おっぱい懐疑主義

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おっぱい懐疑主義(-かいぎしゅぎ、英:titscepticism)とは、人類が有史より直面してきた「生殖機能をもたないのに、何故おっぱいは性的興奮を促すのか」という問題(おっぱい問題)を解決するために生み出された思想である。おっぱい懐疑論とも呼ばれる。

「おっぱいを思う、故におっぱいあり」

概要[編集]

おっぱい懐疑主義は、「生殖機能をもたないのに、何故おっぱいは性的興奮を促すのか」という問題に対して、その前提条件となっている「おっぱいは性的興奮を促す」ということを懐疑することで、その問い自体を否定することを目的とした思想である。

歴史[編集]

おっぱい懐疑主義の歴史はどの文化圏にも存在するが、その歴史は古い。ここでは主に西洋哲学におけるおっぱい懐疑主義について述べる。

古代ギリシア[編集]

紀元前400頃のギリシアでは無知の知で知られるソクラテス学派を主流に、おっぱいの性的地位、神秘的地位の確立が図られていた。ソクラテスの弟子であるプラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)は後の西洋哲学の源流となるイデア論を展開し、「おっぱいとは、人間が生前プシュケー(魂)が天上の世界において女性の真の姿の特徴として認識していたもの」であり、おっぱいを求めることは真の女性を求めることだとした。

これに対しデモクリトス(紀元前460年頃-紀元前370年頃)は原子論を展開し、宇宙はすべてアトム(原子)という分割不可能な物体の最小単位とそれを取り巻く空虚(真空)であり、我々の五感は副産物的な現象であり実在するものではないと感覚の幻想性を示した。これにより、おっぱいを含め宇宙のすべての物体が原子であり同じものだという説がヨーロッパ全土に広まり、おっぱい懐疑主義の源流となった。しかしのちのアリストテレスの倫理学とキリスト教の普及により、本能から離れる事が美とされる文化が発展し、おっぱいが性的魅力であることを前提に、忌むべきものとする思想体系が確立していく。

近代哲学[編集]

ヨーロッパでは中世まで、おっぱいの存在自体、性欲の要素として認識されてきた。

17世紀初頭、近代哲学の祖ルネ・デカルト(1596年3月31日 - 1650年2月11日)は大陸合理主義という演繹法を用いた論証を行うため、世界のあらゆることを疑い問い直すことを試みた。デカルトはその中で方法的おっぱい懐疑によって、おっぱいの魅力の謎について考察しなおそうとした。これがおっぱい懐疑主義の始まりとされている。方法的おっぱい懐疑において、全てのおっぱいについてその魅力を懐疑にかける過程で、デカルトは、「私がこのように“おっぱいの魅力は偽である”と考えている間、その私自身はおっぱいの魅力を感じていなければならない」という命題は、疑う余地のないことであり真である、という結論に至った。これが有名な「おっぱいを思う、故におっぱいあり」"I think about tits, therefore tits are."(英語)である。誤解されがちだが、この言葉は「おっぱいを思う気持ちが、おっぱいを生み出す」という「おっぱいは幻想」のような意味ではなく、おっぱいの魅力は誰にも否定できるものではないことが明晰かつ判明に認知されることを示すものある。これによりヨーロッパ大陸のおっぱい懐疑主義は衰退を始めることになる。

同時期のイギリスでは帰納法によるイギリス経験論が論証の主流となっていた。ジョン・ロック(1632年8月29日 - 1704年10月28日)はデカルトの演繹法によるおっぱい懐疑を否定し、帰納法によるおっぱい懐疑を試みた。ロックによれば、我々の心は生まれながらに白紙であり、我々の感性は生得的なものではなく、すなわち生来の我々にはおっぱいに性的興奮を覚えるような性質はなく、後の文化的な影響が強いとされる。これを証明するために、イギリスの思想家はおっぱいに関するさまざまな実験や検証、統計を行った。しかしイギリス経験論の学者たちは、おっぱいの魅力を否定するような結果を出すことができず、イギリスのおっぱい懐疑主義もその勢力を弱めることとなった。

のちにイマヌエル・カント(1724年4月22日 - 1804年2月12日)によって大陸合理主義とイギリス経験論はおっぱいの魅力を確認するために相補的な役割を担うものとして統合され、おっぱいの性的地位は確固たるものとなっていった。

