支那の鉄道

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
出典: 八百科事典アンサイクロペディア(大丈夫、本当の項目名はしなの鉄道だから。君は間違っていないよ。
このしなの鉄道は一応馬鹿にはなっていますが、文章構成など変なところがたくさんあります。
早くりっぱな馬鹿にしちゃってください。
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「しなの鉄道」の項目を執筆しています。

しなの鉄道( - てつどう)は、長野県長野市の長野駅と軽井沢町の軽井沢駅を結ぶ信越線および同県白馬町の白馬駅と松本市松本駅を結ぶ安曇野線を運営する鉄道業者である。

概要[編集]

当時は信濃鉄道という会社名で元々軽井沢~長野間と松本~白馬を運営していたがいずれも国鉄に買収された。今を遡る事80年前…いや100年前だったか、たぶん明治の末期頃にまず国鉄に自社運営の軽井沢~長野間を「朝鮮人を松代へ運ぶのにちょうどいい」という理由で買収される。これにより自社鉄道は安曇野線だけとなる。また国鉄中央本線が松本まで開業していた頃の話だが、当時は糸魚川と松本を結ぶ鉄道はなかったんだ。いつだったか国鉄が糸魚川を起点に白馬まで開通させた。これが大糸北線である。その一方で松本と白馬を結べる術はないものかと悩まれていた。

そこで地元の大地主が出資して立ち上げたのが信濃鉄道だったんだ。まず松本(現:北松本駅)から豊科までを開業した。 さらに北上するのだが安曇追分という場所でさぁ困った! 高瀬川という川を渡って池田という街を通るのだが鉄道嫌いの連中によって拒まれてしまった。 仕方がないので安曇追分を北直進して鉄道偏見の少ない松川を通る事でどうにか大町まで開通にこぎ着ける。 さらにそこからまた白馬まで延長して国鉄の乗換を可能とする。戦時中にも戦争で使う武器や兵士を運ぶ事に一役買い、経営はいたって良好であった。 これによりバス部門や出版部門を展開してきたが昭和に入るとマツモト電機バスに押されて利用者が激減する。 これ以上もうどうする事もできない会社は全線を国鉄に売る事にした。

結果、国鉄は糸魚川~白馬と信濃鉄道から買収した全線を合わせてなぜか大糸線とした。これによりしなの鉄道は鉄道路線を失い、交通部門はバス事業だけが残った。 その後、信濃鉄道は愉快な仲間達に親しんでもらうために社号をしなの鉄道に改める。また国鉄が解散すると解散と同時に大糸線に相当するしなの鉄道に転換。さらに最初から買収された軽井沢~長野間も「新幹線ができるから」という理由でいらない子扱いされた路線も転換。現在、しなの鉄道は長野県が筆頭株主となり、半官半民で運営されるいわゆる第三セクターの形態をとっている。信越本線の不採算区間のみを法外な値段で買収したことから一時経営困難となっていたが、クリスタルの交換により大幅な高速化と冬場の暖房効率アップが行われ、現在は経営状態は良好となっている。 現在は、ちくま鉄道上田電鉄と共同で岐阜県高山市から松本市を経て上田市長野市に向かう路線と、松本市から小谷村までの路線を運営している。

篠ノ井~軽井沢間で行われた「過激」痴漢行為が収録されたDVDが堂々と全国のアダルトビデオショップで発売されている。もちろん当区間を走る列車の一部には男女の様々な液体が染み込んでいる。被害は女子高生や女子大生やOLはおろかC学生にまで及んでいる。

歴史[編集]

しなの鉄道は、もともと純民営の電気鉄道として発足した。

最初の路線は、長野県松本市の松本駅から信濃大町を目指したものであり、初期には、ちくま鉄道(後の松本電気鉄道→アルピコ交通)と相互乗り入れを行い、上高地から信濃大町まで列車を自由落下させることで、上り列車のみは電力不要な省エネ路線を実現していた。詳細はちくま鉄道、および上高地線の項目を参照してほしい。

