UnBooks:左右両極端な論客に書かせた「けものフレンズ」感想文

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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はじめに[編集]

この文章は、左派論客と右派論客各1名をお呼びし、2017年放送の人気アニメ『けものフレンズ』全13話を前知識なしで一期視聴させた後にご執筆頂いた感想文である。
したがって、この論文は一切『けもフレ』の作品としての優劣を示すものではなく、あくまで双方がいかに感じたかを記したものであることをご理解いただきたい。

なお、特別ゲストとしてもう1名、論文を寄稿いただいたことも先に記しておく。


左派論客からのコメント[編集]

共に生きる社会のフレンズたちへ
国際人権協調委員会 書記  平和代(たいら かずよ)
【評価】 90点/100点


『けものフレンズ』全話拝見させていただきました。
端的に言いますと、このアニメ極めて情操教育教材に適した作品であると言えます。

先に謝罪させていただきますと、これを見る前、私は近年のアニメとは低俗かつ旧態依然としたステロタイプを垂れ流している退廃文化の象徴だと(言葉は悪いですが)思っておりました。
と言いますのも、近年のアニメ、とみに俗に『深夜アニメ』と呼ばれる一連の作品群は、往々にして好戦的で、全体主義的な流れが見て取れるからです。あまり申し上げたくはありませんが、なんでしたっけ、自衛隊が異世界で暴れ回ったり明らかに他国をいじり倒しているような鼻につく主人公を他のキャラクターが一方的に賛美したり子供たちが戦車で闘うスポーツを行ったりする等、こういった見るに堪えない右向け右な作品が多いと聞きます。殊に驚いたのは、刃物日本海軍の艦船日本海軍ですよ!?)を擬人化したアニメまであることです。こうした作品は、中高生や若者に人気と聞きますが、そんなアニメばかり見て育った青少年たちがどんな政治思想を持つか、分かった物ではありません。

このアニメも所謂「萌え擬人化」と呼ばれるジャンルでしたので、さぞ危険な思想を押し付けるのだろうと半信半疑で視聴させていただきました。
ですが、それは間違っていました。
この『けものフレンズ』は、「サンドスター」と呼ばれる特殊な火山灰)により、動物たちが人間の姿となった架空の世界「ジャパリパーク」を舞台にしております。このジャパリパークには様々な気候区分があり、主人公の「かばんちゃん」と、彼女が最初に出会った「サーバル」がこのジャパリパークを巡っていくのが本作の大まかな流れとなっております。
ジャパリパークは地球上の様々な気候を再現しております。例えば、最初にサーバルちゃんが暮らしていた所はさばんなちほーと呼ばれており、他にもジャングル砂漠など、様々なエリアが存在しております。
いうまでもなくジャパリパークは地球の縮図です。そこをかばんちゃんとサーバルちゃん…長いですね、以下「サバンナコンビ」とでもしましょう、サバンナコンビが回っていくわけです。そしてそこで出会う動物たちは、いわば様々な国の人々を表しているわけです。
本作の素晴らしい点は、その動物たちを「フレンズ」と称している点です。本作は、サバンナコンビが様々な国の様々な人々とフレンズになっていく物語なわけです。これは、現在の国際社会の縮図と言えるでしょう。フレンズたちは当初こそサバンナコンビを訝しんだり、誤解したりしているのですが、やがて打ち解け、共通の難題に取り組んでいきます。とりわけ、かばんちゃんは頭がいいので、その難題に対し独自の視点から取り組み、解決に導く布石を作ります。これは即ち、国際社会で求められている人材の典型とも取れるでしょう。俺が俺が、とリーダーシップをとるだけではなく、互いの意見を全て聞いたうえで、差別ない目線で物事を見つめる。そんな目が、現在の排斥・分断社会では著しく欠如しているように見えて仕方がありません。
例えばかばんちゃんは、そうげんちほーで対立していたライオンさんとヘラジカさんの下らない戦争を止めるため、ライオンさんの「実はもうケンカをやめたい」という心情の吐露を知ってヘラジカ陣営にきちんと折衝し、ルールある「スポーツ」での解決を試みました。こういった柔軟な対応は、政治家の皆さんも見習ってほしいものです。話し合えば大抵の問題は解決する物なのです。