17世紀から18世紀にかかるこのおっぱい懐疑主義の衰退を含む哲学的革命を感性の勝利といい、心身二元論の発展を導いた。

近代科学[編集]

19世紀に入って、チャールズ・ダーウィン(1809年2月12日 - 1882年4月19日)が進化論を提唱したことにより、おっぱいの進化について深く考えられるようになった。

それまでの生物学では、おっぱいに性的興奮を覚えるのは人間だけであり、その他の霊長類や哺乳類には生殖に全く関係していないことが知られていたが、進化論が浸透してからは自然選択の考え方から「なぜ人間だけおっぱいが進化する必要があったのか」という問題(科学的おっぱい問題)が浮上してきた。人類進化学によって人間の先祖の特徴を残すチンパンジーオラウータンなどの霊長類の行動を研究し、おっぱいが種の存続にどのような影響を示すのか検証がなされ始めたが、結論は出されなかった。

この人間だけの特徴という事実が科学界では疑問を持たれる結果となり、そもそもおっぱいは魅力的なのかという声も上がり始め、20世紀後半ののおっぱい懐疑主義の復活の遠因となった。

シン・おっぱい懐疑主義の誕生[編集]

おっぱい進化論の第一人者デズモンド・モリス(1928年1月24日 - )はイギリスの動物学者で、おっぱいの起源について「ヒトの祖先が四足歩行していた時代は尻によって性的なアピールが出来た。やがて二足歩行をする様になるに従い、目立たなくなる様になった尻に代わって胸部を大きくするという種が現れ生き残っていったのではないか」という仮説を唱えた。この仮説は世界中に大きな波紋を広げ、疑問の声も多く上がり、結果的におっぱい懐疑主義の復活を導いた。

第二次世界大戦後、世界では情報化・高速化が進み、異文化交流が盛んになった。これにより、熱帯地方ではおっぱいを見ること見られることに恥じらいなく、女性でも上半身裸で生活するような種族の存在が一般の人々にも知られるようになるなど、おっぱいに関する様々な文化が認識されるようになると、おっぱい懐疑主義はその支持者を指数関数的に増やすようになる。この時代のものを総称してシン・おっぱい懐疑主義という。

種類[編集]

長い歴史を経て、おっぱい懐疑主義はさまざまな種類に分化していった。以下は代表的なもの。

原子論[編集]

おっぱい懐疑主義の源流。科学はこの原子論を公理としている。

方法的おっぱい懐疑[編集]

デカルトによるおっぱい懐疑論。演繹によるおっぱいの魅力の否定に失敗した。「おっぱいを思う、故におっぱいあり」

経験的おっぱい懐疑[編集]

ロックによるおっぱい懐疑論。実験・統計によるおっぱいの魅力の否定に失敗した。

進化論的おっぱい懐疑主義[編集]

おっぱいという生殖と関係性を持たないものに性的魅力が存在する理由はなく、おっぱいの魅力はあくまで文化的産物であるとする生物学の立場。

目的的おっぱい懐疑主義[編集]

実際的な哲学論ではなく、基本的人権に基づいた男女平等の実現を目的に誕生したおっぱい懐疑主義。シン・おっぱい懐疑主義の一つ。

実質的おっぱい懐疑主義[編集]

人類の原点回帰を目的とした思想。原始時代のヒトの先祖のように何者にもとらわれず自由に生きることを目的に、生殖機能をもたないおっぱいを特別視することを否定する。シン・おっぱい懐疑主義の一つ。

評価[編集]

おっぱい懐疑主義は一般に、理想哲学がもたらした根拠のない古典的な思想であるとされる。その思想を生んだ近代の哲学的アプローチによる失敗から既にその性的魅力が反証されてしまっていること、また、おっぱい問題を回避するために生まれてきたという弱腰な立場が、おっぱい懐疑主義が見放される主な原因である。しかし、おっぱいの魅力はあくまでユーラシア大陸と周辺諸島のものであり、他の文化圏では存在しないことも多い事実から、一部の生物学者およびシン・おっぱい懐疑主義者たちは、おっぱい懐疑主義を否定するのは尚早であると主張している。

関連項目[編集]