ボビー・フィッシャー

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ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer)とは、チェス界の天才、偉人である。アメリカ合衆国初の元世界チャンピオン。

子供時代[編集]

6歳の頃からチェスに没頭し、毎日チェスをする日々を送った。当時から才能を発揮しており、フィッシャーの加入していたチェスクラブの同輩らからは、「早指しも強い」、「フィッシャーとチェスを指すと楽しい」といった評価を受けていた。

その後、学校の勉強をサボって日々チェスを指し続ける生活を送ると、14歳でインターナショナルマスターになり、15歳でグランドマスターになった。これは当時最年少の記録である。なお、15歳のときに出場したアメリカのチェス大会では、グランドマスターであるサミュエル・レシェフスキーを10手で負かせている[1](厳密には10手でほぼ勝敗が決した)。このことからも、彼が如何に化物だったかがわかるだろう。もう一つ例を上げるならば、14歳のときに指したゲーム[2]には "The game of the century"、すなわち「今世紀最高のゲーム」という名前がついており、8方向に好きなだけ進めるチェス界最強の駒であるクイーンを捨て駒にし、相手を叩きのめした。

この当時から、チェス界の新星として注目されていた。

苦難の道[編集]

フィッシャーが活躍していた時代、チェス界で最強になるためにはソ連のプレイヤーたちに立ち向かうことは避けられなかった。というのも、ソ連は国をあげてチェスの教育をしており、小学校で一律に教え、才能ある若者を引き抜くという国策をしていた。チェスはいわゆる「頭脳戦」であるので、冷戦のさなか頭脳はソ連が優れているのだということをアピールしたかったのかもしれない。

フィッシャーが敵なしだったかと問われれば、そうではないと答えざるを得ない。なぜならソ連のプレイヤーは曲者揃いだったからだ。さらに卑怯なことに、ソ連のプレイヤーたちは総当たり戦の大会にフィッシャーがいるとなると途端に引き分けを連発し、頭のリソースを全てフィッシャーに割いて負かすことに全力を注いでいたのだ。もちろんソ連側からそうするように要請されていたとは思うが。つまりは、フィッシャーの敵はソ連という国そのものだったのである。

フィッシャーは「やってらんねえ」とブチギレし、世界大会には参加しなかったり参加したりを繰り返した。

そして最強へ[編集]

フィッシャーが再び世界大会に戻ると、凄まじい戦績という嵐を残しながら、当時の世界チャンピオンであったスパスキーへの挑戦権を手に入れた。具体的な戦績としては、アメリカの二番手であるラーセンを6-0で打ち負かす、ソ連のタイマノフを6-0で、ペトロシアンを負け1回のみの6.5-2.5で打ち負かした。なおチェスの得点は、勝利が1ポイント、敗北が0ポイント、そして引き分けが0.5ポイントである。

その全てのゲームがとても象徴的であり、フィッシャーがかつて苦手としていた守りの固い陣形や複雑な盤面をものの見事に彼自身のプレイスタイルで完膚なきまで叩きのめしたのである。別に引き分けでゲームを終えることも彼にはできたのだろうが、当時引き分けでは賞金が出なかったので、理論的には引き分けに見える盤面でも最後の最後まで指し続けて賞金を得ようとしたのである。

世界大会[編集]

1972年、ついに当時の世界チャンピョンであるボリス・スパスキーと戦うことになった。舞台はアイスランドの首都レイキャビクである。

世界チャンピョンを決める大会ということと、テレビ撮影のカメラなどの慣れない環境のせいか、チェス始めたての初心者のようなミス(第29手、黒番)を犯し、負けた。これにはアメリカのみならず、当時の試合を観戦していた全人間が相当なショックを受けたようだ。
そして、第1ゲームを超える衝撃が走った。なんと、フィッシャーは試合時刻になっても姿を表さないどころか、持ち時間がなくなるその瞬間まで会場に来なかったのである。当然このゲームもスパスキーに1ポイント。この時点で既に2点差がついてしまったのである。全世界のチェスファンらは、皆一様にフィッシャー対スパスキーの世界大会はもう閉幕だと悲しんだ。
ところが、フィッシャーは試合を続けることにした。フィッシャーは種々の要求をしていたのである。チェスに使う駒の材質や、椅子の種類から、テレビカメラを試合会場から立ち退かせること、そしてさらには賞金の額の跳ね上げをも要求したのだ。これらはほぼ全てがフィッシャーの要求の通りに進んだ。これらを承諾したスパスキーには、「真の紳士」の称号が与えられた。
ちなみに、このゲームはフィッシャーが初めてスパスキーに勝った試合でもある。
このゲームの勝者はフィッシャーである。この時点で初めの2ゲームでついた2点差を埋めた。なお、このゲームにつけられた名前は、「ロシアでは俺が最強だ」である。
フィッシャーの勝ち。チェス界にまた衝撃が走った。フィッシャーは白番のときに、かならず e4 を指すのだ。だが彼はこの試合で過去ほとんど指したことのない c4 を指した。チェスは序盤の定石が指す手によって大きく変化する。つまり、彼はこの世界大会に向けて入念に準備してきたことを意味する。さらには、彼の相手スパスキーは、対 c4 がめちゃくちゃ得意だったのだ。フィッシャーはまるでスパスキーを挑発するかのように、c4 を指したのである。
彼が残した言葉は "e4: Best by Test." つまり、「e4 は私の経験上最善手である」という意味である。そして、このゲームには "Best by Protest" という名前がついている。Protest とは、抗議、異議という意味である。なんとも洒落た名前だ。
このゲームには、"Fischer King" という名前がついている。フィッシャーの良いところ・すごいところが全て現れているゲームだが、ここでそれの解説を初めてしまうと百科事典ではなくチェスの解説本になってしまうため、省略する。
このゲームもフィッシャーの勝ち。
なお、この時点で、フィッシャーの負け数は、第1, 2, 11ゲームの計3回のみであり、フィッシャーは勝ち数は6回である。
第14から20ゲームは全て引き分け。そして、このゲームではフィッシャーの勝ち。世界大会は最大24ゲームであることから、フィッシャーの勝ちが確定し、フィッシャーはアメリカ合衆国初の公式世界チャンピオンになった。
このゲームにつけられた粋な名前は "The Final Curtain"「最後のカーテン」である。「幕を閉じる」ときのカーテンかもしれないし、鉄のカーテンなのかもしれない。

