「横浜DeNAベイスターズ」の版間の差分

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
407行目: 407行目:
 
:[[2ちゃんねる]]の一部で[[ちんこ]]が臭そうな選手として一躍アイドルに。彼が試合に出場するだけで[[スレ]]が立つ。
 
:[[2ちゃんねる]]の一部で[[ちんこ]]が臭そうな選手として一躍アイドルに。彼が試合に出場するだけで[[スレ]]が立つ。
 
;[[ターメル・スレッジ]]
 
;[[ターメル・スレッジ]]
:[[北海道日本ハムファイターズ|北の国]]から[[脱北]]。本塁打か三振かのバッティングをしている。ファンからの愛称はスレッジハンマーや[[ひだまりスケッチ|ひだまりスレッジ]]等々。レフトの守備は一見ファンタジスタ系だが、ハラハラするだけでやらかしが意外と少ないので一安心。応援歌は神。
+
:[[北海道日本ハムファイターズ|北の国]]から[[脱北]]。本塁打か三振かのバッティングをしている。ファンからの愛称はスレッジハンマーや[[ひだまりスケッチ|ひだまりスレッジ]]等々。レフトの守備は一見ファンタジスタ系だが、ハラハラするだけでやらかしが意外と少ないので一安心。応援歌は神。しかし2011年退団決定。まあこんなチームじゃしょうがない
 
;[[稲田直人]]
 
;[[稲田直人]]
 
:[[北海道日本ハムファイターズ|北の国]]から[[脱北]]。本格的に見えない人に……。
 
:[[北海道日本ハムファイターズ|北の国]]から[[脱北]]。本格的に見えない人に……。
424行目: 424行目:
 
:教育係はアホなフロントのせいでクビを切られてしまったが、2011年からもさらに覚醒できるかが課題。
 
:教育係はアホなフロントのせいでクビを切られてしまったが、2011年からもさらに覚醒できるかが課題。
 
:他の選手も筒香の野球に対する姿勢は習った方が良い。本当に。
 
:他の選手も筒香の野球に対する姿勢は習った方が良い。本当に。
  +
:しかし2011年10月18日の中日戦で5打数5三振という記録を出し、'''中日'''の優勝に貢献した。まあ、来年があるさ。
 
;[[ブレット・ハーパー]]
 
;[[ブレット・ハーパー]]
 
:シーズン途中に有明のハーバーと名前が似ていたからテスト入団。ただでさえ投手が足りないのに何で野手なんだよ、と思ったら7月18日の[[読売ジャイアンツ]]戦では[[マーク・クルーン]]から逆転サヨナラ満塁ホームランを放つなど大爆発。打線の救世主に。彼がいなかったらただでさえ打率並に低い勝率が2割台に落ちていたのは言うまでもない。現在もホームラン、安打ともに量産中。守備は気にしてはいけない。三振させると、でかいフォロースルーのせいで相手捕手に血の色を見せることが度々ある。通称:「ブラッド・ハーパー」
 
:シーズン途中に有明のハーバーと名前が似ていたからテスト入団。ただでさえ投手が足りないのに何で野手なんだよ、と思ったら7月18日の[[読売ジャイアンツ]]戦では[[マーク・クルーン]]から逆転サヨナラ満塁ホームランを放つなど大爆発。打線の救世主に。彼がいなかったらただでさえ打率並に低い勝率が2割台に落ちていたのは言うまでもない。現在もホームラン、安打ともに量産中。守備は気にしてはいけない。三振させると、でかいフォロースルーのせいで相手捕手に血の色を見せることが度々ある。通称:「ブラッド・ハーパー」

2011年10月31日 (月) 19:19時点における版

テンプレート:語録 (佐藤藍子)

横浜ベイスターズ(よこはま-)とは、日本の(自称プロ野球チーム、もしくはJ3に所属するサッカーチームのことである。というか5球団だと数が合わないので、仕方なくセ・リーグからプロとされているだけの“ハマのヤンキー集団”である。もっとも今年はJ3でも下位に低迷しているので来年はJ4への降格が濃厚である。あの科学汚染物質の突然変異で生まれた「大魔人」、ササキ・カズヒロも所属していた球団であり、また多数の花火師を雇っている球団である。


球団概要

大洋漁業時代

「捕鯨業も流行んないよね」なんて1993年に、横浜大洋銀行とバカにされ続けた『横浜大洋ホエールズ』から突然変異して誕生。天然監督ワンマンマンの「欲しい欲しい病」で落合博満を獲得した巨人軍から迫害されていたお馬さんを、馬車道という名の地域が近くにあるという理由だけで亡命を受け入れる。そのお馬さんは一塁手という守備練習が全く不要のポジションで打撃に100%専念できるという環境でありながら、7年間で3割を打ったのは1回、二桁本塁打も3回(しかも最高で13本)と打つ方でも低迷。さらには左打者でありながら、併殺打の日本記録を樹立させるなど、鈍足ぶりを発揮。守備範囲もせまく、補殺数はあの清原和博を下回っていた。さらには二桁失策を記録するなど、蹄ミットぶりを大いに発揮。走攻守全ての面において足をひっぱっていたのが実情である。巨人前監督藤田元司の推薦で、鬼軍曹こと近藤昭仁を監督に抜擢。嫌われ役を演じながら若手を鍛え上げ、硬骨漢大矢明彦が正捕手tanisigeを一人前にしてチームを纏め上げてマシンガン打線を確立。権藤監督が投手陣を整備すると、97年にはペナントレース2位、98年には日本一、99年当時のチーム打率日本記録を達成するなど、短い間ではあるが栄華を誇った。

しかし、強すぎて80年代的お笑い要素が薄れてきたことにフロントが焦り、権藤監督・4番ローズ・5番お馬さん・大魔神佐々木を追放。2001年に年末年始のかくし芸など数々の伝説を打ち立てた森マチャアキを新監督に招聘し、森繁和投手コーチ・落合臨時打撃コーチを含めたお笑いトリオの結成で話題作り。タイアップ商品のコウジ黒酢を奨励する中、FA宣言で国外逃亡を企てた正捕手tanisigeには結局、味噌カツ球団に逃亡される。なお、味噌カツからは使い古し捕手である中村武志を下げ渡された。まるで液晶の替わりにブラウン管テレビを引き取る家電量販店の真似事である。さらに、98年を知る主力選手も遠慮なく次々と追放。ファンにとっては極寒氷河期、暗黒時代の到来である。

TBS時代

狂乱期

2002年
球団経営を諦めた大洋漁業からその当時でも悪名高かったTBSに親会社に替わる。
親会社が変わるという一大事ながら、チーム名・ユニフォーム・本拠地などほとんどチームに変化を及ぼさない理想的な経営移転として、一部で賞賛を浴びた。12球団で唯一の親会社の企業名が入らないチーム名(「広島東洋カープ」も親会社のマツダの企業名を持たないが、厳密にはマツダの前身「東洋工業」の名前の一部が入っているので、純粋な企業名が入らない球団はベイスターズのみ)が初めて役に立った瞬間ともいえよう。
後のダイエー近鉄バファローズのゴタゴタと比較してもその騒動の小ささは特筆すべきものであったが、それが2010年になるとそれどころではないくらいにゴタゴタが待っているとは誰も思わなかった。
ともあれ、新親会社はさっそく「我々はTokyo Bay Starsである」と親密ぶりをアピールし始めた。
しかし、TBSはニッポン放送の代わりとして半強制的に買わされたため、最初からまともに経営する気はなかった。実際にはTBSでベイスターズ戦が中継されることはほとんどなく報道するどころか、対戦相手視点の編集になったりすることが多い。
春季キャンプのシーズンには、野球に関心の無いみのもんたを強行スケジュールで沖縄中を連れ回したことから、結局は税金対策ではないかとも言われている。また、実の父は東武東上線とも言われているが、定かではない。
冥将、大ちゃんす
2003年
かの名将山下大輔が就任。
マチャアキとゴールデンコンビを結成していた井上純をロッテに追放するなど決意を新たにするも、監督自身が天才的なお笑いの才能を発揮してしまい、03年にはチーム敗戦日本記録(当時)を達成。
このオフには1位の星野・2位の山田・3位の原が監督交替の憂き目に遭っているにもかかわらず、フロントは大喜びで任期を全うさせ、勝ち頭のドミンゴ・グスマンを中日に供出するといった敗退行為を繰り返し、狂乱は来年も続くことに。
2004年
4月末には、ほんの一瞬だけ単独首位を味わった。
しかし、すぐに最下位になったのは言うまでもない
結果、山下はオフに責任をとらされクビとなる。
それ以来、横浜からは光が消えた。笑顔が消えた。明りが消えた。

低迷脱出の兆し、…か?

2005年
前年シーズン終了後に4番タイロン・ウッズを、またしても中日に供出。こんな戦力を引き受けた山下とは対照的な印象をお持ちのインテリ893が、2005年から監督に就任。
投手陣の再整備に成功し、落合道場の魔の手からようやく復活したスペランカーの活躍などで3位に滑り込む。
2006年
「この戦力で3位なら若手が育てば1位になれんべ?」と補強は一切なし。
しかし、牛島はスターティングメンバーを長期間固定し、全くと言っていいほど好不調でメンバーの入れ替えをせず、大差がついた試合でも若手を起用することはなかったため、若手が育たなかったことは言うまでもない
また、二軍から上がった選手をすぐに使わず、全く起用しないまま二軍に戻すことも多く、投手以外には基本的に代打を出さないから若手が育たなかったことは言うまでもない
よってチームもやる気がなくなり、牛島はフロントに辞表を叩き付けて去った。
有名選手のみでチーム作りをした場合の結果を良くも悪くも教えてくれた監督であった。

再び、暗黒氷河期へ

2007年
再建の切り札として大矢明彦が再任する。ようやく怖い人がいなくなったかと思ったら、投手コーチに斎藤明夫が就任。
マウンドでのピッチャーに檄を飛ばし("唾を飛ばす"の誤用)に行く際の威圧感は、他球団のピッチングコーチの追随を許さなかった。
フロントが門倉なんかイラネ、クルーンなんぞイラネ、スペランカーなんぞイラネ、とイラネイラネ病を発病。替わりにやって来たのはオジさん原嫌い、そしてスペランカー
移籍初年度こそ3人とも交換相手以上の活躍を見せるといった予想外の出来事が起こった。
2008年
この年も斎藤明夫が続投。ベンチのムードは険悪であった。
この年に飛躍した内川に加えて、村田・吉村の強力クリーンアップをもってしても投手陣が壊滅的で最下位に沈む。内川の打率(.378)がチーム勝率(.338)を上回るという2リーグ分裂後では初となる珍記録も記録された。
寺原が先発→ヒ魔神→先発→ヒ魔神とあちこちをたらい回しにされながらも頑張ったが、いつのまにか消えてしまった・・・。
オジさんと小柄なビッグマウスは年齢が祟り、オジさんは敗戦処理として存在感を発揮したが古巣へ返還。ビッグマウスは水差し野郎のときにヘマをやらかすなどしていつのまにか消えてしまった。
そんな中でも“やる大矢”は若手捕手を育成し、石井琢郎など球団に不満を持つベテランを必死に説得。しかしコーチ要請を目論んだ石井琢朗にはフラれるなどフロントにも足を引っ張られた模様。
2009年
2009年の、チームへの一般的な評価。よく見りゃ横浜OBでさえも、この様式美。もちろん翌年以降も似たような評価である。
怖いおじさんが去り、チームを明るくしようと、復帰した駒田とともにクリーンナップの成績次第という効率の悪い打線をどうにかしようとする毎日であった。しかし、14連敗などの精神的苦痛に耐えかね疲労の限界に達した5月、ついに休養させられ、湘南シーレックス監督のオバQに監督代行を託すこととなるほどチームのムードどころでは無くなってしまった。ちなみに高木のとっつぁん・シーレックス監督代行とともに、数々の選手を森の魔の手から再生した育成のスペシャリストである。
しかし監督交替後も1軍の迷走は続き、それに引きずられるように首位を走っていた2軍も急速に弱体化。
ファンの間はベイスターズ崩壊を目論む「TBSの三悪人」こと佐々木・村上・山中が、大矢の構想の1つであった若手捕手育成計画を阻止、さらに12球団有数の野手育成力で知られるシーレックスの崩壊を画策したと噂されているが・・・。
なお「読売ジャイアンツ」は「巨人」、「中日ドラゴンズ」は「」、「阪神タイガース」は「」、「東京ヤクルトスワローズ」は「」、「広島東洋カープ」は「」と表記するように、「横浜ベイスターズ」は「」を略表記とすることがある。ここだけ動物でないことが、負けが多い原因ではないかとも憶測されている。その負けの多さから野球ファンは「星」から★(黒星=負け)を連想しており、横浜ファンは勝ちが込んで☆(白星=勝ち)を連想するようになるその日を待ち続けている。

