お盆
お盆(おぼん)とは、死人をよみがえらせる悪魔崇拝の行事の一つ。毎年旧暦7月に行われる。
目次
由来[編集]
お盆の起源は古く、古代オリエントのバビロン捕囚にまで遡ることができる。紀元前597年、新バビロニアのネブカドネザル2世はユダ王国に攻めこむ過程でエルサレム市街に入城し、その際に反乱分子となる可能性のある若い有力者約3000人を殺した。その後ユダの捕囚民たちはバビロニアのケバル川沿いに移住させられたが、そこでユダヤ人たちが亡くなった有力者たちの復活を望んで様々な行事を行なったのが、死者の復活を祈る行事としてのお盆の起源である。なお、紀元前539年にアケメネス朝ペルシアによって故国へ帰る許可を与えられた後も、ユダヤ人たちはこの行事を止めることはなかった。
その後もユダヤ人の末裔たちの動きと共にお盆の習慣も広まってゆく。313年のミラノ勅令でキリスト教がローマ帝国で公認とされると、ローマ帝国の迫害を逃れてユダヤ人がヨーロッパから流出した。この一部が中央アジアを経て中国へ到達し、渡来人として日本に渡ったことによりお盆の風習が最初に我が国に伝わったらしい。
またその後の431年のエフェソス公会議で異端とされたキリスト教ネストリウス派には、信者の一部がユダヤ人であったためお盆の行事が残っていた。ネストリウス派信者たちもローマ帝国によって異端とされたことにより中央アジアに逃れたが、そのユダヤ人信者の中に秦氏がいたのである。秦氏はその後に中央アジアの弓月国に住み、アラム語を話すようになったが、唐の万里の長城建設の労役を逃れるために5世紀末に日本に移住した。秦氏はユダヤ人でありながらキリスト教の信者であったため、先祖を蘇らせる行事を悪魔崇拝の一環であると捉えており、既にいた渡来人が伝えていたお盆を悪魔崇拝の儀式と結びつけたと考えられている。ここで日本における悪魔崇拝としてのお盆の元型が完成した。
その後、古来の神道や仏教の伝来により長い時間をかけてシンクレティズムが発生し、主だったキリスト教色は抜けたが悪魔崇拝としての行事が残ったのが現在のお盆であると見られている。
風習[編集]
準備[編集]
まず、身の周りを整理整頓する。生死に関わらず親戚一同が集うため、家を綺麗にするのである。それが終わると、墓に行って地獄からの死者を復活させるための儀式を行う。まず、自分にとって最も身近な死者である先祖が蘇るように、自分の先祖代々の墓に行く。そして墓石を綺麗に洗い流したり、雑草を抜いたりして復活の儀式の準備をする。なおこの時期に咲く花には死者を復活させる魔力があると信じられているため、花を添えることも重要である。そして手を合わせ、死者の姿を頭の中に思い浮かべる(場合によっては念仏を唱えたりすることもある)。これで死者復活の儀は完了である(なお、この儀式は俗に墓参りと呼ばれている)。これでお盆の間は地獄からの死者が復活し、自分が住む家に死んだ先祖が現れるようになるのである。この他にも精霊棚や笹などを安置し、その復活の効果を強化しようとする場合もある。
なお、地方によっては地獄とこの世を行き来するための乗り物『精霊馬』が準備されることもある。これは地獄の死者の他にサタンの乗り物であると信じられている。
迎え火、送り火[編集]
13日夜から16日までが死者復活の期間であるとされているため、まず13日に迎え火を行う。これは地獄からの死者を歓迎するもので、サタンが放つ邪悪な炎を表している。炎が小さな松明からあっという間に燃え広がる様子は地獄の炎になぞらえる他、何もかも破壊し燃やし尽くすという悪魔の本性を祝福し、死者とサタンの復活を祝うものである。
死者が復活するとその家族は大忙しとなる。地獄の門を開けて死者を帰してくれたサタンに常に感謝すると共に、帰ってきた死者と共に宴会を開き、楽しいひとときを過ごすのである。
そして16日(15日から24日まで幅がある)に、死者が帰ってゆく。サタンの能力もここまでしか及ばないとされているためである。だがなんとしてでも死者に一日でも長くいて欲しいと願う気持ちから、サタンの力を最大限にするためにまた火を燃やす。これが送り火と呼ばれる行事である。京都の送り火は特に有名。
その後、準備と同様に墓に行き、手を合わせて死者を偲ぶと共にサタンに感謝するのが習わしとなっている地方も存在する。
盆踊り[編集]
