言語ゲーム

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言語ゲームとは1950年代に発表された全員参加型・オープンワールド形式の人生ゲームである。キャッチコピーは「喋ればみんなプレイヤー」

概要[編集]

パックマンどころかビデオゲームすら発売されていない、ゲームといえばカードゲームかボードゲームを連想する人が大半であった時代にルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによって突如発表された。厳密には製作者もとい提唱者のウィトゲンシュタインが志半ばで亡くなったため、有志の方々が彼の死後に取扱説明書と攻略本を一緒くたにした本の出版という形でこのゲームを発表した。ちなみに、全員参加型と謳っている割には本の内容は難解で教養のある人間であっても匙を投げてしまいたくなるものであった。

特徴[編集]

このゲームは道具も金銭も不要で老若男女問わず誰でも参加できるのが特徴で言葉を用いてゲームを進めていく。能動的または受動的にゲームが発生し、会話の中で伝えたいことを相手に伝えることで脳を活性化させていく。この会話には場所に応じて様々なルールがありこれに沿って言葉を発しなければ伝達が失敗してしまう。もし言葉をそのまま受け取った場合、こうなる。

ファストフード店のレジにて
 客「ハンバーガー1個」
 店員「(ハンバーガー1個を注文なの?ハンバーガー1個がテーブルに置いてあることを伝えたいの?それとも別の意味なの?情報が少なすぎて分からない…!!)」
 店員「???」
 客「…?」

ゲームのプレイ中にこのような事態に陥ることはほぼないが自分が置かれている環境下から会話の条件を見つけなければならない。この場合、客がレジで言った言葉は通常は注文であるというルールが潜在している。なのでこのステージをクリアするには

ファストフード店のレジにて
 客「ハンバーガー1個」
店員はハンバーガー1個を用意してその代金を客に請求する。

必ずしもこれが最適とは言い切れないがこれが無難な対応である。客しか喋っていないことは気にしてはいけない。こうしたやり取りを数十年単位で繰り返すミニゲームの総集である。

評価点[編集]

とにかく費用がかからず、言葉を取得している人ならば誰でも参加できる気軽さからゲーム初心者にあたるライト層やゲームに触れることがなかったシニア層まで幅広く受け入れられていることが非常に大きい。C言語など発声することがないプログラミング言語を除けば世界中の全ての言語に対応しているため文字通りの意味で世界中の人間がこのゲームをプレイしている。また、難易度が自分の年齢・肩書に合わせて自動的に調整してくれる。子供なら家庭や学校内の簡単な日常会話、大人なら肩書に沿った会議等の専門的な分野における会話といった飽きさせないような工夫がされている。

問題点[編集]

会話というミニゲーム一つ一つだけを見れば大した難易度もなくそこまで苦になる要素もないのだが、ゲーム全体で見るとかなり深刻な問題点が浮き彫りになる。最大の問題点はいつの間にかゲームに参加しており、やめることができないという点だろう。少なくとも物心が付いた時点でゲームの環境下に置かれている。やめ方も自分のを迎える以外の方法が発見されておらず、よほどのことがない限りこの手段をとることはデメリットが多くリスキーである。ゲーム提唱者のウィトゲンシュタイン自身も本の中で「語りえぬものについては沈黙せねばならない」と書き記している。早い話が喋ならければ良いと諦めている。その上、数十年も縛られるがためにモチベーションの維持が難しい。意識して取り組めば取り組むほど飽きに襲われる。勿論、長く続ければその分確実に成長を実感できる。ただし、目に見えるようなものではないので中だるみが避けられない。

総評[編集]

道具がいらない。金銭もいらない。喋ることができるだけで誰でもゲームの参加者になれるというキャッチコピーは日常をテーマにした文字通りの意味であり、世間のゲームに対する認識が大きく変わることになった。その反面、やめたくてもやめられず何十年も縛られ続けるというゲームとしては致命的な問題点もあり、攻略本も兼ねた取扱説明書の難解さも相まって敷居の広さで油断すると痛い目をみる大味な難易度となってしまっている。今の基準だとクソゲーどころかゲームですら認められないと思われるがこれは1950年代製。かろうじてピンボールボウリングがあるかどうかの時代に新しいゲームの概念を投じただけでも画期的だといえる。

関連項目[編集]