アビスパ福岡

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
「福岡は九州の盟主たい!」
アビスパ福岡 について、アビスパ福岡
典型的な福岡の放送局。「福岡県鳥栖市」のサガン鳥栖をちゃんと応援している。

アビスパ福岡とは福岡市とその周辺をホームタウンとするサッカークラブである。略称は「蜂」「盟主」。アンサイのこの記事では地味な存在であると2021年まで書かれていたが、結構なネタを持つクラブである。ただ、福岡では若鷹軍団のおかげで本当に地味な扱いを受けている。また、2020年からクラブのカラーをネイビーブルーからネイビーに変更したが、そのほうが地味である。

概要[編集]

九州最大の都市である福岡市を本拠地とし、地味ながらもJリーグに所属しているサッカークラブ。九州初のJクラブでもあるため、九州のサッカー界を牽引することが求められる立場である。現在でも「福岡は九州の盟主たい!」と頑張っているが、鳥栖に立場を完全に入れ替わられている状態が続いていたため、「盟主(笑)」と後ろに変なものがついてしまいそうである。ちなみにホームスタジアムはベスト電器スタジアム(通称ベススタ)こと東平尾公園博多の森球技場。このスタジアムは選手が間近で見られることで評判の試合会場である[要出典]バックかメインスタンドであればの話ではあるが

歴史[編集]

ルーツは藤枝(〜2001年)[編集]

このクラブのルーツは静岡県藤枝市にある。かつてこの町にはJリーグを目指していたサッカークラブである藤枝ブルックスがあった。しかしそうしてJFLを戦う藤枝にある知らせが届く。福岡市による誘致の話であった。当時の福岡市、いや九州にはまだJクラブがなかった(一応今は亡き横浜フリューゲルスが準本拠地としていたが。)そこで福岡市ではサッカークラブを誘致しようとする動きがあり、そのために市民50万人の署名が集まったという。

さて、そのようないきさつで1995年に福岡にやってきた藤枝ブルックス改め福岡ブルックスは京都パープルサンガ鳥栖フューチャーズヴィッセル神戸といった所と昇格を争う。結果24勝6敗という地味ながらも圧倒的な強さでJFL優勝を果たした。またこの成績により翌年からのJリーグ参戦が決まった。ただ、またここで問題が立ちはだかる。実はブルックスという名前はすでに紳士服メーカーのブルックス・ブラザーズが商標登録していた。すなわち、この福岡のサッカークラブは商標権問題に引っかかっていたのだ。そのため名を改める必要が出てきた。結果、クラブの名前は今のアビスパ福岡となった。福岡はこの新しいアビスパの名前でJに臨むこととなる。

さてJに昇格したものの、フロントでごたごたがあったり守備のザルさが目立ち、初年度は15位(下から2番目、つまりブービー)となる。それがまだよかったような気になるのが福岡の不思議である。つまりは次の年も、その次の年も最下位なのである。JFL優勝時の強さ等がどこにもうかがえない。どう考えても低迷です。幸いこの頃は2部(すなわち当時のJFL)降格制度がなかったので、こんな成績の福岡でも1部に残留できたのである。

だが1998年、とうとう降格の危機が訪れる。1999年度からJリーグの2部となるJリーグ・ディビジョン2(通称J2)が始動。そのためにJ1参入決定戦とかいう謎のルールにより来シーズンはJ2で始まると可能性が出てきたのだ。この年の1stで18位、2ndで15位(総合18位)だった福岡は神戸市原札幌(以上、Jから)、川崎(JFLから)と共に、3名様限定のJ1残留権(≒2名様限定のJ2へ行く権利)を争うことになった。まず行われた第一戦(vs川崎)に勝利しどうにか残留への一歩を踏み出す。福岡の勝負強さと同じかそれ以上に相手の残念さが引立つ結果となった(相手が相手だから仕方ないか)。その後の第二戦、福岡はジェフに負けJ2に近づいた。やっぱりだめかと思われた所、札幌に勝利してやっと残留権を獲得する。ということでギリギリで残留したのでした。