その後は徐々に路線を延伸し、国有化前までには白馬村を経て小谷村まで伸びており、知らないうちに大糸線と呼ばれるようになっていた。大町から松本寄りは、それならば「大松線」と呼んでいいはずだがうやむやになった。実は、大糸線は信濃鉄道(松本~信濃大町)と大糸線(信濃大町~糸魚川)だった事に由来とされる。

しなの鉄道では、当時日本のキンタマと呼ばれ、白く糸を引いて長くのびるセイシ工業の盛んな岡谷市(=糸)と大町を結んだのが大糸線の名前の由来であると説明している。

その後、しなの鉄道大糸線は国有化され、のち県営となった。この際に、支線である池田鉄道は国家神道を運営する国鉄への合併は謗法だとして廃線となった。また県は、松本の土民の為だけに大糸線は運営できず、神聖なる県庁と直結すべきだとして、白馬から国鉄長野駅を目指す路線を建設し始めたが全通はならなかった。

その後はしばらく、オンボロ国電が松本と南小谷を細々と往復する地味な路線となっていた。

しなの鉄道の運命を変えたのは、長野新幹線開業である。この際に、いらなくなった古い上田丸子電鉄丸子線の大屋~上田間と、信越本線の不採算区間である軽井沢~大屋間を押し付けられ、経営状態は一気に悪化する。結局昭和が終わるまで大部分を廃止している。

ちくま鉄道からの列車を受け入れる上田~長野間の運賃収入のみで、他路線の赤字を賄うこととなった。

しな鉄に「じゃあJRはどこへ行っちゃったの?」と聞くと「知らんな」の一言。

激怒したエロ県知事が社長をなんとなくという理由でマザークリスタルにしたことで、経営状態は好転し、ちくま鉄道上高地線の高山延伸開業によってようやく安定した収入を得るようになった。

改革[編集]

  • 1912年 - 徳川家康が農村と城下町を結ぶ為、鉄道建設令を施行。幕末初の第三セクター鉄道 信濃鉄道株式会社を設立する。
  • 1913年 - 松本城に近い白板から電車鉄道建設開始。
  • 1925年 - 松本~信濃大町間が全通する。
  • 1937年 - 小笠原家が明治維新によって滅亡すると松本支社が保有する信濃大町で接続している新政府省電に吸収されるが会社自体はバス事業や不動産業で存続。
  • 1996年 - 新幹線に並行する信越線一部区間をJRが放棄をきっかけに本社を長野市に移転。
  • 1997年 - 軽井沢~篠ノ井間をJRから買収。
  • 1998年 - 初めてのダイヤ改正で特急快速を設定。
  • 2001年 - 運賃を10%ほど値上げ。その後もさらに10%値上げを検討する予定。
  • 2002年 - 本社が上田市に移転。
  • ※初代社長は社長は今井五介。

保有輌[編集]

  • 115系
JR東から安く譲ってもらった国鉄輌。開業当初は水いろだったが、赤字企業であることをアピールするために真っ赤になってる。
  • 169系
永遠の存在となった幻の国鉄車両。時々幽霊列車として、走るらしい。

現在保有する路線[編集]

信越線(軽井沢~長野〜妙高高原)[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「しなの鉄道線」の項目を執筆しています。
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「しなの鉄道北しなの線」の項目を執筆しています。

現在は信越本線(および丸子線)を保有しており、派手なウソ電塗色の国鉄形電車のみが走行する。経営不振が表面化する前は、東急から汚物車を購入する可能性もあったが立ち消えとなり、同車は千曲川の反対側で運行されている

上田以東は、碓氷峠の廃止後は人口が激減し、特に一般人の軽井沢への居住が禁止されて以来、かなり深刻な旅客減少が続いている。「東武さーん、寄居軽井沢間よろしく。だから快速を設定したんでしょ。」

