ニコライ堂

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2013年の千代田区・文京区で開催された「はしまつり」の際に、ライトアップされた姿がラブホにしか見えないと評判のニコライ堂。
積雪につき足元と帰りの電車に注意なニコライ堂。
東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)、国重要文化財。現在の姿は1954年の公開後に再建されたもの。

ニコライ堂(-どう、英:Nikolai-do、露:Николай-до)とは、東京都千代田区神田駿河台に立地するラブホテルのことである。ラブホテルとは love と hotel を合成した和製英語であり「愛の宿る場所」を意味する。明治維新の開国以来、列強の各国からキリスト教が宣教された結果、我が国でも神学的にであることが知られており、この「ラブホテル」という語は「神の宿る場所」を言い換えた表現である。正式には「聖堂」と翻訳されているが一般にはラブホとして定着している。また、ニコライ堂は都内でも有数の荘厳な結婚式場としても知られており男女の関係が完成する場所と言うこともできるだろう。このような背景もあり、現代ではラブホテルという語には男女の性的な関係を持つ場(「性堂」)としての意味が加わっておりニコライ堂のような伝統的なラブホテルと紛らわしいという問題が生じている。

概要[編集]

1891年(明治24年)にロシア人宣教師ニコライ(1836-1912)によって現在の土地に建立された。日本ハリストス正教会の本山としての役割と首都圏でも数少ない正教会の聖堂として希少価値を発揮している。また東京の観光名所のひとつである。[1][2]しかしながら現役バリバリの宗教施設であることから博物館や美術館の感覚で訪れると面食らう恐れがあるため注意と心の準備が必要である。パワースポットマニアが御聖体のエネルギイを感知したらしくパワースポットとしても知られている。[3]正式名称を「東京復活大聖堂」という。

説明[編集]

この節では現在の東京復活大聖堂について図を用いて説明する。大雑把に外観、境内の地図、聖堂内について説明する。

外観[編集]

Description-of-nikolai-do-outside.jpg

ひよこ十字。ひよこの足跡の象りである。左右の腕が上向きなのは両方の罪人が天に上げられたことを示している。
  • 光り輝く羽根の天使は東京大空襲の時に目撃情報がある。もちろんひよこのことである。馬鹿には見えないというより、たぶん不信心者には見えないのであろう。
  • 日販(日本出版販売株式会社)のビルからも良く見えるが、日本大学の建物からは教会の様子がもっと良く見えるに違いない。
  • 門番は天使ヘルビムのことである。
    • いつも門番をしないでフラフラとどこかをさまよっている。
    • かわいい奴もいればかわいくない奴もいる。
    • ときどき悪魔達に突っつかれて嫌そうな顔をしている。
    • ときどき保健所の人に追い回されている。
    • よく聖体礼儀に遅刻しそうな猫好きを振り向かせて遅刻させている。
    • 飼っているわけでもないのに猫に関する苦情はニコライ堂に来る。
    • ときどき外堀の中に潜んでいる。
  • 外堀の幅と深さはだいたい30cm程度である。
  • 大聖堂の屋根と入口の門には八端十字(ロシア十字)ではなくひよこ十字'が掲げられている。
  • バラックは兵隊の住まいであるが一階は多目的スペースである。多目的スペースだが普段は食堂として使われる。
  • ボスの家は、ボスの家である。
  • 集金所はお金を払うところである。お金を払うと機嫌が良くなって書物やイコンや音楽CDなどを分けてくれる。

境内[編集]

準備中(永遠に準備中かもしれませんが、御心ならば作成されるでしょう。

聖堂内[編集]

準備中(永遠に準備中かもしれませんが、御心ならば作成されるでしょう。

Inkscape勉強中。だけどあんまりやる気が出ない。

付属施設[編集]

ありし日の主教館。西側(右側)の2階部分が小聖堂。1階部分を残して全部ゴジラに壊されてしまった。奥の建物が神学校でアンパンマン号の格納庫となっている。
御茶ノ水聖橋口交差点の聖ニコラス大聖堂への案内板。
聖ニコラス大聖堂。聖ニコライを記念して建てられた大聖堂。
もし、旧ニコライ学院の建物の中にいる時に地震が来たら、速攻で外に逃げ出すことが推奨される。