J1と呼ばれるようになった1999年の1部でも最後の最後の底力で地味に14位(下から3番目、降格圏は15位と16位)で何とか残留。正にまたギリギリの残留である。更には2000年、ピッコリ監督が厳しい指導を行ったため、2nd優勝争いに最後まで加わるなど地味なりに大健闘。結果的に年間6位で大躍進。

このように毎年降格候補に挙げられながらもシーズン終了時には地味に残留している姿にあやかって、学問の神様菅原道真が祀られている太宰府天満宮から「落ちない」受験合格グッズを制作したという。ただこれがフラグとなったのか、2001年に後一歩の所で残留が決まる時に不幸体質が発動、そして連敗へ。年間成績15位(下から2番目)という結果により、滅多に日の目を見ないJ2へ落第することとなってしまったのである。

5年周期のジンクス (2002年~2020年)[編集]

2002年は蜂位もとい8位に。絶賛迷走中であった。さすがに色々問題があると思ったのか2003年、育成的な戦略に転換することにした。まずこの年は戦略の初年度なので地味だけど土台固めに専念することになる(成績は4位と悪くない、そしてけさいのだがあまり気にするな)

2004年、控えめに3位になり入れ替え戦に進む。だが入れ替え戦の相手のは最後のあがきとして早野砲を用い、福岡をガチガチに凍えさせてしまう。結果、福岡はまたしてもJ2にいることを余儀なくされた。(翌年の柏との入れ替え戦結果は確かに地味ではある)その悔しさをバネに2005年、二位につけてついに自動昇格を決める。J1にいることでこのクラブもようやく日の目を見ると思われていた。まあ確かに一応は注目を集めたこととなったのだが……。

その翌年2006年、久しぶりのJ1も明るいものではなかった。京都とのボトムズ団子を形成し、地味に16位でフィニッシュ。なんとか望みをつないだ神戸との入れ替え戦も地味に二戦とも引き分け、ゴールに入ったんじゃないかなどの疑惑もありながら「アウェイゴール方式」とかいう謎のルールによって降格が決定した。(ちなみにこの時の神戸の監督は、福岡のJ1昇格の立役者であり、この年の成績不振で解雇させられていた松田浩監督である。すなわち、自分が解雇した相手が率いるチームによって皮肉にも引導を渡されたということになる。)

2007年、色々あって7位という微妙な順位となり、また翌年もJ2にいることが決まった。(第一クールは1位だったんだけどね……)2008年2009年もとにかく微妙な結果を残していった。地味すぎるため細かい順位は何、気にすることはない2010年は九州ダービーのカードこそ充実したものの、それ以外劇の的な試合も多かったためそこまで注目されなかった。しかし史上最悪に挙げられる程の名物社長が辞任したことは喜ぶべきニュースだった。そして篠田監督の元、気がついたらちゃっかり3位以内確定。え、まさかのJ1復帰・・・?。全国ニュースにも地味めに報道された。しかし、この先で待ち受ける修羅場をまだアビスパサポは知る由もなかった。

2012年、それまで散々一部のサポが敵視してきた鳥栖がJ1に上がって(福岡が夢に見ていた)大活躍。完全に立場が逆転した福岡。更には借キングだったはずの大分に上に行かれ、北九州にも上に行かれ、さらには熊本にまで上に行かれて「九州の盟主」どころか「九州最下位」まで落っこちてしまった。そう思って頑張っていた2013年、成績以外の問題が持ち上がってきた。

経営危機である。

この問題に際して「J2福岡 経営危機」とかいったフレーズで、ついにYahoo!のトップにまで躍り出てしまった。もちろん、福岡がこのように全国区で目立つということは悪いことが起きている(もしくはこれから起こる)証拠である。内容は「資金繰りが悪化した結果、選手や社員への給与が遅れる(下手すると払えなくなる)」+「Jリーグのライセンスが剥奪され、Jリーグから退会しなければならなくなる可能性が出てくる」とのこと。退会してしまうと、JFLに降格してもう一度Jリーグ参入を目指すという選択肢もあることはあるが、このクラブの場合、下手すると「退会、即ち解散」となってしまうかもしれないのだ。この状況に対してフロントは力を貸して欲しいと呼びかけているという。

