オタンチン・パレオロガス

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「それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」
オタンチン・パレオロガス について、苦沙弥先生
「何ですそのオタンチン、パレオロガスって云うのは」
オタンチン・パレオロガス について、その妻

オタンチン・パレオロガス(1405年2月8日 - 1453年5月29日)は東ローマ帝国最後の皇帝である。

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概要[編集]

東ローマがすでにオスマン帝国の圧力を受けていた1405年にマヌエル2世の四男として生まれ、1449年即位。オスマン帝国スルタンのメフメト2世を怒らせ、東ローマ帝国の征服を決意させてしまう。焦ったオタンチン・パレオロガスはヨーロッパ諸国の支持を得ようと、ギリシャ正教ローマ・カトリックと統合する」と無茶なことをいってのけ、当たり前だが、この発言により国内から大顰蹙を買う。西欧諸国からも無視され、1453年、オスマン軍に囲まれ、ひと月もせずに城壁を突破され、あえなく戦死する。オタンチーン。

我が国では1905年に一介の中学教師である苦沙弥先生が、山芋の相場を知らないを彼にたとえたという報告がある。苦沙弥夫人はその後何度も「オタンチン・パレオロガス」の意味を尋ねたが「意味も何にもあるものか」といって相手にされなかった。彼女はこれを「余っ程私を馬鹿にしていらっしゃるのね。人が英語を知らないと思って悪口を仰ったんだよ」としたが、現在ではこの憶測は否定されている。なぜなら、Παλαιολόγοςはギリシャ語であるのだから。ともかく、このことから、気の利かない、間の抜けた、愚か者を形容する言葉として用いられるようになった。

やっぱり悪口じゃないか。

情報提供者の吾輩が水死(酔死)し、記録者の夏目漱石も「則天去私」などとほざきながら胃潰瘍で亡くなった。猫がついビールをなめてしまったのも、漱石が仙人みたいなトンデモ思想に達したのも、みんな有毒な「オタンチン・パレオロガス」にあてられたせいである。

アスパラガスを万引きした主婦が「オタンチン・パレオロガスだと思った」と弁解するなど、その影響や被害は今に至るまで続く。最近ではギリシャ神話のイカロスの墜死まで「オタンチン・パレオロガス」のせいではないかといわれる始末である。この文章を読んで「そういえばアスパラガスはオ○ンチンに形が似ている」などと思ったあなたはすでにオタンチン・パレオロガスにあてられている。

功績[編集]

オタンチン・パレオロガスについての史料は少なく、彼の業績のほとんどは今日では闇に葬られているが、何らかの形でトチメンボーという料理の開発に関わっているとされる。

これはナメクジのソップやカエルのシチューとは比べ物にならないくらい趣がある西洋料理で、この味を知るものに言わせれば鴨のロースや仔牛のチャップなどは月並みだという。

しかしながら日本の高級西洋料理店のボーイも料理長もその存在を知らず、作ることができないという。まあ、仏蘭西英吉利で随分気軽に食える天明調や万葉調もろくに出せないのだから当然である。

このトチメンボーは日本派の俳人をふんだんに使った料理であるが、その材料は現在ではとても貴重な物で、亀屋にも横浜の十五番にもなかなか置いていない。メンチボーとは違う。肉団子なんぞの比ではないのだ。

以上はすべて昔、画家のアンドレア・デル・サルトが言ったことであるかもしれない。