そして終盤、フレンズたちを襲う魔物「セルリアン」の親玉がサバンナコンビを襲います。ジャパリパークでフレンズたちを守っていたヒグマさんは、サバンナコンビらと協力してこれに挑みます。そしてその最中、かばんちゃんはセルリアンに取り込まれてしまいます。
ですが、そこに駆け付けたのは、かつてサバンナコンビにより助けられたあらゆるエリアのフレンズたちでした。
この時私の眼は不覚にも涙で覆われていたものです。フレンズたちはいっせいにセルリアンに立ち向かいました。これは、一つの国では解決できない問題でも、全ての国が分け隔てなく一丸となって立ち向かえば環境問題などの地球的規模の困難にも立ち向かえるという証に違いありません
彼女たちの攻撃でもセルリアンはビクともしませんでしたが、サーバルちゃんとの絆の力で、かばんちゃんは復活します。そして、力ではなく知恵でセルリアンを倒すことが出来たのです。勿論、それに至るまでフレンズたちの協力があったことに変わりはありません。

この物語のテーマソング通り、「けものはいても のけものはいない」し、「姿形は十人十色だから惹かれあう」のです。一つの価値観にとらわれることなく、全ての国の、そして全ての環境と仲良くすること。その大切さを、このアニメは教えてくれました。

勿論難点はあります。
例えば、なぜフレンズには女性しかいないのか、その説明が曖昧だったように思えます。たしかに訛りのあるアルパカさんや、人見知りのツチノコちゃんなど、様々な工夫が施されていたのは多様性を表現しうるうえで大事な点だと思います。殊にプレーリードッグちゃんがコミュニケーションの手段と称しサーバルちゃんにキスをしたシーンでは微笑んでしまいました。ですが男性が一切登場しないのは不可解であり、論理性を欠くのではないかと思います
また、主人公であるかばんちゃんの一人称が「僕」であり、極めて中性的な容姿をしていた点は非常に評価できる一方、アジアゾウコウテイペンギンなど、露出度が高い服装をしたフレンズが登場するのは、少々女性を性の道具として見過ぎではないかと思います
更に苦言を呈させて頂くと、最終的にセルリアンとは一切通話を試みていなかったのも少々不合理に感じました。セルリアンとて同じジャパリパークに生きる(?)わけですから、(資料で頂いた)アプリ版の「セーバル」のように、セルリアンとの和解が出来なかったのか、はなはだ疑問に思えます。黒くて大きくて話が通じないから怖い、という価値観は前近代的ではないのでしょうか。園の名前が露骨に日本を想起させる『ジャパリパーク』である点もやや疑問に感じましたが、これは恐らく国際社会における日本が他国の架け橋となりうるための名称であることを表しているのかと思います

聞くところによると、このアニメはどうも続編があるようですね。今度はそうした点が改善できないものか、我々も及ばせながら期待しております。その意を込めて10点マイナスさせていただきました。
このアニメを見て、全ての国の人々とフレンズになれるような子供たちが出てくることを願っております。

右派論客からのコメント[編集]

新たに日の昇る國の未来を見た
戦前日本の名誉を取り戻す会 会長  大和護(やまと まもる)
【評価】75点/100点

かの坂本龍馬後藤象二郎を見るにつけ「近頃の奴よ」と語っていたと聞く。
その言葉を借りると、このアニメは良い意味で「近頃のアニメよ」と私は言いたい。

そもそも日本のアニメというものは、海外で高く評価され「クールジャパン」と称される文化の一つである。しかしながら、その根底には手塚治虫上原正三ら、戦後民主主義の亡霊による歪曲された反戦平和主義が蔓延している。そうした左曲がりの文化を幼い子供たちに見せることは、正当なる日本の歴史を卑俗に貶める日教組らに迎合する事に他ならない。特に近年では自衛隊警察を誠にかませ犬の如くに描く、不敬な輩が多すぎる。そうした反日作品の蔓延を防ぐことは、未来の日本を守るうえで大切であろう。

この『けものフレンズ』はそうした試金石になれるのではないか、そうした可能性を見いだせる作品でった。

本作の主人公である「かばんちゃん」なる女子は、黒い髪に細い体つきをしている。このアニメの舞台が『ジャパリパーク』なる名称であることからも、かばん(以下敬称略)が日本の隠喩であることは容易に想起しうる。
本作に登場する「フレンズ」は動物が擬人化された存在であり、そうした影響を受けてか金髪など派手な髪色をしている者が多い。はっきり言って見るに堪えないほどけばけばしい者もいる。しかしながら、かばんはそれらに苦言を呈することなく、「食べないでください」などと怯えつつも最終的には彼女たちを誉める立場に回る。これこそまさに奥ゆかしき日本人のあるべき姿と言えるだろう。

