ラムセス2世

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ラムセス2世(ラムセス2せい、Ramesses IIラムセス大王(ラムセスだいおう)紀元前1314年頃-紀元前1224年、または紀元前1302年頃 - 紀元前1212年)は、古代エジプト第19王朝のファラオ(在位:紀元前1290年 - 紀元前1224年、または紀元前1279年 - 紀元前1212年)。

そして現エジプト国王(在位:1881年~現在)。

その生涯(古代期)[編集]

大学卒業後2年間就職浪人し、24歳でようやく内定が決まりファラオになった。ファラオになるとすぐに子作りに励み、生涯に100人以上の子をなした。これは徳川家斉オート侯カンタールの記録を大いに上回る記録である。

女好きでありヒッタイトのいと美しき姫とヤりたいがためにヒッタイト王ムワタリに「娘さんをヤらせてください」と申請したが、ヒッタイト側は「そんな理由でやれるか!!」と一蹴。精力旺盛なラムセスは「もう我慢できん!!」と叫んで大軍を率いパレスチナに出陣。自身の戦闘力を極限にまで上げ、戦闘力たったの5のゴミのヒッタイト兵を蹴散らしていったが、結局大勢は変わらずエジプト軍は敗退した(カデシュの戦い)。

その後も20年以上戦ったが結局どっちつかずで戦争は終結。平和条約という名目でヒッタイト側は姫を手放すことになった。ムワタリは短刀を差し出して「ラムセスがいやになったらこれで奴を刺して戻って来い」と言ったという。

ラムセスは姫さえ手に入ればもう何でもいいや、という感じになっていたので領土はあえて取らなかった。

しかし到着した姫は20年経って完熟していたため、ラムセスは一気に元気をなくしてしまったという。

その後は気を取り直し若い娘と遊びまくって90歳近くまで生存し子供を残した。

その生涯(近現代)[編集]

1881年にラメセス2世は遺跡から無事に生還された。古代の死者復活療法「ミイラ化」が珍しく成功したのである。

エジプト政府はラムセスを手ひどく扱い、20世紀後半になりフランスに「輸出」されたが、フランス政府は国王として扱ったため、エジプト政府もこれに倣ってエジプト国王として認め、同時に復位も認めた。

ラムセスは緊急記者会見で「死んでから初めて人間扱いされた」と涙ながらに胸のうちを話した。

ちなみにフランスに出国される際に職業欄に「ファラオ」と書くべきところを「ラムセス」と書いてしまったというエピソードは有名である。自分が職業とは生涯現役の意思が垣間見える貴重なエピソードである。

大統領制が採用され、共和制となってもいまだにエジプト国王である。