ペーター・キュルテン

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ペーター・キュルテン(Peter Kürten)とは、19世紀のドイツで人生の半分を刑務所で過ごし、残り半分を獣姦強姦殺人に費やした男である。「デュッセルドルフの吸血鬼」という素晴らしい二つ名を持つことで有名。

幼年期[編集]

1883年、彼はドイツのケルンミュルハイムで鋳型職人の父の3番か4番か7番目の子供として生を受けた。父親は粗暴、アルコール依存症、虚言癖、精力絶倫を掛け持ちできる特技をもっており、当然仕事はほとんどせずばかり煽っていたために、一家は極貧であった。しかし子供ばかりはポコポコ生まれ、また父親は性的な倫理観が見事なまでに吹き飛んでいたため、11人の子供たちが食事をしている前で妻とマニアックなプレイにいそしんだり、4番か8番か2番目の娘を犯して服役までしている。

キュルテンはそれを見ながらジャガイモを食べるのも平気であったし、当たり前と信じて成長したが、さすがに妹から誘われた時は閉口した。誘いを断られた8番か9番か5番の目の妹は、めげることなく1番か4番目のの兄と行為を始め、彼自身は父親が“使った後の”2番か3番目の姉と寝ることにした。この家では毎日家族の誰かしらと寝る(性的な意味で)のが慣習となっており、一度2番目か1番目の兄と寝てしまった気がしたが、やはり相手には困らなかった。ちなみに7歳の時の話である。

8歳の頃、近所の妙な中年男から犬をいかに射精に至らせるかの絶妙な技巧を伝授され、をオーガズムに達せられる技も学ぶ。9歳の頃、近所の友達と近所の川でイカダ遊びをしていると、なんとなくムラムラとくるものがあり、なんとなく一人を川に突き落とす。それを助けようともう一人が飛び込み、泳ぎ始めるを見るやキュルテンは無表情にイカダに乗り、もう一人が平泳ぎをしているところまで漕ぐと、彼が空気を吸うことを妨害し、結果友達は仲良く沈んだ。子供は残酷である。

さわやかでない青年期[編集]

姉以上。

13歳になったある日、一頭の羊を見た彼は8歳の時伝授された技巧を思い出す。後ろから襲ってみるとことのほか具合がよく、「お、こりゃあいい。姉よりしまりがいい。」とすっかり羊の虜になった彼は16歳になるまでせっせと獣姦に励む。またナイフで羊を刺すとさらに快感が高まることに気がついたため、人間とするより楽しくなっていた上に、そのまま解体し焚火で焼いて食べたりもした。気が付けば家を出ておりいつのまにか浮浪者になっていたが、あまり気にはならなかった。

16歳の時に、父親と同じく鋳型工の見習いとなったが、薄給であったため親方の金を盗んで逃走、マゾヒズム傾向があった売春婦と同棲した。これで彼のサディズムはほぼ完成し、放火も覚え窃盗で2年間逮捕されると、監獄の中でサディステックな妄想をおかずに食事を取り、酒がなくとも妄想で酔いしれることも覚える。しかし、それを実行できないわだかまりだけはどんどん募っていった。

出所後は熟女の売春婦と同棲を始めたが、この女もマゾヒストであり、彼の嗜好の成長をまたもや促す。酒を飲んで人の家に火を付けて金盗んで人をだましてという、相変わらずの非生産的な迷惑行為に励む彼は何度も投獄され、監獄内で精神を病み、「俺はカイコだ!」と突然の糸吐き宣言をすると股間から真っ白い絹糸のようなものを出して自分に巻きつけたりもした。妄想は次第に膨らみ、成人する頃にはまともなのは見た目だけという存在になる。

殺人壮年期[編集]

まさかの結婚[編集]