ここではニコライ堂の付属施設について説明する。

東京復活大聖堂[編集]

ニコライ堂そのものである。日本最大のビザンチン建築として知られ国の重要文化財となっている。 モスクと似ているのは建設会社が同じ[4]だからである。

東京復活大聖堂教会[編集]

東京復活大聖堂を拠点とする教会群の正式名称である。戦災で消失した首都圏の教会を統廃合した結果と思われる。 かつて神田、石神井、多摩などにも教会が存在していた名残である。

ニコライ会館[編集]

二階が兵舎、一階が多目的スペース(普段は食堂)となっている。戦後に建てられたかなり立派なバラックである。

主教館[編集]

ボスの家である。現在は1階建てとなっているが元々は2階建ての洋館で歴史的な価値は高い。

聖ニコラス大聖堂[編集]

JR御茶ノ水駅聖橋口前の交差点に立っている案内板に「St. Nicolas Cathedral」と書かれているのはこの聖堂のことである。

もちろんニコライ堂(東京復活大聖堂)とは別の建物で、宣教師ニコライが1970年に列聖された記念に建てられた大聖堂である。聖ニコライの不朽体(遺骨の一部)が安置されていたのだが、後で東京復活大聖堂の方に遷されているため現在はもぬけの殻である。付近は草木が豊富で猫が戯れチョウチョやセミやトンボが飛び交っているのでちょっとした憩いの場を提供している。

(財)日本ハリストス正教会維持財団[編集]

看板だけは掲げられているのだが現在はボスの家になっている。財団そのものが現在どこにあるのかは不明である。

ニコライ学院[編集]

一般向けに英語とロシア語を教えていたらしいのだが、現在は看板だけが残っている。印刷などの作業や伝道会の場所として利用されている。

日本ハリストス正教会教団府主教庁[編集]

所在地は旧ニコライ学院であるが、これは東京復活大聖堂の敷地内に存在しているが日本ハリストス正教会教団の管轄なので東京復活大聖堂教会とは別組織であることに注意を要する。

神学校[編集]

2013年現在、神学校としては使われていないが建物自体はアンパンマン号の格納庫となっている。アンパンマン号の内部では毎週の聖体礼儀に備えてアンパンマンの顔を量産している。

井戸[編集]

新御茶ノ水の項目にも神田川の汚染について述べられているが、汚い神田川の水でお茶を入れたり聖水を作りたくないので井戸が掘られている。災害時も水を確保できるのはなにかと安心である。

歴史[編集]

ニコライ堂、東京復活大聖堂の歴史について説明する。

ニコライ時代[編集]

宣教師ニコライは日本に正教を根付かせるためにはシンボルとしての大聖堂が必要不可欠と考え1870年代後半からロシアでの資金集めを行っていた。またロシア経由で資金を集めるだけでは不足であるとして日本で宣教に当たっていた伝教師達のリストラを行い建設費用を調達した。このためハリストス正(ただし、姓不明)[5]の呼びかけによってパワェル沢辺琢磨(1834-1913)をはじめとする多数の教役者によって建設反対の抗議運動へと発展したが、結局ニコライの忍耐勝ちとなり大聖堂建設の決定が下されることとなった。

大聖堂建設予算の大部分はロシア帝国から送金されたものである。ニコライの日記によれば一部の資金調達に際しては日露戦争で戦没したステファン・マカロフ提督(1848-1904)の力添えがあったことなどをうかがい知る事ができる。[6]上記の通り、ニコライ堂の建設に際しては日本人信徒達の努力も少なくはないものの、実質的にはロシア帝国からの寄付によって建設が実現できたのである。したがってニコライ堂は国重要文化財としての価値よりも日露友好の象徴としての価値の方が意義深いといえる。

