中二病

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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ひよこ陛下
秀逸な記事
この記事は秀逸な記事だよ。書いた本人とひよこ陛下が言うんだから間違いない。より素晴らしい記事にできるってんなら、してみやがってください。お願いしましたよ。
「彼(患者)もまた、特別な存在だからです。」
中二病 について、おじいさん
「バカな中二病患者どもめ、我が暗黒の力の前にひれ伏すがいい!!!」
中二病 について、中二病患者

正式名称は、発症しやすいと言われている中学二年生からとった、中学二年生症候群(ちゅうがくにねんせいしょうこうぐん、英:Eighth-grader syndrome)とされており精神医学用語の一つとして使われているが、一般的には中二病(ちゅうにびょう)で定着している。

区分と分類に基づく合理主義が、近代の生んだ価値である。しかし、近代は数々の失敗も繰り返して来た、その失敗に陥った者が近代病である。近代病を克服するために現代思想がある。近代病の治療は[越境性]である。分類を乗り越え、最果ての塔へ、次元の狭間へと、辿り着こうとする思考法だ。また20世紀を経て科学は、近代科学から現代科学になった。量子力学はその象徴ともいえ、近代から現代への科学にステップアップしたのだ。中二病(ちゅうにびょう)を紐解くカギは現代にあるのだ。

近代病が重症になると『現実と虚構の区別が付かなくなる』という思考に駆られてしまう。そもそも現実と虚構の境界線など曖昧なのだ。ゲームや漫画やアニメに時間を費やし、お金も消費して、ニュースなどの情報を元に投票や購買の日常を送る日々。どこが現実と虚構の境目なのかは分かったもんじゃない。


歴史

中二病とは(社会分析)

患者による宣言文。ご親切に直筆のサインまで入っている。

民族的に

中二病は、分類・分析神話の一種であり、日本人の精神構造を極めてよく捉えている。日本人は大系的、論理的、物語的な神話構造よりも、アンソロジーに代表される、様式型、集約型、の神話を好むことが分かる。形式、儀式、生贄を好む傾向にもある。血液型性格診断、干支診断、占い、と似ている。一部では干支診断は今でも使われており、ある干支を特徴にして性格や振る舞いに設定を与えている。これらは共に楽しむ文化、ラベリングの文化である。当然、まったく科学的根拠はないので、分類・分析を本気にしてはならない。科学的根拠が無いからこそ、神話としては強固なものとなる。

社会心理学的には、〈差別〉の発生要因とも言える。健全な形では、お互いに分類を呼び合う〈戯れ〉とも言える。これらは未開の文化からも確認されており、[神話][伝説][昔話]の3つの内、[昔話・神話]に該当する。神話と昔話は、入れ替わる性質がある。昔話である最中は戯れとなるのだが、神話になると本気で差別しはじめる。昔話は娯楽なのだが、神話は本当に信じられているのだ。

修辞学(レトリック)と占い(フォーチュン)

何かを説明してる訳ではないのだから、当然、比喩ではない。修辞技法は本来、明確な説明がなされる事物に対して、言語を入れ替えつつ話者の意思を観客に伝え、認識を共有させる技法である。中二病には本来の元が無いのだからそれ以上に修辞しようがない。どちらかと言えば文学の一種であり、性質的には[占い]に近い。根拠ない類型を作り、分類して行く手法は占いと似ている。

中二病患者としての生き方とは

中二病患者の生きる目的とは、これまでの世界を理解し、新しい世界を創造しようとする意志に集約される。この意志を見ても分かるように、中二病患者を含む我々は、世界というものに関して大きな誤解をしている。我々は、我々自身(つまり「個」)が「世界」を創造するのだと考えている。しかし、それは大きな間違いである。「個」は、どんなに抵抗しても、宗教・国家・民族など―つまり「世界」から完全に独立する事など出来ない。これはすなわち、「世界」が「個」を創造するということである。では、「世界」は何によって創造されるのか。これはやはり「個」と言うしかない。「個」の集合体がそのまま「世界」であるのだから。結局のところ、「世界」が「個」を造り、「個」が「世界」を造るのである。中二病患者は、「個」が一方的に「世界」を造るわけではない、ということを再確認しなければならない。