そしてこの記事を見た人達は華麗にスルーしたり、福岡の様子を肴にクラブライセンス制度の問題を論じたり、親会社の経営難から解散することになってしまった横浜フリューゲルスのことを思い出したり、さらにはアビスパ不要論を唱えたりした。

もちろんこれに対してクラブのために立ち上がった者もいる。

選手、そしてサポーターである。選手は「愛するアビスパを共にいつまでも!!オレ達はピッチで結果を!!」と人文字で示しながらサポーターに協力を頼み、また残りの試合における全力プレーを熱く誓った。またサポーターは募金を呼びかけ、あるいは実際に募金を行い、資金面での支援を行った。ホームの試合に赴くことも重要な支援の形の一つである。(報道直後のホームゲームに5000人台しか入らなかったのは秘密)

次はフロントの番である。新規スポンサーの獲得及び経費節減は勿論のこと原価1000円!のTシャツの収益を寄付するとのたまう自称アビスパの恋人に対する処遇も期待したい。市民に愛されるクラブを作らないと先は無い。
なお、一応アビスパ福岡は2014年度もJリーグで戦うことができるため安心して欲しい。要するに2014年の経営でこれからのことが決まるのだ。経営がうまくいけば「これからもよろしく」、うまくいかなければ「さようなら」である。

3/22に磐田と対戦するのは福岡のはずなのに……。

そして明けた2014年の2月、あそこがやらかした。

誤表記広報に定評のあるジュビロ磐田である。
磐田は2014年シーズン最初のホーム3試合において、選手の名を冠するシートにサポーターを招待する企画を発表した。しかし初めてのJ2に浮かれたかどうか知らないが、対象となる試合における対戦相手を見事に間違えていたのである。画像も参考にしてほしいが、つまりはここだけを見るとなぜか磐田は3/2どころか3/22にも札幌と戦おうとしているのだ。そして本来3/22に磐田と対戦するはずの相手が福岡なのである。(ちなみにこの企画を発表したのが2/15。それを見てあるサポーターがtwitterで「間違えてない?」という旨の発言をしたのが2/25で、その数十分後に修正されていたらしい。何がともあれ、修正が2回目の札幌戦もとい福岡戦のシート応募期間に間に合ってよかったと思おう)

そして7月、ある報告がなされた。Jリーグの運営に関するもの――すなわち経営うんぬんによってライセンスの剥奪があり得るかの話である。連続赤字で今年も赤字であればライセンスがひっぱがされそうなクラブは数個、リーチ目前のものも含めると結構な数があったが、おおよそ今年度は黒字の目処がたった。

福岡以外。

システムソフトから一億円出してもらって、何とか経営危機は回避。だけどチームの方は一時上位に顔を出したものの後半戦に大失速。またしても「九州最下位」となってしまった。もうネタとして「盟主」すら言えない雰囲気になっていた。

2015年、アパマンショップをバックに迎えたアビスパはまったく別のチームに生まれ変わった。選手と距離感の近い社長を迎え入れ、アパマンさまの資金を背景に大型補強を行い、監督に「アジアの壁」こと元日本代表キャプテン井原正巳を迎え、経営危機から一気に金満球団へと生まれ変わった。これで一気に昇格最有力候補!と思ったら、15年のJ2は大宮・桜・磐田と言ったJ1常連組だった連中が多数いるので、良くて5・6番手という所か・・・と、思われた。だが、アパマンパワーで元気百倍なのか、アジアの壁の面目躍如なのか、シーズン終盤から9連勝。終わってみれば24勝8敗10分と、最終的には勝ち点でPOに回るのだが、最有力として2位を争っていた磐田と同じ勝負分でフィニッシュする。そしてプレーオフで長崎を下して桜に(ヤられかけたけど)勝って見事にJ1昇格が決定した。

