モロトフ食品工業

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モロトフ食品工業パンカクテルを販売していた会社

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ウィキペディア専門家気取りたちも「モロトフ食品工業」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

歴史[編集]

1939年にフィンランドソ連の間で戦争が始まった。[1]それとほぼ同時にソ連でモロトフ食品工業が創立され、直後にフィンランドにも工場を設立、戦争で困窮する両国民のために食料品を販売した。非常な安価(ほとんど無料)で商品を提供したため、ダンピングであるとして批判は大きかったが、その後も販売が続けられ、第二次世界大戦中は日本でも事業を行なっていた。 大戦後も営業は続けていたが、「モロトフ」の名称を使わなくなったため知名度は低くなり、冷戦で竹槍に地位を奪われ廃業した。

商品[編集]

パン[編集]

パンはソ連からフィンランドに空輸された。社長のヴャチェスラフ・モロトフによれば、「資本家階級に搾取されているフィンランドの労働者への援助のため、パンを投下した」とのことであり、思い切った慈善事業と言えよう。もっともパン籠が直撃して亡くなる兵士もいたらしく、彼を悼む碑が建っている。

第二次世界大戦中はアメリカに工場が建てられ、銃後の飢餓に苦しむ日本人に食料を販売していた。日本のへ輸出量は戦中を通して計16万トン以上に上り、配達先は大都市はもちろん地方の中小都市まで行き届いていた。

カクテル[編集]

ソ連からのパン輸出に応える形でフィンランドの篤志家がカクテル工場を建てて、逆にソ連へカクテルを輸出した。寒い前線においてはウォッカさえ凍ることが予想されたため、このカクテルは非常にアルコール度数を高くしており、「地面に落としたら爆発した」、「受け取り損ねた兵士が火だるまになった」など、数々の逸話を残している。これらの逸話によって、このカクテルが兵士たちに広く親しまれていたことが分かる。

配達[編集]

パン[編集]

パンの配達の様子。

移動販売の形式を取っていた。高高度から籠に入れて落下させる方法が一般的であったという。ただしソ連からフィンランドへの空輸の場合は前線の人の少ない地域に落下することが多かった。また、60個入りの籠で配達された。

一方アメリカから日本へ空輸の際は38個入りの籠が一般的[2]であり、市街地に大多数が落とされたことも要因して「モロトフのパン籠」の名は当時の日本人に広く知られていた。 モロトフ食品工業のアメリカ支社はよほど力を注いでいたらしく、空輸のために新しい飛行機を作り、この機体だけでも4000機近く製作、日本への輸出の90パーセントを輸送した。

カクテル[編集]

配達の瞬間。

フィンランドからソ連へのカクテルの輸入は国力の差もあってか、フィンランド人販売員による訪問販売が一般的であった。前線のソ連戦車兵を個別に訪問して売りさばいたらしい。訪問販売の形をとったことで、上述のような逸話が生まれたのであろう。


脚注[編集]

  1. ^ シモ・ヘイヘも参加した。
  2. ^ 正式な名称はE46。

関連項目[編集]