伊集院光の功罪

ラジオパーソナリティは重大な過ちを犯した。自己言及的な作法に名称をつける事で、リスナーを混乱に陥れた。 中二病というカテゴリを浸透させることになり、低俗な物として排斥する流れを生み出したことにより、高二病・裏中二病の増加を招くことになる。 それは結果的に人や物・作品を表現するに当たってその幅を自ら狭めてしまうことに繋がり、出る杭を打つ日本人的な保守性をさらに強めることになってしまったのである。

ただ、日本人が自己言及に弱いことを指摘し、実験的・実践的に、明らかにしたのはある意味功績とも言える。ネットでの反響からも伺えしる事ができる。

実際の対処

現実的には、構造主義的な解説をしても回りくどくなり、クドクドなので

  • 「気にしすぎ。まるで神経症だぞ、考えるのも程々にしておけ」
  • 「あるあるネタの一種だよね」

と、ツッコンでおけば良いだろう。

真の用法(取り扱い注意)

ここでは、裏中二病の真の用法を、それとなく説明する。まず何でも中二病に見えたら、それは一種のトランス状態であり、ヒステリーだ。解除しようとしても解除できない。裏中二病になったら、精神と感情が異常な状態であり、薬や酒を飲んでるのと、類似と言える。陶酔である。異様なほどに感受性が強すぎる〈あなた〉だからこそ、起きてしまうのである。無理せず、泣いたり、笑ったり、走ったりして、体を動かしてみよう。そもそも、伊集院光もラジオパーソナリティという、ある種の表現を職業としている人なのだから、裏中二病になる人は似てると言えば似てるのである。裏中二病は威力が強すぎ、過剰な薬であるため毒性に近い性質を持っているのです。

まだ、納得できない人は、先人達の残した哲学や思想や文学を、旅してみよう。もしかしたら自分にマッチした記録が見つかるかもしれないよ。くれぐれも、規則と陶酔の挟間には気をつけよう。

どうしても分からない人へ

どうやら、ここまで来しまった様ですね。ここは不毛の世界であり、ポスト構造主義もなく、ニヒリズムでもなく自己言及でもなく脱構築でもなく、なんでもない 。Yesどん底まで堕ちた君だからこそ、生涯苦悩し続ける。選民だと勘違いしてないかね?君は普通の人間だよ。でも、どうしてこんなにも苦しいのですか? あはははははは!!!死ね死ね死ね、死んでしまえ!!!uncyclopediaは紛い也にも百科事典です、そんな事書いてはいけない。何いい子ぶってるの?その通り。分かっている。だけど、なぜ百科事典という規定があるのか?過去の偉人たちの蓄積を甘く見てもらっては困る、そんな物は出尽くしてるのだよ。自己言及など芸術ではとっくに使われておるわ!!愚か者め!。でも、ボクには未知の力が……。いつも旅立つのは少年だ。。。いつも恋をするのは少女だ。。。死んだ方がましだ、こんな苦しいなら。まってよ。みんなこの苦しさに耐えてきたはずだ。やだやだやだ、やだやだやだだ。ヒステリックな女だ。魔女なんだよ。中世にもあった? どんな時代もあったはずだ → それは歴史を使って自我を支えているのかい? これでは終わりがない。それが宗教だ。仏教の世界では六道を巡る。それでは答えを、しかし声が止まないんだ。ボクは統合に失敗してるんだよ。近代の力で → 学問ならきっと答えがある。文学なんてうさん臭いだけだろ、なんだよ心理学って? 園芸とか猫と遊べば、体を使ったコミュニケーションもあるはず。ボクが好きなのはなんだろう? 音楽や芸術も理由がないのに酔える。私は女の子なのに『ボク』を使ってる。それはアニムスですね。一方を答えれば、対も同時に答えた事になる。高い→低い、熱い→冷たい。だけど平等さが欲しい。文字に書かないと嫌ですか?既に心には伝わったはず。神秘は言葉では表せない。もう駄目だ。でも安心した。ありがとう。だけど寂しいな。痛いからそばに居たい。またどこかで。人生は長い。気が合う人と会えるさ。残酷な神は今日も見つめている。安心して眠りなさい。

