おえむさん

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「おえむさん」の項目を執筆しています。

おえむさん』とは、日本各地に伝わる民話のひとつ。おえむさんは、人間の目には見えないが、企業から企業へと渡り歩く土地の神精霊のような存在であり、おえむさんが棲んでいる企業では必ず業績が伸びると言われている

ここでは、まず、「おえむさん」が登場する民話をお読み頂くことにしよう。以下は、『埼玉県の民話(ふるさとの民話17)』(日本児童文学者協会/偕成社/ISBN 4030506704)からの引用である(JASRAC承諾済み)。

おはなし

 「おえむさん」
 
 むかしむかし、あるところに、
 カメラの」(えレンズをせんもんに作っていた、「たむろん」というおとこがおりました。
 
 たむろんは、カメラそのものを作るわざは」(っていませんでしたが、
 そのかわりに、とても安いねだんでレンズを作ることができました。
 たむろんは、いろいろなしゅるいのカメラにつかえるレンズを作って、
 村のみんなに安く売ってあげていました。
 
 村のみんなは、よそで」(ったカメラのレンズがだめになると、
 たむろんから、あたらしいレンズを買って、レンズだけをこうかんして、
 またおなじカメラをつかいつづけていました。
 
 たむろんのもうけは決して多くはありませんでしたが、それでも、
 みんなが自分のところのレンズを買ってくれるので、おかねにはこまっていませんでした。
 たむろんは、村のみんながじぶんの作ったものを買ってくれるので、とてもしあわせでした。
 
 
 あるとき、となり町でカメラを作っている、「そにい」という長者」(ちょうじゃさまが、
 たむろんに会いにやってくることになりました。
 
 たむろんは、とてもこわがりました。
 「みんながおらのところのレンズを買うから、そにいさまのレンズがきっと」(れてねえだ。
  そにいさまは、おらをいじめにくるんでねえだろうか」
 
 ところが、いざやってきたそにいは、すごくにこにこしています。えびすさまみたいです。
 「たむろんさん、いつも良いレンズを安く売って、もうかってるみたいだねえ」
 「へへー、もうしわけございません。
  けっして、そにいさまのしょうばいのじゃまをするつもりでは」(かったんでございやす」
 たむろんは、そにいのえがおがこわくなって、おもわずどげざをしました。
 
 「おいおい、どげざなんかするんじゃないよ。きょうは、あんたにたのみたいことがあるんだ」
 「へぇ、なんでございやしょう」
 「じつはな、こんどうちじゃ“でじかめ”という、あたらしいカメラをつくることになったんじゃ」
 「へぇ」
 「ところがな、カメラそのもののしくみをかんがえるのがたいへんで、レンズまで手がまわらんのだ」
 「はぁ」
 「そこでじゃ、そのあたらしい“でじかめ”につける、レンズだけ、たむろんのところで作ってほしいんじゃよ」
 「……えっ!?」
 
 たむろんは、びっくりしました。
 そにいは、おおきなこうじょうをもっていて、まいにちたくさんのカメラを作っています。
 そんなにたくさんのレンズは、とてもたむろんには作れません。
 それに、あたらしいカメラにつけるレンズとなれば、あたらしいレンズをかんがえなければならないでしょう。
 そんなあたらしいレンズを、そにいみたいにたくさんつくるなんて…。
 
 「そにいさま、おことばではごぜえますが、
  うちには、そにいさんみたいなおおきなこうじょうはねえんです。
  とてもとても、そんなにたくさんのレンズはつくれません」
 
 すると、そにいは、まるでたむろんがそういうのをわかっていたかのように、こういいました。
 「いやいや、あたらしいカメラだから、さいしょはうちもちょっとしか作らん。
  だから、たむろんも、さいしょはちょっとだけで良いんじゃ」
 「でも、だんだんふやしていかれるんでしょう。うちじゃ、そにいさまが作るのには追いつけねえですよ」
 
 「いや、だいじょうぶじゃ。たむろんのうちに、“おえむさん”をおまつりすれば良いんじゃよ」
 「おえむさん? そりゃあ、なんですかい?」
 
 「おえむさんというのは、かいしゃの」(まも」(がみじゃ。
  じんじゃの神さまとおなじように、おえむさんは、かいしゃをまもってくださるんじゃ。
  うちにも、しゃちょうしつにかみだなを作って、おえむさんにまいにちお」(そなえをしているんじゃよ。
  おえむさんがいたから、うちはここまでおおきくなったんじゃ」
 「へぇ」
 「それでな、たむろんのところにも、かみだなを作って、おえむさんをおまつりするんじゃ。
  そして、まいにちおえむさんにお供えをしながら、すこしずつこうじょうをおおきくしていくんじゃ」
 
 たむろんは、そにいがなにをいっているのか、よくわかりませんでしたが、
 あっけにとられているうちに、そにいは大工さんと神主」(かんぬしさんをつれてくると、
 かみだなをつくって、神主さんといっしょに何かとなえはじめました。
 
 「おえむさん、おえむさん。
  きょうから、たむろんも、わたしたちそにいのなかまです。
  なにとぞ、わたしたちとおなじように、たむろんもお守り下さい」
 
 お祈りのことばをとなえおわると、そにいは、たむろんに、
 新しいレンズの作りかたや、いつまでにいくつ作ればいいのか、
 それに、おえむさんへのおそなえをわすれないようにといって、かえってゆきました。
 