1913年、彼は人生初めて……ではなく、(立証されるうえでの)成人後初めての殺人を犯す。商店に侵入し物色中、2階で寝ていた14歳の少女を強姦の後扼殺、飛び散った様々な液体が気になってしまい、ふき取るためにハンカチで丁寧に床を磨くと、そのまま忘れて帰ってしまう。警察が少女の遺体の次にハンカチを発見、「P.K」とイニシャルが入っていたためキュルテンは怯えたが、奇しくも被害者の父親もP.Kのイニシャルを持っていた。警察は父親を尋問、危機一髪で逮捕を免れた彼はフルネームが入っていた時のことを想像し絹糸や様々なものを漏らした。

第一次世界大戦が勃発する直前、彼は走っている途中の荷馬車に火を付け、中にいた女性と戯れようとして(=絞めようとして)逮捕された。8年後娑婆に出てみれば戦争は終わっており、この頃珍しい出会いもあった。驚くべきことに、彼が女性を好きになったのである。相手は痩せぎすで老けて見え、お世辞にも美人とは言い難い女であったが、キュルテンは熱烈なプロポーズを繰り返し、始め断っていた彼女も「結婚してくれないと殺すぞ」という変にわがままな言葉に渋々承諾し、一生キュルテンの心が変わることはなく、結婚後2年間は家政婦を殴ったりする程度で殺人は犯さなかった。

デュッセルドルフの吸血鬼[編集]

セールスマン風

しかし、1925年彼はデュッセルドルフに帰ってきてしまった。真っ赤な太陽に吼えた彼はその後3年の間放火と絞殺未遂を引き起こしているが、因縁の職業鋳型職人に就職し、唯一まともな見た目を利用して、周囲からは礼儀正しく、普通の家族を持つ真面目そうな男として思われていた。2月に入ると手始めに目に入った女性を24か所プスプスとナイフで突き刺し、女性は一命を取り留めたが怪我と称するにはあまりにハードな傷を受ける。それから一週間も経たぬうちに8歳の少女がハサミでいろいろと弄られた後ハサミで性器など色々突き刺された状態で発見され、そのまた4日後には酔って彼に絡んだ機械工の中年男がハサミで様々な場所に穴を開けられて放置してあり、自分の興奮の対象が男にまで及んでいることには殺した後気が付いた。

殺人に飽きたのかその後数ヶ月はセックスに没頭。日本ではアベサダさんと定吉が行っていたことで有名な「窒息プレイ」を嗜んだ。8月のある日、いつものように親しくしていた女性とプレイに励んでいたところ絞めすぎたのか「キュッ!」と音がして女性が窒息死、処理に困った彼は遺体を川に投げ込むと、女がいなくたって人殺しがあるじゃないかと思い出したかのように殺人を再開。帰り道で走りながらカマイタチごっこと称して二人を切りつけ、その月の内に、買い物に向かう途中の少女を森へ連れ込んだ。
あんたと寝るとかありえな~い、キモ~い。てゆーか寝るぐらいなら死ねるわ(現代語訳)」
死ね
彼はナイフをふりまわして満足するまで突き刺したが、少女は一命を取り留め警察に人相について証言する。しかし貴重な生き残りの証言が「地味でした」だけであったため警察は落胆。その後も彼は見知らぬ少女に窒息プレイを強要したり、女中の頭蓋をハンマーで砕いて犯したり、もしくは犯して砕いたりと、順序はどうでもよかった。しかし彼は射精後無気力症という奇病に悩まされており、一度絹糸を出してしまうと腰が抜け、殺人はおろか帰宅もままならぬようになってしまうため、数人の女性は殺されずに済んだようである。

毎週もれなく出る犠牲者にデュッセルドルフの街はパニックに陥り、犯人である彼自身も死体が見つかったと知るや野次馬に混ざり現場を訪れ、皆の表情を見て絶頂に達しパンツの中を例の絹糸で満たした。めぼしい少女が見つからない場合は白鳥の首を切り落とし、逆さにしてを浴びるように飲み、首の中に自分のペニスを突っ込むと、そのままシュシュを穿いて踊り、白鳥の首の中をまたもや絹糸で満たした。実に耽美的である。

逮捕とギロチン[編集]

手紙[編集]