それでもやっぱりわからないどうしようもない君へ

―君は中ニ病の淵を覗き込みすぎたのだ。もう既に手遅れであったということだ。深遠なる淵を覗き込んだ時深遠なる淵もまた君を覗き込んでいたのだ。

―君は既に深遠なる淵の中を彷徨い始めていたのだ。君が選ぶことのできる運命は3つある。このまま冥府魔道に入って邪気眼使いとして生きる道、もしくは黒歴史を紡ぐ者として呪われたまま生きる道、そして最後に過去の一切合財を封印し今すぐこの項目を閉じてただの人間のフリをして生きる道。どれを選ぶのも君の勝手だしここで朽ち果てるのも君の勝手だ。しかしどの道を選んでも相応の試練はいつか訪れるだろう。これだけは変えられぬ宿命なのだ。さらば、若者。君の歩む道は君が決めるのだ。その道が例え修羅の道であろうとも、どんなに長い長い道であろうとも途中で決して振り返ったり座り込んではならない。その時君は完全に飲み込まれるだろう。決して振り返らず、決して歩みを止めずに選んだ道を歩め。その先にはどのようなものかはわからないがエンディングが待っているだろう。そのエンディングはきっと君の長い長い物語の終焉を告げる。そのエンディングはきっと君が引きずっている鎖も断ち切ってくれる。しかし、エンディングが終わった後、君がどうなるかは誰にもわからないのだ。そこで物語は終端かもしれないし、続編があるかもしれない。続編があったならば更なる運命の分岐点が存在するかもしれないし、もっと混沌とした世界へぶち当たるかもしれない。それだけは誰にもわからない。わからないからこそ、人は歩み、歩んだあとは道になるのだ。

共通性から見いだす構造

  •  主体 ⇔ 客体
  • 発言者 ⇔ 観察者
  •  告白 ⇔ 指摘
  • 無関心 ⇔ 自意識
  •  日常 ⇔ 非日常
  •  情報 ⇔ 現実
  •  記号 ⇔ 実体
  • 自然体 ⇔ 演技
  •  太陽 ⇔ 太陰
  •   日 ⇔ 月
  • ルール ⇔ トランス
  •  規則 ⇔ 陶酔

裏中二病

中二病には、普遍化を引き起こし、観察者を取り込んでしまう性質がある。つまり「何でも中二病に見えちまう」訳だな。見方によっては神経症と同じである。この事から、精神病も、神経症も、一般人も程度の差があるだけで本質は同じだ、と考え、重要なのは文化や神話に置ける《差異》である! としたのが『第二の神話学』の成果である。

で、あるからして、裏中二病の人は真面目すぎるのである。『中二病』には普遍化して取り込む性質があるのだから、何でも中二病に見えてしまうのは当然と言えば当然だ。デカルトでも読んでおけ。「我思う、ゆえに我あり」だ。

ちなみに中二病関係の項目はほぼ例外なく裏中二病・または中二病を指摘して満足感に浸る所謂高二病の患者によって編集されているのが定説である。 そしてこのページを始めとする中二病関係の項目の文章量の多さから、インターネット上ではかなり大きい勢力になっているとも言われている。

なお、一部で下記の高二病と同一視される向きもある。

高二病

中二病回復期の者に発症する。主な症状として急に中二病が痛々しい、恥ずかしいものと感じ取り急に作品を意味もなく痛々しく叩いたり(無理な蔑称を多々利用、爪先まで理論武装したりする等)、現実で普通になろうという傾向等傍目から見たら中二病患者に対するアンチ野郎と思われたが、研究を進めると共に中二病と相反するも特徴が酷似してる事が解明され、中二病の発展系と結論された。

この状態が長々と続くと知らず知らずに中二病に感染・再感染したり、中二病に負けず劣らずなレベルにまで痛々しくなったりする。詳細は高二病を参照のこと。

関連項目

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「中二病」の項目を執筆しています。