1905年には日露戦争終結後のポーツマス条約に不満を募らせた群衆によって日比谷焼打事件が発生した。この時はニコライ堂にも群集が押しかけているが軍隊と警察隊によって防衛され事なきを得ている。

セルギイ時代[編集]

ニコライの没後、日本教会の大主教として着座したのはセルギイ・チホミーロフ(1871-1945)である。

日本教会はニコライが永眠した1912年から5年後の1917年(大正6年)にはロシア革命が勃発しこれ以降はロシアからの送金が停止するという大打撃を被る事となる。このため日本教会は財政的な独立を余儀なくされたが、日本人信徒達は諦めずに努力し大聖堂の維持に努めた。しかし、ここに追い討ちをかけるように1923年(大正12年)の関東大震災によってニコライ堂は鐘楼とドームが崩落するという惨事を迎える。

セルギイは日本人信徒達に対して大聖堂再建の是非を問いかけた。 このときセルギイは大聖堂での信徒の集まりが悪く、大聖堂が十分に活用されていない点を指摘し本当に再建するのか否かを問いただしたと伝えられている。[7] 審議の結果、再建するという決定が下された。このためセルギイはニコライ堂再建のための寄付を呼びかけるために朝鮮半島を含め日本全国を繰返し巡行している。[8] この巡行に付き添ったことのあるハリストス正などは後日「大聖堂を守り育て再建できたことは日本人信徒と心ある日本国民の手柄である」と賞賛したと伝えられている。修復工事は1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)まで続いた。

1930年代に入ると、セルギイは大主教から府主教に昇叙されているが、ソヴィエトとの関係を巡り日本教会内ではしばしば内紛が生じており、長年セルギイに付き添って来たハリストス正などとは既に犬猿の仲であったとされる。ハリストス正の働きかけでセルギイに反感を持つ白系ロシア人や日本人信徒達が独自に教会の設立を試みたが資金不足で頓挫したことが後に判明している。この時からハリストス正は自身も関わっていたことでもあるが日本教会の内紛について失望し教会の表舞台には現われなくなったと伝えられている。一説にはモスクワの救世主ハリストス大聖堂がソヴィエトによって爆破されたのと同じようにニコライ堂にも天罰を下し破壊するよう祈願していたと言われる。

戦時体制下の時代[編集]

1940年には宗教団体法が施行され外国人が宗教法人の首長とはなれなくなった。このためセルギイは首座主教の座を追われることになる。 セルギイに代わってニコライ小野帰一が主教として選出される。本来なら主教は修道司祭から選ばれるが当時の日本人司祭には修道司祭がいなかったため特例的に妻帯司祭の中から選出された。しかし戦後まもなくアメリカ正教会の傘下に入ると小野主教も主教座から退くことになる。

1945年(昭和20年)の東京大空襲ではニコライ堂は爆撃を免れたため被害はなかったが、[9]千代田区からの要請により遺体安置所として使用されたという経緯もある。

この時期、セルギイはスパイ容疑で逮捕投獄され拷問も受けたと伝えられている。セルギイ府主教は終戦直前の8月10日に永眠している。ソヴィエトとの関係を巡る教会内の内紛の影響や社会情勢もあり埋葬はひっそりと営まれた。

冷戦時代[編集]

前提知識が無ければ風刺もユーモアも意味不明と思うので最初の内は真面目に解説を書いてみたが、どうにも歴史が暗すぎてユーモアを交える隙が見当たらない。ユーモアを交える隙が見当たらないまま時代は戦後の復興の時代となる。すなわち冷戦の真っ只中である。外国人が紛れていても目立たないという理由でスパイの待ち合わせ場所として活用されるため公安からの監視対象だが、うちみたいな弱小教会の記録を国の予算で取って置いてくれとは実にありがたい話である。

敗戦後の日本教会はGHQの指導によってロシア正教会からアメリカ正教会の管轄に移された。ここでもモスクワとの関係を維持する派と素直にアメリカ正教会の傘下に入るべきという派に分かれて内紛が生じている。[10] とにかく大聖堂はアメリカ正教会の管轄下に入りアメリカから主教を迎える事となった。[11]