こんにちは、ヘス。
今回は私が去年体験した恐ろしい体験について書こうと思います。

5月のある日、私は駅の構内で数人の不良たちに囲まれてしまいました。
「一人か?ネェチャン」「やらないか」と迫る不良たちに囲まれて私は足がすくんでしまい、助けを呼ぶこともできなかったのです。
そこに一人のおじさんがやってきて、若者に金を渡し私を助けてくれました
そのおじさんは親切で、もう遅いから自分の家でお茶を飲まないかと誘ってくれたのです
私はしばらく世間話をした後ついてゆくことにしました。今思えば不用心なマネだと思います。

私たちは暗い森に入ってゆきました、しかしそれらしき建物は見えません。
私がたずねると男は「まぁ、あとちょっとまってよ」と答えました
やっと建物に到着すると、ミルクをごちそうになりましたが、私が帰ると言い出した途端に
おみやげを受け取るんだ」と乱暴になり、また森の中に連れ込まれます。
ついに何もない真っ暗な所に来たところで私は怪しんで「おみやげとは何か」と尋ねました。
するとニヤニヤしながらズボンを下ろし「ホラ、おみやげだよ。受け取りなさい。」と言って襲いかかってきたので、私は必死にバージンを守ろうとしましたが、
守るべきものは去年捨てていたことに気が付き、さらに男は光り物(サンマでもイワシでもありません)を持っていたので抵抗はやめました。

終わった後男は股間から出た糸のようなものを両手で実に器用に巻き取ると、自分の家を覚えているかと尋ねたので私は首を横に振りました。
すると「君、いつまでいるつもりかね、厚かましい。帰れ帰れ」と息を切らせながら私に言いました。私は必死になって帰りましたが、このことは誰にも言っていません。

それでは、お返事をお待ちしています、かしこ。

郵便局で宛名の間違ったこの手紙が開かれたときは職員たちは悪質な冗談だと考え、規定に基づき廃棄処分されそうになったが、あるお節介職員が警察に通報する。警察は送り主のマリアという女性を見つけると、彼女のかすかな記憶を頼りに男のアパートまで案内させ、マリアと共に階段を上がると一人の男とすれ違った。男は七三に整えた髪の毛を頭皮から2センチ浮かして真っ青になり、足を踏み外して階段から転げ落ち、そのまま逃走。警察がアパートの大家に今落ちた男の名はと尋ねると「ペーター・キュルテン」とのことだった。

懺悔[編集]

キュルテンは万事休した。鋳型工の仕事を終え、自宅に帰った彼は妻にこう言った。

まだあの犯人捕まってないのか、幼女の内臓かっぽじるなんて本当に非道で鬼畜な野郎だ

そうですねぇ

実を言うとあれは俺だ

ええええええええ!

妻は二人で自殺しようと言い張ったが、キュルテンはその言葉を遮り、「おまえ、私を警察に突き出しなさい。私の首には懸賞金が懸っているから、お前の老後ぐらいは持つだろう。お前を今までだましていた謝罪の意味も込めての判断だ。」と断った。キュルテンは知らない人間の頭蓋を砕くことは平気だというのに、妻に対してだけは最期まで異常に紳士的な態度を生涯つき通した。自殺を言い張った妻も、結局は彼の言葉に押され警察に通報し、1930年3月24日彼はくつひもを結ぶことすらせず、無抵抗のまま逮捕される。警察で80件の殺人を自供した彼だったが、さすがにそれは多いという理由で9件の殺人と7件の未遂事件で起訴され、裁判の後当然の如く死刑が確定した。

死刑執行までの間、キュルテンは大好きな冒険小説に読みふけり、心理学者や看守と朗らかに言葉を交わした。「ぼかぁ、幸せだなあ」と我が国の70過ぎの若大将みたいなことを言って笑っていたが、ふと気づいて深刻な表情を浮かべた。「首を切られたら首がなくなる。首がなかったら本を読めんじゃないか!」

1932年7月2日早朝、キュルテンにはギロチンを用いた死刑が執行された。 彼の最後の言葉は「私に残された最後の望みは、自分の首が切り落とされ、血飛沫が噴き出す音をこの耳で聴くことです」というものだったが、血が噴き出す音は意外にも小さく聞き取りづらいものだった。