スバル・サンバー

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ジャマ
自工会馬力自主規制基準合格
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普通乗用車は、280ps以内。軽乗用車は、64ps以内。
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スバル・サンバー(すばる・さんばー)とは、富士重工業がかつて開発・製造・発売していた軽自動車であり、世界で最も農道を速く走る車として有名である。現在はダイハツ・ハイゼットベースのパチ物がスバルディーラーで販売されている。

概要[編集]

最早この「オナラターボ」でなければ農道でサンバーに追いつくのは無理である。
※写真は開発過程を撮影したものである。

1961年に初代が発売され、1999年に発売された最終型は6代目である。車体に使われているプラットフォームはインプレッサ(またはレガシィ)と共通で、とにかく走りが「軽自動車ってレベルじゃねぇぞ!」である。そのため、1993年4月1日ギネスで「世界で最も農道を速く走る車」に認定された。

しかし、調子こいて筆頭株主になったトヨタに脅されてしまい、スバルの軽自動車は全てダイハツに切り替えられてしまう。これにより、サンバーも2012年発売の7代目以降は「ダイハツ製の軽トラ」になってしまった。その為、トヨタの本社と各工場で暴動が発生してしまった(詳細については後述)。

様々なメカニズム[編集]

ダイハツ製となった7代目以降に付く23個のフック。

サンバーの軽トラってレベルじゃない!走りを支えるメカニズムである。

EN型直列四気筒エンジン[編集]

5代目以後のエンジンが該当する。これぞスバルの軽自動車だ!と呼ばれるほど快適であり、スーパーチャージャーをつけたモデルは、農道では世界一の疾走を誇る。
しかし、シリンダーの間隔があまりに狭すぎて違法改造が全く出来ないのが唯一の弱点である。

EK型直列二気筒エンジン[編集]

4代目以前のエンジンが該当する。世代によって二輪車だったり、四輪車だったりと色々悲鳴があがるほどである[1]
二輪車も四輪車も海外に輸出された大排気量のエンジンがあり、そこから部品を転用する検閲により削除が行えたのが公然の秘密であった。しかし、諸般の事情により現存数はそれ程多くない。

四輪独立サスペンション[編集]

スバル車の常識であり、これのおかげで世界一農道を速く走れる。フロントはストラット、リアはハコスカGT-Rと同じ形である。

RRレイアウト[編集]

初代から一貫してエンジンはリアオーバーハングに搭載され、後輪を駆動する方式である。因みにポルシェ911と同じ方式であり、ここから「農道のポルシェ」と呼ばれている。

パートタイム4WD[編集]

3代目に初登場。一般道では後輪だけ、悪路では4輪をドライバー自身が選択して駆動する方式だが、この駆動方式のおかげで世界一農道を速く走れる。
5代目以降はオプション装備としてデフロックとフリーハブを備えたものもあり、更にスーパーチャージャー、EL付5MTを備えた物もある。

フルタイム4WD[編集]

4代目で初登場。一般道では後輪だけ、悪路では4輪を駆動する方式で、切り替えは自動的に行う。この駆動方式のおかげで雨の高速道路でもスポーツカー顔負けの速度で走れる。

デフロック[編集]

5代目以降のパートタイム4WD車でもバスダンプカーなどのごく一部の車体にしか搭載されてないレアアイテム。
このレア装備の前には耕したてのや豪雪地帯の中でもナチス版トヨタのウニモグ四駆に打ち勝てる為、一部の熱狂的なスバリストは物欲センサー全開でこれを探し求める程である。

23個のフック[編集]

ダイハツ製となった7代目以降、荷台に19個、鳥居に4個の計23個のフックが付いている。これにより多すぎる荷物も安心して固定する事が出来た。

歴史[編集]

サンバーのギャラリー
初代サンバー。全てはここから始まった。
2代目のバリエーションの一つ・サンバーフラット。
1970年にマイナーチェンジして、通称「ババーンサンバー」に。
1972年に再度マイナーチェンジして、通称「すとろんぐサンバー」に。
1973年登場の3代目。通称「剛力サンバー」。
途中からドアミラーが合成樹脂製に変わった。

初代(1961年 - 1966年)[編集]

1961年、スバル・360をベースに開発、発売された。この車を開発したのはスバリストにとって「スバルの尊師様」と言われるほど唯一神であった。この頃から、「四輪独立サスペンション」と「RRレイアウト」を採用されていたため、国産車でサンバーより農道で速く走る車は1台もなかった。しかし、エンジンは空冷2ストローク360ccエンジンの為、一部の車種によっては数倍から10倍以上の圧倒的排気量差があったため、まだまだ最新鋭の輸入車には勝てなかった。

ただ、売れ行きはうなぎ登りとなり、この頃からサンバーには熱狂的な新興宗教のような信者が付くようになっていった。

2代目(1966年 - 1973年)[編集]

通称「ニュー・サンバー」と呼ばれ、半世紀過ぎた今でも「ニュー」がそのまま付いている。スバル・360からフィードバックされた高出力化技術により、空冷2ストロークエンジンは30馬力にパワーアップ、シボレー・コルヴェアやNSU・Ro80程度であれば軽々撃破できる程度に成長した。