低迷脱出に向けて

2010年
2009年シーズン終了後、降って湧いたアニメマネーで気を良くしたのか、ほとんど総入れ替えに等しい15人もの大補強を敢行する。
なにせ、この年で数年前に燕軍の通算敗戦数と09年には横浜のAクラス入り回数を上回り、正真正銘の12球団随一の貧弱球団に成り下がったためである。
ようやく事の重大さに気づいたフロントが、アニメ収益があっても赤字決定という親会社の財布を強請(ねだ)った模様、というよりもフロント自体がほぼ総入れ替えになってやる気になった模様である。
ちなみに内訳は千葉ロッテマリーンズから4人、日本ハムファイターズから5人、ソフトバンクホークスから2人、海外球団から助っ人3人+日本人1名という今までのフロントでは到底ありえないような補強をした。
しかし、獲得した選手はほとんど活躍せず、放出した選手は活躍するどころかチームの足を引っ張る
放出した選手に問題児もいたため、トレード得したというか、膿出しのようなものだった。(←例として四球を出して舌も出す松家。北海道でもやっていて解説者から苦言を呈されていた。
そして この2010年シーズン、セントラル・リーグには貧富の格差が表れた。
“金のあるトコは上位、ビンボーは下位”といった図式である。そこでの横浜は、破壊力ある外国人打者の働きで勝利を模索していたが、彼らは打力に限らず守備でも破壊力を発揮してくれた。
交流戦では、トレード放出した左腕に0封されたとか、2度の4連敗どころか9連敗まで喫した始末。ペナントレースに戻っても6月末で借金20(70試合で45敗)、96試合目で借金30(63敗)というダントツの最下位。
しかも12球団で唯一、勝率3割を瞬間的に下回った東京ヤクルトスワローズでさえも勝率5割を超えたり、同じくペナント戦でガッカリだった北海道日本ハムファイターズも“横浜まで来て貯金生活を満喫”するなど、このチームには一体、何が足りないのかと思わせる事だらけだった。
なにせ「アメリカ帰りの大家さん」や「救世主ハーパーさん」を新たに獲得するなど、燕や鯉と違ってオフから相当な投資をしながら、それでも最下位なのである。シーズンの大勢が決まった頃になってようやく底無しのスランプから抜けた村田と、救世主ハーパーで何とかなっている状態。それでも12球団ワーストのチーム出塁率.313という影響は、そのまま521得点(これまた12球団最少)に直結。そのせいか、1点差試合を18勝29敗で大きく負け越す勝負弱さにも結びついた模様。“投手陣再生の名手”と謳われた尾花のキャリアに傷がつくのも時間の問題と思われる。
もっとも尾花自身も一番モンチッチ山口俊を2回またいでクローザーなどの自爆行為に奔っており、まったく責任が無いとは言えない。実は開幕から1ヶ月程度は勝率ほぼ5割ペース、下位から這い上がる兆しの見えない鯉とツバメを尻目に4位と、近年になく健闘していたのだ。ところがその原動力である寺原・牛田がピンポイントに故障した交流戦開幕前後から急降下、ペナントレースから脱落してしまった。山口イニング跨ぎもその所以であるが、シワ寄せがきている真田のような敗戦処理担当中継ぎ投手陣へ二次災害を及ぼすことも懸念された。
何とかしたい、という姿勢くらいは見えるものの、これくらいではトンネルの出口など見えてこない。
2011年
近年、有力選手の『脱ハマ』におびえ続けた2010年オフ。とうとう横浜を支えてきた男、内川までもがFA。球団の実態を暴かれた挙句、ハゲ鷹軍団へ逃亡された。その補償金を元手に球団は再び大規模な補強に動く。北の方からお笑い芸人をFAで、さらに東北から渡辺直人を不条理トレードで野手陣の強化を図った。
投手陣でも、働かない寺原を放出し、左腕・山本を獲得。さらに中継ぎ強化のために西武の誇る炎上型リリーフ集団『俺達』初代総帥、大沼幸二を獲得。強化どころか火に油を注ぐようなものである。
助っ人では、期待のリーチを獲得。ところがこの即戦力左腕はオープン戦中に震災の影響で帰国。そのままシーズン後半まで帰ってこなかった。その後、前年限りで解雇のランドルフと再契約を結ぼうか、などと先見性の欠片も無い球団方針を垣間見せた。
不安を抱えたままペナントレースがスタートすると予想に反し、味噌カツ相手の3連戦を勝ち越し。『弱投?それがどうした。打って勝てばイイじゃんか!!』とばかりに、“吐き出した分まで打ち返して上位を窺おう”というスタイルで挑みだした。なにせ村田ですら全力疾走で次の塁を狙う積極性。今年はマジで違う!!と期待を持たせかけた。
ところが、ともに最下位争いを繰り広げていた広島に3タテを食らうなど開幕6戦目から早々と5連敗を記録。5月にも5連勝直後のリバウンド6連敗で、例年通りの横浜だったことを思い出させてくれた。交流戦最終日6月19日(52試合目)には、駆け込みで12球団最速の30敗到達。開幕投手に抜擢した新戦力の山本が阪神から挙げた2勝のみの10敗で7月には2軍降格。あせりを感じたのかフロントは村田、ハーパー、筒香らがいるにも関わらずノリさんを補強。おい、投手補強しろよ。相変わらずの迷走振りを見せ付けた。
とは言え、敗戦を重ねても選手の積極性・気持ちが折れていない試合が幾つも見られた。5・6月辺りまではリーグ最多の得点力を誇っていたのである。それでも結局のところ、前半戦をいつも通りぶっちぎりの最下位(25勝44敗8分)で終了した。

球団データ

横浜ファンが集うスタジアム

本拠地:横浜スタジアム

1978年開場。両翼94m・中堅118mは開設当初は国内でも標準的な大きさであったが、現在ではかなり狭い部類となっており、飛ぶボールが使用されていた頃はホームランが出やすい球場として(主に対戦相手のバッターから)喜ばれた。現在でも飛ぶピッチャーを各種取りそろえているために(しつこいようだが対戦相手のバッターにとって)ボーナスステージとなっている。

創立:1993年、ホッシーによって創られた。 優勝回数:2回(2008年現在)

売却問題

日テレを真似て、『球団経営でウハウハ生活だー!!』なんて安易な判断のTBS。その結果は、赤字の垂れ流し。深刻な事態を憂慮して水面下で動き出した。

2010年

10月1日
新たなネタ提供に世間は騒然とする。
史上初の3年連続90敗を達成した横浜に対して愛想が尽きたのか、はたまた水戸黄門の再放送しか視聴率が取れなくて本業以外に手を出してる余裕ががなくなったのか、アニメ大好き悪質テレビ局球団売却が明るみに出た。それまでドカドカと投資してながら全然強くならず、とうとう大赤字になるほど焼け太り。『ベイスターズ版サブプライム問題に、TBSも傾いた』という訳だ。
10月6日
早速、虎には矢野燿大の引退試合を台無しにたせいで、木塚敦志の引退試合を台無しにされた。
最終戦こそ勝てたものの、借金47(95敗1分)で試合を終え、試合後のセレモニーには監督ではなく、加地球団社長が挨拶。
「横浜の地を離れたくありません」と熱く訴えると、居残ってくれたファンからも喝采を浴びた。しかし、先行きは不透明。
10月27日
順調に思われた売却だったが売却先企業と物別れに終わっただけでなく、結局「TBS傘下のベイスターズのまま来季を迎える」との発表があった。
騒動終了後
住生活Gでは、本拠地を静岡に移転する予定だったことが判明。
山下大輔鈴木尚典石川雄洋らOB・現役の静岡出身者を有することから、今後も静岡移転は有力である。
ちなみに住生活Gの幹部は新潟など眼中に無かったとのこと。後に住生活G会長が「全ての可能性を切り捨てるべきでない」と否定しているが、後付け丸出しである。
新潟としては強い西武のほうに来てもらいたいところ。
この一連の人騒がせで元鞘な報道に、ファン安心。しかし世間は白けた。ところが赤字解消には全く結びついていない。どうする気なのか。もちろん今でも、裏でTBSが買い手を探していることなんか誰も気にしない

2011年

案の定、前年に引き続き、この問題が再燃する。

10月1日
アニメ大好き悪質テレビ局が複数の企業と売却交渉をしていると発表。
10月18日
金満帝国大正義虚塵軍総司令が横浜の売却先が仮想都市生活と婚活支援を兼ねた出会い系サイトで決着するとの見解を示した。

