イエローカード (検疫)

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概要[編集]

長い歴史を持つイエローカードは種々の変遷を経て、2016年現在では、WHOと途上国政府機関が結託して、各国保険機関の増収と発展途上国の経済支援のための通行手形となっている。昔は多くの接種(天然痘、コレラ等)が必要であったが、2016年現在では黄熱病だけが義務付けられている。

歴史的経緯[編集]

イエローカード韓国起源説[編集]

韓国において、イエローカードは韓国起源説が通説となっている。韓国においては、万物の始りは韓国なので当然のことである。しかし本件においては、韓国が古代イエローカード発祥の当事者であることから、100%の誤りとは言えない事例である。

日本の歴史学者の視点では、韓国は加害者と見られ、その苦肉の策として日本がイエローカード制度を発足させたとされている。現代も継続中の問題である日韓歴史認識問題の最初のつまづきがこのイエローカード問題なのである。

縄文末期の事例[編集]

縄文日本政府厚生局は困惑していた。縄文時代、日本には、天然痘、マラリア、コレラ、等と多くの感染症が蔓延しており、厚生局は、祈祷呪術薬草の確保、湯治場の確保等、で対策を施していたが、効果は十分ではなかった。そこへ、半島から多数の弥生人が渡来してきた。彼らは縄文日本人が知らない感染症を持っていた。そう、結核である。縄文日本政府厚生局は、結核に罹患していないという証明書を持たない弥生人の日本上陸を拒否した。当時はまだ紙がなく、植物の繊維を広げた状態、丁度エジプトのパピルスの様な物を証明書として使った。その色から「黄色片」すなわち、イエローカードと呼ばれるようになった。これが古代イエローカードの始まりである。しかし、縄文日本政府厚生局による流入規制策は十分とはいえず、結核に罹患した大陸由来の弥生人の侵入を防ぎ切ることはできなかった。この失策により、以後、日本人は2000年の長期間に渡り結核に苦しめられることとなった。

縄文末期の事例の補足[編集]

2016年の現代日本において、縄文遺跡では骨カリエス(骨結核)の発掘例はなく、渡来人が訪れた弥生時代の遺跡では骨カリエス(骨結核)の発掘例が見られる。これらの理由により考古学的にも疫学的にも日本においては渡来人による結核持ち込みが定説となっている。

なお、韓国人学者による主張を借りれば、日本に元々結核は有ったのだが、日本人の遺跡発掘能力が欠けているため縄文遺跡で骨カリエスを発掘できないだけ。ということになっている。 また、2016年現在の日本国政府はある事情により、韓国政府考古学研究者による縄文遺跡の発掘を認めていない。なぜなら、韓国は万物が韓国起源であり、それを主張し証明するためゴッドハンド(神の手)捏造を持つ考古学者を多数抱えており、日本の縄文遺跡においても、骨カリエスを発見することなど朝飯前と主張しているからである。

平安時代の事例[編集]

古典の授業で行われる能因法師の和歌「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」(後拾遺集に収録)が有名である。しかし、この歌を研究した鎌倉時代の橘成李によれば(古今著聞集に収録)、能因法師は都で遊んで日焼けした。それを誤魔化すために白河へ行ったと歌ったと提唱している。軟弱者であると評価している。現代風にいえば、学校の課題をネットでコピーアンドペーストした元祖でもある。だが、近年における研究では能因法師が東北へ行けなかったのは別の理由があったと考えられるようになってきた。都に流行病(はやりやまい)を流入させまいと、当時の平安政府厚生局が逢坂の関に作った検疫所に、通過に必要だったイエローカードを持っていなかったので、近江国にすら入れなかった。そこで架空旅行を読んだ。という説が有力になりつつある。解明の手がかりは、彼は裕福な僧侶であったにもかかわらず、孝明天皇同様、大の種痘嫌いで、種痘のための切開施術で痛い思いするぐらいなら、旅立たない、とゴネたからであると考えられている。彼が軟弱者であるという見方は変わっていない。現在、彼は脳内バックパッカーの元祖として崇められている。また、能因法師を見習ったのが松尾芭蕉であるがここでは割愛する。

鎌倉時代の事例[編集]