それが1969年のマイナーチェンジ時、通称「ババーンサンバー」に進化し新たにダミーグリルが装備される。何が「ババーン」なのかさっぱり意味がほとんど不明で、詳細も全く不明である(もちろん、真相も謎につつまれている)。

1972年には再度マイナーチェンジを受けてダミーグリルがドーンと大型化。このモデルは通称「すとろんぐサンバー」と呼ばれるが、整形手術に失敗したために人気が一気に落ちてしまった。

3代目(1973年 - 1982年)[編集]

通称「剛力サンバー」だが、何処がどう「剛力」だか全く分からない(もちろん、これも真相は謎のまま)。既に2ストの世界ではサーブ・93やユニフローディーゼルですら農道では敵わない存在となっており、2スト自動車で農道でサンバーより速く走る車はない状況となっていた。フェラーリポルシェをもロックオン可能な様相を見せていたが、まだまだ彼らの方が速かった。

しかし、2ストサンバーの農道での余りの速さに車業界は驚き、日本の運輸省に圧力を掛け、レギュレーションで2ストエンジンの新車への搭載を全面禁止にしてしまう。1976年、2ストエンジンを全部奪われたサンバーは仕方なく360ccのまま「水冷4ストロークSOHCエンジン」への換装を行う。2気筒であった為に振動対策として三菱グループに協力を求め、サイレントシャフトの技術提供を受けた。これらはスバル史上三位一体の否定にも等しい方針転換であったが、軽自動車のスバリスト達はこの決定を割と柔軟に受け入れた。

一方、普通車部門とその信者達は、こうした軽自動車部門の狂喜乱舞を冷ややかに見つめていた。しかし、「いくらなんでも外車には全く勝負にならない」と言う事で、サンバー開発陣は水冷4ストエンジン排気量を上げた。その結果、農道でポルシェを追い回すまでは行かないが、とりあえずはフェラーリを農道で追い回せるようになった(フェラーリは悪路走行に不向きなのは当然だが…)。

4代目(1982年 - 1990年)[編集]

軽トラック、および軽キャブオーバーバンとしては史上初にして世界初のフロントディスクブレーキを採用。その結果、農道で世界一素早く止まる車となった。また、唯一の2ペダルマニュアル(電磁クラッチ式)を何故か廉価グレードで30年近く先駆けて採用した。

さらに、アウディからフル4WDの概念設計を日本に持ち帰り、エンジンを2バルブから3バルブに強化する事にも成功した。1987年に二つの新技術を搭載した新グレード「トライダー」も完成した。長年の仇敵「フォード・マスタング」の農道での撃墜には成功したものの、ポルシェには惜しくも後一歩届かなかった。

だがサンバーの農道での奮戦を尻目に、スバルの普通車部門はこの時期、様々な車を開発するもどれも撃墜されてしまい、迷走を極めていた。そんな事情もあり、当時のスバルの売り上げは大多数がサンバーを中心とした軽自動車であった。しかし、この時の普通車部門の屈辱が後に怨念へと変わっていき、ひいてはスバル軽自動車部門全体を破滅に追い遣ってしまう布石もなったのである。

5代目(1990年 - 1998年[編集]

このモデルで660ccにストロークアップされた直列4気筒エンジンを採用し、排気量も660ccに拡大されたので農道最速の名を絶対的なものにした。サイレントシャフトを捨てた事や、潤滑系統全体の設計を見直した(ツァーリの設計を捨てた)事でエンジンの耐久性も増大した為、この世代の現存数は先代のみならず、他社の同時期の競合車種に比べても非常に多い。

そして、このモデルからスーパーチャージャーエンジンを設定する。スバル・ヴィヴィオと同じエンジン[2]なので(特に4WDは)最早農道では敵無し。そして、スーパーチャージャーのフルタイム4WD車は、遂に農道にて長年の悲願であったポルシェ打倒を達成した。

この頃になると普通車部門は、スバル・レガシィの大ヒットを前に従来の教義を捨てて開き直ってしまい、スバル・インプレッサスバル・フォレスター等、良くも悪くもスバルらしくない車でスマッシュヒットを飛ばし、軽部門の売り上げを次第に上回っていった。

6代目(1999年 - 2012年[編集]

衝突安全対策に専念するあまりデザイン検討の時間がなくなってしまい、顔面以外はほとんど5代目と代わり映えしない。但し、農道では相変わらずの速さを誇っていた。

デビューしてから6年後の2005年、当時の親会社ゼネラル・モーターズの命令で同じ子会社のスズキのデッド・ゾーンベースにされる危機に立たされるも、ゼネラル・モーターズと縁を切ったため、難を逃れた。

2007年にトヨタが筆頭株主となり、その翌年の2008年4月10日に記者会見でトヨタの子会社のダイハツから出ているハイゼットをサンバーとして売らされる危機に立たされたことが発表されたため、サンバーファンや固定客、スバリストやトヨタ嫌い、更にはスバルのディーラーマンまでもがトヨタの本社で暴動を起こし、また愛知県内のトヨタの工場を襲撃して2ヶ月間の操業停止に追い込み、合計5万人が逮捕される騒ぎまで発展した[3]