チームの得意技

  • ベイス☆ボール!
野球という名のベイスターズ劇場。
「10点先取!」や「1-0でもう少しで勝てそう!」や「2-1の競ってる状況」や「残塁争い」等の時に主に発動する。
「先発投手陣がいきなり捕まって10点取り返された!」や「リリーフ崩れて完封から大敗だ!」や「野手のゲッツーやエラーのせいで流れが切れた!」という事が日常茶飯事に行われる事である。ファンも胃が切れる日が近い。
  • 追いつかない程度の反撃
「9回、7点ビハインドから満塁ホームラン」のように、ある程度の反撃は見せるが決して同点にはしないという奥ゆかしい技である。「9回、2点差から1点を取ってファンを期待させておいて的確に凡退」という高度な技術も併せ持つ。一部のファンからは、「早く帰宅したいのに盛り上がって帰るに帰れない」「時間稼ぎはやめれ」とも。また一部のファンの中には「これで明日に繋がる」と評する者もいるが、実際に繋がった試しがない。「明日に繋がる」の活用形として、順位の確定したシーズン終盤戦での「来年に繋がる」も存在するが、やはり繋がった試しがない。
  • 大量得点は次戦敗北へのプロローグ
ごくたまに打線が噛み合い、10点以上の得点をすることがある。しかし、大量得点に選手が疲弊、次戦はボロクソに負けるというのが恒例となっている。一部ファンからは「どうせ負けるんだから、次の日にとっとけ」と揶揄されている。うまくとっとけても、きっと打てない。うん・・・
Zanrui Grand Slamの略語。ランナーが満塁になると点が入らないという、これもチーム伝統の技。でも1年に1回くらいは本気出す。2010年はどこからか流星の如く現れた外国人がやってのけた
上記のみずしな孝之が批判した近藤昭仁は、この病気にかかっていたことが後に判明した。世界で最も長い病名としてギネス・ワールド・レコーズに申請中である。
  • 相手チームよりヒット数は多いのに試合は負け
これもチーム伝統の技である。一時期を除いて長打力のあるバッターが少なく、どうしても残塁が多くなるため。
  • ファンタジスタ
主として守備面で、常識では考えつかないプレーをする選手たちの総称。古くは田代富雄や内野を守っていた頃のポンセ、最近では鈴木尚典古木克明といった選手たちがファンの目を楽しませている。これらの選手が守る方向に打球が飛ぶだけでファンの心拍数は2倍に跳ね上がる。その時たまたま目の前に異性がいると、「このドキドキは、もしかして恋?」と勘違いしてしまうほどである。
2007年6月24日、横浜スタジアムでのオリックス戦。5-0でリードの4回表から登板した高宮和也が『四球→即被弾』と1死も奪えず2点を献上した際、TBSアナウンサーTBSの有吉が発した言葉。この時の実況では、その他にも「全滅!」「場を読めよ」「あ~あ」「そのままカバンに荷物をまとめて横須賀(二軍)へでも行け」(実際には3年後にカバンに荷物をまとめて関西に行った)などと、公共の場でのアナウンサーの実況とは思えないような罵声が飛び交った。その罵声の酷さたるや、空気を呼んだ音声さんが、椎野が喋り続けているにも関わらずアナウンス音声をいきなりOFFにした(と思われる)ほどである。高宮は一躍、ごく一部で超有名選手となった。
  • 椎野四段活用
同日、8回表から登板した那須野巧のリズム・テンポの悪い投球に対して、椎野茂が「何故あそこでインコースのストレートを使わない使えないのか、使いたくないのか、使う度胸も無いのか?」と発言、後にこれが『椎野四段活用』という、動詞の新しい活用法として確立された。その後、結局失点を許してしまった那須野は「またスライダーを投げた!何故ストレートを使わない!?何故そんなに変化球ばかりに頼るのか那須野!」「ベイスターズの一塁側・ライトスタンドのファンは怒っています!」「相川もおかしいよ」と、高宮に負けず劣らずの罵声を(ついでに相川といっしょに)浴びせられている。ちなみになぜかこの試合の実況には仁志が数回出演した(無論残念な意味で)。この試合は5-4で横浜が何とか勝利。
  • クアトロK
2006年JFKにあやかって結成、それなりに活躍した。ただし構成員のクルーンは自由契約となり巨人の守護神として立ちはだかり、川村は引退。木塚・加藤も2008年に故障し(木塚は復活したが加藤は劣化)、完全崩壊した。
2003年、勝っているのに、あえてのデニー投入。そして逆転される。それ以外に何か?後に「でも連投きく中継ぎってデニーくらいしかいなかったからしょうがなかったよね」説も浮上しているが、それも含め当時の中継ぎ陣のヤバさの代名詞として語られる。
  • ピッチャーヒューズ
2008年、勝っているのに、あえてのヒューズ投入。そして逆転される。デジャヴ。前の例と違い他のピッチャーがいたはずだからなおさら悪夢である。
  • マシンガン継投
2008年シーズンでしばしば見られた、勝敗・点差に関わらずリリーフ投手を多くつぎ込む起用法。言うまでも無いが「マシンガン打線」と引っ掛けて命名。同年、この采配が多くの横浜ファンを絶望の底へ突き落としたと言っても過言ではない。
  • 山口シュンの憂鬱
2009年5月13日、ハマスタでの巨人戦。7ウラの失策絡みで8-6と勝ち越した横浜ベイスターズ。チーム事情により当月から急造クローザーとなった山口俊を9表に投入。1死からの連続四球があっても2死1・2塁まで立て直した、ラミちゃんとの対決。1塁後方にフラフラと上がり、打ち取った打球を1塁手ジョンソン・2塁手の北川が猛然と追いかけた。ただ、ジョンソンに捕らせるには若干無理な方向、右翼手のモンチッチでも遠すぎる。そこで、回り込んだ北川の捕球で試合終了…、と思われた。ところが、捕球体勢に入っていながら目測を誤ったのか、それとも風なのか(ホームチームが風を計算し損なうなよ!!)、ホントの落下点に慌てる北川。飛びついたつもりでも、打球は空しくフェアグラウンドにポトリと落ちた。しかも、無駄に走ってたはずの1塁走者に本塁生還される始末。無安打なのに8-8の同点にされちゃった(記録は北川の失策)。
しかし、その直後の9ウラに何故かそのまま打席に立つ山口は、中前打で出塁。さっきまで顔面蒼白だった北川もワンバウンドのフォークにまでバットを当ててファールにする執念を見せた結果、これも安打で続く1死1・3塁。内川が敬遠された1死満塁で、村田が まさかの押し出し死球。呆気ない幕切れでサヨナラ勝ちした横浜ベイスターズ。そして、村田と共に御立ち台に上がった山口は、ヒーローインタビューで「すみませんでした」と発言した。山口・北川の共謀という自作自演のドタバタ劇で振り回された この試合は、まるでギャグ漫画のようだった…。
  • 月曜日
試合の無い普段はベイスターズファンの安息日となる。ただ、日程の都合で稀に開催される月曜日試合での勝率が、毎年 高水準を維持されている。普段からやれよ。
  • 崩壊リリーフ陣
基本的にリリーフ陣の整備なんて牛島組長の頃、僅かに行われた程度。毎シーズンの懸案事項ながら、結局は先発失格のピッチャーに投げさせているだけ(木塚の様な中継ぎ専門投手自体が少なく、適性を見出だされて中継ぎに回った投手が他に比べ異常に少ない)。
大量点差のついた負け試合では神がかり的なピッチングを披露する一方、僅差のビハインドや同点、リードしている試合では大炎上してしまう投手があまりに多く、一部のまともなリリーフに依存するため、過剰登板・故障を誘発。結果的に、リリーフ陣は自ら崩壊していくのである。
  • ホームランボールを獲られる
2010年8月に広島で相次いで起きた赤いチームの外野陣による窃盗事件。村田が赤松に、ハーパーが天谷にそれぞれ被害にあっている。しかし広島球団は「あれは中日戦での犯行だ」などと変な容疑の否認の仕方をしている。
  • 活躍できる場所を探したい
(横浜に限らず)ベテランが退団するときにだいたい口にする言葉。特に横浜を退団する選手に関しては、去る者の行く末を応援したい気持ちが湧く一方で「ウチですら無いのにましてや他になんてあるのか?」などと横浜ファンは毎年思う。横浜フロントは実績あるベテランに対して大抵は引退勧告と同時にコーチ就任要請を打診しているはずなのだが、近年は蹴られた上でこう言われて退団されることが多い。
  • 幻のチャンステーマ
もしかしたらコアなファンでも知らないかもしれないが、横浜にだって一応チャンステーマが存在する。なのになぜチャンステーマの影が薄いのかというと、チャンスになることがほぼ無いからである。もし何かの拍子にチャンステーマが流れ出したら、しっかりと耳に焼き付けてほしい。2度と聞けなくなる可能性もある。
  • 球団の実態
2010年末から内川に記者会見で暴露された残念なお話。横浜にやってきた選手はみな「こんなはずじゃなかった」と後悔している様子。これだけでも球団幹部にてっては痛手なのに、さらに内川は「今年ウチは大改革しても変わらなかった」「今ここでやっていくことで悩む要素がなかったらどんなに楽か」とたたみかけ球団幹部を撃沈させた。さらに、弥太郎、橋本もベイスターズの禁則事項ですを暴露(2011年にはこの3人のうち2人はいない)。読売マスゴミもここぞとばかりに叩きまくる。
その報道の一部は、横浜の選手はまさに家にいるような気分で野球を楽しめる。例えば、試合中なのにゲームで遊ぶ、喫煙しながら雑談する、寝転がってテレビで試合観戦するといった他球団では許されないような行動も当たり前になっており、練習もかなりぬるい。そのため、横浜は楽をしたい野球選手に人気がある。
ちなみに、SBは王会長直々に内川から詳しい話を聞き、自球団に生かすとのこと。やりすぎである。

フロント

TBS時代になって、問題視されているフロントには、数々の異常行動が見られている。

補強

珍名補強
ファンをもっと集めようとしていた球団のフロントが『これだ!』と思った珍しい名字や名前の選手と次々に契約していくという荒業。活躍しようがしまいが関係ない。だって誰も気にしない
挙句の果てに登録名でもっと目立たせようと必死になる始末(例:ジェイジェイ)。
頭いい人補強
将来さっさと引退してフロントに就いてもらおうと期待しているのだろうか。
しかし2009年オフそのフロント候補3人が何故か一斉に北海道日本ハムファイターズへ飛ばされた。けれどもドラフトで一人京大卒を補強してみたり、3人を売り飛ばした北海道日本ハムファイターズからも早稲田を二浪して一般入試で入ったのも見返りとして頂いたことから頭いい人枠は継続されている模様である。
この補強は功を奏す日がやってくるかもしれない。

球場にウルトラマンを招待し観戦させる。外部リンク家族でプロ野球?観戦

戦力放出

フロントの代表的な敗退行為として、他球団への主要戦力供出が挙げられる。
「負け越している投手だからイラネ」とバッサリ切り、翌年の中日優勝に貢献させた行為と思われる。
  • 同じく中日の4番打者として長きに亘って活躍したタイロン・ウッズ、巨人の抑えだったマーク・クルーンなど、有能な助っ人を理解できない基準で切り捨てたことに関しては、枚挙に暇が無い。
  • 日本人でも同じである。
2006年門倉健がFA宣言したときも(10勝10敗)⇔球界の財産といえる大ベテラン投手工藤公康を人的補償で敗戦処理として使った。
2008年には2年連続犠打王の小池⇔若手左腕石井、2番手捕手を務めた鶴岡⇔近年低迷していた真田とのトレードが行われた。
真田はチーム最多登板と頑張っているが、さすがにファンは許せていないのが人情である。なお、石井を見切るのも早く、2010年には再トレードで放出。
同じく左の中継ぎとして2009年から奮闘した加藤康介も2年で戦力外に。
  • さらに「横浜のようなチームこそFA制度の見直しに真摯になるべきではないでしょうか?」などと選手会長経験者に助言された。
選手を放出しまくるから某ゲームで横浜のカードがこんなことになる。
2008年シーズン終了後にFA制度改正(補償金が激減)したのちも、横浜は正捕手相川を資金難のヤクルトに供出し、
鶴岡以上に劣化した阪神のロートル捕手野口を一億円で「引き取った」のみである。補強と言わず、補弱と呼ぶべきか。史上最悪の補弱であった。
多村は2010年の主砲、寺原は現在なぜか横浜のエースではなくオリックスの投手となっている。

変わりつつある補強

しかし近年になり加入選手が試合を少々作ることがを出来るようになった。一方で、放出選手は名前さえ出てこない有様である。
例として、坂元弥太郎・松山傑・稲田直人⇔加藤武治・松家卓弘・関口雄大のトレードが上げられる。
稲田は出番こそ少なかったものの、弥太郎・松山は1軍で何度も登板した。
しかし、横浜から出た選手たちは2009年11月26日にその日本ハムに移籍した話題を最後にウィキペディアの更新が途絶えている有様である。
また、5億円かけた投手をあっさりとトレードで出し、代わりに来た清水直行は10勝11敗となかなかの成績を残すなど、近年のフロントは膿出しに張り切っている。

