キャラ被り

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キャラ被り(-かぶり)とは、とことん他人と同じ性格になりきる全人格をかけた芸術と呼ぶべき求道である。

概要[編集]

人間は本来、息をしているという点を唯一の共通点として、まったく同じ性格になることはありえないはずの生物である。仮に「派手」「地味」「カワイイ」「不細工」のように性格を類型化することがあっても、その性格に分類された人間のあいだでは微妙な違いを見出すことで、容貌以外の面で性格を細かく分類している。

「キャラ被り」という芸においては、その違いをとことん無くしていくことが求められる。とある人物が100の質問に対して受け答えしたら、キャラ被りを演じる者はその人物とまったく同じ答えを同じ口調で100、その人物の回答を知る前から答えられなければ「キャラ被り」しているとはいえない。100の内1つでも答えが違っていれば、それは「個性」になってしまい、キャラが被らなくなってしまう。

その芸をより極めるのなら、口先で答えるだけでは不十分だ。被り元の人物が選ぶ好みの本、食べる物、着る服、歩き方、手先の癖などもキャラ被りの演者は意識することなく自然にできるようになっていなければならない。ドッペルゲンガーの如く、本人の動きを模倣できねばならない。

その結末として、被り元の人物と命をかけた乱闘になるかもしれない。しかし、真の芸術というのは身が死した時に初めて成就するものだ。キャラ被りの結末が、どちらかの死で終わるのなら、その芸はこれ以上ない立派な「藝術」だったといいきれる。

キャラ被りの一覧[編集]

下になればなるほど被りポイントが上昇する。

  • 派手や地味などの性格分類が被る
  • メジャーな分類で趣味が被る
  • マイナーな分類でも趣味が被る
  • 特技まで被る
  • 職業が細かい分野まで被る
  • 長所や短所が被る
  • 互いに知らないところで選択した愛読書が完全に被る
  • 最も好きな女や男の登場人物がその作品の主人公でもメーン脇役でもないのに被る
  • コスプレ大会で衣装が完全に被る
  • 球技大会で同じポジションになり、どんなに不利な場合でも常に動きが被る
  • エクストリーム・スポーツの競技で点数が被る
  • 食べ物の好みが被る
  • 制服でもないのに着る物が常に被る
  • 住んでいる家の面積ばかりか間取りも被る
  • 寝間着、寝かた、夢の内容が被る
  • 家族構成が被る
  • 身長、体重、胸囲、座高、視力が被る
  • 心拍数が被る

芸能人の被り[編集]

芸能界の場合、大衆の視点で見て同じ性格のようにみえる芸人には「キャラ被り」のレッテルが貼られ、多くの場合「被らせている」方が排除される。何とも芸のない残酷な批評作法だ。キャラを被らせる側の芸人は被り元となる芸人よりも100倍以上努力して、被り元の嗜好に寄り添おうと精進していることを視聴者も芸能プロダクションも知らないのだろうか。被り元の方の芸人こそがテレビ画面から退場すべきなのに、どういう訳か被り元の方が生き残るところに芸能界の黒い体質が現れている。

作品の場合[編集]

文学などの各種作品の場合、「キャラ被り」のように題材や登場人物、ジャンルが他の作品と酷似してしまうのは悪いこととされ、下手するとあっさり打ち切り宣告を受ける。×番煎じで、まるで芸がないと宣告される。

しかし、その宣告はキャラ被りという芸術を理解していない人間が繰り出す戯言に過ぎない。外からみて、機械でトレースしている訳でもないのに類似しているようにみえる絵でも、内部の制作者はまだまだ原典からあまりに違いすぎていて、オリジナル作品のようになってしまっていると悩んでいる。そのような苦悶を知らずして、打ち切り宣告してしまうのは、読者の方にあまりに芸がないといえまいか。99%の大衆に同じキャラにみえようとも、1%の知識人はそのわずかな違いをとらえ、「まだ被りきれていない」と非難している。

そもそも、著作権警察がうるさい昨今では、まったく同じ性格の人物を作中世界に輸入するにしても、様々な変数を加えてくるものだ。そのため、キャラ被りの芸能を極めるのは困難になっている。

「基本的な性格や特技がどこかの超有名作品の主役と被っているようにみえても、こんなに違いがあるオリジナル・キャラクターです。ほら、向その主役の髪の毛は短髪でしたけど、こちらは長髪でしょ」と決め台詞を一単語入れ替えただけの主役を示しながら、独創性を主張するのを聞くにつれ、マンネリスムという模倣芸術の美麗さをアジアの友たちと仲良く語りたいものだ。

関連項目[編集]