フランソワーズ・サガン

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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おそらく気まぐれな猟色家か悪戯ずきなハンサムが暇つぶしの玩具にしたのに違いありません。わたしはフランス、エステレルに続く道の端で、一人の少女がうずくまっているのを見つけました。少女はその頬を自らのでうるおし、空しく男の名を呼ぶこともなく、曇り空の下いくぶん湿った道にじっとしていたのです。わたしは足音を忍ばせながら傷ついた女に近づいて、その両手をとりあげました。そこで、この女性の手の温かみが両手に伝わり、そのときのわたしの思い屈した心を慰めてくれました。わたしはどうしてもこの少女を丈夫にしてやろうと決心して、家へつれて帰りました。そして部屋の雨戸を閉め切って、五燭の電気の光の下でいろいろの質問にとりかかりました。

けれどこのサガンという娘は、意志の強そうな茶色い目をしていて、わたしのことをにらみつけるのでした。かと思えば、足をぶらつかせながら

「あなた、ブラームスはお好き?」

などとたわいない質問を投げかけてきて、わたしの問答の邪魔をします。そこで少しばかり手荒ではありましたが、わたしはサガンの足を押さえつけ、

「じっとしていろ!」

としかりつけました。テーブルの上の赤ワインに少女の涙が数滴落ちました。

「治療」が終わったあとも、わたしはサガンの側にいました。さもなければ彼女は一人で勝手に外に出て、迷うか死ぬかする恐れがありました。彼女の夕食を作ろうと台所に立とうとしたわたしは、すっかり疲れていて、そのまま眠ってしまいました。真夜中ごろわたしが目を覚ますと、サガンは何かつぶやきながら、一心に原稿用紙を埋めていました。

サガンの心の傷がすっかり治ると、わたしはこの娘を家においておくことにしました。慣れると実に人懐こい子でした。わたしはサガンをよくに散歩に連れて行きました。

「サガン!サガン!」

サガンは眠そうにわたしの後についてきます。サガンはこの浜辺を特に気に入ったらしく、何時までも寝転んで波の寄せたり引いたりするのを見つめていました。そしてわたしはそういう時、少し遠くから彼女の肌が日に日に健康的な小麦色に焼けていくのを眺めながら、わたし自身の考えにふけるのがならわしでした。なるほど、わたしは彼女のためでなく、わたしのくったくした思想を追い払うべく散歩に行ったのです。

屋根の下のサガン

散歩から帰ると、サガンはさっさとわたしの書斎にこもり、何時間も出てきませんでした。わたしがのぞくと、彼女は何処から出してきたか、優雅な形の寝椅子にゆったりと寝そべってジャズレコードを何枚もかけながら、細いたばこを絶えず吸っていました。ブルーストサルトルの本を読みふけっていたこともありました。わたしが夕飯の支度を終えるころ、彼女はひらひらと出てきて、瞑想的な瞳をこちらに向けて言いました。

「昔のことを考えていたわ…。あの人の名前を何度も呼ぶとき、いつも起こる、物憂さと甘さとが付きまとうあの感情に、悲しみなんていう立派な名前をつけようか迷う。あまりにも自分のことにかまけた利己的なこの感情を私はほとんど恥じていながら、一方で崇高なもののように考えている。私はこれまで悲しみというものを知らなかったけれど、物憂さや良心の呵責なら時に感じていた。今は、絹のごときいらだたしさとやわらかさを備えた何かが、私に覆いかぶさって、人々から遠く引き離すわ。」

わたしは言いました。

「ごはんができたよ」と。

お金は自由になれる手段だし、自由になれるのはお金しだい」

と言って、ある日彼女の希望により賭博場に連れて行ったとき、サガンは躊躇することなくわたしのお金を使いました。このような場所では、彼女のブルジョア風の振る舞いは実に自然に思えました。彼女はルーレットでいくらか勝って機嫌がよく、わたしにもカードを試してみるよう勧めました。たくさん摩らないうちに切り上げてサガンを探しに行くと、美貌の実業家風の男と話していました。察するに、

「私を一緒に連れて行って…。」

と懇願していたのでしょう。わたしが帰るように言っても、サガンはいつもと違って、なかなかその場を離れようとしませんでした。離れ小島に漂着して、十年ぶりに通りがかりの船を見つけたかのようでした。わたしはサガンに問いただしました。

「サガン!逃げたりなんてするなよ。そんな薄情なことはよしてくれよ」

「何度も言わないで。私、苦しい……」

それきりむっつり黙ったわたしの隣で、彼女はその栗色の髪をいじりながら、の一節のような言葉をあれこれつぶやき、その感傷的な様子がわたしを困らせてしまったのでした。

翌日、わたしはサガンの姿が見えないのに気がつきました。わたしは狼狽しました。廊下にも書斎にも何処にもいないのです。風のように走り去るアストン・マーチンの優雅な影が一瞬見えた気がしました。

寝床にいるとき、わたしは時々サガンの落ち着きの無さや、額に無造作にかかった栗色の短髪や、ブルジョア娘特有の妙に意味深な物言いを思い出します。するとわたしの中にある感情がわきあがってきて、わたしは目をつぶったまま、それをそのままの言葉で迎える。

「悲しみよ、こんにちは。」

感染った。

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