主な選手

投手

移動風景
三浦大輔
無援護や味方のエラーにも文句を言わず黙々と投げる我らがばんてふ。もっと守備がまともで援護のある球団(巨人とか)なら200勝も可能だったであろうに、このチームに居続けたがために2010年でプロ19年目にも関わらず130勝である。特に“2005年8月23日を最後に対巨人戦で勝ち星なし”なんて、トコトン呪われている。それでもベイスターズファンにとって未来永劫、記憶に残るピッチャーには違いない。
ちなみにトレードマークのリーゼントを先発日の朝に5分でセットするとか。
2009年は水差し野郎と同じくらいホームランを打たれた。
2010年3月20日、新監督を戴いて東京ドームへ乗り込んだオープン戦。相手チームが“新監督就任パーティ”を催してくれた為、真っ先に“花火職人”として盛り上げ役を務めた。その結果、毎回の4イニングで8つの花火を打ち上げる大盤振る舞い(14失点)。さすがに「やりすぎ」との御叱りを頂いて、開幕を2軍で迎えた。←ただしコレは自身の開幕登板8連敗を未然に防ぐ、頭脳的投球の賜物である。くれぐれも御間違えの無いように。
ところが復活後の5月21日、8回1失点5被安打4奪三振でダルビッシュ有に投げ勝つという横浜らしからぬ行為を行った。そこ!ハムの貧打のせいだろとか言わない!しかしその後は不調にあえぎ続ける。
2011年シーズン後半で遂に復活、ムエンゴの中力投を続けるハマのばんてふここにありを見事に示した。なお勝ち星は(ry
真田裕貴
他人の出したランナーをキッチリ返すハマのスウィーパー。しかし自責点にはならないので2009リリーフ陣で唯一防御率2点台のピッチャーである。ランナーいなけりゃ一番頼れるんだけどね。
頻繁なトレードの副産物で、2001年当時のドラ1『寺原(タカ)・真田(巨人)・秦(横浜)』3人が揃うという、普通なら他球団がうらやむ珍事が発生している。2010年もフル回転でこの球団の投手の中ではかなりマシな成績を残したのだが、防御率詐欺師としてファンの評価は低い。
高崎健太郎
大差ビハインドでのロングリリーフ&消化試合なら神がかり的なピッチングを披露するが、僅差か勝ち越しだと途端に打たれる。即戦力候補じゃなかったのかよ……。牽制球だけなら超一流。別名は右の水差し。オフシーズンはいつもファンに期待されてるが……。
しかし何が起きたのか2010年途中から覚醒を始め、2011年には「ハマのエース(先発ローテ一番)」の座を獲得。勝ち星こそ恵まれてないものの、防御率はなかなか。どうやらムエンゴが加賀から移ったようである。
山口俊
3代目ヒ魔神。通称どすこい。直球の威力は間違いなくベイスターズ中NO.1なのだが、連投出来ないという致命的な欠点を持つ。先発させようにも球種が足りず、どこで使えば良いのか判らない。それでも2010年は新監督から先発構想を明かされ、球種を増やすために最近“どすこいボール”なる魔球を習得中だとか。
しかし、パッとしなかったし、後任の外人がクソっぽかったので結局、ヒ魔神に再就任。←でも2010年4月下旬から5月大型連休の頃なら、忙しそうだった。“貧乏暇なし”を体感できた。
いくら締めくくり担当とは言え、サドンデス的に試合を終える強引な終幕(世間では、それをサヨナラ負けというが…)が多すぎ。6点差で勝ち越してる時に9回2アウトで後一人というところで山口がマウンドに登ったところ瞬く間に3点を取られるなんてのはざら。この試合の解説をしてたゆで卵は山口がマウンドに上がったとき、「あと一人抑えるだけなのでッ余裕でしょう」と言っていたが山口がバカスカ打たれた次の瞬間には「以前阪神が9回に8点取って逆転勝利するということがありましてねえ」とフラグを全力で立ててたがなんとか敗北は回避。
しかし打席に立つ機会では、割と安打多し。ひそかに吉見級かもしれない。
2011年シーズンは高崎登板時を除いて抜群の安定感を誇っている。おそらく、現在12球団でも比較的安心して見ていられる抑え投手だろう。相変わらずランナーを出してしまう癖があるが、その後をしっかり無失点に抑えるのが去年までの山口と違う点である。5月6日の阪神戦では、ストレートはコーナーにズバッと決まるわフォークはよく落ちるわその上シュートしながら落ちていくフォークも投げるわで全く手がつけられず(良い意味で)、三者連続三振という全盛期の大魔神が乗り移ったかのような投球を披露した。抑えの山口を含めてリリーフ陣がここまでかなり良い調子で投げられているので、あとは先発陣がしっかりとゲームを作ってくれることを期待するばかりである。
秦裕二
年によって好不調が変わる選手。そろそろ化けないとトレードとか戦力外通告されてしまうので頑張らないといけない所。素質はあるもののなかなか伸びない。多分トレードしたら活躍するんだろうきっと。
横浜に在籍する同期の高卒ドラ1の中で唯一の生え抜きである(横浜のドラ1や逆指名と言った選手はほとんど全滅である。)
小林太志
あだ名はコバフト。
大学・社会人ドラフト1位で入団したピッチャーが地雷揃いの中、かなりマシな部類に入る。が、見た目とは裏腹に気性が荒く一人相撲で試合を壊すことも多い。鉄道会社出身でありながらやたらに遅延行為を繰り返す。
また、捕手の出す停車駅を間違えるなど、コントロール出来ない電車。通称「ハマのエキスプレス」。
佐藤祥万
若い速球派。将来のエース候補のハズが、サイドスローに転向。
大田阿斗里
スズメ科アトリ目の鳥人。珍名収集で契約した一人。
ファンやフロントの期待は大きいが、勝敗や結果にこだわらない「あとり教育」で育った世代のせいか未だ勝ち星がない。
篠原貴行
スペ体質。尾花に拾われ、一軍でも左のワンポイントで起用されているが、ファンはこの采配に納得していない模様。2010年に加藤は戦力外となったのに何故か戦力外にならなかった人。
2011年6月現在、全くもって信頼されていないがワンポイントで出てきて抑えたりするので、そこそこ貢献している。
清水直行
地味様、じみっち。千葉ロッテマリーンズから那須野巧(5億円)らとのトレードでやってきた。今まで以上に安定感の無いリリーフと守備陣を背に、一体何勝出来るのだろうか……。なんて思ってたら10勝しちゃったよ。
勝ち頭でありながらやや負け越しの負け頭、高めの防御率ながら力のある直球で長いイニングを投げ抜く姿はかつてのドミンゴを彷彿とさせる。
加賀繁
2009年に行われたドラフトによって加入した選手の中で唯一の開幕1軍を獲得した。最近では珍しいサイドスローの先発だが、あまり目立たない。彼が好投していても、野手たちは全く持って打つ気配が無い。2010年無援護王。規定回数に達し、防御率3点台ながらたった3勝という奇跡を起こす。援護率も歴代最悪の2.47で番長の後継者として期待されている。まっとうな球団だったら勝ち数と負け数がひっくり返って2桁勝利新人王も不可能ではなかったろうに。
あまりの負け運の発揮気味にみんなが首をしげる
先発も中継ぎもいけるので、投手不足な横浜としてはある意味救世主といえるのかもしれない。
2011シーズンも先発or中継ぎ状態で迎えた開幕戦、中継ぎに登板した加賀が8,9回を抑え、9裏で大逆転。ムエンゴを高崎に押し付けまさかの開幕戦白星を獲得する。しかし開幕白星の代償で酷使無双され、遂に故障。マシンガン継投の犠牲になったのだ……
大家友和
メジャーリーグから帰ってきた。だが、メジャーに行く前はあまり目立った活躍は無かった。
2010年は東京ヤクルトスワローズとの3連戦で、そのうち2試合に先発登板するなどメジャー時代で培ったスタミナは存分に発揮しているが試合内容はお察し下さい。しかし、なんだかんだ6勝を挙げているため、投壊状態のチームでよくやっている。
江尻慎太郎
北の国から脱北。宮城県トップクラスの進学校を卒業後、2浪ながら一般入試で早稲田大学に一般入試で合格するなどなかなか頭がいい。獲得に際しては、直前のオフで横浜が東京大学を含む国立大卒の3選手を放出していたため、「勉強が得意」要員の補強では?と囁かれた。勝ってる試合では抑えるが、ビハインドだと炎上する癖がある。2011年594男。
安斉雄虎
長身でスリムな体系の投手。そこまで変わってはいないが一応珍名ということで獲得。2軍で育成中。
眞下貴之
そこまで変わってはいないが一応珍名ということで獲得。2軍で育成中。高卒ルーキーながら巨人相手に好投。
落差のあるカーブが武器だがそれしか大した変化球が投げられないという致命的な欠点がある。
縦のカーブだけでプロの飯を食っていけるとはまさにこいつのことだっ!
2011年5月10日、上毛新聞敷島球場にて遂にプロ初勝利。おめでとう。
藤江均
NOMOベースボールクラブ直伝の伝家の宝刀であるフォークを武器に、先発、中継ぎで起用されている。巨人打線を無死満塁から0点に抑えたこともある。顔が亀田三兄弟の一員っぽい。
牛田成樹
君は二種類のフォークを持っている。球威のあるフォークが武器。愛称は「牛魔神」。突然変異でセリーグ屈指の中継ぎエースへと成長・・・のはずが、スぺ体質は直っていなかった。
病気に弱いためBSE感染が疑われている。
田中健二朗
ドラフト一位を二回も外してヤケになって指名。と言ってもセンバツ優勝投手である。スぺ体質だが、2010年終盤についに初先発・初勝利。
福田岳洋
27歳即戦力ルーキー。どこから突っ込んでいいのかよく分からない経歴を経て入団してきた。
小杉陽太
カーブはなかなかのもの。割と細くすらっとしたイケメン。
だったが、方針転換したのか2010年オフの自主トレ期間の数カ月で14㎏増量しがっちり体型に。
太ももがパンパンになっている。顔までパンパンになった。それでもイケメンなのには変わりはない。
山本省吾
2010年オフに移籍。実は結構お年だったりする。出る出る詐欺師。
勝ち数は安定してるものの防御率は3点台→4点台→5点台と年々悪化している。加えて2011年からはベイ打線の名物「ムエンゴ」があるため見事に負けを重ねて横須賀送りにされていた。
杉原洋
元々は千葉ロッテマリーンズの選手。怪我に泣き3年でクビになったところをNOMOベースボールクラブで携帯ショップで働きながら練習に励んで再生し、横浜に入団というゲームの主人公のような経歴の持ち主。
2010年、初めての一軍登板を初先発という形で果たすも、緊張しまくりで2回1/3を3失点という内容だった。本人好みの巨乳タレントのような大きな度胸をもって臨んでほしいところ。
春は大沼。やうやう埋まりゆく塁上少しあかりて、 紫だちたる髭の細くたなびきたる。
大沼幸二
弥太郎とのトレードで2010年オフ加入。西武の炎上系1軍半中継ぎ投手(通称『俺達』)の初代総帥にして名誉総帥。
結構速い球とそこそこのコントロールで二軍では神の如く(というか神)好投するが、一軍にあがると痛打され大炎上し試合を壊す。なかなかのチキンハートの持ち主である。
前の投手の残したランナーはひとり残らず掃除してしまうほどのキレイ好き。
2010年、大石の背番号を用意するため、10年背負った背番号15を譲り、自身は61に変更。
2011年に向けて背水の陣を敷いたと思ったところを横浜へトレード。
開幕こそ運よくスーパーアーム投法で抑えてきたが、評判通りの炎上で横須賀行き。
2011年5月8日古巣の対埼玉西武戦に先発し、ブラウンに強襲安打を浴び、救急車で運ばれる。 
しかし、ノリさんの守備練習で送球している相手が背番号13だったため、無事が確認される。その後見事復帰し予想通り二軍無双の後一軍でビハインド神ピッチ。炎上機会を狙っている。
加賀美希昇
一巡目で消えると思われていたがはま☆すた枠で入団。最速153kmとカーブやチェンジアップ等との緩急がウリ。しかし、体幹と握力の無さと新人恒例山登り競争で最下位など課題は山積みである。
焦らずにやりたいとのこと。マイペース男。名前的に若干ムエンゴになりそうな気がする。
小林寛
ロッテが2010年ドラフト4巡目指名予定だった強靭な下半身を持つ本格派右腕。読み方は「こばやしひろし」だが、阪神タイガース小林宏と被るので、
あだ名はコバカン。評論家からの評価は非常に高い。
スロースターターぶりには定評がある。
ロッテの人がやられたーって顔をしている。
小林公太
あだ名はコバハム。またはハム太。ハム。
2009年9月に横浜の入団テストを受験したところ、合格。
巨人の入団テストにも合格している。支配下登録を目指すサイドスロー。
ちなみに、横浜は山口鉄也やに入団テストで不合格を出したのは有名な話。
須田幸太
2010年ドラフト1位の社会人ルーキー。
即戦力の先発として起用されているが、2011年8月時点でチームダントツの被本塁打王に君臨している。
また投手でありながらセンスを感じさせるバッティングやバントのうまさなどから、「うんこ」こと吉見の後継者として期待されている。
ブレント・リーチ
           /   /               _/
          /   /            ─  /
        _/   /  ____/  __  __/
             /               /
          _/             _/
                                  /\___/ヽ
    (.`ヽ(`> 、                      /''''''   ''''''::::::\
     `'<`ゝr'フ\                  +  |(●),   、(●)、.:| +
  ⊂コ二Lフ^´  ノ, /⌒)                   |  ,,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|
  ⊂l二L7_ / -ゝ-')´                 + |   `-=ニ=- ' .:::::::| +
       \_  、__,.イ\           +     \   `ニニ´  .:::/    +
        (T__ノ   Tヽ        , -r'⌒! ̄ `":::7ヽ.`- 、   ./|
         ヽ¬.   / ノ`ー-、ヘ<ー1´|  ヽ | :::::::::::::ト、 \ (  ./ヽ
          \l__,./       i l.ヽ! |   .| ::::::::::::::l ヽ   `7ー.、‐'´ |\-、
  _______________         ________  _______
 │消│消│消│合│存│松│京│      |::::|新│新│::::│|::::│草│草│::::│
 │滅│滅│滅│併│続│山│都│      |::::|潟│潟│::::||::::│薙│薙│::::│
内川の補償金1億200万円から森本の補償金4800万円・渡辺直の補償金を引いての推定4500万円を元手に加地球団社長がここで一発リーチを賭けて上積み1500万円で獲得したCR横浜物語主人公、外国人左腕。
いろんな意味で球団がリーチをしているだけに横浜球団の運命が彼にかかっている。ざわ・・・
地震で横浜の外国人選手(台湾選手は除く)は一時避難したが、彼だけ避難生活が長期に及んだ。
そして震災から4ヵ月後の7月、彼は遂に震災から立ち直り、相変わらずの先発投壊状態の救世主として一軍にアガってきた。
名前を聞いてスポーツ誌の一面に「リーチ一発!」という文字が躍るのを期待した人は多い。登録名を「立直」にするという案もあったとか。
クレイトン・ハミルトン
球団で初めてtwitterを使用し、呟いている。
広報係として球団の公式twitterよりも役に立っている。haha。
ブランドン・マン
ハミルトンと共にテストで入団。登録名が「マン」だと次に「こ」から始まる名前の投手を投げさせると気まずいことになるため、登録名は「ブランドン」に。