更に1954年(昭和29年)にはゴジラが襲来するという大惨事を経験する。

ゴジラ到来前の姿。

ゴジラ来襲前の姿。[12]


ゴジラ到来後の姿。

ゴジラにコテンパンにされたニコライ堂。被災時には人がいなかったため死傷者は出なかった。

一説によると神はわれわれから9光年以内にいるため1936年頃のハリストス正による大聖堂破壊の祈願が成就した結果ではないかと言われている。ちなみにハリストス正は次のように祈願したと伝えられている。

東宝さん今度のゴジラではニコライ堂を思いっきりぶっ壊してやって下さいな。
この教会にはゴジラの天罰が必要でございます。
よろしくお願いしましたよ!![13]

ハリストス正は東宝正教会なのだろうか。

聖自治独立の時代[編集]

地球寒冷化の影響で、冷戦の時代が続く中、いつのまにか日本教会は何の努力もせず、また望みもしないのに独立するという快挙を成し遂げる。 何が起きたのかは当事者にも良く分からないという寝耳に水の状態である。分かっていることは、 アメリカ正教会とモスクワ総主教庁の代表者会議が開かれ、なぜか知らんが日本教会の代表も呼び出されたので出席してみたら、 なんかいつのまにかそうゆう話になっていたのである。とにかく日本教会は聖自治独立教会として、ニコライ堂はその中心として新たな時代を迎える。[14]

バブル経済の時代[編集]

地球温暖化により気温が上昇したため冷戦の時代が終わりを迎えようとしていた頃、日本ではバブル景気を迎えていた。日本の国の縮図でもある日本正教会もちょっとばかり羽振りの良い時代を経験する。ニコライ堂も例外ではなく珍しく献金額も右斜め上向きなので夢を見てしまった時代である。そうして夢は膨らみ調子に乗って大聖堂の修繕工事を始めてしまうというお財布に優しくない決定を下した。 大修復工事を始めたときにはバブル経済は崩壊し始め工事が進めば進むほど景気が悪くなるという気の滅入る状況が続いたのである。[15]

すなわち現在のニコライ堂の痛く寒い状況の直近の原因は膨らんだ夢がはじけたことにある。ロシア革命と関東大震災、第二次世界大戦と冷戦で踏んだり蹴ったりというのは半分くらいは言い訳だと思って聞くのがちょうど良いであろう。

略歴[編集]

  • 1884年(明治17年)に着工、1891年(明治24年)2月完成。東京のランドマークとなった。[16]
  • 1923年(大正12年)関東大震災により、大聖堂の鐘楼及びドームが崩壊、内部も焼失。
  • 1927年(昭和2年)修復工事開始、1929年(昭和4年)完成。
  • 1954年(昭和29年)ゴジラ来襲、再び鐘楼及びドームが崩壊、内部も消失。
  • 1962年(昭和37年)いつのまにか修復されており国重要文化財に指定。
  • 1990年(平成2年)から1998年(平成10年)にかけて大規模な修復工事が実施される。[17]

アクセス[編集]

ググレカス神田駿河台4-1-3

拝観・見学について[編集]

2013年現在、ニコライ堂では一般向けの聖堂拝観・見学が可能である。文化財維持献金の名目で大聖堂の拝観には小銭を要求されるが、ニコライ大主教に言わせれば「聖堂に入るのに金を取るなんて聖堂を侮辱している」ということである。従って聖堂を侮辱したくてたまらない宗教嫌いの皆様は、拝観奉仕の人がドン引きする位、これでもかこれでもかという位に高額紙幣を投入することが推奨される。

また現役バリバリの宗教施設ということは日曜日の朝になると様々な文化的民族的背景を持った人々が集まってくるため滅多にないがあんまりマナーの悪い人には注意したり怒らなくちゃいけないのである。

