バードカフェ (比喩)

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バードカフェ状態になったことで鮭の脂のノリが際立つ

バードカフェとは、料理などの中身がその容器の大きさに比べてスカスカな状態のことを指す。2010年に外食文化研究所が開発した「バードカフェ謹製おせち」の大ヒットにより、日本国内で「スカスカ」を示す概念として一気に普及を果たした。

弁当におけるバードカフェ状態[編集]

弁当箱の中にあまりおかずが詰められていない状態。往々にして寄り弁になりやすい。しかし、大きくスペースが空いた状態が食材の良さを引き立たせることもあり、一概に良くない状態とも言えない。

自分で適当に作った弁当ならともかく、母親が作ってくれた弁当がこのような状態だったら泣いて良い。また、鉄道旅行中に買った駅弁がバードカフェ状態だった場合はTwitterで晒すのも検討してみよう。もしかしたら駅弁を売りつけた鉄道事業者がエクストリーム・謝罪に参戦を申し出るかも知れない。

居酒屋におけるバードカフェ状態[編集]

器の面積を楽しもう

皿や器にほんのちょっとだけ料理が乗せられている状態。容器を上から見ると空白地帯の面積のほうが大きい。この傾向は安い居酒屋チェーン店よりも、価格層がやや高めであり、どちらかと言えば静かな佇まいを持つ居酒屋の場合で出てくることが多い。

特に、店名に「隠れ家」が含まれている店ではこの傾向が顕著である。大皿に3本だけ盛られてマスタードで彩りを添えた「ソーセージ盛り合わせ」や、皿の中心部にちょこんと盛られた「特製サイコロステーキ」や「季節のデザート」など、事例は枚挙に暇がない。

このような店は「隠れ家」だけに料理の分量を隠しているのかも知れない。逆に「料理をいっぱい盛って器の底を隠す」という発想は残念ながら無いようだ。

和食におけるバードカフェ状態[編集]

伝統的なバードカフェ流盛り付け

日本では中世の時から少ない分量でも満腹感が得られるように、大きな器に少しだけ盛りつけて器と共に飲食の奥深さを堪能可能とするバードカフェ流の工夫が凝らされていた。

その伝統が最もよく表されている文化として、10cm以上の深いお椀に1cmに満たない抹茶を注いだ状態で楽しむ「茶の湯」や、大きな器に一口だけ料理を添えた状態で提供する「精進料理」などが挙げられる。逆に器を料理で大盛りにすることは「下賎かつ邪道なこと」として忌み嫌われていた。

その伝統は現代でも受け継がれており、大盛りの料理は「メガ牛丼」などの下賎なファストフードとして片隅に追いやり続けている一方、格式高い和食店舗や高級和風旅館などではバードカフェ流の盛り付けを行った和食コース料理を提供することで、器と共にゆっくり食事を楽しめるというセレブな雰囲気を保ち続けている。

フレンチにおけるバードカフェ状態[編集]

これならこぼす心配はない

フレンチ(フランス料理)の場合、大きなお皿の中心にちょっとだけ料理を盛るというバードカフェ状態は、コースを満喫するために必須の条件となる。料理を多く盛り過ぎると皿から溢れやすくなってしまい、せっかくのクリスマスとかバレンタインデーとか誕生日などのビッグイベントが台無しになりかねない。そのようなリスクを予め避けるため、このような気遣いを店側が行っている。

バードカフェ流の気遣いがふんだんに見られるフレンチを十分堪能し、自分と相手の服に食べカスがこびり着いていないことを確認したら、次の勝負に出てみよう。何の勝負かは知らんが。

おせちにおけるバードカフェ状態[編集]

バードカフェ謹製おせちを参照してほしい。

表面は詰まっているが、中身がほぼ空

バードカフェ人間[編集]

狂牛病のことではなく、単純に頭がちょっと(もしくは、大量に)足りない人の事を指す。用例をいくつか挙げる。

関連項目[編集]