どんぐり捕手陣

横浜正捕手大戦を参照。
武山真吾
どんぐり捕手陣の中ではパンチ力と肩、鼻から下の面白さを買われている。2010年は主戦捕手だが打率はお察し下さい
2011年、何気に2011年6月28日(火) 現在.500。
新沼慎二
どんぐり捕手陣の中では飛びぬけたイケメンの持ち主だが、他はお察し下さいと思いきや2010年にあの岩瀬を打ち崩して初サヨナラ&お立ち台。どうなってるの。
2011年よりまさかの選手会長就任。意外性が売りでここまで生き残っている。
細山田武史
入団会見時に「大矢監督の分身になれるように頑張りたい」と発言。ハンカチ王子と大学時代バッテリーを組んで4期連続ベストナイン、1度は首位打者に輝いているが、プロでは打率1割5分。ただしバントは上手く、明らかなボール球をバントで2ランスクイズに繋げた。
大卒ルーキーだが2009年は捕手陣で最も出場試合数が多く、最もマシな捕球技術とリードでどんぐり捕手陣期待の星。2010年は育成モード。去年やれ、と思ったファンも少なくない。2011年2軍キャプテン就任。
黒羽根利規
珍名収集で契約した一人。どんぐり捕手陣の中で屈指の強肩だが他はお察し下さい
高校時代の野球部の監督は本業・ラジコン操縦、副業・クワガタ養殖、趣味・野球のおじさんの弟である。2011年なんだかんだで1軍キャンプスタート。
2011/05/07現在、盗塁阻止率はリーグトップの.640。2位以下の選手の盗塁阻止率が3割以下ということからひょっとしたら、肩は武山以上に強いのかもしれない。
橋本将
駄菓子屋さんから拉致に成功。しかし盗塁が全く刺すことができず、ずっと故障していて忘却の彼方へ。
2010年契約更改時に球団の恥ずかしい話を暴露したが、そもそも内情をしっかり把握して暴露できるくらい1軍にいたかどうかは甚だ疑問である。この話をした内川・弥太郎ともに横浜を去っており、年齢的にも2011年は巻き返しがいるところ。


野手

中村紀洋
みんな大好き話題が豊富なノリさん。
さすがにリストラだろう!…と思いきや不死鳥の如く横浜に舞い戻ってきた。
近鉄(白)⇒アメリカ(黒歴史)⇒オリックス(黒)⇒中日(白)⇒楽天(黒)という流れなので横浜でのノリさんはおそらく白であると推測される。
一つ心配な事は本人の性格や親会社がアレなので間違いなくノリさんの存在が浮くであろうということ。
村田修一
若き主砲、男村田。誰かしらの引退試合になると妙に4番バッターらしい働きをする。また「自分はお金で動くほどヤワな男ではないです」などと言っておきながら、契約更改ではみかじめ料を要求する893の如く球界屈指の守銭奴ぶりを発揮している。2011年からは全力疾走を公言。内野安打と得点を量産する姿はさながら1番バッターの様である。その全力疾走が評価され、この年のオールスターゲームではセリーグ打線からまんべんなくホームランが出る展開で肝心の4番なのに内野安打2本を放ち、翌日まさかの代走・村田が発生。きっちり本塁まで生還するという俊足プレイを魅せた。
ちなみに入団時はセカンドだった。
ハマの癒し系大砲、吉村裕基
吉村裕基
俊足のHRバッター。仁志・大西の打撃不振、石川・藤田ら若手の出塁率の低さから、交流戦以後1番で起用。両チーム先頭打者HRに貢献するなど話題性はあったが効果は薄く、6番に戻っても相変わらず大型扇風機である。村田とは同じ高校の出身で一緒にパワプロをやる仲だが、パワプロ内での村田の守備能力の低さから「動け、デブ!」と叫び、村田の心を大いに傷つけた。また新婚の村田宅に上がりこむなどの図々しい行いもしている。年々打率の低下と引き換えにHRを増やしていたものの、2009年は遂に打率・HR共に低下してしまっている。成績は下降の一途をたどる。2010年も不調は続き、尾花監督に辛抱強く使われたもののなかなか復調せず。正念場である。2011年は開幕ダッシュに成功するも、以後失速。本当に正念場である。解説者の口癖として、「素材はピカイチなんだけどねぇ。。。」
金城龍彦
2000年に新人王と首位打者を獲得。内川が右打者史上最高打率保持者なら金城はスイッチヒッター史上最高打率保持者(.346)である。しかしながらその実態はある年は俊足攻守ながら打率1割台のお察し下さい打者、ある年は3割10本を打てる中距離打者と年ごとに選手としてのタイプが変わりすぎて正直よく分からない野生の男である。現在の役割は代打の切り札といったところだが正直よく分からない。
全体的な傾向として、太ると守備や走塁の動きが重くなり(それでも強肩で横浜では数少ない守備の名手ではある)、痩せるとスイングに体重が乗らず打撃不振になるというめんどくさい体質の持ち主である。パワプロ10のサクセスに出てきた半田さんじゃないんだから・・・。
2010年オフ、突如FA宣言。あの成績でどこに行くんだ?当然のごとく獲得オファーはなく結局残留。一年契約をしてしまったので2011年に頑張らなければいけない人。
高森勇気
キャッチャーだったけど一塁にコンバート。選球眼もあるので将来のクリーンナップ候補か?しかし2010年開幕2軍絶好調だったものの、終盤では北にクリーンナップを奪われてしまった。
北篤
2文字。08年秋期キャンプにて打者に転向。ピッチャー減らしてどうする。それでも2軍ではクリーンナップを務め見事3割達成。
藤田一也
広島戦で解説していた達川に「打撃はアマチュア」と酷評される。しかし最近は打撃・守備共に上達し、”プロ”に昇格した。たまにアマに戻る。なんといってもセカンド・ショートにおける鉄壁の守備への評価は高い。普通ならセンターへ抜けるような打球も悉くプロのグラブへ吸い込まれてゆく。
東京ヤクルトスワローズが大好きで、2010年の自身初の5打数5安打(2塁打打てばサイクルヒット)を初め、このカード限定でハマのイチローになる。
また、ヤクルトよりも大好きなのは山梨県小瀬スポーツ公園野球場で3年越しで8打数8安打を記録。このカード限定でただのイチローになる。
スーパーサブ的な役割に回ることの多い2010年に打撃好調なのは歯がゆいところ。
チャンスをことごとく潰す。しかし、チャンスで無い時はよく打つ。
石川雄洋
石井琢朗の後継者……のはずなのだが、2008年の石井退団に伴い未熟ながら無理やり引き継がせた感が多少否めない。それでも控えのショートがそれ以下なのでスタメン固定。もうやだこのチーム。2010から鈴木尚典の背番号7を受け継ぎ前任者よろしく打撃が向上したが、守備難も(以前よりマシになったが)受け継いでる気がしてならない。何だかんだで盗塁・走塁が上達したし、出塁率と守備がさらに向上すればリードオフマンになれるはずなのだが。
イケメンその1。
下園辰也
2009年は5月時点でイースタンリーグ暫定首位打者だったために昇格。以後一軍で対右先発時に1番センター、対左先発時は代打で出場。意外にパンチ力のある打撃でベイスターズではかなりハイレベルな成績を残している。長打を捨ててリードオフマンを目指すらしい。しかし守備はファンタジスタ気味。
2010年は吉村に代わり中軸打者としてスタメンに定着。リードオフマンじゃないけど結果をそこそこ残している。この年は走塁面でのミスが目立ち、サイクル牽制死を達成している。2011年オープン戦打撃好調であったため、ライトのレギュラーは当確と思われていたが東北地方太平洋沖地震が起こる当日の試合(この試合は特別コールドゲーム)でオープン戦にもかかわらずフェンス激突→右足脛骨(弁慶の泣き所)骨折。被災地同様復旧のメドが立たないという弁慶だけでなくチームにも相当痛い怪我となった。しかし、6月には見事に復帰を果たし、6月29日の復帰第一戦で初球をライトスタンドへホームラン。その後はIsoD.150越え(8/22現在)という選球眼を発動し、四球時々ヒットで出塁を稼いでいる。
イケメンその2。
桑原義行
2ちゃんねるの一部でちんこが臭そうな選手として一躍アイドルに。彼が試合に出場するだけでスレが立つ。
ターメル・スレッジ
北の国から脱北。本塁打か三振かのバッティングをしている。ファンからの愛称はスレッジハンマーやひだまりスレッジ等々。レフトの守備は一見ファンタジスタ系だが、ハラハラするだけでやらかしが意外と少ないので一安心。応援歌は神。しかし2011年退団決定。まあこんなチームじゃしょうがない。
稲田直人
北の国から脱北。本格的に見えない人に……。
早川大輔
千葉ロッテマリーンズから尾花監督の熱い要望で獲得した。通称バット投げ職人。捕手殺しのバット投げで有名。パワプロによるとチームプレイ○。危険なので横須賀に幽閉されている。ロッテ早川バット投げ外野手とは別人ということか。
山崎憲晴
熟女と結婚したことが最初で最後のネタになるんじゃないか。守備はいいが打撃がまだまだの藤田系。同期の細山田と松本の陰に隠れたが2009年はルーキーで開幕一軍。そんだけ横浜の層が薄いともとれる。
松本啓二朗
父は甲子園優勝投手で高校野球の監督、自身(と弟)も高校でいわゆる親子鷹で甲子園に出場し、早稲田大学では通産100安打と六大学野球リーグベストナイン5回の絵に描いたような野球エリート。とらのでんしゃやさんとのクジ引きの末に獲得。2009年は大学の同期の細山田とともに開幕を1軍で迎え、走攻守そろった外野の即戦力として期待されるも、攻が即戦力でなかったので育成中。でも走と守はすでになかなかのものを持っているので期待しているファンは多い。
2009年は別の「俊足攻守の松本外野手」が新人王だったため悔しがる横浜ファンも多かった。
筒香嘉智
久々の超大型高卒新人。
シーズン中にも関わらず、深夜の1時過ぎに寮の屋上に行って素振りをするというイチローぶりの精神の持ち主でもある。
それを知った鈴木尚典前コーチも寮長に室内練習場で24時間開放して欲しいと頼み込んだそうだ。
熱心な鈴木尚は試合の後、他の選手の指導などで助言できない時は携帯メールを使って、褒めたり、修正点を指摘。高卒新人はみるみる変わっていった。
教育係はアホなフロントのせいでクビを切られてしまったが、2011年からもさらに覚醒できるかが課題。
他の選手も筒香の野球に対する姿勢は習った方が良い。本当に。
しかし2011年10月18日の中日戦で5打数5三振という記録を出し、中日の優勝に貢献した。まあ、来年があるさ。
ブレット・ハーパー
シーズン途中に有明のハーバーと名前が似ていたからテスト入団。ただでさえ投手が足りないのに何で野手なんだよ、と思ったら7月18日の読売ジャイアンツ戦ではマーク・クルーンから逆転サヨナラ満塁ホームランを放つなど大爆発。打線の救世主に。彼がいなかったらただでさえ打率並に低い勝率が2割台に落ちていたのは言うまでもない。現在もホームラン、安打ともに量産中。守備は気にしてはいけない。三振させると、でかいフォロースルーのせいで相手捕手に血の色を見せることが度々ある。通称:「ブラッド・ハーパー」
内藤雄太
お、ナイトゥー!
2005年ドラ3の左の大卒外野手中距離ヒッター。しばらく二軍で調整を続け、2009年にプチブレークを果たすも2010年は不調に。
大卒として勝負の年になろうという2011年は浅尾拓也からサヨナラヒットを放ち、チームの8年振りの開幕戦勝利に導いた。
試合出場の為、ファースト、サード、レフト、キャッチャーの練習を積んでいたそうな。
森本稀哲
ドラゴンボールの世界から迷い込み北の大地で生活をしていたが、南下。スベリまくりのパフォーマンスと走攻守のバランスのよさには定評のある。入団会見から早速お察し下さい
渡辺直人
クズ様。岩隈久志のメジャー移籍するする詐欺などの影響でレギュラーだったのにここにトレードされた。どんな罰ゲームだ!
流石の小物も同情の涙を流していた。現在でも陰毛ヲタ楽天ファンに愛されている選手であり、楽天との交流戦では相手側からも大歓声が沸く。内川とはエラい違いである。打率2割台後半ながら得点圏打率が3割も超えている。プードルのショート固定によりセカンドにコンバートせざるを得なかったが、ショート守備は送球は火を見るより明らか。たまにポロリもあるよ!
サンキュークッズ。
荒波翔
2010年度ドラフト3巡目で導入したトヨタ製最速自動車。
不調かつ、松本や下園という俊足左打の外野手がいるにもかかわらず、3巡目と言う高評価でのの指名には全スカウトが首をかしげた
地元枠ということらしいが…どういう意図で指名したのかはお察し下さい
全最速をモットーとしているため、調子の上がり下がりが激しく、故障もしやすい。
他社が導入した同企業の優良自動車よりも1秒くらい差をつけられるほど速い。
喜田剛
兵庫広島大阪と渡り歩いてきた男。パンチ力のある打撃には定評があるが守備はお察し下さい
第二の古木克明になるのではないかと恐れられている。盥回しさん。
一輝
オリックス・バファローズからやってきた。内外野守ることができるパワーヒッター。
オリックス時代、コーチにキレたことがある。練習の