かばんは極めて手先が器用である。薄ら馬鹿のフクロウどもは「ヒトのフレンズ」などとお茶を濁していたが、そんなものは表現上の制約に過ぎない。道具を加工し、瞬時に情報を把握し、他人との折衝を試み、料理も万能。そんな人種は日本人をおいて他にない。その日本人の象徴であるかばんに無理強いを行う二羽の忌々しいフクロウがどこの国を表すかは、賢明なる読者諸君にはわかるだろうからあえて書かない。
フレンズたちが彼女を敬愛する姿はそれこそ十人十色だ。「すっごーい!」だの「魔法だー!」だの、その言葉は単純ではあるが、かばんに対する評価に関しては正しいだろう。
例えばかばんはジャングルちほーではをかけ、こすいちほーにおいてはビーバープレーリードッグの建築を手伝い、へいげんちほーではライオンとヘラジカの抗争を止めに入る。こうした行為は、戦前日本がアジアで行ってきた、西洋の植民地から民族自決を促すためのインフラ整備と重なって見える。後追いでアライグマとかいう特定外来生物がかばんを聖人だと思い込み、現物を本人だと思えず殴りかかるというあさましい描写があったが、これもまた日本の現在の姿とダブって仕方がない。

物語終盤、かばんは自らの命を賭して邪悪の化身たるセルリアンに挑む。その気高い姿は、見ず知らずの人たちを同胞として愛し、民族自決のために鬼畜米英と闘い抜いた日本軍の姿そのものだ。かばんはサーバルをかばい桜と散っていくのだが、それに呼応するかの如く、あのフクロウ共が今までかばんに恩恵を授かって来たフレンズたちを引き連れ、いっせいにセルリアンを襲う。嗚呼、なぜ現実はかくあらんことか。日本はあれだけ人類の文明に貢献してきたというのに。
そして、サーバルの熱い滅私奉公の魂を受け、かばんは再び甦る。その目に、同胞を、第二の故郷となるジャパリパークを身命を賭して守り抜く覚悟を載せて。かくしてかばんとフレンズたちは邪悪の権化であるセルリアンをに沈め、一時の平和を掴み取ることが出来た。自らの命を投げ出した「ボス」により、邪悪なるセルリアンを載せ沈められた希望の船の姿に、私は神国日本を守るため沈んでいった戦艦大和の姿を重ねて見た。

女児しか登場しない、戦争を一方的に害悪と決めつける姿勢、一々口うるさい時代錯誤な環境保全メッセージなど、問題点は数え切れないほどあるが、それを鑑みても『けものフレンズ』はなかなかよくできたアニメーションである。
最後のセルリアン本土決戦の時にフレンズたちの背から昇る太陽は、失われがちな日本の美点を携えたかばんのような少年少女たちによりつくられる未来を暗示しているのではなかろうか。

けものフレンズを楽しむ子供たちよ、かばんのように奥ゆかしく公私をわきまえた子供となってくれ。

君たちの未来を、決してセルリアンに奪われないためにも。

むすびに[編集]

けものフレンズをみて
1年2くみ  ごくふ つうこ(6歳)
【ひょうか】◎/ ☆◎○△×

きのう、わたしはけものフレンズとゆうアニメを見ました。
ジャパリパークとゆうどおぶつえんで、かばんちゃんって名まえの子が、いろいろフレンズとたのしくあそぶはなしでした。
かばんちゃんの一ばんのおともだちのサーバルちゃんは、とってもジャンプ力がすごくて、わたしもあんなすごーいジャンプができたらいいのにとおもいました。
セルリアンというこわいおばけがたくさんでてきましたが、かばんちゃんたちはみんなでがんばってやっつけました。かばんちゃんが、一かい、セルリアンにやられてしまったこともありましたが、サーバルちゃんが、なみだをだしたら、いきかえって、すごくうれしかったです。
わたしもジャパリパークにいけたら、いっぱいフレンズをつくって、あそびたいです。
フレンズは、みためもすがたもかんがえかたもわたしたちとはちがうけど、ぜったいなかよくなれるとおもいます。







ほんとうに、なんでみんな、かってにちがうふうにおもいこんだり、ちょっとじぶんとちがっただけでけんかしたりなんかするのかな。