しかし2016年のJ1での戦いは2006年、2011年同様に苦戦を強いられた。アジアの壁が仕込んだアビスパの壁はいともたやすく崩され、最終的に元中位王の鯱からJ2に叩き落とされてしまった。(名古屋も先に降格が決まっていた湘南に最終節ホームで粉砕されry)2017年、2018年も同様に井原監督の元でJ1を目指した。2017年にはプレーオフ決勝まで勝ち進んだのだがまた名古屋相手に引き分けながらもルール上昇格できなかった。そして、強化部は井原路線を辞めてファビオ・ペッキア監督を新監督に据える。しかし、シーズン途中で一身上の都合で監督が交代され、レジェンドである久藤監督の元でなんとかJ2残留を果たす。

これでアビスパのJ2での5年に一度の勢いは止まるかのように思われた。しかし、水戸を過去最高順位に引き上げた長谷部監督と水戸でプレーしていた選手を半ば強奪し逆に5年周期の勢いを利用してチームをJ1昇格まで持っていこうという気概が感じられた。レンタルで加入した若手選手の活躍や他チームのエースの強奪などにより、J2二位で昇格を成し遂げた。

サポーター達に夢と感動を!(2021年~)[編集]

2021年以降のアビスパのあるべき姿。一寸先はJ2である。

2021年昇格はしたものの、その原動力となった多くのレンタル選手がレンタル元に戻り降格最有力視されていた。しかし、序盤はうまくいかなかったもののなんとか追いついたセレッソ戦を皮切りに破竹の6連勝を成し遂げるなど今までのアビスパとは何か違うものが感じられる。ただ、その後ちょっと失速してしまうのもアビスパらしくて愛おしい部分でもある。こうした成功の一因にはクラファンやアビスパTVやアビスパトークンなどで残留への本気度を見せ、足りないポジションがあったらすぐ適切な補強をするという強化部の影響がある。また、アパマンマネーだけではなくDMM.comがアビスパへの出資をしたことで、男達の性欲という永久機関がアビスパを強くさせてくれるのだ。これは非常に頼もしい。

これからのアビスパはどうなるかはわからない。しかし、2021年ハチ月25日、公式戦30戦無敗の川崎フロンターレに黒星をつけた。これはまさに記録より記憶に残る勝利であろう。三笘や田中碧がいなくなったからとかは言い訳にできないよ!

神戸戦で0-1で敗れはしたものの、J1残留が確定。アビーくんジュニアにこれからもと感動を与え続けられるのか、アビスパはもうに歩みを進めて行くしかない。

マスコット[編集]

クラブ名の「アビスパ」がスペイン語で熊ん蜂(スズメバチ)を表すため、マスコットもの夫婦である。名前はアビー(夫)とビビー(妻)。チャームポイントの銃刀法あたりにひっかかりそう(少なくともコミケには入場できない)だが、「特別な素材」を使用して法律の目をかいくぐっているので心配しなくていい。むしろ心配すべき所は数少ない昆虫マスコットであるはずなのに、どうも地味であることだろう。2013年度のゼロックス杯のイベントとして、Jリーグマスコット総選挙なるAKBの総選挙に乗じたマスコットの人気投票がJ's Goalにて行われた。……のだが、この蜂マスコット、なんと最下位だったのである。考えられる理由は様々あるが、やはり最も重大な理由はアビー(例の蜂マスコット)の存在感のなさであろう。(もっとも翌年2014年度もまた同イベントが行われたのだが、このときはアビーは11位と大健闘している。これは同情票か、はたまた前年度の結果でようやく存在に気が付いたのか……)

なお「刺す蜂」は雌しかいないだとか、雄の蜂はNEETだとか、そういう事実があるようだがだからといってつっこんではいけない。

蜂の巣の穴のようなまめ知識[編集]

