ブランド

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

ブランド: brand)とは、多くの人が幻想による思い込みで憧れている財・サービスを指す。主に商事でのマーケティングにおいて絶大な効果を引き起こして、利益に大きく貢献する存在である。転じて、面白いように人を惹きつける幻想という意味でも使われている。例えばめちゃめちゃ高い服や鞄や宝飾品などを、ブランド(幻想)品と呼んでいる。

概要[編集]

人は人の想像以上に思い込みが激しい生物であり、また人はそれを利用することのできる生物とされる。特に個人のお気に入りとなった商品サービスには経済的にも執拗な活動を引き起こす。いずれブランドは人間の欲望の器を満たすだけのものと化し、経済はブランドであっても回りに回り、それにマーケティングを行う産業全般は強く反応する。ブランドの生産は、慈悲や社会正義などでは動いておらず、できるだけ資本・労働力を使わずして利潤を巻き上げるかの競争となっている。21世紀になってはそれがさらに露骨になっており、消費者の商品を見る目も劣化しているがために、この異常な経済活動は歯止めが効かなくなっている。近年はブランドの著しい質の悪化から、ブランドから離れるものも少なくないが、世界全体の人口が増え続けている状態であるため、今のところブランドの経済は俗に言うバブル状態であり、ブランドを作れば作るほど利益を上げることになる。これがブランドの構造である。

経済[編集]

ブランドは財・サービスに大きな付加価値を付与するため、ブランドによる経済規模は極めて大きい。消費者が食いつくブランドの幅は広く、端正な格好であったり、市場におけるシェアであったり、果てには高いだけでさえブランドの資質がある。そんな市場の中には質の悪いブランドも多いのだが、資本を武器にした企業に辣腕を振るわれ作られたブランドであれば、どんな商品であろうと売れ続けるのである。また購入されたブランドは他分野の製品と比べ、消費者の採算は取れず無駄になることが大半である。それは当然の原理で、原価率5%にも満たない商品であり、挙げ句の果てには無宝飾・無柄のものに、ただブランドのロゴを付けただけのものが数万円で取引されているのが普通となっている。更に現在は前述の通りバブル状態であるから、このような悪徳商法でも会社のGDPは右肩爆上がりである。ただ消費者の財布事情は悲惨なもので、原価で考える損益では99%が実質的に赤字採算と言う調査結果をバカ田大学が発表している。その調査によれば、ブランド市場における企業と消費者の富は、1京:1となっている。そうなるとブランド産業に進出すれば必ず儲かると誤解されがちだが、そのブランドになるのは極めて困難である。その確率は10億分の1とされ、それは隕石が自分の頭に落ちた上に、その隕石が灰色だったときの確率なのだという。何故ならブランドとは天文学的な国際地位が必要があり、その地位を確立するためには、現存するブランドを薙ぎ倒す必要さえあるからである。

消費者[編集]

人は表向きの外見社会的な信頼地位がありさえすれば、どんな商品にも手が出るような精神的欠陥がある。しかも、そんな性による理で人間自身は快楽を覚えさえするという更に問題な欠陥がある。 さらに、自分が社会的地位の高いブランドを身につけていれば、自分が素晴らしいと錯覚するようにもできている。ブランドというものには、客観的な価値があるとされ、手軽に自分を高貴にするにはもってこいのアイテムとなっている。この効果により、消費者が購入することを見越され、あからさまな粗悪品すらをも使用する。それだけではなく、人間は同調したがると言う本能もあり、この性もよりブランドの経済的価値を高めている。これらが要因となり、ブランド市場は強大なものにさせている。

信者[編集]

ブランドに取り憑かれた消費者の中では、他のサービスやブランドに嫌悪感を抱いて攻撃する信者と呼ばれる哀れがすぎる消費者も存在する。ブランドはそもそも信者を生み出す主要素であるから、信者の存在しないブランドは存在しない。特に信者同士の論争は極めて醜く、そのブランドそのものが非難されさえするほどである。また信者は狂信的にそのブランドを信仰して商品を買い続けるため、企業からすればメシウマでしかない。それによってブランドは信者の意向に大きく左右されることになる。