しかし、暴動の甲斐無くトヨタ・ダイハツ連合軍によるスバル侵略はかえって悪化し、今ではサンバーのワゴン(ディアス)の名前をパクったダイハツ・アトレーワゴンベースのパチ物「ディアスWGN」が2009年9月3日ごろより、何故かスバルディーラーから出回っているので富士重工業では注意を呼びかけている。そして、トヨタ自動車グループに入らされたので、サンバーは2012年2月ダイハツ・ハイゼットに置き換わる形で消すことになった。

この暴挙によって全農連が泣いた。それでも全日本の熱きサンバー野郎共の購買意欲は恐ろしく、限定500台は社内告知前に既に予約でいっぱいになってしまい、慌ててもう500台追加生産決定という、自動車の限定モデル史上前代未聞の珍事が発生する。

その追加生産分も、既に刑務所にいた暴動参加者までもが争奪合戦に参加した為に、発売日前に完売して売り切れ後にディーラーにカタログが回るという珍伝説を作り上げた。告知から売り切れまでの速度は、スカイラインGT-RRX-7に次ぐ史上3番目だった。スポーツカーでもないトラックやバンがこんなイカレた記録を作る事など、未来永劫無いだろう。もちろん、スバル普通車部門のクルマであっても、ここまでの偉業を成し遂げる事は恐らく二度と無いであろう事は言うまでもない。

2012年2月28日。Xデーが訪れ、サンバー、ひいてはスバルが終了した。4月以降、「サンバー」を名乗るハイゼットがスバルディーラーから売られることとなる。

生産終了後[編集]

サンバーが消えたその時から[編集]

2012年3月16日グンマー県太田市…。かつてサンバーの生産拠点として活況を催していたスバル工場のとある製造ラインで、新たなクルマが産声を上げた。そう、そのクルマこそまさにトヨタ自動車との共同合作・スバル・BRZである。農道最速でありながら税金も安く、作物の積載能力にも秀でていたサンバーと違い、BRZは実用性ガン無視クーペである。強いて言えば、「大人のおもちゃ」であると。したがって設計思想はまるで対照的である。何せエンジンのレイアウトまで真逆だから言われても仕方ない。

こうしたサンバーの栄光を踏みにじるような非情かつ理不尽な製造ラインの配置も、BRZがトヨタとの提携で設計されたクルマであることを考慮するとすべて説明できる。トヨタはサンバーを恐れている。もはや農道では誰一人として―たとえそれがレッドブル・レーシングであったとしても―サンバーを止めることはできない。自動車業界において、最も恐るべきこの事実を封印するためにのみ、トヨタが造りだした最強の切り札こそが86・BRZ兄弟だった。

2014年中旬、サンバーの生産ラインを潰してまで製造を開始したBRZの生産終了の噂が突如として浮上する。表向きにはトヨタとBMWとの提携次第では水平対向を用いる必要が無くなる為・・・という話が語られているが、真実はそうではない。サンバーを完全に葬り去るという役割を終えて用済みとなった為、BRZは生産終了を迎えるのである。

数年の歳月と莫大な資金を費やしたこの計画は成功裏に終わり、トヨタのもくろみ通りこれ以上新しいサンバーが製造されることは永久に無くなった。しかしそれはサンバーの歴史に終止符を打ったこととは断じてイコールではない。『伝説は、そこに農家が存在する限り走り続ける。あの乾いたエキゾースト・ノートを、田んぼに響かせながら…。』。

天空に輝く六連星[編集]

2013年8月。長年サンバーと共に軽トラ市場で切磋琢磨したライバルの1台であり、3代目サンバーへの技術供与やマツダマツダ・ポーターキャブへの機関供与等の軽トラ界の隠れた良心とも謳われた老兵・三菱・ミニキャブがサンバーの後を追うように入寂した[4]。これにより、軽トラ市場に残る軽トラはダイハツ・ハイゼットスズキ・キャリイホンダ・アクティの3車種のみとなった。[なんとか生き残った3車種の運命も勝者の栄光ではなく、TPPを前にした、過酷なものであった。

そんな地上の地獄絵図を尻目に、三菱・ミニキャブはサンバーの眠る天空へと召されていった。そして、先に散っていった軽トラック達と共に軽トラの名車の一つとなったのである。錚々たる顔触れが続き、その中央にひときわ大きく輝く軽トラこそがサンバーである

脚注[編集]

  1. ^ 実際、初代のエンジンは元々はバニーガールのエンジン製造ラインでスクーター用エンジンの部品を寄せ集めて作られた物だった。
  2. ^ 正確にはそこからカムシャフト一本とインタークーラー、8本のバルブが省かれている。
  3. ^ トヨタが58年ぶりの赤字に転落したのは、不況よりこの一連の事件の損害が大きかったからだと言われている。
  4. ^ すなわち、三菱自動車は事実上、軽市場から撤退した

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「スバル・サンバー」の項目を執筆しています。
4370 large.jpg この「スバル・サンバー」は、マイナーチェンジの案が出ています。マイナーチェンジして下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)