主な花火職人

太字は在籍中の職人

野村弘樹
今はピッチングコーチをしている。現役時代は打撃も得意な左腕エースであり、彼の薫陶を受け完成したのが吉見である。
斎藤隆
横浜だけでは飽きたらずにメジャーに進出。あっちのマウンドの方があってるのかMAX159Kmマークして大活躍中。
川村丈夫
90年代後半は先発、故障から復帰後は中継ぎに。クルーンの負傷時は守護神を務めたが、3人のランナーを出しながらその後3者連続三振で試合終了、無失点でセーブをつけるという大劇場を成し遂げ、UZGS(アルティメット残塁グランドスラム)として語り継がれている。神奈川県の厚木高校から一般入試で立教大学に進学した秀才だが、慶應義塾大学お察し下さいことに触れるのは禁則事項です
土肥義弘
戦力外通告を受けた。そして地元の球団に拾われた。巨人キラーである。
吉見祐治
通称飛ぶピッチャー。若手の野手より遥かにバントが上手く、打席に立つと相手の投手コーチが出てくる程。内角154km/hの直球を流し打ってタイムリーヒットにする技術をどうか野手に伝えてやって下さい。年に1~2日程度、投げれば神がかり的なピッチング、打席に立てば自分でタイムリーを打つ「吉見デー」があるのだが、いつ来るか分からないので2010年5月に駄菓子屋さんへ金銭トレードで移籍。DH制なのにどうするの?と思っていたら見事に交流戦で抑えられてしまい、8月には完封も記録。けっこう活躍しているが防御率を見る限りやはり吉見である。かつては新人王候補だった。うんこ。

伝説の大洋OB

平松政次
宝刀、カミソリシュートの持ち主。
怪我が多かったため、ガラスのエースと呼ばれていたが、プロ通算200勝を挙げる正統派エース。
ちなみにアマ時代から優勝を経験し続けたエリートでありながら“200勝到達者で唯一、リーグ優勝経験の無い”人物。要するに暗黒時代を1人で背負ったお方である。言い換えれば、優勝常連チームなら300勝も狙えただろう、という秀逸な方。
遠藤一彦
80年代の大洋を代表するエース。落差のある高速フォークを武器にし、女房役の若菜と共にクロマティをおちょくりつつ弱小大洋を支えた。花火職人の師匠でもある。アキレス腱大学の後輩が弱点。
1984年に17勝し、2年連続の最多勝と奪三振王を獲得する……が、なんと勝ち星と同じ数負けてしまい最多敗を記録。最多勝投手にも関わらず勝率5割という珍記録を作る。おまけに被本塁打王も獲得した。
優勝常連チームなら300(ry
田代富雄
大洋が誇った国産長距離ヒッター。元田代ラーメン所属。得意技は現役時代の豪快なスイングを活かした高速湯切り。
2009年シーズン途中で、大矢明彦に代わり、横浜大洋の指揮を執る。
横浜星覇会は彼を称え、当時の応援歌を随所に流すも、平成生まれの現代っ子は歌えず。そこで得意の手製の歌詞カードを掲げ、ファンの士気を高めていた。エラ。現役時代はパーマをあてており林家ペーっぽかった。
カルロス・ポンセ
マリオ。顔もマリオ、飛び方もマリオ。
ヒットを打たなかった日ははピザしか出してくれなかったのこと。ちなみに、猛打賞で帰ってくると凄いご馳走だったとのこと。
銚子利夫
高校時代は「市立銚子高校の4番ピッチャーの銚子くん」というマンガみたいなシチュエーションで甲子園に出場。
1988年、この年定着した三塁の好守備(わずか3失策)も光ってゴールデングラブ賞受賞は間違いないと言われていた。しかし同賞のセ・リーグ三塁手部門は守備力においては銚子よりも劣ると思われた巨人原辰徳(126試合出場、10失策。但し、打撃成績は銚子より遥かに優秀であった)に奪われてしまった可哀想な人。
2008年にどうしようもない選手ばかりを集めてしまったために、フロントをクビにされてしまう。
斎藤明夫
現役時代は右腕投手として初の100勝100セーブを達成。その実績を買われ投手コーチに就任し、幅広い分野の投手の育成を期待されたが・・・。むしろ本人が投げたほうがよかったのでは?
デニー友利曰く、「もう、何でこんなに殴られないといけないのっていわれるくらい殴られた。本当に怖かった」とのこと。
僕はね、見た目は893のように見えるんですがね、本性はかなり優しいんですよ。ただ怒ったらちょっとだけ怖いだけなんです。
山下大輔
上の人とは対照的な人。大洋に入団した猪狩守。当時は頭髪もあり、そのハンサムな顔立ちで人気を博した。野球界を影から照らす太陽である。
デニー友利曰く、「もう、何でこんなに投げなければいけないのっていわれるくらい投げさせられた。本当に怖かった」とのこと。
盛田幸妃
彼無しにカムバック賞は語れない。トレードで放出した直後に病に倒れ、代わりに入団した中根仁が活躍したため横浜ファンを複雑な心境にさせたが、病を克服、復活して近鉄の12年振りのリーグ優勝に貢献。
現役時代はチームを救援するストッパーだったが、入団前に漁師の父の船が海で遭難し、後のチームの親会社に救援されたことがある。事実は小説より奇なり。

スーパーカートリオ

日本プロ野球界におけるベース盗難事件を参照。彼らは有名な窃盗団一味である。
高木豊
「スーパーカートリオ」1号車。目先のわずかな上積みを求めて契約更改でゴネにゴネたためフロントに煙たがれ、翌年レギュラーだったのにクビになったエピソードは「出る杭は打たれる」や「急がば回れ」や「安物買いの銭失い」などのの良い例である。
そのことがトラウマになったのか、3人の息子には野球ではなくサッカーをやらせている。父譲りなのかみな俊足でその世界では期待の星であり、自身も現在はすっかりサッカー贔屓に。
そもそも、解雇された理由として他に駒田獲得の資金捻出などの事情があるが、特筆すべきは石井琢朗との世代交代を促すためという理由であろう。こうして進藤と一緒にサード・ショートのレギュラーに定着した石井であったが、後に石川が一軍に定着した際に同じような理由で石井が戦力外になるなど、どうやら歴史は繰り返すようである。石川も気をつけろ!というかまずこの二人のレベルの選手になることをファンは期待している。
ハゲかけてきた際、CMで堂々と公言して隠すという大胆な対策を取った。
なお、その後育毛剤にドーピングの成分が入っていたばっかりに試合出場20日間の出場停止処分、制裁金750万円を科された選手が出てきたため、やはりプロ野球選手でハゲを隠したいならカツラである。
そんな高木の息子の三兄弟たちはサッカーの道へ。長男は清水エスパルス、二男は東京ヴェルディ、三男はヴェルディジュニアユースでプレーしており、「高木三兄弟」として注目されている。
そのこともあって、「サッカー通の野球解説者」として、野球解説だけでなくサッカー解説を担当することもある。スーパーカートリオは健在である。
見事に自慢の脚力は息子たちへ受け継がれた。
加藤博一
「スーパーカートリオ」2号車。福岡(現埼玉)の鉄道会社兵庫の鉄道会社に在籍していたが、よく考えたら鉄道会社にスーパーカーは場違いなので移籍してきた。スーパーカーなのになぜか応援歌は行進曲だった。
芸人のようなキャラクターを活かしてオフや引退後にバラエティーでお茶の間の人気者になろうとするあたり、実はスーパーカーというよりファミリーワゴンあたりに近かったのでは?という仮説が立てられている。
そんなスーパーカー?も2008年に生産終了。合掌。
屋鋪要
「スーパーカートリオ」3号車。大洋時代は3年連続盗塁王などの記録に残る活躍を見せるもチームは上位争いとは無縁だったが、駒田ショックで金持ちウサギに移籍したあとは出場機会こそ大幅に減ったがチームは優勝、日本シリーズでは守備固めでファインプレーを見せるなど記憶に残る活躍をした。どっちが幸せだったんだろう?引退後は「巨人OB」の肩書きを名乗ることが多いあたりからお察し下さい
身なりに厳しい球団に移籍してからも特例で許可されたヒゲがトレードマーク。

