万歳三唱令

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万歳三唱令(ばんざいさんしょうれい)とは、戦前日本の体制を作り上げた法令である。

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概要[編集]

万歳三唱令とは、明治12年4月1日に施行された万歳を規定した明治時代の政府文章である。正式には太政官布告第168号とされている。現在でも有効な法令であり、戦前日本から受け継がれている希少な法令の一つとされている。

この法令は翼賛を正しき万歳を国民に根付かせることにより、国民に天皇中心の国家体制への賛美思想を植え付けることを狙いとして制定されたとされる。現在も象徴天皇として実権はともかく天皇陛下が建前ではトップであるため、この法令だけはGHQからの廃止命令を無視してでも存続させたと考えられている。

普及[編集]

萬歳三唱令に従って作成されたグリコのポーズ(手のひらの向きと足は法令とは逆である)
萬歳三唱令(口語文の要約)
以下は、本事典下請けの事典からの引用である。
本文
発声は、大日本帝国と帝国臣民の永遠の発展を祈って行うこと。
音頭を取る者は、気力充実・態度厳正を心掛けること。
唱和の際には、全員心を一つにして声高らかに行うこと。
実施要領
基本姿勢は直立不動で、両手は指をまっすぐ下方に伸ばし体の側面にしっかり付ける。
万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し、同時に両腕を垂直に高々と挙げる。その際、両手の指をまっすぐに伸ばし両掌を内側に向けておく
万歳の発声終了と同時に素早く元の直立不動の姿勢に戻す。
以上の動作を三度、節度を持ちかつ気迫を込めて行う。

しかしながら、この法令は直ちに普及した訳ではなく、実際に公の場で万歳三唱が行われたのは、1889年2月11日のことであった[1]。このとき、明治天皇の馬車に対して万歳の唱和と動作を行うと、天皇は馬車を止めて答礼を返した。これを記念して、萬歳三唱令施行の4月1日ではなく、2月11日が正式な万歳三唱の日と定められた。この後、次第に万歳は世間に浸透していった。

バンザイ突撃[編集]

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バイザイ突撃を止める事は、誰にもできない!

上記の実施要領および添付図から分かるように、法令で定められた万歳は一種の体操のような体勢を繰り返す作法である。そのためラジオ体操制定(1928年, 昭和3年)以前においては、広く普及している作法が定まった運動として各種の催しで実践された。この場合、三唱すなわち3回の繰り返しでは運動量が足りないため、ハードル競技のように走りながら万歳を繰り返し行うものや、万歳三百唱に拡張するものなど、様々な工夫も加えられた。

ラジオ体操が普及してからはバンザイ運動は表舞台からは姿を消した。しかし、ラジオ体操だけでは物足りないと感じた軍部は、万歳を運動に取り入れ続けた。そのため、日本軍たちの走りこみは終戦まで常に万歳を300回ほどしながらするというひどく間抜けなものとなってしまった。こうした日々の走りこみによる鍛錬は太平洋戦争という実戦において日本兵を支えることとなる。

こうした背景があり、走りながら万歳を行う究極の完成形であるバンザイ突撃は完成した。バンザイ突撃は日本独自の様式美として太平洋戦争の各方面で披露され、欧米諸国の驚嘆を集めた。万歳をしながら死を賭して突撃してくる日本兵たちは恐れられ、天皇陛下を盲目的にたたえながら死にゆく姿は連合軍に怖がられた。連合軍側にはそうした自爆思想はなかったためであろう。

この事例からも万歳には盲目的に信仰対象を信じ込ませる効果が強いことがわかるだろう。万歳三唱令は治安維持法や国家総動員法と同じレベルで、戦前日本の翼賛体制を作りこむためには欠かせない法令の一つと見て間違いないだろう。

現在[編集]

現在でも有効な法令である万歳三唱令であるが、それに関連しある衆議院議員は、2010年当時の内閣総理大臣が行った万歳三唱について、「万歳三唱令に基づく正式な万歳とは違うように見受けられた。日本国の首相として、万歳の仕方をしっかりと身につけておくべきだ。首相は作法を知っているか。」という質問主意書を2010年2月3日提出をし、国会でも質疑を行った。なお、質問主意書への答弁書として当時の首相は衆議院議長を通して「万歳三唱の所作については、公式に定められたものがあるとは承知していない。」とした。

当然今でも残っている法令に首相は従うべきであり、いやなら廃令すべきなのである。総理大臣なのだからそれぐらいは出来るだろう。万歳三唱令を廃令しない限り、戦前日本の体制は永遠に維持されることとなる。なぜ、反戦的首相たちがことごとくこの法令の存在を黙殺していたのだろうか。その理由として挙げらているものの一つとしては、根底に万歳三唱令を野党に批判されないように生かせば、自分たちが翼賛されやりたい放題出来る切り札にこの法律を使えるのではないかと考える首相が多かったのではないかというものである。事実かどうかはともかく、この法令を使えばそれぐらい簡単に出来そうなのが恐ろしいところだ。

脚注[編集]

  1. ^ 明治天皇に「アホウガ!」と叫ぶことを提案した不敬な大臣もいたと言う。

関連項目[編集]