失踪・放浪[編集]

そしてフィッシャーは失踪した。次のチェスの世界チャンピオン防御線には姿表さないどころか音信すら不通であり、フィッシャーは失踪した。ソ連の天才たちの頭脳を打ち負かしたアメリカ合衆国の英雄として持て囃されること間違い無しだし、フィッシャーの天才性に目をつけたビジネスマンたちの話に乗っかってもっと金を稼ぐこともできたはずである。

しかし、フィッシャーは反米・反ユダヤ的な過激発言を繰り返した。フィッシャーの母はユダヤ系であるにもかかわらず、だ。チェスを指すこともなくなってしまい、失踪した。

なお、この間にフィッシャーはカルト宗教にハマったり、放浪者として拘束されたりした。拘束の様子はメディアで放映され、髪もヒゲもボサボサのフィッシャーに全国民が驚愕した。

対スパスキー、再び[編集]

あるハンガリーのチェスプレイヤーから「なぜチェスを指さないのか」という手紙を受け取ったことをきっかけに、スパスキーとの20年ぶりの試合をすることを決意した。場所はユーゴスラビア。しかし、アメリカは当時ユーゴスラビアに対し経済制裁をしており、フィッシャー対スパスキー戦の賞金であった300万ドルを問題視し、フィッシャーに警告と称する文書を送った。

だが、反米であるフィッシャーはその文書にメディアの前で唾を吐きつけ、ビリビリに引きちぎり、ユーゴスラビアに赴いた。

試合結果はフィッシャーの勝ち。しかし、300万ドルと引き換えに、アメリカ国籍を失ってしまった。

再び放浪、そして[編集]

さて、国籍を失った彼はさまざまな国を転々とする生活を送った。中でも拠点としていたのは主にフィリピン、そして日本だった。彼が放浪していた年代に、よく蒲田駅で英字新聞を読んでいる姿が目撃されていたという。

日本にいる間に、日本チェス協会の渡辺美代子と事実婚ののち結婚したりしている。なお、この人物は日本チェス協会をチェスをしないFIDE(世界のチェス組織)唯一の日本公認組織にしたり、フィッシャーの遺産を巡って裁判を起こしたりと、不穏な噂が流れていることもある。でも、愛があればOKです。

だが、日本から出国しようとして拘束された。アメリカに行くことを拒んだ彼は、かつてスパスキーを破り世界チャンピオンになった試合が行われたアイスランドの国籍をなんやかんやで手に入れた。晩年は、アイスランドの首都レイキャビクで静かな人生を送った。ご近所さんには過激な発言をするけど、天才だからしかたないよね、と思われていたらしい。

業績[編集]

チェスの駒の配置をぐちゃぐちゃにするチェス960を考え出したり、「フィッシャー・ヴァリエーション」と呼ばれるオープニング定石を残したり、フィッシャークロックと呼ばれる持ち時間を管理する方法を生み出したりした。なお、この時計はチェス以外にも将棋などに使われているらしい。

匿名での活動?[編集]

ナイジェル・ショートというチェスのグランドマスターがいる。彼がオンラインでチェスの早指しを楽しんでいると、匿名のユーザーからの挑戦状を受けた。彼がなんの気なしに受けて立つと、相手はわけのわからない指し方をしてきたのである。例えば、序盤でキングを二歩も前に進めてきたり、同じ駒を前に進めて戻して進めて戻してを繰り返したりと、煽りのようなことをしたきたのだ。

だが、相手は仮にもグランドマスター。早指しとはいえ、そんな相手に負けるはずはなかった……と思われたのだが、なんと結果は匿名ユーザーの3勝0敗5引き分け。格下相手に煽っているかのような序盤のプレイにもかかわらず、グランドマスターを破ってしまったのである。

ナイジェル・ショートはそれにピンと来た。この匿名ユーザーはフィッシャーなのではないか、と。事実、フィッシャーは早指しの名人でもあったのだ。確かめるために、匿名ユーザーに向けて質問をした。内容は、記録に残っている、フィッシャーが小さい大会で戦った相手の名前である。彼がチャットでメッセージを送った十数秒後、正しい答えが帰ってきたのである。データベースを調べてカンニングするのでは間に合わない時間である。彼はこれで匿名ユーザーがフィッシャーであることを確信した。だが、確かめるすべは当然なく、真相は闇の中である。

関連項目[編集]