ベトナム戦争

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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ベトナム戦争(べとなむせんそう、英:Vietnam War 正式名称、第一次イラク戦争)とは、超大国という錯覚、夢、妄想からアメリカ合衆国を解き放った目覚めの一撃の総称である。残念なことにアメリカはその後、2001年9月11日から再度深い眠りについている。

概要

このベトナム戦争については、世界中にルールを守れと叫び続けるどっかの国がだまし討ちすることで始まった戦争であるためベトナム紛争とも呼ばれている。第二次インドシナ戦争ともいう。なお、第一次インドシナ紛争は、1954年ディエン・ビエン・フーの戦いおフランスを完膚無き気までに赤いナポレオンがたたきつぶすという喜劇で終結している。

この戦争の大義として、アメリカ合衆国を中心とした民主主義陣営が、共産主義勢力の拡大を防ぐという名目で始まり、そして続けられた。もちろん、見事なる妄想だったわけだ。そのため、ひげのじじい率いる北ベトナムと、対峙する南ベトナム兵士とまるで役に立たない屁理屈で支援するアメリカ合衆国が中心となり15年にわたってベトナム人を殺しまくった。もちろん、北ベトナム軍もいっぱい南ベトナム軍を殺したし、南ベトナム軍も北ベトナム軍を殺した。そして、米北南、三者ともにベトナムの一般人を殺した。すべて、アメリカが悪いことになった

形式的には北ベトナムの兵士と南ベトナムの兵士&アメリカ軍の戦争であったが、実質的に共産主義勢力(ソビエト連邦中華人民共和国)の支援がなければ継続できるはずもなく、ようは冷戦と呼ばれた米ソの代理戦争の色合いが濃いものだった。ちなみに、民族自決だの、民族独立だのいうベトナムの南北統一運動に対する抑圧的戦争であった。もっとも、実際にドンパチやってる連中にとっては、そんな話はどうでもいいことである。イラクで戦っている米兵が自由を広めているわけがない

ベトナム戦争年表(1960年-1975年)

  • 1960年南ベトナム解放民族戦線、通称ベトコン結成(12月)。なお、間違いやすいベトミンは第二次大戦中に日本軍と戦った組織、ベトコンはアメリカ軍と戦った組織である。
  • 1961年ジョン・F・ケネディアメリカ大統領に就任(1月)、アメリカが南ベトナムにヘリ部隊と軍事顧問団を派遣、地球の裏側にちょっかいを出し始める(11月)
  • 1962年米軍が「南ベトナム軍事援助司令部」を設置。ついに自分たちで独自に動くことを決める(2月)、南ベトナムとラオスが国交断絶。わざわざ敵国に利する行為を働く一番の味方にアメリカびっくり(11月)
  • 1963年:アプバクの戦いで圧倒的な兵力を持つ南ベトナム軍、惨敗。ケネディ大統領、ため息とともに米軍の本格参入を決める(1月)、米軍を自由に戦わせてくれない南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領、軍事クーデターで暗殺CIAはもちろん情報をつかんでいて、大統領のお許しを得てから実行(11月)
  • 1964年:たった2ヶ月で南ベトナムのグエン・カーン将軍、再クーデター。ここから、クーデターが国をあげての年中行事となることが決まる(1月)、トンキン湾事件発生。妄想と間違った正義が、やってもいない艦船への攻撃を生み出す(8月)
  • 1965年:アメリカ軍による北爆開始。北ベトナム、いわれなき攻撃で頭に来た北ベトナム、国を挙げての戦時体制に突入。中央集権化、軍事増強、国民総動員などで、結果的に戦力増強(2月)、アメリカ海兵隊が最前線の都市「ダナン」に上陸、最前線に一大軍事基地を造営し、その後、格好の的になる(3月)、高木正夫、アメリカから金を巻き上げるために韓国軍を派遣、大活躍。その後にベトナムと韓国の間で外交問題となる種をまき散らす(10月)
  • 1966年:北ベトナムに対する「B-52」による初空襲、勝てない時のストレス解消法として大人気になるも、そのおかげでほかの国から総スカンを食らい、外交の場で徹底的に負ける原因になる(4月)、初のクリスマス休戦。休戦できることを喜んだ連中は1年と1ヶ月後に痛い目を見る(12月)
  • 1967年:南ベトナム解放民族戦線がダナン基地を攻撃。その場所を撃てばフランス軍に当たるというディエンビエンフーで培った戦術が、ついにアメリカ軍にも適用される(7月)、両手では数え切れないほどのクーデターの中、珍しく、選挙でグエン・バン・チューが南ベトナム大統領に就任(9月)
  • 1968年:正月休みの中、テト攻勢開始。アメリカ軍大使館がボコボコにされる映像が世界中に流された後で、米軍は大勝利を喧伝。誰も信用しない(1月)、事件発覚後、首謀者は捕まるも速攻で保釈され、今ものうのうとアメリカで生きているソンミの虐殺発生。(3月)、ようやくパリで和平交渉開始(5月)
  • 1969年:北ベトナムが南ベトナム臨時革命政府の樹立を発表。ちょっと早い。そして、相当いらない(6月)、ひげのじじい死ぬ。国が分裂すると期待したアメリカの期待を裏切り、北ベトナム、さらに結束(9月)
  • 1970年:南ベトナム軍とアメリカ軍がカンボジアに侵攻。ポル・ポト大喜び(4月)、カンボジア内戦勃発。そのくせ、カンボジアでの虐殺には関わっていないと自己弁護。
  • 1971年:南ベトナム軍とアメリカ軍がラオスに侵攻。パテート・ラーオ大喜び(2月)、ニューヨーク・タイムズ紙に「ペンタゴン・ペーパーズ」連載開始。政府機密文書が大公開され、楽しいぐらいに嘘と妄想と間違った正義が国民にばれる。南ベトナム傀儡大統領選挙が行われ、首がすげ替えられる置物が再度当選(10月)
  • 1972年:ソ連直輸入の北ベトナムの戦闘機がアメリカ艦艇を初攻撃(4月)、アメリカ軍無制限北爆再開。信じられないほどの爆薬を落とし、北ベトナムに大ダメージを与えた後、世界中から避難にされてすぐさま停止。そのまま北爆を続けていればアメリカの勝ちだったという妄想の原因となる(12月)
  • 1973年:停戦のまねごととしてパリ協定締結(1月)、アメリカ軍がベトナムから撤兵する。アメリカ国内は負け戦に途方にくれる(3月)
  • 1974年:北ベトナム軍がプノンペンを包囲。親米勢力を追い出す(2月)、リチャード・ニクソン大統領、水門で辞任(8月)
  • 1975年:アメリカとの約束なんざ守る必要はこれっぽっちもないと、北ベトナム軍全面攻撃開始(3月)、南ベトナムの首都サイゴンが陥落し、南ベトナム政府全面降伏。ベトナム戦争終結(4月)、サイゴン市をひげじじい市へ改名(5月)
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