JR千代田線

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JR千代田線(じぇいあーるちよだせん)は、東京メトロ千代田線の内JR東日本が運行を担当する区間の名称である。 綾瀬駅~取手駅間がこれに該当する。元チバラギ共和国鉄道中央本線。近年JRに編入された。

目次

[編集] 概要

JR東日本の隠れ路線。地下鉄である。国有鉄道を解体したかったチバラギ共和国の頼みに対し、JR東日本がマックスコーヒーの輸出を条件にJRに編入させた。線路は取手駅まで伸びるが、朝夕しか電車が走らない。これには、都会の象徴である地下鉄が走ることにより北関東諸国連合を離脱し、東京首都連邦への参入を目指していた茨城県の意向が絡んでいる。稀に、北千住のトンネルから神奈川辺りまでワープした上、西のヘスペリデスにあるという唐木田まで連れ去られる乗客が後を絶たない。チバラギ共和国政府は帰国不能となった自国民のため、多摩(難民)センター駅を唐木田のひとつ手前に設置。難民キャンプを置いている。

全線が同じJRの常磐線と並走しており、同一路線とみなされることがある。そのため“常磐線だろ派”と“千代田線だよ派”の抗争が続き、今では後に述べる呼称問題へと発展した。常磐線の沿線から都心へ乗客を奪うため、日中は常磐線だろ派が綾瀬駅のポイントレール付近にて工作活動を展開。東京からやって来る電車のほとんどを車庫に入れるか送り返すかしている。そのため、綾瀬以北は1時間に5本しか電車が来ない。ただし朝の時間帯は常磐線だろ派の活動が無いため、東京メトロが本気を出して2分に1本電車が来る。常磐線だろ派は朝に弱いのである。

[編集] 歴史

[編集] チバラギ共和国鉄時代

チバラギ独立の際、元々領土を走っていた常磐線は日本国有鉄道所属のままであり、チバラギは日本の敵対国家という理由で、国内の駅は主要な駅(松戸・柏・我孫子・取手)以外は廃駅し通過扱いという制裁を受けた。政府は日本に対し再三抗議の申し立てを行ったが聞き入れられず、続いた人口増加に国民の不満は爆発寸前だった。ある日、とある鉄道マニアの政府庁舎掃除係が松戸~柏~我孫子~取手と国内4都市を結ぶ独自の国有鉄道のアイデアをカフェテリアで語っていたところ、それが国会にて全会一致で可決。採用された。彼は後にチバラギ共和国鉄道省の初代総裁となる。

鉄道省は日本への対抗心をアピールするため、全線を常磐線に沿って建設するという極めて悪質な方法で新線建設に乗り出した。それに、当時建設中だった営団地下鉄千代田線と直通して都心と直結。都心へ到達しない常磐線の欠点を克服し、乗客をごっそり奪ってしまおうと計画した。多額の賄賂を送ったところ、営団の総裁は快く承諾。それにより当初は国内の4都市を結ぶ計画だったものが、北千住で地下鉄千代田線と繋げるために変更された。このとき千代田線との乗り入れを提案した鉄道省レストランのボーイは、後に鉄道省二代目総裁となる。

1971年、千代田線の建設が完了し全線開通。政府のあった我孫子駅にて大規模な出発式が執り行われた。しかしここで問題が発生した。利用者は何故か常磐線の止まる国内主要駅から常磐線に逸走し、上野を利用するようになった。これには建設中に国鉄による大規模な工作活動があったためとされている(今の常磐線だろ派はここを始めとする説が有力)。そのため採算不振に陥り、結局は路線を手放す事態にまで至った。しかし国内には他に鉄道事業をやっていられるような事業会社も技術も無く、結局は敵であったはずのJR東日本に路線を引き渡すこととなった(当時、国交はある程度回復していた)。このときJR東日本への国鉄引渡しを決定した鉄道省3代目総裁は、今でも手賀沼の水底に沈められている。