企業[編集]

資本主義経済ソ連とは違い需要で動くため、ブランドの市場は比較的古く立ち上がった。当然ながら同じ人間であるため、それを利用する商売は売れに売れる。つまりブランドで売る事業では、いかに多くの人に幻想を抱かせて財布を抉じ開けると言う努力にかかっているのである。また歴史あるブランド品の殆どは簡素なデザインであることが多く、かつスタイルはなかなか変化しないのが主流とされる。

宗教団体[編集]

ブランドで成長している宗教団体として、アップルシャネルが代表される。つまりブランドが成長しすぎて何かしらの一線を超えると、新たな宗教に地位が昇格すると言うことである。また宗教の域まで来れば、新作を発表すれば発表するほど利益が上がるようにもなり、あまり中身のないモデルチェンジでも毎年発表することに重きを置かれ、世間体からは半ば引かれることもある。またこれらの団体は、商品の外見に洗練さを狂信的に追い求め続けることがあり、これらの製品生態から離れていく一般の消費者も多い。故に宗教団体は利益の増減や衰退も激しく、ブランドによる宗教団体は時代によって入れ替わっていく習性があり、この流動性がブランド業界の長年の興盛を後押ししている。

ブランドの発展例[編集]

フーリガン[編集]

とあるサッカー専門家が、「サッカーとは無心の宗教だ」と述べたのは本当にその通りで、遠地へ応援に駆けつけたフーリガンが現地で大暴れする様は、聖地エルサレムムスリムを虐殺する十字軍遠征にも似た雰囲気が感じられる。例えば数十年前の国際試合では、イングランドからはるばるやって来た精鋭フーリガン200人が、現地のベルギー人を1000人ほど撲殺してしまった。これには首相であった鉄女が、ベルギーへ直々に出向いて謝罪したほどであった。また現在でもフーリガンの暗躍は相変わらずで、特にイングランド、セルビア、トルコ、ロシアなどでは戦争とも形容される様相を呈している。

ウィキペディアとアンサイクロペディア[編集]

ウィキペディア[編集]

専門家気取りには、依然として頭に大きな欠陥があるため、自分が編集をしていることで何か素晴らしい人物になっているのではないかと考える。東京ニシキヘビ大学の研究によると、ウィキペディアを閲覧する利用者の99.75%は編集履歴を見たことがないという。つまり、自分がどれほど編集したところで、自分の評価を上げる助けにはなり得ない。 それでもなおウィキペディアというサービスに入り浸るのが、ウィキペディアというサービスのブランドのためである。

アンサイクロペディア[編集]

アンサイクロペディアの利用者は、東京ニシキヘビ大学のデータによれば、ウィキペディアのわずか0.3%しかない。しかしこれがブランドとしての役割を果たしているのは周知のことである。これは新興宗教によく似ており、ごく少数の人物しか利用していないながらいないながら、その中で形而上的なものが大成されているとブランド的な概念がうまれる。アンサイクロペディアでは、あらゆる箸にも棒にもかからないネタで溢れているが、一応統治がなされており、あまりにも粗悪な内容であれば削除が検討される。この構造は「良いものを残す」という形態を模しており、アンサイクロペディアでもブランドになり得ている原因である。

バブル経済ブーム[編集]

1980年代後半の、不動産の価値が実態のない暴騰を続けた経済をバブル経済と言う。バブル経済期は、多くの人が「不動産には大きな価値がある!」という土地神話により不動産に憧れを持ったことにより、不動産がブランド品と化した。不動産にブランドによる付加価値が付き続けたことにより、実態のない価格の暴騰が起きたことに目をつけた多くの転売ヤーは、不動産を買い始め、ブランドのついた不動産を高値で売ることとなった。やがて不動産の価値はブランドによる虚構ということに多くの人が気づき、転売ヤーの高値で売られた不動産を買うものは居なくなった。ブランドが無くなった不動産の価値は暴落し、多くの転売ヤーは大損してしまった。これがバブル崩壊である。ここから学ぶことの出来る教訓は、「ブランドはいつか消える」ということである。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ブランド」の項目を執筆しています。