田遼一選手がFC東京へ移籍。また山崎亮平選手がアルビレックス新潟に、金園英学選手がベガルタ仙台にと、財政的に厳しい中で中心選手を手放さざるをえない状況に突入。終いにはFW総替えとなってしまう。しかも、ジュビロは最初の獲得リリースが12/29と他チームに比べて遅めで、サポーターの不安と2014年の結果が頭に過る。そして2015年最初の練習試合では東京ヴェルディに敗戦する。やはりFW陣の放出の結果が目に見えてしまうのかと思いきや、実はここからがジュビロの懐の深さであり、なんとポーランドから獲得したGKクシシュトフ・カミンスキー選手、ブラジル人FWのアダイウトン選手、同じくFWのイギリス人、ジェイ選手が大当たり。これはオランダVVVフェンロのコーチでチームのレジェンドの1人である藤田俊哉氏の人脈とヨーロッパまで広がっていたジュビロの名声のおかげで、安くて有能な選手を日本につれてくることができたという話である。

そして正GKの入れ替えに伴う形で、昨年度の昇格プレーオフの悪夢を振り払うかのごとくDF陣が奮起、ジュビロは首位を独走する大宮アルディージャに付かず離れずの2位でシーズン終盤を迎えることになる。けれど、好事魔多し。なんとこういうときに限って、3位のアビスパ福岡が急浮上。引き分けを挟みつつ負けないジュビロを尻目になんと、シーズン終盤を8連勝で駆け抜けて、一気に勝ち点79でジュビロと並ぶこととなり、大きく離した得失点差でジュビロは2位につけていたものの、最終節の結果で全てが決まることとなる。

で、その最終節。昇格を争う福岡はFC岐阜を相手に早々に大量得点をあげて勝利間違いなし、対するジュビロは降格圏である21位の大分トリニータ相手にまたしても勝負弱いところを見せ付けてしまい、1-0でリードを保つもののガッチガチ。それでもなんとか後半ロスタイムを迎えたものの、後5分で念願のJ1昇格というまさにそのとき、大分のパウリーニョ選手に同点ゴールを決められてしまい、全ジュビロファンが唖然呆然かつ号泣。

まぁ、なんて素敵なネタチームなんでしょう。

けれども、その1分後、小林祐希選手が勝ち越しゴールを突き刺す時点で、なんて素敵なネタチームの2乗。去年の分を入れると3乗。で、試合はそのまま終了。ジュビロは今後数十年にわたってネタにされる勝利をつかむと共に、J1自動昇格の切符を手に入れて、3年ぶりとなるJ1への復帰を果たすことになる。

で、そんな年に限って清水エスパルスがシーズンを通してクソボロで、文句なしの降格。それも、今後数年、J2をさまよいそうな、そんな降格をするのだからおそろしい。なお、磐田の呪いとかいう話ではなく、ほぼ自滅、そして自業自得という形である。

関連項目[編集]