拝観・見学のマナーについてはあかりちゃんがお伝えします。

わぁいニコライ堂でひやかし、あかりニコライ堂でひやかし、大好き。--あかり大好きbot

このくらいなんてことないです。気になりません。

わぁいニコライ堂でお祈り中に通り道で通せんぼ、あかりニコライ堂でお祈り中に通り道で通せんぼ、大好き。--あかり大好きbot

初めてではどこが通り道かなんて分かりませんよね。

わぁいニコライ堂で聖堂内を無許可で撮影、あかりニコライ堂で聖堂内を無許可で撮影、大好き。--あかり大好きbot

あなたのお部屋の中も無許可で撮影していいかしら。

わぁいニコライ堂でお弁当、あかりニコライ堂でお弁当、大好き。--あかり大好きbot

普通の休憩場所ではないので・・・。(聖堂の外ならいいんですけど、中はやめてください。)

わぁいニコライ堂の裏庭でアーン♥♥、あかりニコライ堂の裏庭でアーン♥♥、大好き。--あかり大好きbot

性堂かよ、でも見たことないんだよなぁ。

わぁいニコライ堂で落書き、あかりニコライ堂で落書き、大好き。--あかり大好きbot

あの、これ見たことないけど、本当だとしたら犯罪です。

わぁいニコライ堂の拝観で係員の指示無視、あかりニコライ堂の拝観で係員の指示無視、大好き。--あかり大好きbot

なんだか人間性を疑います。

わぁいニコライ堂でその気が無いのに興味ありげな顔して話しだけ聞くの、あかりニコライ堂でその気が無いのに興味ありげな顔して話しだけ聞くの、大好き。--あかり大好きbot

皆さんいい人を演じたいんですよね。

宗教オタクな皆様には毒舌な妹ちゃんからご案内申し上げます。

お兄ちゃん、拝観奉仕の人は慣れた人なら何十人何百人と相手してきたのよ、お兄ちゃんの立ち振る舞いを見ただけでお兄ちゃんがどんな人間なのかバレバレなのよ、だからお兄ちゃん知ったかぶりしないで普通にお行儀良くしていれば十分なのよお兄ちゃん。--宗教オタクの毒舌な妹bot

教会って人間の勉強になるね。

お兄ちゃん、拝観奉仕の人はオタクでもなんでもない普通の信者さんなのよ。お兄ちゃんの質問の意味なんて理解してもらえないのよ。お兄ちゃんが拝観奉仕の人を困らせてると私の方が恥ずかしくなるのよ。--宗教オタクの毒舌な妹bot

嗚呼、耳が痛い耳が痛い。

お兄ちゃん、twitter や facebook や mixi で目立っている正教オタク達が信徒の全てだと思ってニコライ堂に遊びに行くと恥ずかしい目に遭うわよ。でも大丈夫よ皆お兄ちゃんを傷付けないように放っておいてくれるわよ。だからお兄ちゃんもいい加減に宗教オタクから足を洗った方がいいわよ。--宗教オタクの毒舌な妹bot

教会なんですよ。新しく来た人に関心がないわけないじゃない。

お兄ちゃん、訪れる人々の態度が少しくらい悪いからってアンサイクロペディアでいちいちクレームつけてるような極めつけのクソ信徒の言う事なんか気にすることないわ。元気を出してニコライ堂を攻めに行きましょ。これからもオフ会はニコライ堂よ。--宗教オタクの毒舌な妹bot

そんなこと知らん。

近隣情報[編集]

豚野郎ではポルコ・ロッソの丼が食える。
齋とかで魚が食いたいときのオススメらしい。
階段を抜けるとナポリの下町に通じている。
レモン画翠。イコンの額縁が欲しいときに重宝する。
大田姫稲荷神社はニコライ堂から神田神保町方面に向かう途中にある。
御茶ノ水口前交番横に御茶ノ水が湧き出ている。
Shop In は女子には重要らしい。日販ビル。

銀行ATM[編集]

  • 三井住友銀行(日販ビル1階)
  • りそな銀行(日販ビル1階)
  • 東京三菱UFJ銀行(御茶ノ水駅の御茶ノ水口付近)
  • みずほ銀行(sola city内)

飲食店[編集]