ベイスターズOB

佐々木主浩
誰もがご存知大魔神。90年代後半のリリーフエースとしての盤石っぷりは他球団の恐怖の対象であった。現代のプロ野球風なら「コントロールのいい永川」、横浜風なら「コントロールが良くて他も全体的にすごい牛田」とでも言えばその凄さが分かるだろう。その後海を渡ってメジャーでも活躍し、現役最晩年は横浜に復帰した。復帰初年度はベテランらしい老獪なピッチングで打者を手玉に取るも、夏以降は禁則事項です、翌年もお察し下さいだったため引退した。年齢を考えれば止むをえないところもあるが、復帰後の年俸は禁則事項です
とある漫画の主人公キャラクターにもなり、神社に祀られるなど、ファンからは単なる人気というより崇拝の対象となっていた。
だが、やくみつるは彼に対してアンチ意識を持っている。
斎藤隆
98年優勝前後を先発の軸として支えたササキ様の後輩。
30代も半ばの挑戦だったというのに、メジャーへ行ってからがキャリアハイという特例中の特例。
松坂やイチローばかり注目され、メジャー挑戦した選手が次々と夢破れて日本に帰る中、クローザーとしてしぶとく生き残る。
種田仁
がに股打法とスタンドのタネダンスで有名。元々は中日だった。感情の起伏が激しく審判によくマジ切れする。そして最後には泣いちゃう。
古木克明
伝説の珍プレイヤー。パワフルな打撃から毎年のように中軸候補として期待されながらも、あーっと!を連発しレギュラーの座を掴めず。彼の素晴らしい守備の数々に多くのファンが感動を覚えた。結局、めちゃくちゃな成績ととんでもない守備が祟りオリックス・バファローズへ放出されるも2009年限りで解雇。そして引退し、格闘家へと華麗に転身。そのくせ、2010年春季キャンプには参加させてもらえる。ミラクルな古巣への現役復帰…、そりゃ無理か。
なーんて考えていたら2011年、まさかの球界再挑戦を表明。ユーモアたっぷりである我々の想像をはるかに上回る行動に目を疑った人々も多いことであろう。
シーズン成績22本37打点はもはや伝説。
相川亮二
FA権を行使して外国へ行こうとしたが、打率.255ではどこからも誘われず、仕方なく神宮の球団に移籍。
成績は満足いくレベルで安定しているが、「相川がいたおかげで」という目立つべき活躍より「相川のせいで」というたまのやらかしのほうが目立っちゃうところは移籍後も変わらないようだ。
移籍以降、横浜戦では相手ピッチャー(の打ちやすさ)を知り尽くしているためよく打つが、横浜ベンチも相川のリード(の傾向の分かりやすさ)を知り尽くしているので実質イーブンであるという説もある。
小関竜也
ベース踏み忘れ名人。戦力外にされて引退。寿司屋が多すぎてメジャーに行けなかった経験がある。スカパーで解説やってたりする。
門倉健
投げるアゴ。ノーコンを逆手に取った荒れ球とアゴの長さくらいの大きな落差を誇るフォークで番長と並んで最多奪三振を獲得したこともある。
「10勝10敗のピッチャーはいらない」で放出されたことで知られるが、10勝してFA権持ちとはいえ前年より成績が軒並み落ちてるのに年棒アップ要求してフロントを怒らせた門倉も門倉である。そして気持いいくらいのケンカ別れで巨人にFA移籍し、野球少年に「(入団するなら)横浜はやめとけ」と吹いていたら移籍1年目の成績が軒並み自分の補償選手の工藤に負けるという憂き目に遭うことに。そして翌年解雇され、韓国球界入りするとそこで復活しブレーク。波乱万丈の野球人生を歩んでいる。
工藤公康
1軍に常駐していたかつての左投げのリリーフは、今やこの人と加藤康介だけになってしまった。というか先発じゃなかったのかアンタは。未だに140km/hを超える直球と大きく落ちるカーブは魅力だが、リリーフなのに連投出来ないってどういうことなの……。8月になって15秒ルールに初めて適用された不運な人でもある。2009年オフで退団し、16年ぶりに古巣埼玉西武ライオンズに戻る。監督より年上の選手って初めてじゃない?ちなみに工藤が在籍して優勝できなかった球団は横浜だけである。
那須野巧
長身左腕と恵まれた条件を持ちながら練習嫌いが祟って損5憶、いわば『生きた不良債権』。左投げピッチャーと左手で投げる人が、いかに遠い存在か思い知らされた。変化球は入らない、ストレートならホームラン、と一体どうすればいいのかもう誰にも分からない。椎野じゃなくてもキレるよ練習しろよ。と、思ってたらついにお菓子会社にトレードされた。しかしやってくる選手とこいつが見合うかは成績をみたら一目瞭然である。
恵まれた体格やワイルドな顔立ち、一見将来が期待できそうな荒削りなプレースタイルなどから「投げる古木」と形容されたことも。その古木も野球を諦めて格闘家に転身した今、元彼女よりもギリギリでがけっぷちの正念場なのかもしれない。
加藤武治
2007年は奮戦したものの、故障で2008年を棒に振ってしまった。木塚と共に右のサイドスローとして復活が待たれる。2009年オフに公の自称人気者などとトレード。批判家・みずしな孝之と同じ大学卒で教員免許を持つ。
仁志敏久
グッチョン。2009シーズンは極度の打撃不振に陥り(4月終了時で打率1割。100打数到達時には、わずか15安打)、2軍で再調整。昇格してからは対左投手時に2番セカンドでスタメン起用され続けるが、8月に入っても打率1割5分で完全にお荷物と化した。守備は今でもそれだけで飯を食っていけるレベルなのだが、守備固めではなくあえてスタメン起用するのが田代流である。2009年限りで退団。「メジャーも視野に入れる(キリッ」とか言ってたのにその後音沙汰なし。結局独立リーグのランカスター・バーンストーマーズに入団するが打撃は不調のままであっさり引退。唯一の偉業はチームメイトだったハーパーを横浜に送り込んだこと。
ダン・ジョンソン
外野手として獲得したら何と一塁しか守れない事が発覚し、スカウトの無能ぶりを知らしめた選手。
一足先にこの球団は中国の資本主義的展開を経験している。
王靖超
右図参照。
斉藤俊雄
どんぐり捕手陣の中で最も没個性。イケメンという唯一の個性も新沼とカブってる上、そもそもマスクで隠れてそんなに意味が無いので個性発掘のため千葉ロッテマリーンズに移籍。優勝に地味ながら貢献したものの、その後関西行きに。盥回し
佐伯貴弘
隠し球。かつて4番だったがなんでよ?2009年は150本目のHRやホームスチールなど、何かと話題の選手だった。何のための前進守備だ!はもはや伝説。年に数回男前スイッチが入ってものごっつい活躍する。ホームスチールはその所為。
2010年限りで退団が決定。中日ドラゴンズへ入団が決定。マシンガン打線を知る選手がまた1人消えていった‥‥。
木塚敦志
2007年は奮戦したものの、故障で2008年を棒に振ってしまった。2009には復活し、火消し役としてフル稼働。ぶっちゃけ、この人なしだとベイスターズの中継ぎは壊滅します。但しマスコミに気づかれない(もはや意図的ではないかというレベル)ため、実際に試合を見ないと活躍度合が判らない。
一方、試合で見ると極端な前傾姿勢でのサイン交換とマウンド脇をスパイクでガシガシ掘る動作で遠目でも実に分かりやすい投手であった。
なお、ランドルフ初登板の日に救援登板しながら突然被弾、負け投手ランドルフ。なんて離れ業もやってのける愛嬌も見せた。
2010年限りで引退、2軍投手コーチ就任が決定。10年間お疲れ様でした。石井琢朗・仁志・工藤・佐伯コースにならなくてファンは安心です。
加藤康介
2009年、オリックスから戦力外をうけ、ダメ元でトライアウトで入団。ところがシーズン途中に昇格、ハマのオジサンもいない“空白地帯”で起用されると、いつしか貴重な左の中継ぎとして重宝される。他の中継ぎが酷すぎるからな……。しかし2010年は案の定防御率がグーンと上がってしまい戦力外通告を受けた。←ところが虎に拾われる。ワカランもんだ。
小山田保裕
2008年、岸本秀樹木村昇吾との2対1トレードで広島から移籍。先発・リリーフ両方こなせるサイドハンドだが、移籍後はほぼ壊滅状態にあったリリーフで主に活躍を見せていた。
吉原道臣
ルーキーイヤーに久保田智之並みのペースで登板し続け、故障。それ以来二軍でも炎上続きで2010年、戦力外通告。うどん屋コースか。
野口寿浩
阪神タイガースからFAで引き取った獲得。だがやる大矢には事後承諾だったし使ったらルーキーに負ける等プレーも散々で2年でサヨナラ。
内川聖一
内川選手の肖像画。
打つアゴ。佐伯にコールドスプレーを顎にかけられ打撃開眼したとか。2008年首位打者となったが、その時の打率.378は右打者史上最高である。入団時はショートだったが、セカンドを経てファーストで打撃開眼。WBCでは好プレーを見せたが、お陰でレフトに固定されてしまった。その後2010年はライトを守ったりと、スタメン定着後も全くポジションが固定される気配がない。実は故障が多い。愛子様のお気に入り、5年15億とのことだったがついにFA宣言。球団の恥ずかしい話を披露し、自ら代理人となって突き進み、そしてハゲ鷹となっちゃいました。・・・こうしてまた横浜は主力選手を逃がしてしまった。これでほぼ最下位が約束された形となった。2011年交流戦、目下首位独走中のソフトバンクのこれまた12球団首位打者として古巣に立ちふさがる。6月18日からの横浜スタジアムでのソフトバンク2連戦では、オーナー自ら「内川を痛めつけてやる」と発言。さらにスタンドのファンからも猛然としたブーイングを浴びせかけるが18日は4-2、19日は本塁打1本を含む5-3の大活躍。一方のベイスターズは…
ホークス入団後の各種インタビューで、おそらく聞かれてもいないのに「前の球団では…」と枕詞のように古巣にも触れてくれる優しさでなんJでは大人気である。
寺原隼人
次期エース候補だったスペランカー
貧乏暇無しでチームでは鷹⇒☆⇒。役割分担では先発⇒クローザー⇒ヒ魔人⇒怪我⇒先発⇒怪我(以下略)と転々としていた。
永遠の未完の大器もラストチャンスをかけ、関西へ。
高宮和也
通称水差し野郎。2006年6月24日が誕生日!っていうか黒歴史
その元ネタは、オリックス戦での椎野アナによる毒舌実況。出てきていきなり四球、苦し紛れの直球で被弾し「なにしに出てきた」投球。良い球は持っててもそれを活かせないチキンハート。最近サイドスローに転向して1軍でも左のワンポイントとして起用されるが被弾癖は直っておらず、ルイズには場外弾も打たれた始末。2010年は左打者を打ち取った後、必ずフォアボールを出す役割をしていた。そのくせ大矢にひいきされていた。
2010年に寺原と共に関西へと行った。何故トラウマへと行く?
那須野、相川そして高宮も他球団に行ってしまった。椎野さん泣いてるんじゃないんのwww
野中信吾
俊足なのに盗塁死多数。守備もやや下手で、打撃はもっと下手。関西行きその3。
桑原謙太朗
速球と変態的な曲がりのスライダーで三振を取り続けた若手ピッチャー。顔と投球のフィニッシュの動作が小島よしおとその持ちネタ「おっぱっぴー」っぽかった。関西行きその4。
ホセ・カスティーヨ
新外国人。もともとは強肩を生かした二塁守備に定評があって獲得。フタを開けたら打撃もよい。なにせ“中堅方向の深い打球に対しノーステップ反転スローで1塁ノーバウンド”という怪物守備を披露することもあり、観る者を愉しませた。だが、よくよく観ると巨体を持て余し、フットワークを使わない守備は要所で爆死。上手・下手を論ずる前に“横着な守備”なのである。新潟でのウサギ戦では、初回無死1塁で正面2ゴロ併殺完成の好機なのに、両足に根を生やし、上体をねじっただけで2塁送球、大暴投。おかげでウサギは、初回に坂本からウナギ犬までの打者5人を送り込んだだけで5-0の完勝モード全開。初回から1死も奪えぬところで終戦という戦犯ぶりを見せた。また強打の効く打撃も得点圏で打率低下。ゆえに解雇。しかし、怪我人続出のに拾われる。練習態度の怠慢さはある意味才能。
大西宏明
古木克明とのトレードでやってきた人。2008年は絶好調だったがそれ以降は絶不調、そして2010年クビ。ブログでの能天気さはある意味才能。これまたハゲ鷹に3桁選手として拾われた。がんばれ。
弥太郎
日本ハムからトレードして1年でまたトレード。
契約更改時に球団の恥ずかしい話を暴露したばかりに西武ライオンズへ。2010年29試合しか使われておらずフロントとの采配の認識の違いからトレード志願したものとも考えられる。
「1年しかいなかったですが、横浜ベイスターズではお世話になりました。またチームも変わり、新たな気持ちで頑張りたいと思います。」とのこと。
スティーブン・ランドルフ
2009年7月に駆け込みで入団。年齢も35歳とあって、応急処置的補強かと思いきや、初打席でホームラン・デビュー。ザル守備に頼らず、三振で窮地を乗り切るなど投打で川上憲伸並の実力を発揮。次年度の契約を勝ち取ってしまう。2009年オフは「2010年は25勝します」宣言をしたため、天国野球協会が調子こいているという理由に極度な負け運をつけさせる。
2010年、その極度な負け運により「一被安打で負け」などの珍記録も出している。そしてそのまま2010年一度はクビに・・・。
しかし、期待されていたリーチが戻ってこなかった等もあり2011/05/24に再契約となった。
しかし、一か月後の2011/06/28「一軍レベルではないと判断した」ということでさよなランドルフを告げられた。。。

