Uncyclopedia:悪意や害意で記事を作らない
〜 Uncyclopedia:馬鹿にならずにバカバカしくやる方法
他人を不快にさせたり、不特定多数を貶め蔑むことを目的とした記事はアンサイクロペディアでは歓迎されていないし、多くの場合面白さに欠けている為に削除されやすい。当然のことながらそのような記事ばかり書くと投稿ブロックされる可能性もある。これは心得ておくべき事柄だ。
なおこのガイドラインは削除の方針ではないので誤解しないで欲しい。悪意や害意があると思われる記事への対処方針はUncyclopedia:削除の方針などに記述されているからそちらを参照して欲しい。
不謹慎なネタ
一般常識の範疇では、どうにも茶化しようの無い・あるいはジョークのネタになりえない現象がある。例えば、誰かがバナナの皮を踏んで転ぶのを見るのは、確かに愉快だ。しかし転んだ相手が大怪我をしたら、これはもう笑えない。まして転んだ拍子に自動車に轢かれて命を失ったケースともなれば、漫画やアニメなどの架空のものならいざ知らず、目の前で現実に起これば全く愉快ではない。またそういった状況を仔細に説明した内容も、同様に愉快ではない。
痛々しい状況は、視点を変えればユーモラスにできる余地があるかもしれない。不謹慎ネタを書こうとするなら、まずは対象と距離を置くべきだ。そして冗談で済む話題を選ぶことも忘れてはいけない。フィクションならちょっと位は残酷でも許されるかもしれないが、現実の不幸を笑い者にできるほど、読者が君と同じくらいに病んでいるとは限らない。酷い目に遭わせるのは、某人気アニメのトムだけにしておこう。
……まあそんなことを言いながらも9.11とかの記事が普通にあるんですけどね。でも、理不尽は世の常でしょう?つまりケースバイケースです。そう言えば、ウィキペディアではあからさまに硫化水素による自殺方法を記載して、しかも「方針には違反してないから」とゴネてその後も色々やらかして無期限ブロックされたインテリユーザーがいたらしいですよ。色々と示唆的ですね。山月記を彷彿とさせるお話です。
悪意に満ちた記事
相手に憎悪や悪意を向けるだけの記事は、その対象に中立的な立場から見ると、酷く醜悪だ。また好意的な立場から見ると不快でしかない。特に、そのような記事がいわゆる社会問題として取り沙汰されている差別の問題に絡むものなら尚更だ。
もちろん世の中には、凶悪な犯罪者や無茶な独裁者、あるいは病的な変質者など、普遍的に憎まれている存在もいる。それらをなじったり、事実を歪めてでも愚かだと決め付けたり、或いは失態を殊更取り上げたりすることで、その地位を貶めることができる。その点で、権力者や特定の思想を持つ集団・著名な個人などは大抵評価が定まっているので、それらをネタにするのはある程度は楽だ。(例:独裁者Aはホモのくせにゲイを処刑するボケナスだ。即刻、抹殺すべし。)
しかし特定地域や不特定多数を一まとめにして憎悪をぶつけるのはちょっと待ってくれ、その対象に中立的ないし好意的な読者がいるかもしれない。いや、絶対にいる。また単に憎悪を書き綴っているだけの記事は、大抵の場合においてその対象の実像から懸け離れ過ぎている。むしろそういった憎悪を撒き散らしている側をユーモラスに描いた方が、余程愉快だ。その意味でフォースの韓国面は参考になるだろう。
簡単に言えば、差別反対団体が騒いで訴訟を起こすのが明白なような記述や起稿は申し訳ないがNGということである。それって権力に屈服したってことにならないかって?だってアンサイクロペディアも所詮は有志の名を借りた烏合の衆による統率感のない組織ですよ?誰だって訴訟されるのは厭なんだよ。おまけにアンサイクロペディアには訴訟されても勝訴できるような法律に関する知識を持った人なんていないんだ。というか相応の知識がある人=弁護士はそもそもこんなクッソ重いサイトを編集できるような暇人じゃない。
害意を含んだ記事
単なる悪意よりも、相手を実際に傷つけようとする記事は、より醜悪だ。特定の企業や団体などに対する誹謗中傷のたぐいのことだ。風評の列挙なんかも同様だ。(例:B料理亭は毒餃子どころか、人肉を料理に使う。)そういった害意しかない記事は、傍目には刃物を矢鱈と振り回しているキチガイのようにしか見えない点で、警察に通報されそうだ。いや、通報するべきだ。
害意を振り回して自分自身にだけ累が帰ってくるのなら、勝手にやってくれ。そこにアンサイクロペディアを巻き添えにするのはやめてくれ。そういった害意を含んだ記事は、自分のウェブサイトかブログでやってほしい。少なくともアンサイクロペディアはウケ狙いのゴシップ週刊誌ではない。
……などと言いながら、小山田圭吾の記事は普通にアレな記述が現存したままである。要するにこれもケースバイケース……なのだが、筆者各位には相応の慎重さと配慮を求める。スマイリーキクチが長年中傷に悩まされ、ついに訴訟に踏み切り、勝訴した事件をアンサイクロペディアン一同は覚え、記憶し続けなければならない。そして、その中傷事件で逮捕された犯人達が、押しなべて「俺のせいじゃない」と責任の分散しか考えていなかったことも。
アンサイクロペディアン一同は決してスマイリーキクチ事件の犯人共のような思考停止人間になってはならない。