グルーのパラドックス

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グルーのパラドックス(Grue paradox)とは、色彩哲学の概念である。

概要[編集]

青か、緑か、あるいはグルーか。

グルー(Grue)とは、グリーン(Green)とブルー(Blue)の合成語であり、どちらでもありどちらでもない色概念である。たとえば「青りんごは本当に青いのか」「青信号はなぜ緑なのに青信号と呼ぶのか」「エメラルド・グリーンという色があるにも関わらずエメラルドと同じ色がその対象を異にするだけで青と呼ばれているのはなぜなのか」と言った微妙な色彩観念を包括するために生み出された「青と緑の境界」であるものの、明確に区分されている訳ではないのである。

一度ある色を「これはグリーンだ」「これはグルーだ」「これはブルーだ」と定義した後から発見された色が、もし前に発見された色よりグリーンであった場合、前のグリーンはグリーンのままなのか、それともグルーとして定義し直すべきか、あるいは「よりグリーン」でない以上、いっそブルーとして定義してしまうのか、いや、それだと既に定義されているブルーの存在が揺らぐ事になる……あぁ、いったいどうすればいいのだろう……などという無意味なたわごとを、アメリカの哲学者であるネルソン・グッドマンがもっともらしく「帰納の新しい」(new riddle of induction)と銘打った論文の中で発表したのであった。

ミドリ[編集]

元来ミドリ(緑、翠、碧、翆)とは色概念ではなく、それがゆたかなこと(例:みどりなす黒髪)を示しており、いわゆるグリーン色はブルー色とまとめて「アオ(青、蒼、藍、葱、碧)」と総称されていたのであるが、時代が進むにつれて「ゆたかなアオ」というニュアンスでグリーン色を「ミドリ」として定義づけることとなったのである。この時、どこからどこまでが「アオ」か「ミドリ」かを決めておけばよかったのであるが、それをしなかったためにいわゆる「青信号問題」が今日まで尾を引くこととなっているのである。

結論[編集]

どうでもいい

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

グルー汁と呼ぶべきか。