もともとは禁断の果実を人間に食べさせることに成功したサタンが狂喜乱舞する様子を表したものであるとされているが、近年では様々な地方で種々多様な派生系が現れ、日本人の夏の風物詩として定着している。いずれにせよ日本人にとっては正しい姿勢で臨むべきものであり、厳粛な態度で行うものである。詳しい作法や、その方法については盆踊りの項目を参照。
お盆休み[編集]
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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7月 - 8月 - 9月 |
日本人にとって地獄にいる先祖を迎えるこの行事は大変重要なものであるため、ほとんどの人が帰省してお盆を過ごす。これがお盆休みである。このお盆休みを利用して、日本国内では様々な行事が行われている。
8月10日[編集]
エクストリーム・渋滞のエントリー期間である。全ての日本人は車に十分に給油し、新幹線・飛行機を混乱に陥れるべくチケットを確認しなくてはならない。また田舎に住むジジババは、都会に住む若者と連絡を取り合って儀式の段取りや宴会で出す料理などについて話し合う。ちなみにお盆が7月か8月かという論争は、7月の時点で決着をつけることが望まれている。明日から休暇という人の仕事納めであるため、この時期の職場はなんだか浮ついた雰囲気になることも多い。
8月11日[編集]
エクストリーム・渋滞お盆大会本番の日であり、全国各地で大規模な大会が開催される。また、新幹線も大混乱に陥るが、その一方で大都会の娯楽施設からは客足が遠のき始める日である。田舎というものが存在しない根っからの都会人は、この時期にニュースで高速道路や新幹線の混乱ぶりを見て意味もなく優越感に浸る権限が与えられる。また交通手段における様々な割引が一斉に効かなくなるため、企業はかきいれ時となるが、こういったことが原因で流通業やもともと移動が多くお盆など関係がないビジネスマンは大変な迷惑を被る。
8月12日[編集]
エクストリーム・渋滞のお盆大会が二日目に突入する。「ナントカPAから◯◯km」というフレーズを耳がおかしくなるぐらいに聞かされ、テレビは甲子園と料金所の固定カメラ、渋滞のヘリ空撮ばかりを映す存在と化す。新幹線や特急も「乗車率数百%」ばかりとなり、増便していても大混雑となる。また航空業界も忙しくテレビでも羽田・成田・伊丹・関空などで大騒ぎするガキが放映される。おそらくゲルマン民族の大移動もこんなカオスではなかっただろう。しかしそんな中でもなぜか子どもだけはやたら元気である。その一方で徳島人は歌って踊って全エネルギーを使い果たす。
8月13日[編集]
渋滞・混雑が少し落ち着く。あくまで『少し』であるが。とにかく帰省ラッシュが大変だというメディアの報道も少しは良くなるが、実は混雑に苦労するのはどの日もあまり変わらない。どこかの中学・高校でバカな教師が生徒を熱中症にさせたというお決まりのニュースや、老人が勝手に熱中症になった挙句勝手に孤独死して役所が大変だとか、そんなニュースも聞こえてくるようになるのがお盆の中で唯一この日だけなのだ。
8月14日[編集]
早くもUターンラッシュが始まる。成田空港の様子などが映され、インタビューで「鹿児島から…家族で楽しんで帰ってきました」「北海道からです。明日から仕事なので」というコメントがひたすら放映される。またそんな中空気を読まずに「ハワイから」「バリ島から」「地中海から」などとコメントする海外旅行組もいる。鉄道・高速道路では帰省先から帰ってくる家族連れに混じって、今日から有明に出張し経済を回すというビジネスマンも多い。彼らにとっては明日からが本番であり、戦いの場だったりするのである。
8月15日[編集]
にわか戦争慰霊の日。日本人の殆どがいきなり戦争体験者となり、「戦争はよくない」「世界平和のために…」といった陳腐な文句がマスコミの間に飛び交う日である。甲子園でも正午にいきなり空襲警報が鳴らされ、試合停止となるような大混乱が毎年みられる。歴史的には戦争が終わったのは9月2日なのだが、そんなことは日本人にはどうでもいい。そして16日になったらそんなことは全て忘れる。ちなみに「日本は負けていない!日本人の誇りを今取り戻せ!特亜断交!」と主張する人々は有明に出張中であり、靖国なんぞ見向きもしない。