万愚節

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万愚節(ばんぐせつ、ラテン語: Sollemnitas Omnium Fatuorum、英語: All Fools' Day)は、キリスト教西方教会の祝日。典礼暦では4月1日。11月1日の「万聖節」(諸聖人の日ラテン語: Sollemnitas Omnium Sanctorum、英語: All Saints' Day)と対になる。

概要[編集]

地にある人の子紳士淑女識者聖職といえども悉く愚者ならざる者はなく、賢者たらんと無闇に足掻くことの虚しさ、ましてや賢者を騙り取り繕うことの愚かさと、愚者にこそ宿る虚心の恵み、そして窮屈なる人生における諧謔の大切さを覚える日。

その歴史は、313年のミラノ勅令によるキリスト教公認より遙か以前の古代共和政ローマ時代にまで遡り、元来、と享楽の神バッカス(Bacchus)の祭典が起源にあると推測されている。そのため、古ローマ暦においてはバカナリアBacchanalia/馬鹿也哉)と、フランス語においてはオー・バカナル(Aux Bacchanales/大馬鹿也)と呼ばれる。

「万愚節」とは漢語圏における、カトリック教会聖公会ルーテル教会など教会暦の概念がある教派での正式名称であるが、一般大衆的には、英語での別名である「エイプリールフール」(Ape reel fool/直訳:眩暈愚)という俗称で知られている。

エブリデイフールである当八百科事典であるが、この日に限っては、全世界がアンサイクロペディアと化すことが許容されている。但し、本来はキリスト教における重要な祭日であることに留意し、用法用量を守り適度にお楽しみ下さい。

聖ベルナルドゥスによる復興[編集]

西方教会における万愚節の流布と、こんにちのような全世界的な流行に貢献した人物がいる。おっぱい聖人として知られるクレルヴォーの聖ベルナルドゥス(1090年 - 1153年)である。

ベルナルドゥスがある日、聖母マリア像の前で、「あなたの母たることをお示しください」(恐らく「アヴェ・マリス・ステラ」の一節)と祈りを捧げていると、彫像が動いて乳を聖人の唇に滴らせた、と伝えられ……否、らせただと!? どう見てもものすごい勢いで母乳ぴゅっぴゅして、奴は恍惚の表情でそれをごくごくしているではないか。おっぱいぷるんぷるん!!

\まさにおっぱい聖人

その聖ベルナルドゥスが、キリスト教の浸透以降長らくほぼ忘れ去られていた古代ローマの祭典・バカナリアを、なにかこうもっともらしい意義の付け加えとともに「万愚節」として復興させたのである。

彼の布教活動は実を結び、西方教会においてはまたたく間に万愚節が弘まり、やがて全世界中のあらゆる宗教を超えて、この祭日は弘まったのである。

東方正教会における「佯狂者」[編集]

冒頭で、万愚節は「西方教会」の祝日であると述べた。では、東方教会ではどうなのか?

それはだ。東方正教会においては、聖人のカテゴリーとして「佯狂者/聖愚者」(英語: Holy Fool, Foolishness for Christ)と呼ばれる者がある。平たく云ってしまえば、数多くのマジキチどもを聖人として崇敬しているのだ。個々の佯狂者には、おもにその永眠日を記憶した個々の祝日がある。

つまり、東方正教会は地でエブリデイフールなのである。\実に正狂怪!/(そんな正教会が大好きだぜ!)

よって、西方教会のように年に一度の万愚節など設ける必要がないのである。

なお、西方教会が例のアイツのせいで豊満さを称讃する傾向が強いのに対して、東方正教会では貧しき者聖とする傾向が強い。イコンにおいては、大概の女性は慎ましやかに描かれている。『貧しき者は幸い』なのである。

万愚節の聖句[編集]

旧約聖書[編集]

熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。
その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。
-『厨二病ソロモン王コヘレトの言葉』 1:17/2:19a-
自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる。
怠け者は自分を賢者だと思い込む。聡明な答えのできる人七人にもまさって。
軽率に話す者を見たか。彼よりは愚か者にまだ望みがある。
-『箴言』 26:12,16/29:20-

新約聖書[編集]

だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
-『コリントの信徒への手紙一』 3:18-
虚心の人は幸いです。天の国はその人たちのものです。
-『マタイによる福音書』 5:3-

諸宗教[編集]

わが宗旨はうんと飲んで楽しむこと、わが信条は正信と邪教の争いを離れること。久遠の花嫁に欲しい形見は何かと訊いたら、答えて言ったよ――君が心の喜びをと。
-オマル・ハイヤーム-
念仏の行者は智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賤高下の道理をも捨て、…又諸宗の悟をも捨て、一切の事を捨てて申す念仏こそ、弥陀超世の本願に尤もかなひ候へ。…ただ愚なる者の心に立ちかへりて念仏し給ふべし。
-一遍上人
南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ
-一休宗純

万愚節の特祷[編集]

誰もが蔑み、どう足掻いても救いようのない「小さき者」たちといつもともにあり、「虚心の人は幸い、神の国はそのような人のもの」と教えられた主イエス・キリストのみ恵みが、すべての愚者たちのうえにますます豊かにありますように†アーメン

万愚節の記憶者[編集]

関連項目[編集]