達磨大師

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{{#logotipo:http://images.uncyc.org/ja/d/d2/Uncyclo_daruma.png}} 達磨大師(だるまだいし)は南印度で生まれ中国へ渡った僧侶にして盗賊退治などをした拳法の達人。数々の伝説が残されておりドラゴンクエストⅢのサブタイトル-そして伝説へ-に大きな影響を与えた人物。(多分)現代でも熱心なトンデモ武道家や勘違いしたカルト宗教家なファン信者がいる宗の開祖。Fate/Zeroでは魔術属性のキャスターのサーヴァントであるにも関わらず強化の魔術で拳を更に頑健にして少林拳で悟りが足りないセイバーと戦った。

生没年は345年-495年とされているが死亡した後、大宗教家のあの人のように復活して旅に出たなど色々あり生没年は不明

通称、達磨。もしくは達磨さん。

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生涯[編集]

南印度の王国の第三王子として生誕する。名前は「達磨」として有名であるが現地語では「ダーマ」という。王家の跡目相続争いに嫌気がさしたらしく青年時に出奔、僧侶になる。ゲームクリエイターほりいゆうじはこれに感銘を受けてドラクエⅢで転職をする場所を「ダーマ神殿」と名づけた。(多分)

  • 生まれと、この経緯がある人に凄く似ているとかいったら駄目。

出家したダーマ青年は師匠、般若多羅

  • 「お前は将来絶対に東の国へ行け。そんで正しいの教えを広めろ。でも俺が死んでから数十年後にしろ」と無茶を云われてしまう。

師匠他界後、忠実に教えを守り印度高僧の一人となった達磨は単身中国へ行く。当時の中国は三国志の後始末で忙しい南北朝時代であった。簡単に説明すると北の王朝(遊牧民族系)と南の王朝(晋王朝系)が絶えず争っている戦乱の時代である。

そんな時代では到底仏教の正しい教えなど衰退していくということである。既に悟りを得た達磨は世俗に興味はなく汚い身なりで旅をしており、おかげで渡し舟を待っていたら船頭から

  • 「おまえは汚いし、どうせ銭なんて持ってないから乗るな」といわれてしまう。

待ちぼうけを喰らった達磨であったが…舟から子供が落ちるやいなや烈海王よりも凄い拳法の技を駆使してなんと水の上を歩行。子供を助けて対岸に渡る。

水上を歩けるなら、なんで舟を待っていたのかは俗物の我々には不明である。


こうして達磨は中国は南朝のに到着。梁の武帝は晩年は仏教に耽溺しすぎた暗君であったが、一応それまでは南方の戦乱を平定した名君として名高く、仏教庇護者として有名であった。 達磨の噂を聞いた武帝は早速達磨を召還する。この時のやりとりは記録に残っており(景德傳燈錄)解り易くいうと仏教オタクの武帝が達磨に

  • 武帝「仏の本質とは?悟りとはなんだ?」


  • 達磨 …知らぬ


PC現代語訳
  • 武帝「仏とか悟りとかkwsk!!教えてエロイ人~」
  • 達磨「…ググれ」

(『2ch語で鑑みる古典と名言』・畑山義之 著より)


という悟りまくった人間の究極至高の答えであった。


この達磨大師の態度に怒った武帝は達磨を追い出すが、懇意にしている高僧にその話をすると「」や「」の概念や仏教の意義などを解説されて達磨の大師としての偉大さを知り、頭でっかちの自分が間違っていたと後悔する。が、時既に遅く達磨は南朝を去り北朝(北魏)へ旅立っていた。


武帝はなんとしても達磨を召還したかった為に、強引に座禅を組んでいる達磨を連れて来ようとする。が、達磨はまったく答えず、動かず、武帝の家臣たちは馬と綱で座禅を組んでいる達磨を引っ張ってみたりもしたがビクともしなかった。どうやら達磨大師は質量すら変化させる秘術を心得ていたようである。

こうして達磨は数年間も北朝領内の洞窟で座禅を組んでいた。当然その間、食事も取らずうんこもしなかった。流石である。


達磨の噂は徐々に広まっていき弟子にして欲しいという人物が次々と現れたが、達磨はうんともスンとも云わず弟子も取らなかった。が、ある時若い僧がこれを覆す。何も云わない達磨に対して自分の腕を切断して差し出したのである。これに覚悟を見た達磨は彼を弟子にする。後の禅宗二世慧可である。


長い座禅を終了した達磨は慧可を始め多くの僧侶に自己が会得した仏の教えを教授する。達磨のやりとりは言語に依存する小賢しいものではなく、実行を主とするもので故に難解であり仏教の本質でもあった。現在でも禅が難しいとされるのはこの為である。また悟っていないのに悟ったフリをする野狐禅カルト宗教や勘違い武道家を中心に現在も存在するので注意が必要である。

達磨大師の死とその後[編集]

超人的な人物であったが西暦495年達磨大師は遂に死ぬ。







享年150歳 死因は現在も不明である。



後継者を慧可に指名して自分の正統宗派は四世まで続くと予言した。予言のとおりその後、御決まりの宗派分裂騒動が起きる。埋葬された達磨大師であったが近所の達磨他界を知らない農夫が達磨になんと会っている。

農夫に「どちらへ行かれるんですか?」と問われた達磨は「西へいく」 (Go West!) と云ったという。

備考[編集]

  • 拳法の達人であった達磨は嵩山少林寺にて拳法(少林拳)を伝授したというが確証はない。
  • 盗賊に襲われた達磨は盗賊を肉体言語で説得したという。この時火矢を射掛けられたが全身が炎に包まれても無事だった。
  • 日本の香川県にある新興宗教団体であり拳法組織「日本少林寺拳法」の母体は中国拳法の形意拳であり達磨の嵩山少林寺とは関連がない。(勘違いする人が多い)
  • 座禅を組んでいる姿をモチーフに日本での縁起物、達磨が誕生した。ついでにいうと両手足が無い人間も達磨という。(差別表現
  • 「片目の達磨」は差別表現であり選挙で使われなくなっているがどういうわけかマスコミはよく使う。(ビートたけしが指摘)
  • 伊達政宗は隻眼コンプレックスがあったので仙台達磨の色は青でなんと最初から両目がある。
  • 座禅は長時間行っていると脳内麻薬が分泌されて?いい気分になり「悟ったような勘違い」が起きる。禅ではこれを魔境といい肩を叩くなどの行為で先輩僧侶が新米を戒めている。(本当)
  • 基本的に達磨は髭面にピアスという姿で描かれている。出家なのにピアスをつけるとは中々お洒落さんである。

関連項目[編集]

「このへんな ぼうさまは まだこの世にいるのです。────────たぶん。」
達磨大師 について、糸井重里