[編集] JR東日本時代

JR東日本千代田線として再出発した旧中央本線であったが、旧敵国の鉄道ということで凄まじく冷ややかな待遇を受けることとなった。現在ではJR時代から始まった呼称問題とJR派工作員、沿線利用者の対立が結びつき、沿線各地で大規模な衝突が日夜行われている。

[編集] 沿線風景

沿線風景のうち、江戸川の南側だけ建物が消失している。C.C(ちばらき暦)1年にチバラギ独立の際に大規模な戦闘があった地であり、当時チバラギのマックスコーヒーは飲料兵器と恐れられていたこともあって、日本軍がMAXコーヒー浸入を防ぐための結界を設置していたからだといわれている。(近年チバラギ軍は新型MAXコーヒーを開発、全国展開を目論んでいる。詳しくは該当項目参照)

[編集] 使用車輌

東京メトロの保有する車輌、および国鉄時代に生産された車両、JR東日本が製作した車両の3種類が使用される。この項では主に主力車両である203系について記述する。

203系
共和国最高技術の塊203系。首都我孫子にて。
1982年までは日本国鉄103系の劣化コピー版電車を保有していたため、千代田線内での故障が多発し利用者などに不満を買っていた。それを解決すべく製作されたのが、チバラギ共和国最高の技術を結集し製作されたこの203系である。車体は豪華に全てアルミで作られ、当時の鋼鉄製ばかりの常磐線の電車の上を行った。走行能力も出来る限りハイパワーなものとされ、冷房も取り付けたために利用者からも好評だった。
しかし、欠点がある。車体が無駄な箇所までアルミで作られているため、非常に軽かった。これは、風の強い日の江戸川鉄橋の上では紙飛行機に同じ。強風で吹き飛ばされ、兵庫県で発見された画像さえもある。今でも強風の日となると、飛ばされた先から帰還してくるまでのロスにより遅れる日が多い。また、走行中は終始ドアをバタつかせながら走っている。このドアの音は利用者の間で非常に有名になり、後にドアのバタバタ音ばかりを記録したCDも発売された。
207系
共和国鉄道省の末期、車内マックスコーヒー製造機の実働実験のため製作した車両。そのため1編成しか製作されなかった。JR東日本に引き継がれる際に主要な装備は取り外された。車内は当時のコーヒーの香りの他、酒盛りによるアルコール臭、酔っ払いが禁則事項ですいた禁則事項ですや、同じく酔っ払いが車内でした禁則事項ですの臭いが融合し、「車内が臭い」と嫌われてずいぶん影の薄い車両となっている。
209系-
JR東日本の大量生産型標準タイプである。2編成しか作ってくれなかった。畜生。
E233系-
JR東日本の大量生産型新タイプである。203系と207系を置き換えるために登場した。これにより共和国鉄道省の車両が無くなる。残念。

[編集] 呼称の問題

この路線の正式名称は千代田線である(しかし千代田区そのものは通っていない)。巷では「常磐線各駅停車」だとか「常磐緩行線」が本名だ、などという噂があるがそんなことはない。全くのデタラメである。JRの陰謀だ!!

チバラギ共和国の研究家はこれについて、全線が常磐線と並走していることが原因だと指摘している。駅の案内類は常磐線だろ派により全て「常磐線(各駅停車)」に貼り替えられているが、正式名称はやはり誰が何と言おうと千代田線なのである。

根拠

  • そもそもチバラギ共和国の開業させた完全別路線である
  • そもそも常陸の国にも磐城の国にも行かないのに常磐を名乗る必要が無い
  • 沿線の地図などに当該路線が千代田線の名で表記されている(常磐線だろ派の工作により常磐線となっているものも多い)
  • 沿線住民の多くは常磐線と呼ぶことはない。千代田線と呼んでいる
  • 沿線不動産の広告には千代田線○○駅の名で記されていることが多い

以上のことから、正式名称はJR千代田線だと言える。同じことは東武日比谷線にも言えるが、こちらは少し状況が違っているようだ。

ちなみに、E233系の英語放送ではこの路線を本当に千代田線と案内している。

[編集] 関連項目


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