コミュニティ

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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コミュニティ(Comunity)とは、ウィキ○○や○○ペディアで荒らしを行う事を目的に複数名ユーザで結成された団体の事である。派閥ともいう。人数に正比例して、コミュニティの持つ力は強くなる。コミュニティのメンバーは、1日にタグを10個以上貼らないと、吐き気や呼吸困難等の禁断症状が出て手足が震えちゃう。

概要

メディアウィキサイトは不特定多数のユーザが居る。善良なユーザも居るが、悪人も大勢居る。この悪人は他人の充実した執筆活動に嫉妬していて、頭の中が常に削除欲で満ち溢れている。但し、単独で削除を試みても、それは能無しの荒らし行為となりブロックの対象となる。そこで、悪人は複数の悪人らとコミュニティを結成し、定められた手続きの履行を以て削除を試みる。この様な荒らし行為を俗に管理という。

管理は単独で出来ない。これは、5人以上の人数を含んだコミュニティだから可能な荒らし行為である。

管理

主な管理のアルゴリズムは以下の様な順序で起こる。

削除

  1. ムカツク記事を見つける。
  2. 削除提案をする。その際の理由は「非中立的」「百科事典的でない」などである。決して「記事がムカツク」とは書かない。
  3. コミュニティの援護を受け、多数の削除票を得る。
  4. 少数の存続票を無視して、削除を執行する。

ブロック

  1. ムカツク執筆者を見つける。
  2. 記事にタグを貼り、ムカツク執筆者を挑発する。これが全ての管理の引金となる。
  3. 削除議論を行う。
  4. 必要以上に辛口のコメントで記事を貶し、ムカツク執筆者を混乱に誘う。
  5. ムカツク執筆者が弁明する。
  6. 弁明発言に個人攻撃が有ればその旨を、無ければ台詞の重箱の隅を突き矛盾を指摘する。
  7. 「いつまでも納得せずコミュニティの消耗を招く行為」を理由にブロック議論を提案する。「執筆者がムカツク」とは決して書かない。
  8. コミュニティの援護を受けて、多数の賛成票を得る。
  9. 少数の反対票を無視してブロックを執行する。

コミュニティの意義

ウィキペディア

ウィキペディアに於いて、コミュニティの意義は少し有る。それは、中立性の実現である。偏った記事はコミュニティの健全な議論や編集に基づいて中立的に直される場合が稀に有る。

しかし、その弊害はより大きい。コミュニティは同じ考え方のユーザで結成している場合が多い。この時点でコミュニティは偏向集団となるが、コミュニティの議論結果がウィキペディアの中立になる。そして、その結果を疑問視しユーザが問うと、それは何時までも納得しない荒らし行為になる。

執筆する上で大切な事、それは、自らの考える中立的記事を書く事でなく偏向コミュニティの定義する偏向的中立を実現する為に逆算する事である。

アンサイクロペディア

アンサイクロペディアに於いて、コミュニティの意義は絶無である。何故なら、中立の形は相当絞られる一方で、ユーモアの形は多様だからである。これだと、数名の素人コメディアンで結成されたコミュニティ規準で及第したユーモアしか存続できず、ユーザ一人ひとりの個性が活きたユーモアが実現し難くなる。本当にこれで良いのなら、差別無く誰でも参加できるシステムを止めるなり数人のコミュニティ以外のユーザを全てブロックなりすべきである。

ユアペディア

ユアペディアにコミュニティという概念は無い。何故なら、合理的なのかダダゴネなのか不明な他人の意見より執筆者の貢献意志が優先されているからである。

但し、ユアペディアの管理者は数人しか居ない。従って、先編集権を無視して削除に走る違反ユーザが居ても、管理者が取締りしきれず先編集権が保護されない場合が有る。

責任分割

メディアウィキサイトは多数決や民主主義を採用していない。確かにガイドラインを読むと、そう書いてある。その最大の理由は、議論参加者の身分が不明確で人数も少ない場合が多いからである。このような状態で多数決結果を出しても、生産性や社会福祉に結び付く結果が期待できない。

しかし、実際は殆ど多数決が使われていて、少数派意見は無視される。何故なら、少数派意見を無視しても何ら責任が発生しないからである。少数派意見なんて全く恐くなく、「民主主義でないのに少数派意見を無視するのは理不尽だ」なんて声は上がらない。仮にそのような声が見られても、多数票を投じたユーザ全員で責任を分割できる。まして多数票を投じたユーザ全員が少数派意見無視の責任を負ってブロックになる事は絶対に無い。

メディアウィキサイトでの議論で大切な事は、合意形成しようとする姿勢である。意見が対立しているのなら、説得力の有る言葉で持論の合理性を相手に説明する事が不可欠だ。労力を要するかもしれないが、それが出来れば自分にも相手にも実り有る結果になる。人数で少数派を抑え込むのは楽な方法だが、それで合意は形成されない。

結論

メディアウィキサイトとは、コミュニティの胡麻磨りを目的としたサイトである。胡麻を磨らないユーザは歓迎されない。コミュニティに歓迎されないユーザは消耗要因の塊であり、ブロックの対象となる。コミュニティに歓迎される事、これが参加意義の全てである。より多数派のコミュニティに便乗し、コミュニティの力を高め、自らの存続価値をコミュニティに認めてもらう事の繰り返しがメディアウィキサイトの秩序そのものである。そこには、自らの手で記事を充実させ、サイトを成長させようとする意志が無い。そこに有るもの、それは、自我と誇りを捨てて媚びるコミュニティ依存症患者の群れである。

ボランティアでわざわざコミュニティに媚びる為に参加するなんて、それで金やや名誉得られるなら未だしも、商品券やクーポンすら貰えないのに・・・・・