その他の球団OB

Tumbleweed01.gif

マシンガン打線

その名の通り、相手の投手をマシンガンのようにぶちかました伝説の打線。

1番石井琢朗
通称、ハマのスパイ。相手投手の今日の調子を把握する役目を担った。また、自チームの防御も担当。
球団からの肩叩きに抗って2008年限りで戦力外にされた末、広島に転がり込んだ。しかし広島・横浜両チームの若手より格段に守備が上手い。在京キー局の女子アナをあらかた食い尽くし、広島の地方局アナを狙うために自らトレード志願したともっぱらの噂。若い頃は某アイドルグループ全員食いという偉業を成し遂げた。
2番波留敏夫
通称、ハマのテポドン
1997年、石井琢朗に代わって2番打者に定着し開幕戦でも先発出場したものの、同年11月テポドン製造のための資金難のために、プロ野球脱税事件への関与が発覚。
1998年は事件により開幕から6週間の出場停止処分を受けるも、復帰後は主に核爆弾として横浜の38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。
1999年、打率.298、15本塁打、70打点、21盗塁の自己最高の成績を残すが、にトレードされた。
2011年からは同チームの核開発コーチを務める。
3番鈴木尚典
通称、冷酷なスナイパー
一見野球選手に見えない風貌だが、狙った獲物は逃さず、相手チームをぶちかました。
引退…試合はまさかのオープン戦。そしてその試合でホームランを打ってしまった。実は生涯通算打率が3割を超えており、れっきとした一流打者である。
打っても守っても安打製造機、という意味で昭和の大打者張本勲に通じるところがあるのも一流のアベレージヒッターの証。
4番ロバート・ローズ
日本語を一切喋ろうとも、覚えようともしなかった、純米国産大量破壊兵器。
巨人のバッテリーミーティングにおいて、長打はともかくシングルヒットを打たれる分には投手能力をマイナスに査定しない、とまで恐れられていた。
最高のボスのためなら、全幅の信頼を置きつくすという熱いハートの持ち主である。
日本では横浜一筋、最多安打のタイトルを手土産に余力を保ったまま現役引退…ということにしておきましょう。いろんな方面にとって黒歴史
5番駒田徳広
通称、「満塁男」。満塁の場面でとどめをさすという、いわば、ハマの戦場後始末人である。
2割9分代のアベレージを記録しながらチーム打率を下回ったためあまり評価されなかったり、2000本安打を達成した年に戦力外通告を受けてしまった可哀想な選手。しかし、彼を獲得するために多くの選手がクビになった経緯もある。意図してなくても因果応報と思うしかない。
中距離打者としての技術や満塁での勝負強さを買われ東北の再雇用促進施設や横浜で打撃コーチを務めたが・・・。お察し下さい
6番中根仁
通称、ハマのアニキ。現役時代には恐ろしすぎて佐々木も頭が上がらなかったほどという武闘派と知られ、乱闘が起こると、騒ぎを沈静させるために率先して動く特攻隊
2001年の巨人戦では、試合後ヤジに激怒して巨人ベンチに単独で乗り込むということもあった。
なお6番には佐伯も起用された(先発が左なら中根、右なら佐伯)。佐伯に関しては何のための前進守備だ!を確認されたし。
ちなみに2011年横浜ベイスターズの一軍打撃コーチ兼某選手の暴走の抑制に務めている。
7番進藤達哉
通称、ハマの不発弾
打率は.250に満たないシーズンがほとんどであったが、サヨナラの場面や試合の流れを決めるような場面で爆発することが稀にあり、
いつ爆発するか分からないという不安が相手球団を襲わせた。
そんな打撃に対して守備はいつでも超鉄壁。そのありがたみは退団後に台頭したサードにより痛感することになる。
8番谷繁元信
通称、バンパース
リードの覚えが悪く、いつまでもオムツの赤ちゃんというバンパースは、守備力で貢献。特に捕球と盗塁阻止に優れ、盗塁阻止率リーグ1位を5度獲得している。
また、バンパースなので投手に相手打者の弱点を徹底的に突かせるバンパースさながらの攻撃的なリードをした。

ベイスターズファン

このような球団であっても、各界に多数のファンが存在するとされている(サイレントマジョリティを考慮しています)。

特に著名な人物に、第二次世界大戦が始まる少し前から横浜ファンであることを初めてカミングアウトした佐藤藍子がいる。彼女の「川崎出身なので、小さい頃からホエールズファンでした」という発言は、「じゃあなんで今まで公言しなかったのか」「なんで優勝した年に限ってそういう発言をし出したのか」「川崎にはロッテがあっただろう」といった疑問を一切受けることなく、ファンの鑑として崇められている。ただし、2006年に日ハムが優勝したときに同じ様な事を言ったのでにわかだと思われる。 彼女の行動に喚起されたのか、その頃から横浜ファンを明言する芸能人が多数発覚し、大きな話題を呼んだ。

ファンであるというカミングアウトは佐藤藍子が有名だが、優勝した年にはTOKIOのキーボードも昔からの横浜ファンであるとカミングアウトしたがすっかり忘れられている。ちなみに、TOKIOのキーボードは西武が優勝した年にはパリーグは西武ファンであるとカミングアウトしたが、こちらもすっかり忘れられている。

また、歌手の中島みゆきもベイスターズを讃える意味を込めて「地上の星」を歌っている。残念ながら、これは正式応援歌としてはまだ定着していない。大きな理由のひとつとして、お上のご意向がある。

なお、先発投手が打たれたり、打者がチャンスで凡退した時に怒り出したりがっかりするのは、訓練されていないベイスターズファンである。よく訓練されたベイスターズファンは、1回表裏を終わって0-10で負けている状況になると、「ああ、また『いつものやつ』ね」と恬淡として応援を続けることができる。これは他チームの応援団でも見られる傾向では決してないので、対横浜戦を見に行った時の名物になってるとかならないとか。ホント、ベイスターズファンは地獄だぜ!フゥハハハーハァー

主力選手が移籍で悩んでいるとオフのファンサービスの時にどこからか子供達がでてきて「○○選手、○○(移籍しようとしている球団)に行かないでー。」と言って半泣きで引き止める。子供に弱い選手はこれで残留を決める。記憶に新しいのが「ハマのバンチョー阪神に行かないでー」である。しかしこの後にどこからかおっさんがでてきて「横浜で優勝しよう!」と根の葉もないこと言って止めようとするので、たいていの選手はこれで移籍を決定してしまう。

自虐横浜ファンの漫画家

一方で、横浜ベイスターズのファンだがベイスターズ自虐ネタをネタにする漫画家が多く確認されている。

その最たる例が、辛口批評家として著名なやくみつるである。彼は横浜大洋時代の往年の大エース・遠藤一彦を崇拝してやまない(と同時に、遠藤が打席に立ってるときにホームスチールしてきた高木豊は嫌っている)一方、横浜球団の問題点を取り上げて、それを滑稽に漫画化することを得意としている。特に駒田徳広を徹頭徹尾「ウマダ」(面長である駒田の身体的特徴を揶揄したもの)と呼び続けるなどの罵倒を是としたり、球団の広報誌に原稿料と称してゆすり行為をかけるなどを行っており、横浜ファンから多大な批難を浴び続けている。佐藤女史もおかんむりである。

ほか、みずしな孝之も熱心な批難家のひとりである。「ササキ様に願いを」をはじめとする宗教書を世に出す一方、特に近藤昭仁スクイズ戦術を大いに糾弾し、自著においても哀れで愚かしい人物として語っている。佐藤女史もおかんむりである。

真理

毎年低迷する大洋はいつも叩かれていた。ぬるま湯練習と言われ続けていた。
大洋の四番を張っていた田代富雄は引退した翌日、自分の球団の練習のレベルが他球団の練習のレベルより本当に低いのか確認しに行った。
しかし、自分たちの練習のレベルとほとんど変わっていなかった。
この時、田代はとても悔しい思いをしたという。
マスコミにぬるま湯練習と書かれ叩かれたことを。僕等は他の球団の練習のレベルと何も変わらないのに。。。
しかし、結局は
結果が全てである。
……と、言いたいところですが、この球団に限っては親会社の関与が含まれていることにご留意ください。

脚注


関連項目

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「横浜DeNAベイスターズ」の項目を執筆しています。



パソコンと言う名の白い画面を前に 夢を追いかけるどんなときも 横浜ベイスターズ すべてをかけて加筆しろ 横浜ベイスターズ あなたの加筆を背に受けて 信じているよ熱い加筆で掴むのさ、YourWinningArticle♪ (Portal:スタブ)
この項目「横浜DeNAベイスターズ」は、ハマっ子の執筆者がクラックをキメていた可能性もあるけど、今はまだクソの山じゃん。より愉快にしてくださる協力者を求めているべ。これを見ているあなたも、恥ずかしがらずに書き込んでみようじゃん! (Portal:スタブ)