ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ

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変身した二人の姿。

ハイ!ハイ! パフィー・アミユミとは、日本で有名なPUFFYの二人がアメリカで活動する際に変身した際の呼び名。レーベルはカートゥーンネットワークで、よくわからないけど2003年頃に現れて、2006年頃にどっかに消えて行ってしまったね。

大貫亜美と吉村由美っていう二人で組まれたJ-POPデュオで、二人はアメリカでティーン・タイタンズのテーマソングを歌ったことで有名なんだ。けど、それ以外は・・・・
二人の曲のほとんどはサム・レジスターによって作られているんだ、なぜなら奥田民生が死んで、アンディ・スターマーがバンドのjellyfishへのセクハラで逮捕されてしまったからね。

アミとユミはかつては路上で何もすることがないただの乞食だったけど、ある日チビでむさ苦しいハリウッドのカズの助けのおかげもあって、J-POPバンドを飛躍的にスターダムへ押し上げて行ったね。アメリカでは誰もバンドの名前を聞いたことないけど、日本では彼女たちはビートルズキリストでさえよりもビッグな存在なんだ。彼女たちは00年代中頃の日本かぶれ達に向けての金稼ぎバンドワゴンとして扱われたんだよ。アミとユミは彼女達のエージェントによって、かわいく仕立て上げられたんだ、"waifu"[1]のターゲット層へアピールするためにね。

メンバー[編集]

アミ
アミは60年代みたいな服装をした口うるさい奇妙なモッズガール[2]。女の子っぽいものなら何でも大好きでそれはぬいぐるみからユニコーン、やおいにまで及んでるんだ。アミが乞食の時、を少し盗んでできる限り一番安い美容師を見つけて、バーバーに「ホワイト・トラッシュ」[3]の見た目にしてくれって頼んだんだ。そしたら代わりにあの赤い髪とウィッグのポンポンをひっつけてくれたんだ。なぜなら、毎日そんな風にを直すのは難しいからね。
ユミ
ユミはひねくれ者の他人に対して皮肉っぽいパンクロッカーで全てのものを嫌って、いつも周りのすべての人を堕落させようとしてる。ユミが乞食の時は、ブルークレープをバザーから盗んできてそれで髪を染めてたんだ、より魅力的に見せるためにね。その挑戦が失敗すると、ユミはすぐ落ち込んで兄弟を殺すことと飼っているを食べようと決心するんだ。そんなユミのアイドルマリリン・マンソンだ。
カズ
カズはいかがわしい、貪欲なチビでそれを普段ポン引きでバランスをとって補ってるんだ。カズは各エピソードでアミとユミのおふざけに我慢しなければならないんだ、かなりの数が彼自身のうざったさだとしてもね。ハリウッド時代は彼はプロのヘアスタイリストだったんだ。ハゲてんのにさ。

ツアーバス[編集]

アミとユミはツアーバスで世界中を回ってるんだ。このツアーバスはどうやらドクター・フーのターディスに似ているらしく、ミニバンと同じサイズで外にいつも置いてあるんだ。中はとんでもない豪邸でキングサイズベッドのあるの女の子の部屋やカズの部屋や彼らの生活用品、テレビパソコン、ジャグジー、日焼けマシーン、図書館、ラム肉、ナマケモノ、鯉、アンチョビ、オランウータン、朝食のシリアル、fruit bats、そして大きなチュウにもなれるんだ。

歴史[編集]

結成秘話[編集]

ある日、大貫亜美は日本のレコードレーベルに一番の歌手に選ばれるという希望を持ってデモテープを送ったんだ。吉村由美も同じくしてオーディションを受けて、「カラオケゲイシャ」としてよく知られる様になった。その数年後、アミの元に大会で優勝したと書かれた手紙が届いたんだ。他の参加者が死んで、主催者には選択肢がなかったみたい。

そして、陰気臭いビッチのユミはアミと喧嘩し始めたんだ。アミは20分間泣いていたよ。んで、ユミがたくさん豆腐ドッグを買ってきて、アミに言ったんだ。争っている場合じゃなく才能を集結させようと。この様にして、PUFFYは生まれたんだ。

プロデューサーの奥田民生は利益を得るために二人を最新のJ-popのセンセーションにするためにマーケティングを試みたんだ。

1996-2002:日本での日々[編集]

アミとユミの歌手としてのキャリアは1996年、最初のアルバム「amiyumi」をリリースしたことに始まるんだ。(ああ、命名した日本人は創造力が全くない。)彼女達の最初のシングル「アジアの外人」はミリオンヒットを飛ばし、FMオタクで何回も流されたんだ。

PUFFYマニア達が全盛期である頃、彼女達は三つの新たなアルバムSoloSolo、Jet CD、Fever * Feverをリリースしたんだ。Fever * Feverは多くのアジアンチキンを食べたファンにをもたらしたんだよね。これがアミとユミがアメリカで知られる様になろうと決めた理由なんだ、日本で起こった一種のバグみたいな人気を探すためにね。

2003-2006:アメリカでの日々[編集]

2003年頃、日本でPUFFYが人気を失うにつれて、二人はアメリカに拠点を移すことにしたんだ。奥田民生によると、二人は何でもできてアメリカの大衆から愛される存在になるということだったんだ。けれども、彼女たちは非常に不人気だったんだ。そしていくつかの犯罪的レコードと結んで、ひどくイライラするティーン・タイタンズのテーマソングを披露したんだよ。

石の上にも三年、二人はアニメシリーズハイ!ハイ! パフィー・アミユミを作り出した。2シーズンしか続かなかったけどね。これをファン達は視聴者が理解できてないだけだと信じていたけど、でも実はアメリカでの魅力は2006年でとっくに終わっていたんだよね。

御破産だ、アミユミは別れて二度とその姿を見ることは無かったよ。

脚注[編集]

  1. ^ 日本語の「ワイフ」をEngrishとして揶揄した表現。要するに俺の嫁。
  2. ^ 1950年代後半〜60年代中頃のロンドン近郊のファッションおよびスタイル。
  3. ^ 低所得者層の白人。

関連項目[編集]