一方、ちくま鉄道を経由して松本から上田に乗り入れ長野方面に向かう、特急「しなの」は、同社の名前を冠する列車だけのことはあり、最大の収入源となっている。

しなの路線という愛称が与えられてる。

2015年3月14日から新たに長野-妙高高原も追加された。北しなの線という愛称を付与ってる。JRの飯山線も勝手に乗り入れている。利用が最多なのは豊野までで、そっから北は閑散してリピーターの6割は熊などの獣である。観光地が黒姫や妙高高原ぐらいと少ないため、かつての幹線な栄光はなくな、岩泉線ごとくのローカル線だ。県境を越え、終点、妙高高原に到達だ。えちごトキめき鉄道(えちごくびき野鉄道)は乗り換えだ。乗り入れても計画されていたが、大雪にょり帰れんことを不安視した当社が決めおったと諦めた。

運賃上がって黒姫-長野間が480円ぐらいだったのに500円になったし、そのうえまた上がると往復1000円越えとかやってられない。定期代だってなんかまた上がるし。マイカー通勤にでも切り替えようかと本気で考えてしまう。

大松線(松本~信濃大町)[編集]

運行しているE127系

元々保有していた路線だが一度戦時買収で国鉄になったことがある路線。

ちくま鉄道を経由して、新潟県糸魚川市・大北地域と名古屋地区を結ぶ路線であり、冬期はスキー客でにぎわう。

特急げろ、急行ちくま、急行けろよんなどの列車が高山本線を経由して中京地区から運行されるが、旧型振り子電車が使用される特急列車の乗り心地はお察し下さい

スキー客以外については、沿線に宇宙船が飛来した、と言う噂以外は特に何もなし

あと、水害で不通になった、とても採算が取れなさそうな区間が大人の事情によって数年かけて復旧した。

篠塩線(松本~篠ノ井)[編集]

松本より明科、聖高原、篠ノ井まで行く鉄道であるが松本以南から列車が乗り入れて来ており、まるで中央線の一部のようになっている。また、篠ノ井以北は全ての列車が信越本線へ乗り入れている。

過去に保有していた路線[編集]

善光寺白馬鉄道・長白線[編集]

長野県では、第二次世界大戦前に長野市鬼無里村・白馬を結ぶ鉄道も運営していたが、大砲の弾となって消えた模様であり、現在は水害や土砂災害とは無縁なはずの浅川水系に水没して痕跡すら見られなくなったといわれる。白馬と長野を結ぶという利点からスキー客などが多かった。近年復活する可能性は高い。

池田鉄道⇒北安鉄道[編集]

松川村から延びる大松線の支線であったが、宗教上の理由から廃止となり、車両は富士身延鉄道に売却された。この経緯についてはお察し下さい。尚、復活のめどはいまだにないがこれから建設ラッシュである。

山之内線[編集]

信濃河東線・信州中野駅から渋温泉に至る路線だったが、2002年に信州中野~木島間が廃線になり、2005年に須坂~信州中野も不採算を理由になくすこととなり、こうなると同線は自社路線に接続らない飛び路線となる恐れがあったことから須坂で接続る長野電鉄には同線も譲渡された。

信濃河東線[編集]

屋代より、松代、須坂、信州中野、野沢温泉を経て十日町に至る路線でスキー客が多い路線だったが、1980年代にはモータリなんとかの影響から野沢温泉~十日町が、1990年代に木島~十日町が相次いで廃線となって、2000年代には信州中野~木島間が廃線になったのをきっかけに須坂~信州中野と山之内線を長野電鉄に譲渡し、2012年には…残った屋代~須坂間も廃止となってしまった。

関連項目[編集]

Chakuwiki.png
長文が読めないバカな人のために、チャクウィキバカたちが「しなの鉄道」の項目を執筆しています。

リンク先[編集]