 さあ、たいへんです。たむろんは、そにいに言われたレンズを作らなくてはなりません。
 たむろんは、そにいのレンズをいっしょうけんめいつくるようになりました。
 
 そにいは、ときどきやってきては、
 「いやあ、たむろんのレンズのおかげで、あたらしい“でじかめ”がよく売れてるよ」
 などと言いながら、もっとたくさんレンズを作ってくれと、たむろんにたのむのです。
 
 たのむ、といっても、ことわることなんてできません。
 ことわったら、そにいに、どんなひどいめにあわされるかわからないからです。
 そにいは、「そにいたいまー」という、おそろしいひみつどうぐをもっていると、うわさされていました。
 それがどんなものかは、たむろんにはわかりませんでしたが、なぜかすごくこわかったのです。
 
 たむろんは、いっしょうけんめい、そにいのレンズを作りつづけました。
 そのうちに、いつのまにか、もともと作っていた替えレンズは作らなくなっていました。
 
 たむろんは、いっしょうけんめいはたらきました。
 もちろん、おえむさんへのおそなえも忘れませんでした。
 まいにち、おえむさんに、「Y」の形をしたロウソクをおそなえすると、
 つぎのひには、なぜかロウソクがちゃんと無くなっているのです。
 たむろんは、とてもこわかったので、まいにち必ずロウソクをおそなえしつづけました。
 
 村のみんなに売っていた替えレンズを作らなくなったので、
 たむろんは、だんだん村のみんなから忘れられていきました。
 
 それでも、たむろんはがんばりました。
 いつのまにか、こうじょうはおおきくなって、むかしよりもたくさんのレンズを作れるようになっていました。
 でも、たむろんは、きづいていませんでした。
 いつのまにか、そにい以外のカメラのレンズは、もうたむろんには作れなくなっていたのです。
 
 たむろんはがんばりました。
 がんばって、そにいのいうとおりに、たくさんのレンズを作りつづけました。
 
 たむろんは、しあわせだったでしょうか?
 それとも、ふしあわせだったでしょうか?
 
 たむろんには、しあわせとか、ふしあわせとかを、かんがえているよゆうはありませんでした。
 ただただ、そにいのいうとおりに、いっしょうけんめいレンズを作ることしか、たむろんにはできませんでした。
 
 
 
 それから、何年」(なんねんもたった、ある日のことです。
 あさからばんまで、へとへとになってはたらいていたたむろんは、
 おえむさんに、ロウソクをおそなえするのを、うっかりわすれたまま、ねむってしまいました。
 
 つぎのひのあさ、たむろんに、でんわがかかってきました。
 たむろんは、でんわの音で目をさましましたが、とてもつかれていたので、一歩もうごけませんでした。
 すると、るすばんでんわきのうがはたらいて、ろくおんモードになりました。
 
 「そにいだ。たむろん、あのカメラなんだけどな、じつは、リコールになっちまったんだ。
 もう、あのカメラは売れないんだ。だから、もう、レンズは作らなくていいからな。
 作ってもらっても、もう、うちじゃ、ひきとってあげられないから。
 今までありがとうよ。じゃあ、げんきでな。」
 
 たむろんには、なにがおこったのか、わかりませんでした。
 ふと、かべをみると、かみだなのあったばしょには、もう、なにもありませんでした。
 
 「えっ……。あれ、かみだながない…。」
 
 なんということでしょう。たったいちにち、おそなえをわすれただけで、
 おえむさんが、どこかにいってしまったのです。
 
 しばらく、ぼうぜんとしていたたむろんは、
 ようやく、じぶんにはもう、なにもできなくなったのだときづきました。
 
 
 
 たむろんの目からながれでたなみだが、ゆかに、ぽたん、と、おちてゆきました。
 


解説

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「たむろん」の項目を執筆しています。
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「そにい」の項目を執筆しています。

ここまでお読み頂いておわかりのように、「おえむさん」は、お供えを絶やさない限り企業に利益を齎(もたら)し続ける“福の神”のような存在である反面、僅かでもお供えを絶やすと忽ち消え失せてしまうという、非情な面も有している。

しかし、この民話では、力のある者(そにい)に盲目的に従い続けた者(たむろん)が、全く救われないことが示されている。即ち、「おえむさん」は“強者が弱者を、その力によって囲い込んでいる証”であり、おえむさんに供えられるロウソクは、“弱者から強者へ貢ぐもの”の象徴である。そして、貢ぎものが途絶えたときが、強者が弱者を見切るときと一致しているのだ。

現代社会においても、企業間や組織間、いや、個人と個人の間でさえ、このような“強者と弱者との関係”は数多く存在することだろう。この民話は、私たちに、何か重要なことを示唆してくれているのではないだろうか。


おえむさんを祀るも祀らないも、あなた次第である。


この項目「おえむさん」は、先人によって冒頭部が作られ、代々伝えられてきた物語のほんの序章に過ぎない、始まったばかりの項目です。これからの本当の物語の綴り手は、あなた自身です。(Portal:スタブ)