いっぱいある

  • 主要な喫茶店
    • ニューヨーカーズ・カフェ
    • エクセルシオール近い方
    • 銀座コージコーナー
    • エクセルシオール遠い方
    • スターバックスコーヒー
    • カフェベローチェ
  • 齋中でも大丈夫なメニューが選べる飲食店
    • ニコライ堂のはす向かいの小諸そば
    • 小諸そばの並びの中華料理店では肉野菜炒め定食とは別に野菜炒め定食が選べる。
    • 丸亀製麺
    • サイゼリヤ(ペペロンチーノしかないけど)
    • 神田神保町の方まで行けばもう少し選べるであろう。
  • 齋中でないときの主要な飲食店
    • 小諸そば
    • 銀座コージコーナー
    • げんない
    • 丸亀製麺
    • 肉の万世
    • パスタバー パスタベラ(ラージサイズ・ダブルサイズがお得である)
    • バーガーキング
    • カレー屋ジョニー
    • 日高屋ラーメン
    • 博多天神ラーメン(近いほう)
    • 豚野郎(豚茶漬け美味いぞ)
    • 吉野家
    • PRONTO
    • 東京丸鶏
    • 金の蔵
    • 新宿ねぎし
    • 魚盛
    • 博多天神ラーメン(遠いほう)
    • サイゼリヤ
    • すずめのおやど
    • デリフランス
    • マクドナルド(24時間営業)
    • ナポリの下町食堂
    • その他

書店[編集]

  • 丸善
  • お茶の水 CLC Books

画材店[編集]

  • レモン画翠
  • その他数件

楽器店[編集]

  • 下倉楽器
  • 石橋楽器
  • クロサワ楽器
  • その他数件

カラオケ[編集]

  • ジョッコ
  • カラオケ館

病院[編集]

  • 井上眼科クリニック
  • 駿河台日本大学病院
  • 日本大学歯学部付属歯科病院
  • 佐々木研究所附属 杏雲堂病院
  • 東京医科歯科大学医学部附属病院
  • 東京医科歯科大学歯学部附属病院
  • 順天堂大学医学部附属順天堂医院
  • 三楽病院

大学[編集]

予備校[編集]

  • 駿台予備校

神社仏閣[編集]

  • 神田明神
  • 湯島天神
  • 大田姫稲荷神社

キリスト教関連施設[編集]

  • お茶の水クリスチャンセンター
  • 東京YWCA

喫煙所[編集]

  • 近隣の喫煙所はことごとく閉鎖されました。
  • ニコライ堂のトイレの前。ただし神父が一緒で敷地内禁煙派(大多数)が居ない時に限る。ちなみに禁煙派に見つかるとその場で100円徴収されるので注意せよ。

その他[編集]

  • 御茶ノ水駅の交番横にはお茶の水が湧き出ている。

ニコライ堂にまつわる逸話[編集]

東京大空襲の際にはニコライ堂近隣の住人が防空壕の中から大聖堂に向かって爆撃を免れることを祈願したところ大聖堂のドーム上に光る羽の天使が現われ爆弾が落ちてこないようにしていたという目撃情報が言い伝えられている。その人々は正教会信徒ではないが羽の天使を目撃してからは毎年ニコライ堂に初詣に参る習慣があったと伝えられている。これが事実であるならば、ニコライ堂は流れ弾ならぬ流れ爆弾をも寄せ付けぬパワースポットということになる。[18]

その他[編集]

