JR東日本E331系電車

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これがE331系。

JR東日本E331系電車(E331けいでんしゃ)とは、JR東日本が開発した夢の電車。大人にというものを再考させてくれる、社会実験的な役割を持った車両である。愛称は「走ラナインです」。[要出典]

前史[編集]

話は2002年に遡る。コスト削減のために電車のプレハブ化を進めていたJR東日本は、故障の頻発と乗客からの不評という壁にブチ当たり、古き良き構造に回帰することを余儀なくされていた。しかし、まともな電車は金がかかり、一旦広まってしまった悪評も中々消える気配が無い。そこで今後の方向性を探りつつ、自分達は決してケチなわけではないとアピールするため「ACトレイン[1]」なる試験車を製作して各地を巡回させることとしたのである。

その特徴は、凡庸で実用性一辺倒だった従来路線とは打って変わった、バブル期を思わせるある意味で時代錯誤な斬新で豪華な構造である。カバーを付けた蛍光灯や金属むき出しではないドア[2]はもちろん、ドアを車体外側から吊って戸袋の分まで車体を太らせ、そこに特急と同等の座席を並べた姿は疲弊しきっていたサラリーマン層を大いに湧かせた。

一方、大きなお友達が目を見張ったのは床下である。ACトレインは車両間に1台のみ台車を置く「連接台車」を採用しており、その台車もギア等を廃してモーターを車輪に直付けする「ダイレクト・ドライブ・モーター」という他に類を見ない構造で作られていたからである。そしてこちらこそがJR東日本の本命であった。すなわち車体の強化費用を捻出するために足回りの部品をどこまで減らせるか検証する事が真の実験内容だったのである[3]

もっとも、これはあくまで製造費が高騰しきった遠い将来を見越したものであり、当面は「見せ車両」として乗客をなだめすかすためだけに用い、裏ではマイナーチェンジ程度に留めた新車を作り続ける計画であった。ところが身内に乗客と一緒になってACトレインを本気で信じ込んだ夢の国の住人がいた。彼らが量産車の配備を求めた事により、JR東日本の計画は大きく狂ってしまったのである。

概要[編集]

2006年、京葉線では稼動中の国鉄201系電車が古くなっていた。同系を使っていた中央快速線ではE233系への置き換えが進んでおり、JR東日本としては京葉線にも同様にE233系を投入する予定であったのだが、「夢の国には夢の電車を!」との声が相次ぎ、攻防の末にACトレインをベースとした別形式を投入する事が決まった。それが、E331系である。

201系は20m×10両の編成であったが、E331系は13~16m×14両の編成となった。車体数が増えるとそれだけ台車の数も増えてしまうが、連接車の構造上、1台あたりにかかる重量が通常より大きくなりがちなのでこれが限界だった。さらに車庫内で分割して留め置けるよう、7両目と8両目の間も通常の台車で連結した[4]ので、結局1本あたりの台車は16台と4台の減少に留まっている。

車体が短いため、1両あたりのドア数も片側4つから3つに減少した。車体の構造は走ルンですの設計を流用したので、ACトレインの外吊式とはならなかった。ドア上部のトレインチャンネルは継承している。車体長の合計も201系やE233系と同一にしていたのだが、ドアの設置位置を合わせる事はできなかったので各駅のホームに専用の乗車場所を設けた[5]

座席は案の定乗客を詰め込めるだけ詰め込むJR東日本の方針が優先され、通勤時間帯にエクストリームスポーツを開催できる一般的なロングシートとなった[6]。反発した夢の国の住人との妥協で、申し訳程度に一部区画には進行方向に向けられる機能も設けられたが、少なすぎてもはや誰も気にしない。

歴史[編集]

