スピルカ

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黒歴史

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スピルカ(1924年2月生-1947年7月7日没)とは、カルピスの歴史から抹消された悲しき存在である。名前は決して「カルピスの黒人」では無い。彼のカルピスへの想いから名付けられた息子のカルピス君(1945年8月生-?)も有名である。

概要[編集]

1924年、スピルカは産声をあげた。当時の日本では珍しいクロンボ黒人であったため、多数の企業からモデルになってほしいというオファーが届いたが、最終的に彼が選択したのはカルピスとの専属契約だった。お洒落なパナマ帽にキュートな分厚い赤い唇。美しい青い目と純粋な微笑みが彼の特徴である。その微笑みで彼はカルピスのキャラクターとしてスターダムへと駆け上がって行った。

スピルカの体の濃さはカルピスは濃ければ濃いほど美味しいことを現しており、白いカルピスとの対比は当時まだ[1]なされていなかった白人黒人の調和、つまり人種差別の無い世界を指しており、スピルカを広告塔として起用することによって体の色は関係なくどんな人種でも輝けることをカルピス株式会社は本当は表したかったのである。

スピルカ親子[編集]

第二次世界大戦が激しくなると、軍用ビタとしてカルピスが慰問提供された。スピルカはカルピスを支援物資として届けるための諜報部隊として暗躍した。1945年8月に終戦を迎えて諜報機関から降ろされたスピルカはその後、東京裁判で連合国軍にC級戦犯とされて公職追放されてしまった。悲しみに明け暮れた彼は精神を患い、その影響で1947年7月7日に牛乳とカルピス(5:1)による完璧な配合での乳カル自殺にてその一生を閉じた。

1945年8月頃より父スピルカの意志を受け継ぎ、その息子のカルピス君がカルピスのメインキャラクターを務めたが、親の七光りだとして世間に受け入れてもらうことはあまり出来ず公共での活躍の場を減らした。さらに追い打ちをかけるように1990年に某団体からの圧力を受けたことで、カルピス側からの出演オファーがなくなりその後は隠居生活を送っている。
現在はもう死んでしまったのか、それもよくわかっていない。きっと、とあの頃を思い出しながらあの上目遣いの笑顔ではなくうつむき顔でからカルピスではなくを流しながら、家で独り悲しくカルピスを飲んでいるのだろうか・・・

親子二代のポスター[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 今も。

関連項目[編集]

スピルカと共に散っていった盟友たち。近年、再評価される傾向がある。