歌舞伎の演目に勧進帳があるが、これは検疫所におけるイエローカードのやりとりを元にした物語である事はあまり知られていない。 源義経率いる弁慶の一行は、安宅の関に到着した。当時の鎌倉政府厚生局は安宅に検疫所を築き、感染症拡大防止を図っていた。しかし、義経を始め、弁慶一行はイエローカードを持っていなかった。そのため義経一行は、詰問してくる検疫官である富樫への対応に苦慮した。機転を利かした弁慶は懐に有った何も書かれていない黄色い紙(イエローカード)を取り出し、ワクチン接種、日付、ロット、等を読み上げた。それを聞いてもなお満足しない富樫。一計を案じた弁慶は、義経を金剛杖で打ち据えるのではなく、小刀で切りつけ、種痘を接種した。その種痘さばきの鮮やかさに富樫は敬服し、検疫所の通過を許した。なお、弁慶は小刀扱いの名手であったため、外科医としても活躍し、スーパードクター(BenK)Kの通名を得たといわれている。

国外の事例[編集]

中国の事例[編集]

中国では、秦の始皇帝の時代、イエローカードは「黄色片」と呼ばれた。秦国政府厚生局の官僚はその必要性を始皇帝に訴えたが、反対に始皇帝は秦国にふさわしくないとして、焚書の対象としてしまった。なぜなら中国語で「黄色片」を日本語で言えば「エロ」、つまり春画ということで、始皇帝は処分対象とし、検疫政策を放棄してしまった。科挙の科目からも、イエローカードに関する項目、すなわち疫学が除去され、漢方だけとなってしまった。その結果、中国では以後、清朝末期まで満足な防疫体制が出来ず、北方騎馬民族などの周辺異民族の侵入の度、感染症の流行に苦しむことになった。

スペインの事例[編集]

1400年代末、西インド諸島共和国政府厚生局は、防疫体制をひいて、平和裏に国家運営をしていた。 そこにスペインの船団が武力を背景に侵入を試みた。もちろん西インド諸島厚生局はイエローカードの提出を要求したが、野蛮なスペイン人が国際協定を守る訳もなく、スペイン風邪、天然痘、黄熱病その他多くの感染症を西インド諸島共和国にまき散らした。帝国主義時代の幕開けである。多くの西インド諸島共和国の市民は感染症によって死亡した。一方、イエローカードも持たない野蛮なスペイン人に西インド諸島共和国厚生局が一矢報いたのが梅毒である。スペインは略奪に成功したが、イエローカードを持たなかったため、梅毒の感染というお釣りをもらってしまい、その上スペイン人はこともあろうかそれを全世界にばらまいてしまった。この件に関してWHOは、スペインは軽率であったと非難している。


近年の状況[編集]

第一次世界大戦は世界初の国家総動員、それどころか同盟国をも含めた各地から兵士が集められた戦争であった。またその戦闘形態から別名塹壕戦とも呼ばれ、ひたすら塹壕を掘り、塹壕から顔を出した敵を機関銃で掃射する戦いが続いた。兵士は交代で塹壕に入っていたが、塹壕を出た寄せ集めの兵士達は娯楽の少ない当時、市中に出かけ、不純異性交遊にふけった。それで、性感染症も蔓延してしまった。また、狭い塹壕に各国寄せ集めの兵士を詰め込んだため、結核などの感染症も蔓延した。 その結果、は向こう側の塹壕から機関銃を撃ってくる輩か、それとも感染症なのか判らない状態になってしまった。そこで、近代的検疫制度が制定されるようになった。人類は大勢死なないと学習しないという欠点がここでも証明された。 ようやく、防疫の必要性が認識され、国際的な防疫の名目として、近代イエローカード制度が発足した。

取得[編集]

2016年現在、イエローカードが必要なのは、南米、アフリカの低緯度地帯であり、経済支援が必要な国と一致している。このことからも、イエローカードが発展途上国への経済支援であることが理解できよう。一方、同じ低緯度とは言え、熱帯アジアにおいては、最低限の経済発展はしているため、不要となっている。またこのイエローカードは、先進国の医療機関への利益供与という面も持っている。イエローカードを先進国で取得するには、医療機関に行って、利益供与しなくてはならない。

