江戸色指南天繕

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江戸色指南天繕(おえどのいろしなん てんぜん)とは、江戸時代中期の戯作者・恋川春町による黄表紙の一作。

概要[編集]

黄表紙とは、江戸の書籍文化の中でも「大人向き」なものを指す。その為当時の風俗や政治を面白可笑しく皮肉ったものが多く、度々規制を受けている[1]。中でも江戸色指南天繕は、実在した…というか出版時点ではつい数十年前の国家元首である『犬公方』徳川綱吉をネタにするというかなり尖ったコンセプトとなっていた。

江戸時代前期には将軍家やそれに連なる武家はそれこそ雲上人の如く扱われていたが[2]、恋川春町が戯作者として活動し始めた安永の頃には「権力者を茶化して楽しむ」という庶民娯楽が定着していたと見られる。国家の運営が安定し都市が成熟してくると、文化の担い手が特権階級から庶民へと移り変わるのは洋の東西を問わず人類史の必然[要出典]ではあるが、鎖国により外界との接触が少なかった江戸時代の日本でも同様の傾向になっていったというのは文化論的にも興味深い。

内容[編集]

好色どころか色狂いではあったが世継ぎに恵まれない綱吉が、「床与方筆頭会釈(とこあらためがたひっとうあしらい)」の天繕に指導を受けて「夜公方」になろうとする滑稽好色話[3]として書かれており、挿し絵も天繕が細面の美形に描かれているのと対照的に綱吉は貧相な小男となっている。

大人向きとはいえ表通りの地本問屋[4]に並べられるレベルであり、春画に比べればそこまで過激なものとは扱われていなかったとされる。しかし大奥に怨霊が出たという話や、綱吉を排そうとする勢力が間者を送り込んでくるなど様々な方向へ噺を広げて読者を飽きさせない痛快さも持ち合わせていたという。なお後年漫画化された際[5]にも、成年誌ではなく青年誌の掲載となっていたが南蛮渡来の張り型を巡る話に連載中話題になっていた『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を引っ掛けて、「張りポタと姫蜜の部屋」というフレーズを出すなどチャレンジブルな姿勢は受け継がれている。

脚注[編集]

  1. ^ 例えば山東京伝も黄表紙が摘発され、手鎖50日の刑を受けたと記録が残っている。
  2. ^ 名前を呼ぶどころか役職を言うのも畏れ多い、と庶民は「将軍様」とさえ呼ばず「御前様」或いは「上様」と呼ぶのが一般的だった。
  3. ^ 黄表紙にはこういったものが多く、山東京伝も『江戸生艶気樺焼』という「今でいう非モテ男が、どうにかこうにかモテようとする話」を書いている。
  4. ^ 現代でいうと、本屋と出版社を兼ねたもの。江戸時代には多数の地本問屋があり、錦絵や草草紙を販売する一方で戯作者に仕事を依頼し文化振興にも一役買っていた。
  5. ^ 「おしとね天繕」として集英社刊「スーパージャンプ」に連載された。

関連項目[編集]

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