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2007年3月より「ちばデスティネーションキャンペーン」の開催に合わせる形で1本目を投入した。しかし、土日のみ限定的に運用するという余裕を持たせた使い方にも関わらず不調を生じ、キャンペーンの終了(1ヶ月後)を待たずして運行を停止した。車庫内で様子見したものの快方には向かわず、結局10月に自力修理を断念して蘇我側7両をメーカーに一旦返却している。それでも不調は治まらず、翌年3月には東京側7両もメーカー修理となった。

東京側7両の修理後も試運転を続け、2008年末にようやく営業運転を再開した。けれども長期間乗客を乗降させていなかった事が仇となってドアが故障しており、再び車庫に戻る事となった。その後も復帰と離脱を繰り返し、2本目を造れる目途が全く立たない事から、JR東日本はE331系を失敗作と見做して「2010年7月より京葉線にE233系を投入する」と宣言。置き換え対象も201系に加えてJR化後に投入した205系209系500番台にまで拡大し、E331系が走る余地を完全に奪ってしまった。この強硬策には流石に夢の国の住人も多くが現実に帰ってくることとなり、現在はホームの乗車場所を撤去する作業に勤しんでいる。

その後も復活を夢見る夢の国の住人の残党によって、E331系は2011年1月の最後の営業運転から実に3年もの間車庫内に匿われていたものの、2014年3月25日10時29分、JR東日本が呼び寄せた「死神」EF64に引き摺り出され遂に廃車回送となった。そして同日22時2分[7]、解体場である長野総合車両センターに到着。5月8日午前より作業が始まり、8年の迷走劇に終止符を打った。その後最終的には全車両が解体されたため現存しない。

その他[編集]

  • E331系は1本きりの実質的な試作車であったが、本気で量産するつもりであったため一般市民にはそう告知していなかった。そのため代わり映えしない内装やずれたドア位置も相まって「これからの京葉線の新型車」というよりも「何かおかしい邪魔な車両」という捉え方をする人が多かったと言われる。
  • 走行音は静かな部類であったが、ラッシュ時に地面を蹴りつけるなどすると床から異音が発生した。これは故障ではなく千葉に多いDQNが暴れないようにするための意図的なものであったと考えられている。
  • 編成番号は「ak1」。他の編成と大きく異なる付番にはakbの影響も考えられたが、ブーム到来前であり他人の空似であるとする説が有力である。
  • 千葉には大きなお友達に負けず劣らず古い車両が大好きな労働組合が存在しており、本形式の不調はそこの組員の工作によるものという説も唱えられた。しかしE233系は特に不調を起こしておらず、やはり本形式が時期尚早だっただけと結論付けられている。
  • E233系は一般的なボギー台車であるばかりか、ダイレクト・ドライブ・モーターの採用も見送っている。つまりJR東日本の信頼度は始めから(ry。
  • この車両の運用離脱(のち重機の餌に)で武蔵野線転用予定の209系500番台の内ケヨ34編成が残った。ケヨ34編成は今も現役だが、いつ置き換えられるかは不明。

脚注[編集]

  1. ^ このような名前で車内には情報をモニターに流せるトレインチャンネルも設置していたが、あのCMとは一切関係無い。
  2. ^ 「他地域では普通じゃね?」などというツッコミは田舎者の野暮なたわごととして聞き流された。
  3. ^ 連接車は急カーブに強い等の特徴を持つが、このような背景からJR東日本ではそうした効果は二の次に考えられており、量産車が投入された京葉線も直線主体の高速路線であった。
  4. ^ 後の故障時の回送に大いに役立っており、結果的に正しい判断ではあった。
  5. ^ 「仕様を合わせた意味なくね?」という疑問の声は夢の国の住人には届かなかった。
  6. ^ もっとも、後述するような使い方から、そのような配慮をする必要は無かったのだが。
  7. ^ 当初の計画では21時58分着の予定であったが、実際は4分ほど遅れての到着となり、最期まで締まらない走りぶりであった。

関連項目[編集]

Wikipedia
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京葉線の車両たち(過去も含む)
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