  • 2007年のリーグ戦、福岡と対戦することとなった札幌くんはなぜか東京のサッカー場で主催試合を行った。理由は「札幌ドームNTRられ(どこにNTRられかはお察し下さい)、他の道内のサッカー場も使用できないため」とのこと。
  • 麿くんとはJ昇格の同期であり、地味に四度降格・昇格を共にする仲である。(降格:2006年、昇格:1992年、1995年、2005年)
  • そして桜くんとも二回程に仲良く降格している。(2001年、2006年)
  • ここのサポーターは一部の者(多分)の過激さが有名となっている。そのせいでクラブ自体がかえって目立たなくなっている気がしなくもない。
  • 実は地味にアルゼンチン人の選手を最も多く所属させていたクラブでもある。マラドーナの弟も所属していた。……のだが2003年以降は獲得していないのであまり知られない事実である。
  • 一説によると「ここから出てきた人材を登用すれば、彼は活躍し会社の成績に大いに貢献してくれるだろう」とされた「人材派遣のアビスパ」とは、このアビスパ福岡のことであるという。
  • 2008年のJリーグ一年生である岐阜くんは福岡戦にてJ初勝利を決めた。のだが、その試合は「福岡が5分間で4失点した」という見た者をポルナレフ状態にさせる代物であった。今でもこの試合は伝説として語り継がれているとかいないとか(だいたいブラジルW杯におけるキイロイトリ軍団のせい)。……福岡はかませ犬に徹しないと駄目なのだろうか。
  • 2010年ごろから「福岡は九州の盟主たい」という言葉が流行し、これに付随したオプーナの改変AAである「盟主」がネット上でのアビスパ福岡の顔となっている。その反動で本来のマスコットである前述の蜂夫婦がますます存在を忘れられがちである。
  • 2011年元日、アビスパ福岡と同じく福岡を本拠地とする福岡ソフトバンクホークスとサッカーの試合を行い、0-4で大敗した。
  • 2014年、悲願のJ2昇格をしたにも関わらず開幕から数えて7連敗中の讃岐くんに引き分け、初めての勝ち点を与えたのは福岡である。九州の盟主・アビスパ福岡の名は讃岐くんの歴史に永遠に刻まれるであろう。……もっとも、その直後第9節に犬くんまで讃岐くんに引き分けたため、福岡は(案の定)少し地味になってしまったのだが。
  • 上の岐阜くんや讃岐くん以外にも、福岡は富山くんにクラブ史上初の勝ち点1を与えたり、岡山くんにクラブ史上初の勝利を与えたりしている。慈愛!

クラブの問題点[編集]

  • フロントの問題。
無能。この一言に尽きる。フロントの迷走ぶりはJ屈指の認知度を誇っている。具体的に言えば、福岡では有能な人材(特に監督・選手)がすぐに辞めていくか、他の場所に行ってしまう(自分の意志かどうかは問わず)。しかもこのようにして福岡から出て行った人物は、なぜか流れ着いた先で成功していることが多いという。すなわち「ここのフロントは有能な人材をうまく生かせない」というように推測されるのだ。
実際、フロントはサッカーど素人の者が多くまったく熱意がないという。そのため運営も「行き当たりばったり」「その場しのぎ」のものばかりであるようだ。すなわち、長い目で見ないと成功しない人材に対してはまったく無力である。更にたとえクラブの成績が悪くても、首を切られるのは選手や監督だけである。このような時でもフロントは変わらずのうのうと高見の席でふんぞり返っている。非常に不条理な現実が、そこにはある。2009年、その代表者である社長が辞任したがはたしてどうなるか?
2013年の明太子募金などを乗り越えて、2021年現在ではフロントの問題はある程度解決しつつある。これはほんトーレス!
  • サポーター団体の問題
モラル最悪。それに尽きる。(一部の者だけだと信じたいが)
サポーターの品行の悪さはJ屈指の認知度を誇っている。具体的に言えば、公共の場所(スタジアムへ向かう電車内、スタジアム最寄駅など)で大騒ぎしたりするわ、係員の警告を無視するわ、バカである。試合会場やその周辺はこのようなサポの被害にあう危険が高いとされ、そのような場所に子供を連れて行くことをためらうファンも少なくないとか。だから観客動員数も少なくなって、そして福岡の町での存在意義が薄らいでいるのだろうか。
しかもホームで負けた暁には、自分の所の選手を自分達サポーターに対して謝罪させないとすまないとか。しかもその選手達にブーイングをかけるというのだから、もう大問題である。ちなみにコカ・コーラウエストのジョージア(胸スポンサー様である)がスポンサーを降りたのは北九州市との繋がり以外に、試合中に怒ったサポーターがボトルをグラウンドに投げ込むという行為も影響したという。
ちなみにこちらの方はは2021年現在でも度々問題となっており、鳥栖戦で侮蔑的ともとれる横断幕を掲げて一部のサポがホームゲームで出禁になるなどした。

