ムクゲ

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ムクゲ(槿、Hibiscus syriacus)とは、とても可憐な花を咲かせる。

概要[編集]

アオイ科なのにの色はであり、学会ではアカイ科に改めるべきではないかという意見も出されているが、とても可憐な花を咲かせるため見逃されている。ともあれ薬用・観賞用として広く愛され、手入れも簡単でスペースもあまりとらない事から庭木として不動の人気を誇っている。

語源[編集]

可憐な花が咲きました。

木(モク)+菫(ゲ)すなわち「木に生えるスミレ」が訛って「モクゲ」⇒「ムクゲ(槿)」となったとする説が有力であるが、それではあまりロマンを感じられない。そこで提唱する新説は、防人歌の一つに

征く途上(みち)の  遊ぶ女童(めのわ)ら 花手折り
 紅挿す指に が面影(おもばせ)         詠み人知らず

※大意:防人として赴任する道中、女の子たちが遊んでいるのを見た。
 摘んだ花で作った色水を紅に見立てて塗っていたが、故郷に残してきた妹に、とても似合う事だろう。

という首[要出典]があり、この故事から「妹紅化(もこうげ)」が転じて「モクゲ」そして「ムクゲ」となったとする説の方が、なんとなく華があっていいのである。花だけに

故事[編集]

ムクゲという名称には色々な当て字がされる事があるが、その多くは歴史的な故事に由来するものである。

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無公家
建武の新政によって政権の中心が鎌倉幕府(武士)から後醍醐天皇(公家、貴族)へと移され、せっかく倒幕に味方した(と言うか、むしろその先陣を切って戦った)にも関わらず冷遇された武士たち(主に足利尊氏およびその周辺郎党)が掲げた「反貴族・反朝廷」の象徴として尊重したのがこのムクゲ(無公家)であり、謀反を意味する隠語としても使われたほど武士たち(特に源氏)の間で愛好された。
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迎餉
足利義教に対して企てた赤松満祐らの暗殺計画(嘉吉の乱)に際し、「迎餉(ムクゲ)」すなわち「夕餉に迎え、而(しこうし)て弑する」を意味する符牒として用いられた(中には露骨に「迎撃」と呼ぶ者までいた)。また、満祐が自邸へ義教を招く大義名分として「ムクゲの季節になりました。我が家の庭で自慢の花でも愛でつつ、猿楽など鑑賞しませんか」と呼びかけたことにもよる。時は嘉吉元(1441)年6月(現代の7月)、ちょうどムクゲのきれいな時期であった。
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無窮境
の教えを請うため、貞応2(1223)年にへと渡った道正が師・天童如浄の下において大悟し、その問答において何を問われようと何も見ず、何も聞かず、何も答えず、ただ一輪のムクゲを胸に微笑していたことから「無窮の境地(窮まり無し。何者にもとらわれない心、禅の精髄)」に至ったことを知った天童如浄から衣鉢を譲られた(免許皆伝となった)のであった。かくして共に修行していた道元明全と共に日本へ帰り、曹洞宗の礎を築き上げたのであるが、程なくして道正は隠棲。仙人神人たちと交わりを持つ中で神仙解毒の法(薬学)を授かり、その秘伝を弟子たちに伝えたのであった。そのさまざまな薬に用いられるのも、やはりこのムクゲである。

花言葉[編集]

ムクゲは「無垢花」の字に表わされる事もあり、その花言葉は「純粋無垢」である。が、これを受け取った相手がどう勘繰る解釈するかはお察し下さい

外部リンク[編集]

関連項目[編集]


Upsidedownmainpage.jpg 執筆コンテスト
本項は第16回執筆コンテストに出品されました。