メイ島の戦い

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メイ島の戦い (Battle of May Island) とは、当時第一次世界大戦中であった1918年フォース湾に浮かぶメイ島近辺で行われた、イギリス海軍の艦艇およそ40隻とドイツの潜水艦1隻で交戦、 結果イギリス海軍が全滅こそ免れたものの潜水艦1隻相手にしては深刻な被害を受け、撤退を余儀なくされた史上稀な戦いである。

経過[編集]

1918年1月31日18時30分、イギリス海軍の戦艦3隻、巡洋戦艦4隻、巡洋艦や駆逐艦が数隻、潜水艦が数十隻のおよそ40隻の艦艇がロサイスからスカパ・フローに向けて出発。 なお、当時近辺に敵であるドイツ軍潜水艦1隻が近くで活動中であると疑われていたため、緊急時以外の無線と照明の使用を禁止していた。

メイ島を通過し速度を20ノットにあげてしばらくした後、イギリス海軍潜水艦K14が敵の潜水艦と思わしき光を発見、しかしあまりにも気がついたのが遅く、魚雷を先制して数発撃たれてしまう。 操舵手はとっさに左に大きく舵を取り緊急回避を行うが被弾し、操舵装置が破壊された。 さらに魚雷の流れ弾がK22潜水艦と巡洋戦艦インフレキシブルに命中、インフレキシブルは損害軽微であったが、K22潜水艦はバラストタンクと燃料タンクが破壊される。 両潜水艦とも大破し交戦不能となり、インフレキシブルの乗組員は突然の襲撃にパニックに陥り海域から離脱した。 K22は他の艦隊に「敵艦の攻撃を受けた。自艦は港までたどり着けるが、K14は沈みつつある。」と通信を送ったが、通信を禁止されているため誰も聞いてなかった。

さらに追撃が行われ、偵察巡洋艦フィアレスと潜水艦K17が被弾。フィアレスは中破、K17は沈没してしまう。 K17の大半の乗組員はそのまま死亡。 巡洋戦艦オーストラリアにも追撃が行われたが、回避行動をとり無事。しかし回避行動をとったオーストラリアとぶつかりそうだった潜水艦K6が回避行動をとったところ、K4と衝突、K4は沈没した。 潜水艦K7にも追撃が行われ、中破。 艦隊全体がパニックに陥り、我先にと全艦隊が海域を離脱した。

結果、間接的な要素もあるが、敵潜水艦の攻撃により潜水艦2隻が撃破され、潜水艦4隻と巡洋艦1隻が損傷、艦隊は大混乱に陥り、敵前逃亡を図った。

その後[編集]

このようなほぼ一方的にやられただけに近い大敗北をし、さらには軍法会議で死刑確実な敵前逃亡までしたことを隠し通すために、戦闘は発生しておらず霧の中で事故を起こしただけだと全員で口裏を合わせた。もちろん軍法会議でもそのような主張が行われてた。ただし、最初の交戦直前にK14は自艦隊の明かりを見て混乱したと主張した記録が残されているが、照明の使用が禁止されているのになんで明かりが見えたのか誰も突っ込みを入れなかった。

結果として本件は海難事故であったとイギリス海軍の記録に残るが、同日のドイツ海軍の記録にはイギリス艦隊相手に大勝したと記録されている。

原因[編集]

領海内だからといって照明はともかく通信まで使用を禁止するのは敵のカモになるようなものであるのは、現在では定説となっている。それをやってしまったのだから致し方がない。


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