M3軽戦車

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M3軽戦車(-けいせんしゃ)とは、第二次世界大戦中にアメリカが開発した軽戦車である。別名「アメリカにおけるチハ」。その別名の通り脆くひ弱いためにイギリスやフランスでも「ブロンズタンク」と呼ばれるほど襤褸扱いされた。しかし、アメリカ軍の戦車のなかではM4中戦車をさしおいて一番生産数が高かった。別称「スチュワート」。由来は南北戦争時代の将軍の名前から。

概要[編集]

アメリカが開発した前代のM2軽戦車が好評だったので続けて完成させた軽戦車である。その汎用性から追尾や奇襲にもってこいであった、だが、開発された直後に勃発した第二次世界大戦は重戦車や巡航戦車が中心になっていたため軽戦車は偵察や練習車としてか機能せずいらない子であった。だが、アメリカはそれに気付いていなかったらしく早速投入された矢先にドイツ軍の中戦車に立て続けに撃破されヨーロッパ戦線の米兵や英兵からは「走る棺桶」や「ブロンズタンク」(銅製の戦車)というあだ名を付けられた。しかし、太平洋戦線でイギリス軍に配備されていたM3軽戦車はなぜか単独で日本の戦車を圧倒した。というのも、日本軍で主力とされていた九七式中戦車や九五式軽戦車はM3軽戦車より更にひ弱だったため容易に撃破できた。その為、日本軍がこれを捕獲すると主力戦車扱いして太平洋の島々の支配網を広げていった。しかし、日本が三式中戦車五式中戦車を投入すると更にフルボッコにされたのは言うまでもない。戦後はガンキャリアとして中東戦争ベトナム戦争を生き抜き、数両が世界中の博物館で保存されてる。

M3軽戦車に関する様々な話[編集]

この戦車において、様々な話が言い継がれている。

  • 砲塔上部が非常に薄い為手榴弾だけでも壊された。
  • 日本軍が置き石をすると呆気なく止まった。
  • ドイツ軍はⅠ号戦車3両だけでM3軽戦車10両のみの部隊を潰した。
  • 戦車開発に劣るフランス軍はこの戦車の性能を知った途端輸入をキャンセルした。
  • 更に威力が劣る九七式中戦車を容易に体当たりで潰した。
  • タイガー重戦車の乗員は砲弾が勿体ないとして車載機銃で撃破した。
  • エアコンがないため夏場は非常に暑い。
  • 足が伸ばせない。
  • 日本の九七式中戦車をイギリス軍が購入したM3軽戦車が撃退したと聞いた米兵はそれ以降三式が出るまでチハの撃破を戦車1両撃破と言わなかった。
  • 戦車を持っていない中国軍から重戦車扱いされた。
  • 車体が小さいため日本軍のくろがね1号の体当たりにより横転した。
  • 音が静かであるが、燃費が悪い。
  • ヨーロッパ戦線におけるクルセーダー作戦で最も被害が大きかったのは連合軍側のM3軽戦車部隊である。
  • イギリス連邦軍は牽引車として運用した。
  • ティーガーⅡの乗員はやはり砲弾が勿体ないとして踏みつぶして撃破した。
  • ソビエト軍はいかに脆いのかとしてBT-7による衝撃テストをしたところ、呆気なく穴が開いた。
  • 車体がリベットで接合されてる為、日本兵はねじ回し1つのみもって対抗した。
  • 戦後のアメリカでは戦車学校の教習車として運用した。
  • 戦車運用が乏しいケニア軍は主力扱いで運用した。
  • ドイツ軍による撃破数が5000を越した地点でアメリカはM3軽戦車ではなくM3偵察車として一時期格下げした。
  • イスラエル軍では砂漠戦で大規模に運用をした。
  • 日本の間では新式戦車扱いされた。
  • イタリア軍はパスタのゆで汁を開いた穴から流し込んで捕獲した。
  • フィンランド軍は自動車を背面から体当たりさせて一打ちした。

唯一の長所[編集]

一見すると存在価値はないように思える。しかし、実際にはアメリカにとって意外な部分で役立っていた。その汎用性から警察で装甲車として運用することが出来た。当時、トニーガンが主流であったアメリカのギャング団制圧にはもってこいの戦車であったため重装甲パトカーとしてパレードや警察署の落成式に出向かれアメリカの治安を一時期保たせる功績を打ち立てた。ガンキャリアとしてもかなり役に立ち戦後第一世代になっても現役であった。また、戦後の日本にも数両が自衛隊で特車として運用され1981年まで現役であった。余談だが、現在の警察はSWATという特殊部隊が誕生したため戦車を持つ警察は少ないという。

関連項目[編集]

Wikipedia
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