輩出した有名選手[編集]

画像より動画の方が云っている意味が伝わりやすい。
冨安健洋
言わずと知れた新進気鋭の日本代表若手NO.1DF。その走る姿と形から、汎用人型決戦兵器なのではないかと噂されている。現在はセリエAでクリロナやイブラヒモビッチなどのレジェンドとしのぎを削り、その守備力にますます磨きをかけている。またボローニャではCBだけではなくSBもこなし、時々他の日本人FW顔負けの美しいゴラッソを叩き込んだりする。
ちなみにマタニティ(股にT)という持ちギャグを持っているが、全国放送や日本代表でその持ちギャグを見る機会は残念ながらほとんどない。新しい移籍先のアーセナルでゴールパフォーマンスとして披露してくれると信じたい。
金森健志
あだ名は1万円博多のネイマール。内田篤人や金崎夢生などと仲がよく、基本的には可愛がられキャラである。レンタルでアビスパでプレーしていた遠野大弥と瓜二つであり、生き別れた双子か兄弟なのではないかと言われている。鹿島時代に福沢諭吉と記念撮影したとある写真が有名でスキャンダル男なイメージがあるが、アビスパに戻ってきた彼は献身的なプレーで攻撃に守備にタスクをこなす。実際、2021年の古巣鹿島戦では貴重な決勝ゴールを挙げるなど5年周期のジンクスを破るための勝ぶの一年の立役者となるかもしれない。
鈴木惇
アビスパユース育ちのお坊さん。監督の鈴木淳とはまた別人である。基本的にはFKやロングパスなど得意な中盤の選手であるが、彼が起こした最も有名な事件は森保批判大好きチー牛サッカー分析家であるレオザフットボールとの一悶着だろう。インスタのストーリーから発展し、最終的には2019年のアビスパの解説までされてしまった。(この時のアビスパの成績は散々なものであったため言い返す材料が少なかったのもまた事実である)現在は、アビスパのルーツである藤枝でプレーしている。
城後寿
じょうごおおおおおおおおおで有名なアビスパのバンディエラ。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「アビスパ福岡」の項目を執筆しています。
にーこにっこどーが♪
ニコニコ動画中毒患者のために、ニコニコ大百科ではニコ厨たちがお金をかけてまで「アビスパ福岡」の項目を執筆してくれています。
  • 九州ダービー - このクラブと他の九州地方のサッカークラブ(北Q鳥栖熊本大分長崎鹿児島琉球)との試合のこと。「キサン・クラスコ」などとは特に呼ばれてない。
  • 西日本新聞
  • 汚鰤 - Jリーグでも相当有名な暴徒の一つで、「アビスパの彼女」を自称するサポーター?軍団。自称のわりには、アビスパのためになるどころか害悪になっているような気が地味にする(例を挙げると枚挙にいとまがないのでここでは割愛させて頂く)。
  • サガン鳥栖 - 通称田舎、隣。2021年現在、湘南ベルマーレと共に赤リンクとなっているJ1チーム。福岡と鳥栖はバチバチの関係であるためこんなサイトに一つ記事があるだけでも誇らしく思うだろう。
  • 田村ゆかり
  • HKT48(豊永阿紀)
  • YOASOBI (群青)
こん項目「アビスパ福岡」は、執筆者がクラックばキメとった可能性もあるけんが、今はまだクソの山ばい。より愉快にして下さる協力者ば求めているけん。さぁ、これば見とる貴方(貴女)も、恥ずかしがらんでん書き込んで見い! (Portal:スタブ)


Upsidedownmainpage.jpg 執筆コンテスト
本項は第40回執筆コンテストに出品されました。