ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
バレーから転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動

バレー(本名:ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー、Jader Volnei Spindler "BARE"、1982年1月18日-)は以前、Jリーグに所属した透明人間である。ポジションはFW。大活躍をしまくった後、いなかったことにされるのは、以前浦和レッズに所属していたエメルソンと酷似している。彼と同じく、現在は石油価格高騰でウハウハのアラブ首長国連邦のクラブで活躍している。彼はヴァンフォーレ甲府におけるバースであると同時に、ガンバ大阪における黒歴史の一部である。

プレースタイル[編集]

筋肉質の体でひ弱なやつらをふっ飛ばしながらゴールに突進するのが持ち味の選手として、ブラジルに帰ったワシントンポルトガルに渡ったフッキとともに日本人DFにとっていなくなって心底ほっとした選手の代表格。しかも足もやけにはやく、正面からこられるとファールですら止めたくない。さらに、やけに決定力も持ち合わせるため、キーパーにとっても悪夢である。しかも、以前に比べてポストプレイもうまくなりやがって・・・もうここまでくると、ドバイ、グッジョブとしか言いようがない。

ストライカーにありがちなエゴイストとして自分ひとりでサッカーをしている時間帯も多い。実際に、ノリノリであるときの彼は人間じゃない(後述する1試合6得点のダブルハットトリックはJリーグの記録である)。ただし、よくあるパターンとして、ある瞬間、突然人間化し、さらに試合の最中に透明な存在になることもままある。まぁ、フォワードという人種にディフェンス意識を求めるのは酷だけれど。なお、その肉体から繰り出されるミドルシュートの威力はJのレベルをはるかに超えているが、キャプテン翼のレベルではまだまだである。でも、Jリーグでマンガチックなシュートを放つ選手は大変珍しい。

来歴[編集]

サッカーを本格的に始めたのは17歳と、プロにまで登り詰めた選手としては非常に珍しい経歴の持ち主。それまではスーパーマーケットの店員として働いていたが、そのスーパーの仲間たちと結成したアマチュアのサッカークラブで活動していたところをブラジルの名門チームにスカウトされ、本格的にサッカーを始めるようになる。一体どこのマンガだ。その後、わずか2年で海外のチームであるJ2大宮アルディージャに移籍する。もちろん、サッカー暦2年でも、日本人選手よりうまかったわけさ。これがプロとしてのキャリアのスタートであったが、第4の外国人としての扱いだった。当たり前のことだが、日本人は別として、他の外国人選手のほうがうまかったんだから仕方ない。翌年イタリアペルージャへの入団を目指して退団。しかし、第二の中田英寿になる夢はかなわず、デンマークウルグアイ、ブラジルを転転とする。その後、2003年始めに大宮に出戻る。その後、2004年の大宮のJ1昇格にも貢献したが、シーズン終了後に放出される。このときJ1やヨーロッパの幾つかのクラブからオファーを受けたが、彼が選んだ移籍先は最も条件の悪かったと言われているヴァンフォーレ甲府だった。

漢だ

2005年のシーズンは甲府の攻撃の中心として甲府のJ1昇格に貢献した。もっとも、このとき彼はまだサッカー暦6年の若造であることに気づいた人間は少ない。特に、山梨県における数少ないスポーツの伝説と化している2005年のJ1・J2入れ替え戦(対柏レイソル)では、初戦での決勝ゴール、そして、第2戦でのJリーグの1試合個人最多得点記録となる6得点(ダブルハットトリック)という大活躍で、スポーツ後進国山梨に熱狂的サポーターを生み出す一因となった。特に、第2戦の活躍は、どう見ても目の錯覚としか思えない(どうも、柏レイソルのディフェンスが存在していないように見える)。さらに、この試合後、「いろいろ思い出して…」と人目を憚らず号泣した姿は多くのヴァンフォーレ甲府ファンに感動を与えつつ、全ての柏レイソルファンをそれ以上に号泣させた。

J1昇格後も戦力層の薄さから降格必至かと見られていた甲府に残留し、引き続き攻撃ユニットを牽引。勝利を決定付けるゴールを次々に決め、昇格初年度の甲府J1残留に大きく貢献した。

神決定

でもって、このシーズンJ1に柏レイソルが昇格。

しかし、2006年シーズンをもってヴァンフォーレ甲府を退団し、ガンバ大阪へ移籍する。これは、弱小ヴァンフォーレにとってを意味していた。しかし、活躍すると活躍に見合う給料が支払えなくなるのが多くのJクラブの宿命である。2007年開幕戦、ガンバのユニフォームを纏い古巣の大宮相手に途中出場から決勝ゴールを決め、またしても感動の涙を流しつつ、多くの大宮ファンに先の読めないフロントに対する涙を流させた。

なお、その後のヴァンフォーレ甲府についてだが、2007年の最終節、柏レイソルに破れてJ2降格とあいなった。合掌。

2008年7月にUAEのクラブチームであるアル・アハリ・ドバイと移籍交渉をしていると報道され、7月22日、移籍発表と同時に、いなかったことにされた。こちらも違う意味で合掌。

そして、2013年より清水エスパルスへの移籍が決定。今度こそいなかったことにならないよう頑張ってほしい。

エピソード[編集]

  • 登録名となっている「バレー」は「バレー・コーラ」というやっすいコーラを飲みまくったためである。
  • 甲府所属時代、正キャプテン不在時はキャプテンを務めるという後の透明人間にあるまじき存在感かつサッカー暦6年とは思えないふてぶてしさだった。年若い外国人助っ人が副キャプテンを任される所に、チームと選手のバレーに対する信頼かつ、ある意味致命的な選手層の薄さが伺えた。

所属クラブ[編集]

  • 1998年 デフェンソール・スポルティング (ウルグアイ
  • 1998年 - 1999年 グアラニFC (ブラジル
  • 2000年 グレミオ (ブラジル)
  • 2001年 大宮アルディージャ (彩の国)
  • 2002年 ヴェイレBK (デンマーク
  • 2002年 ボタフォゴFC (ブラジル)
  • 2003年 モンテビデオ・ワンダラーズ (ウルグアイ)
  • 2003年 - 2004年 大宮アルディージャ (彩の国)
  • 2005年 - 2006年 ヴァンフォーレ甲府 (山)
  • 2007年 - 2008年7月 ガンバ大阪 (大阪民国
  • 2008年8月 - 2010年7月 アル・アハリ・ドバイ (アラブ首長国連邦
  • 2010年7月 - 2012年9月 アル・ジャジーラ・クラブ(アラブ首長国連邦)
  • 2012年9月 - 12月 アル・アラビ・ドーハ(カタール)
  • 2013年- 清水エスパルス(静岡県)

まさに、助っ人の名にふさわしい移籍っぷりと評さなければならない。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー」の項目を執筆しています。