ヴィルヘルム・ライヒ

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ヴィルヘルム・ライヒ先生(Dr. Wilhelm Reich、1897年3月24日 - 1957年11月3日)は、かの有名なフロイト博士の最も優秀な弟子にして天才科学者である!

生い立ち[編集]

オーストリアウクライナ系のユダヤ人家庭にお生まれになった先生は、日々家庭教師による大変質の高い教育をお受けになり、好奇心旺盛かつ聡明な少年に成長なさった。そんな先生に転機が訪れたのは13歳のとき、夜遅くお便所にお起きになった先生は何気なくお母様の寝室をお覗きになり、驚くべきものを目になさったのだ。なんと、お母様が、家庭教師と愛を交わしておられたのである!好奇心の塊である先生は、その様をつぶさに観察し、上になったり下になったり出たり入ったりするのを心ゆくまで堪能もとい確認し、その後お父様に知らせにいかれた。このことが、先生がその生涯を「性なる力」の研究にささげるきっかけとなったのである。ちなみに、知らせを聞いたお父様は当然ながら大変お怒りになり、その後何があったかは私の知るところではないが、先生によれば「気づいたら2人とも死んでた」とのことである。

大学にて憧れのジークムント・フロイト博士の指導を受けた先生は、すぐに認められ、寵愛された。肛門が性感帯であると言うことを身をもって知ったのもこのころであると、先生はおっしゃる。その他数々の知識を得て立派にフロイト派の精神分析家となった先生はやがて成人なさり、お医者様となられ、オーストリア社会党でご活躍になった後、ベルリンに移住なさってドイツ共産党の一員となる。ここにおいて先生は精神分析に政治的観点を導入した画期的な論を展開なさるも認められず、除名される。その上、フロイトにも嫌われ、精神分析協会からも追放される。が、先生はそれ以降も、社会による性的抑圧から人々を解放すべく、戦い続けたのである!

オルゴン蓄積気[編集]

論文『ファシズムの集団心理学』ナチスの怒りを買い、ノルウェーに亡命なさった先生は、オスロ大学で性科学の研究中に未知なる物質「バイオン」を発見なさり、さらにその「バイオン」から、「オルゴン」なるこれまた未知の物質を抽出する。先生はこの「オルゴン」こそが「性なる力」であり「宇宙の源」であると発表した。見たかフロイト、先生は宇宙の、万物の根源を発見したのだ!ところが世の人のなんと愚かなことよ、先生の素晴らしい学説はまたしても批判の嵐、仕方なく先生はニューヨークに亡命なさった。1940年にやっと支持者を得た先生は、メーン州にオルゴン研究所「オルゴノン」を開設、研究に励む。そしてその結果、人類歴史に残る、素晴らしい発明をしたのである!その名も「オルゴン蓄積機(オルゴン・ボックス)」。装着することにより、体内のオルゴンを集積し、高めることができるのである。

オルゴン・ボックス装着例。本来は効果を高めるため下は全裸でなければならない。

1941年、オルゴン・ボックスを自ら装着した先生は、意気揚々とある場所へ向かった。ほかならぬ天才物理学者、アルベルト・アインシュタインの住処である。ライヒ先生はドアが開くや否や、いささか興奮した様子でオルゴンに関する自らの説を語り始めた。その間、天才物理学者は表情を変えず、耳の穴をほじっていた。どうやら話を信じていないらしいアインシュタインに対し、先生はあるものを示した。それこそ先生のもうひとつの偉大なる発明品、「クラウド・バスター(オルゴン放射器)」である。先生はそれを股間に取り付け、アインシュタインの目の前で、彼の家に行くまでに溜まり、十分に高まったオルゴンを放出してみせた。ついに、アインシュタインは目を丸くして、「……もういいから…帰りなさい」と述べた。見たまえ、かの天才物理学者が、先生の才能に恐れをなしたぞ!!こうして先生は満足して帰途についたのであった。

死去[編集]

先生は、「社会による性的抑圧からの解放」をライフワークとしておられた。より多くの人々の性的解放を目指し、先生は「オルゴン・ボックス」の安価での販売を始めなさった。また国防にも疑問を投げかけ、宇宙人の侵略を阻止すべく「クラウド・バスター」の使用を訴え続けた。実際に先生は1954年にUFOを目撃しておられる。しかし世の人々は先生の訴えに耳をかさないばかりか、この偉大なる人類の救世主をいわれなき罪(がん治療用器具の無許可での販売)で投獄したのだ!先生は獄中で心臓発作により亡くなられ、現在その説を評価しているのはヒッピーくらいだ。誠に嘆かわしいことである。

関連項目[編集]

Wikipedia
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