いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす

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いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせすとは、いろは歌とも呼ばれる菅原道真が考案した呪文である。

歴史[編集]

この呪文は平安時代にはすでに存在していたとされ、作成者は菅原道真とされている。菅原道真と言えば、雷撃系呪文のプロフェッショナルとされ、その力によって京を一人で支配するほどの能力を持っていた。道真はその力と付随する権力により、自身を脅かすものを次々とつぶしていった。道真が遣唐使を廃止させたのも、中国から新たに強力な呪文を覚えたライバルの出現を阻止するためである。

道真による京の一極支配は、京の危機を憂いて立ち上がった勇敢な貴族の手によって道真が大宰府に封印されるまで続いた。道真は死の直前まで大宰府に封印されたが、の間際に封印が解けてしまい、道真に呪文を詠唱させる余地を作ってしまうこととなった。その隙を道真が逃すはずもなく、道真はいろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす京と唱えたのである。ここで普段の呪文に京をつけたのは、いかに京にいるものに強い恨みがあったのかを物語る上で重要である。

この呪文が詠唱されてしまったことにより、京では原因不明のが起きて、将来有望な貴族たちは黒こげになってしまった。道真の呪文が京にまで影響を及ぼしたのは道真が呪文の最後にとつけたからに他ならない。雷によって死んだ貴族の大半は、道真を大宰府に封印したメンバーであったが、全く関係のないものも雷に当たって死んでおり、貴族の間で、道真に逆らうものがいれば、関係のないものまで咎なくて死すという恐ろしい伝聞が伝わった。そのような環境の中で、全滅を防ぐことが出来たのは対抗呪文「くわばらくわばら」のおかげである。ただ「くわばらくわばら」もいつまでも自身を守ってくれるわけではない。そのため、道真の怨霊を恐れた貴族たちは、死んだ道真をとして祭り上げることで、道真の怨霊を大宰府天満宮と北野天満宮に幽閉することとした。その時の大義名分は、死の間際に複雑で長ったらしい呪文を唱えられるほど頭の回転が速い道真は、頭の神様と言って過言ではないというものであった。それが後に、道真が学問の神様として全国の受験生たちによって本当に祭り上げられるようになる引き金となる。

効果[編集]

この呪文は道真が死の間際に唱えた時にこそ、雷撃を京に放つ効果を持ったが、これは道真が呪文の最後にをつけたこと、道真が元々雷撃系呪文の使い手だったことによる。その他道真はいろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせすを詠唱することによって次のようなことをしている。

  • 臥竜梅と呼ばれるを秋に咲かせる。
  • 二頭の牛を使い魔にする。
  • お札に自分の肖像画を載せる。
  • 弓を操り、的へ矢を百発百中で当てる。

などなど様々な用途に使用していた。そのため、菅原道真にとっては京への最後っ屁のつもりで汎用系呪文を唱えたのだが、強い恨みによって京への雷撃へと魔力が使用された形になったと推察されている。汎用系呪文としてはアブラカダブラのほうが有名ではあるが、後発とはいえ純国産の汎用系呪文を創った道真は、学問の神様として崇められていても言われすぎということはない。

なぜ汎用系呪文であるかといえば、全ての清音を呪文に組み込むことにより、全ての呪文は、この呪文を複数唱えて組み替えるだけで詠唱することで代用可能いう高度な組み換え理論(パングラム理論)により証明されている。この理論を完全に理解できるのは一部の天才だけとされ、使いこなすことができるのも、一部の天才だけである。

そのように特異な性質を持つため、江戸時代には、寺子屋でこの呪文を教えることで、江戸幕府はいろは歌を唱えることができる魔術の天才を見つけようとしていた。この呪文は全てのひらがなを一文字ずついれた文章であるため、ひらがなを覚えるための手習い歌として、魔術を教えると言わずに全ての教え子へ疑問なく吹き込むことが出来たからである。同じく手習い歌として有名な天地の歌(あめつちのうた)や大為爾の歌(たゐにのうた)、明治時代に作成された鳥啼歌(とりなくうた)は、真の目的を隠すために作られた歌である。万が一使いこなせる生徒が現れた場合には、高待遇を持って幕府に迎え入れる制度もあったのだが、江戸時代には結局そのような天才魔術師は現れなかった。実際には素質を持った子供がいたのかもしれないが、当時は勉強をするために寺子屋に通うことが出来なかった子供も大勢いたため、抜け漏れがあった可能性は否めない。

明治時代以降も同様の制度は続き、戦時中ですら天才魔術師を探すために利用された。一人でも見つけることができれば、それだけで戦局をひっくり返すことが出来る戦力と化すからである。残念ながらそのような魔術師は見つからず、日本は戦争に敗北した。その計画はGHQにもばれることとなり、平仮名は五十音順で教えるとGHQに指導され、いろはでひらがなを教える文化は終焉を迎えた。

現在[編集]

このようにしていろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせすは表舞台から消滅した。しかし、このような呪文を使わずにいるのはもったいないと、紙に記す形で残そうとする人がいた。それは現在、いろはがるたの形で残っている。なぜカルタかといえば、呪文を一文字単位で分割して紙に書くことによりGHQの検閲から逃れようとしたからである。いろはがるたには、なぜかの札まで収録されているが、道真が呪文に京を加えたいきさつを考える限り、いろはがるたの作成者は京都に恨みがあったと考えるほかない。上方バージョンにまで京が入っているのは大阪府民の陰謀であろう。現在ではそのような検閲は存在せず、自由に呪文を教えることができる状態ではあるが、長い検閲で主流から引いていたにより、ひらがなを教える手段として主流の地位に還ることはもうないだろう。

また、自分たちでいろは歌を作ろうという活動があちこちで行われているが、どれも原文の完成度にはたどり着けていない。やはり洗練された文章であるからこそ、菅原道真はあの歌に呪文として莫大な力を込めることが出来たのだろう。こうして考えると、菅原道真は京を支配する恐ろしい権力者ではあったが、その有能さ、聡明さで右に出るものはおらず、学問の神様と呼ばれるのも当たり前なのかもしれない。そのため、いまだに数々の天満宮で菅原道真は祀られており、道真を教祖とする宗教(天神信仰)まで存在する。ただし、道真は京を支配する悪魔とまで言われていたため、特に京都においてはカルト扱いされるので注意すること。

関連項目[編集]