これには、健康保険の適用はなく、全額自己負担である。この辺りが、医療機関を儲けさせているところである。ただし、君が協会けんぽの被保険者なら、全額負担を免れる手が無いことはない。予防接種などせず、旅立てば良い。例えば、ナイロビで黄熱病に罹患したら、病院へ行き治療してもらおう。現在の黄熱病の致死率は約40%位だから、多少のよりお金のが大事な君なら低いリスクだろう。そして、無事退院できたら、英文診断書、領収書を帰国後に協会けんぽに提出すれば約70%の治療費は保険で支払われる。これで、めでたく全額自己負担からは逃れることができた。

話が戻るが、現在、WHOが義務付けている接種は、黄熱病である。黄熱病は、野口英世が細菌感染と勘違いした、ウィルス感染症である。この予防接種であるが、大変わがままである。低緯度アフリカ等の地域に行くためには、破傷風、狂犬病、A型肝炎、B型肝炎、コレラ、等の予防接種をしていくのが一般的であるが、黄熱病を打ってしまうと、その後、一ヶ月、何も予防接種ができなくなってしまう。そのため、先に黄熱病以外の予防接種を打ちまくり、最後に黄熱病、とプランを立てないと、渡航に間に合わない。更に、現代日本では、黄熱病の予防接種は困難である。(東日本で言えば、札幌、仙台、東京、横浜ぐらいである)。そして、接種できるところでも予約が必要であり、かつ、接種費用は1万円を超える。この不当に高い金銭が、医療機関への利益供与となっている。

一方貧乏人旅行者は、バンコクのスネークファームで予防接種を受け、利益供与を減らしている。しかし、アフリカへ行く前に、夜のバンコクで発展途上国経済支援しているのだから、主客逆転である。

関所[編集]

さて、先進国の医療機関へ利益供与してようやく手にしたイエローカード、接種日とワクチンのロット、医者のサイン、検疫所のスタンプを確認しておこう。万一不備があると、発展途上国で経済支援させられる口実が増える。

例えば、ケニアのナイロビ、ジョモケニアッタ国際空港に到着したとする。最初に出くわすのが「検疫」である。もしあなたがイエローカードを持ってい無いと、次の、パスポートコントロールにすら進めない。国際空港みたいに人の目が多いところでは、突撃は難しい。旅客が皆んな降りて人気がなくなった頃を見計らって検疫官に頼んでみよう。約US50$が発展途上国経済支援の相場(ケニアの場合、お茶代という)といわれている。またこの手段もリスクがあるので確実とはいえない。ただ、どちらに転んでも、医療機関か、検疫官に支援を行うことには変わりない。

さて、ナイロビから、バスとマタツ(乗り合いタクシー)で陸路ウガンダに向かう。ここで、小さな建物にパスポートを出すとケニア出国のスタンプをくれる。電車の遮断機みたいな国境を示す棒をくぐり、目の前のウガンダ入国事務所にパスポートを出す、すると「イエローカードを出せ」と言われる。素直に出しても、発展途上国経済支援のネタ探し(あらさがし)させられることも多い。仮にイエローカードが無いと、また、発展途上国経済支援が必用になる。陸路の場合、見ている人も少ないので堂々と援助を要求される。ときには「接種したことにしてやる」と恩着せがましく言われることがある。しかし、そんなことを言われても、イエローカードは発行してくれない。

こんな感じで、行くたび、行くたび、発展途上国経済支援が必用になる。それでも、イエローカードからコレラが無くなった分、先進国の医療機関への利益供与が減ったのだが。

もっとも、ナイロビの保健所では結構簡単に接種してくれたりする。流行地帯なので、当然と言えば当然である。野口英世も解明できなかった黄熱病。これはサルとの人畜共通伝染病なので、完全駆逐の日は遠い。その遠い日まで、医療機関への利益供与もしくは、発展途上国経済支援は続くのである。

21世紀の現在においても、駆逐した感染症はたったの1種、天然痘だけである。この感染症との戦いには、全く終戦の見込みはなくイエローカード(検疫)はその姿を変えつつも人類からは離れてはくれないであろう。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「イエローカード (検疫)」の項目を執筆しています。