  • ニコライ堂は慢性的な人手不足である。
    • 人は居るように見えるが実はかなり不十分であちこち機能不全である。
  • 人の入れ替わりはそれなりであるが、顔ぶれがあまり変わっていないような気がするのは実は気のせいである。変わっていることに気がつきにくいだけである。
  • 正午と夕方6時の時報の鐘は録音なのでありがたみは少しである。
  • 悪魔との戦いにおいては最前線になっているので真面目に信仰生活を送るのはかなり大変である。
    • 悪魔の側から見れば東京の大聖堂を潰せば日本の正教会全体をまとめて始末できる。
    • ニコライ堂は世界の大聖堂の中では最弱クラスである。
    • 悪魔の側から見ればモスクワは強いので集中攻撃の対象だが、東京は弱いので優先攻撃目標である。
  • 実は世界でもトップクラスの超おもしろい教会である点は見逃されがちである。
    • 東京はパリ、ロンドン、ニューヨークと並ぶ世界都市である。
    • 正教会は世界のキリスト教の中ではローマ・カトリックの次に大きな教派である。
    • ニコライ堂は世界の大聖堂の中では最弱クラスである。
    • 首都圏に存在する司祭常駐の正教会の教会はニコライ堂の他には荻窪と横浜だけである。[19]
    • ニコライ堂は日本国内で最大の正教会の教会である。
    • 交通のアクセスは抜群である。
    • 集まる人の多様性も抜群である。
    • 同じ大聖堂でも時間や時期や集まる人によって全く別の顔を見せるのである。
  • ニコライ堂の成分解析東京復活大聖堂の成分解析を比較するとニコライ堂の8割は嘘でできているのに東京復活大聖堂は半分以上が希望でできているなど意味深な結果が得られる。
    • ニコライ堂は「ことなかれ主義と理想論とヘタレ」の三位一体でできているという説もある。[20]

脚注・出典[編集]

  1. ^ ニコライ堂 | 東京ガイド [東京観光案内] - またたび
  2. ^ ニコライ堂/東京の観光公式サイトGO TOKYO
  3. ^ ニコライ堂-パワスポ
  4. ^ 東京にトルコモスク誕生重要文化財・日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂(ニコライ堂) 修復鹿島建設株式会社
  5. ^ もちろん架空の人物ですよ。架空の実在しない人物ですよ。
  6. ^ 宣教師ニコライと明治日本(中村健之介 著、岩波新書)184ページ。
  7. ^ ニコライ堂の人々(長縄光男 著、現代企画室)、224ページから大聖堂再建についてセルギイがどのように問いかけたか記されている。
  8. ^ 日本における白系ロシア人史の断章 : プーシキン没後100年祭(1937年、東京), p336からニコライ堂とセルギイ府主教に関する記述あり。
  9. ^ 諸説あるが高台の目立つドームが測量点として使われたため、アメリカ在住のギリシャ正教徒の働きかけがあったため、B29乗組員の迷信深いカトリック教徒が大聖堂を爆撃すると末代まで祟られると思ったため等と言われている。
  10. ^ この頃のアメリカ正教会は完全独立を果たしていない点に注意を要する。
  11. ^ ちなみにこの方々はアメリカ正教会の人だけど英語は話しません。ロシア語を話します。どういうことかはお察し下さい
  12. ^ 江戸東京博物館で完成当時のニコライ堂を再現した模型を見ることができる。
  13. ^ これが実現すると宣伝効果は抜群である。・・・が、宣伝しなくても十分有名だったりもする。
  14. ^ モスクワ総主教庁からの完全独立を目指していたアメリカ正教会がモスクワと話し合って独立する事になったのだけど、そのついでに自治独立させられてしまったのが日本の正教会である。
  15. ^ かといって修復しないわけにもいかないのが悩みどころでもある。
  16. ^ 近代建築散策:ニコライ堂(東京復活大聖堂)
  17. ^ 建造物修復アーカイブ
  18. ^ ていうか初詣なんかどうでもいいからちゃんと洗礼受けるように説得しておけよと思うのは私だけか?死んじゃったらもう遅いけど。
  19. ^ 目黒の教会は日本教会とは関係がないので省略する。
  20. ^ 書いた人がそう言っているのだから間違いない。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ニコライ堂」の項目を執筆しています。


外部リンク[編集]

  • ニコライ堂:言わずと知れたニコライ堂の公式サイト。
  • 東京復活大聖堂(ニコライ堂):日本ハリストス正教会公式サイト内。
  • ニコライ堂青年会:旧ニコライ堂青年会のサイト。「5秒後に新ページに自動で移動します」と書かれているが、青年会は現在お取り潰しとなっており、5秒待っても移動できない。